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小さな国だった物語~  作者: よち


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42/219

【42.大事なこと】

星明り。漂う薄い雲。

夜空の下を、すうっと一本の火矢が流れていった――


それはトゥーラの都市城壁。南西の見張り台の上から、若き美将軍(ライエル)国王(ロイズ)に託されて放った一つの(こころざし)であった――


「見てこい!」

「は、はい!」


障害物と成り果てた壕の上を飛び越えて、火矢はスモレンスクの監視が目を光らせる先に落下した。

燻った明かりを確認した分隊長は、不安を浮かべる部下に対して、拾ってくるよう伝えた。


「ギュース様、トゥーラから、こんなものが飛んできました!」


不審物は頭髪を綺麗に剃った大将(バイリー)と、麻の衣服から逞しい筋肉が覗く副将(ブランヒル)と共に、木切れや石を使って翌日の作戦を練っていた、総大将(ギュース)の元に届けられた。


「見せてみろ」


100キロを超える体躯が、会議を中断して立ち上がる。


火の気は消されても、熱を帯びる矢羽根をごつっとした右手で掴むと、ギュースは根本に括りつけられた細い小筒に気が付いて、ぶちっと強引に引き千切った。


「……」


戦歴を重ねた指先が、小筒の中から器用に小さな紙片を取り出すと、ギュースの太い眉毛が吊り上がる。


「何とある?」


動きの止まった総大将。座ったままのバイリーが、背後から急かすように尋ねた。


「……どうする?」


独断では判断できないと、振り向いたギュースが紙片を指で弾くと、それは篝火の炎で揺らぐ空気の中を、ふわっと泳ぎ、バイリーとブランヒル、二人の眼下で動きを止めた。


「これは……」

「何が、書いてあるのです?」


バイリーが思わず眉をひそめると、ブランヒルが尋ねた。


『溺れる犬を救うなら、静観する。何より、無益な戦いの終息を願う』


読み終えると、手にした紙片を彼の前へと差し出した。


「どう思う?」

「罠……とは思えません」

「そうだな。俺も、同じ意見だ」


ブランヒルが正直な思いを吐き出すと、上司(バイリー)も違わぬ見解を表した。


「だが、本当に信じられるか?」

「……」

「……」


足を戻しながら吐いた総大将。二人が見上げると、天幕の空気は固まった。


「考えてもみろ。あの数の負傷兵を収容しようと思ったら、何百人と人員が要る。奴等からしたら、敵を城壁まで近付ける事になる。そんな危険を犯すか?」

「確かに……そうですね」


続いたギュースの発言を、ブランヒルが胸に落とした。


「罠というと可能性が、消えた訳では無いか……」

「ですが、あちらは少数です。短い休息時間()を、作戦行動に充てるとは思えません」

「そうだな」


バイリーが呟くと、ブランヒルが理由を含めて抗った。


「誘いに乗ったふりをして、攻め込むか?」

「……」

「する……つもりか?」


総大将(ギュース)の冗談めいた言動に、ブランヒルは沈黙したが、上司は敢えて訊き返した。


「いや、忘れてくれ。スモレンスクの名を汚すような勝利は、有り得ない」


名門リューリク朝の血脈を思ったギュースは、鋭い視線を躱すように右手を小さく掲げると、醜い案を恥じるべく前言の撤回を図った――



「誰か来るぞ!」

「け、警戒を!」


西側の林で3つの松明が灯ると、やがて黒闇の中で重なったりしながら、ゆっくりと近付いてきた。

矢文の返答であろう事は間違いないが、警戒を緩めるわけにはいかない。

南西の見張り台に立った監視兵が、震えながらも声を発した。


「返答だ!」


壕を越え、足元に気を付けながら進んできた兵士は、矢羽が城壁を越える距離まで近付くと、簡潔に一声を発した。

続いて松明の灯りが4つになったかと思うと、そのうちの一つが火元を離れ、宵闇の間を走って、トゥーラを囲む都市城壁の一辺を越えていった――



「ロイズ様、返答が届きました」


暫くして、矢羽は走ってきたライエルの手によって、地階の臨時の執務室に届いた。

藁のベッドに腰を下ろしていたロイズは無言でそれを受け取って、直接結ばれた紙片を解くと、記された短い一文へと視線を落とした。


『配慮、感謝する。だが、無用』

「……」


国王は、落胆の色を隠さなかった。

苦しみの中で託された、伴侶の願いが届かなかった無念も含む。


しかしながら、自身もまた、微かな望みを託さずにはいられなかったのだ――


「ふう……」


ロイズは大きな溜息を吐き出すと、怒りすら込めて訴えた。


「これでまた、犠牲が出るんだよ……」


届いた紙片は、怒りの籠った右手によって(つぶて)となった。


「ロイズ様。神の審判は、まだ下っていません」


戦闘中。敵を信じる事は難しい。

震える右手を認めると、青年は正気に戻るよう諭した――


「……」


ロイズは下を向いていた。

正しい見解と、理解はできる。

しかしながら、遣り切れない想いが、どうしたって残った。


都市城壁の外側では、敵ではあるが、嘆きの声が、宵闇の中で響き渡っている。


それは、純粋なる生を求める叫び―—


救いを差し述べる事は、誤りなのか?


彼らの背後に居る者を想ってしまう心情は、甘いのか?


「……」


浮かんだ思いが、誤りであるとは思えない。


それでも戦争という闇の中では、何人たりとも抗えない、正しさを狂わせ、飲み込んでいく巨大な力に凌駕されてしまうのだ――


それは連綿と、歴史が証明している――


「くそ!」


ロイズの拳がベッドを叩いた。

夜明けと共に、歴史に追従する事が決まった――



「ギュース様!」


白い星々が雲間から覗く夜。

決戦の日に備え、早めの眠りに就いたギュースの元に、突然の声が届いた。


「なんだ!?」

「後方より、火の手が上がっています!」

「なに!」


兵士の報告に飛び起きる。甲冑を着たまま眠っていたギュースは槍を持ち、簡易な天幕から飛び出した。


「どこだ!?」

「こちらです!」


白樺の木々が生い茂り、先が見えない。赤髪の総大将は左右に首を捻ったが、火の手は窺えなかった――


「……」


前を行く兵士が掲げる松明を追って、ギュースは木々の間を縫い走った。

その道中、何かが燃える異質な臭いを鼻腔に感じると、同時に悪い予感が過ぎった。


「あれか!」


燃え盛っている訳ではない。視線の先で、幾つかの紅い火の手を認めると、思わず叫んだ。


「隊を出せ! 火の手は弱い! 敵は少数だ!」


方々で松明が灯り始めると、紅い揺らぎが人物を照らし始めた。それが次第に増えてゆくと、周囲を確認できるほどの明るさが、林の中に宿っていった――


「敵か!」


松明を持ったバイリーが慌てて飛んできた。

揺れ動く炎の明かりが、石の表面のように滑らかな彼の頭皮を照らしている。


「恐らくは、陽動だ」

「そうか……」

「しかし、伏兵を置いてまで、兵糧を狙ってくるとはな……」


ギュースは、感心するように呟いた。


二日間の短期決戦のつもりだったが、リャザンから来るであろう援軍を止める事ができれば、攻略の日数を伸ばせるとも考えていた。

敵の作戦は、そうはさせじと仕掛けてきたものに違いない。


「兵糧の管理は、ヤットか?」

「ああ……」


バイリーからの質問に、ギュースが答える。


ヤットは齢40になる文官で、普段から懇意にしている事もあって、出陣の際には副官として従軍させる事が多かった。

慎重な性格で、「文官の自分が遠征で命を落とす事だけは勘弁願いたい」 と、憚らずに公言をしている。


しかし面白いもので、ギュースとは真逆な性格が、違った視点から物事を成すに至ったり、時には正しい自重を促す事にも繋がっていた――


春先の戦いでは撤退を促した。

この戦いでは、後方の輜重隊に多くの人員を配置した。

共にヤットの進言によるものだ。


「大事には、至らなそうだな」


上がった火の手は小さくなって、ギュースはやれやれと安堵の息を吐き出した――



輜重隊を襲ったのは、別動隊となっているメルク達だった。


「思った以上に、敵が残っていましたね」

「そうだな……」


細かな指示こそ無かったが、メルクは後方の部隊を攪乱、或いは足止めをして欲しいとの指令を受けていた――


(ロイズ様、申し訳ございません……)


しかしながら、思ったような戦果は上げられなかった。


10名にも満たない少数で、二桁も違う相手を昼間に襲うのは、無謀というより他に無い。そこで夜襲に変更したが、結果は微々たるものである。


兵糧の幾つかに火を点けて、伏兵の存在を認知させただけ。

鎮火する炎を認めた小柄な男は、撤退先の茂みから無念を思った――



「メルク。グレン将軍がお呼びだ」


昼下がり、同僚と共に小刀を使って矢羽の作成に勤しんでいたメルクは、兵舎に入ってきた仲間に名前を呼ばれると、何事だろうと振り向いた。


そして食堂で昼食を取っていた将軍を見つけると、思わぬ指令が届いた。


「国王様に?」

「そうだ。ロイズ様が偵察隊と別働隊を作りたいと仰ったので、おぬしを推薦しておいた。直々に、指示を仰いでもらいたい」

「……」


国王(ロイズ)の姿を、彼は遠目に2回ほど見たことがある。


一度目は冬。入城の際に沿道の住民を監視する任務に就いていて、馬に跨った、当時は新任の城主が背中を通り過ぎたあとに、横顔と後ろ姿をチラッと眺めた――


二度目は春。住民総出で行われた農作業の最中に、二人の将軍と共に鍬を振り下ろしている姿を、遠くから眺めた程度である。


そのためか、印象なんてものは無く、ただ若いという、周囲と同じありきたりの認識しか持っていなかった――


「分かりました。行ってまいります」


それでも近衛兵という立場から、彼が赴任してからのトゥーラの変化。殊更、独立を宣言してからの動きは理由が明確で、無駄が無く、感銘を受ける事が多かった。


いったい、どんな切れ者なのか――


ロイズの元に向かうメルクの身体には、緊張以上。畏怖さえも生じた。


「グレン将軍配下、騎馬担当メルク。入ります!」


そして衛兵が開いた扉をくぐると、彼は敬礼してから身分を発して、国王(ロイズ)に謁見したのある。



国王様の印象は、10歳ほど年上のメルクから見ても、美しい好青年というものであった。


話し声や所作には落ち着きがあり、物腰も柔らかで、素直に好感を抱いた。

数分もしないうちに、最初に抱いていた切れ者という印象は、すっかりと剥げ落ちた。


「承知致しました! お任せください!」


作戦の概要をロイズから聞き終えると、メルクは直立敬礼しながら受諾した。


「あ……」


敬礼したまま踵を返すと、足を一歩進めたところで背後から声がして、再び身体を翻した。


「なんでありましょうか!?」

「いや……大した事じゃないよ。ただ、一番大事なことを伝え忘れた」

「はあ……」


大した事じゃないが、大事なこと――


矛盾を孕んだ発言に、メルクの緊張が剥がれた。


「また、ここで会おう」

「……」


端正な顔つき。澄んだ瞳が、真っ直ぐメルクに注がれた。


仮に女性であったなら、きっと見惚れてしまったであろう……


そう思わせるほどに、ロイズの言動は、彼を魅了させたのだ。


「は!」


勅命を受けたメルクは、一歩を下げると、ふたたび毅然となって敬礼を捧げた――



「この後、どうします?」


真夜中に火矢を放った別動隊。

南に走って馬を(とど)めると、部下が次なる動きを尋ねた。


「一旦退こう。やれる事は、ある筈だ」


立ち昇った騒動は、完全に鎮まっている。


ロイズの言葉を胸にして、メルクは冷静な判断を下した――

お読みいただきありがとうございました。

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