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小さな国だった物語~  作者: よち


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41/218

【41.己の位置】

初日の戦いが終わった。


夏の夕陽が照らす中。スモレンスクの兵士がほうほうのていで退却していく姿を、トゥーラの兵士たちが歓声と安堵の声で追い立てた。


しかしながら、諸手を挙げて喜べない。


総大将(ギュース)が退却命令を発しても、東西では散発的な争いが続けられ、都市城壁に梯子を掛けるまでには至らなかったが、トゥーラの戦力を確実に削っていた――



「はぁ……」


トゥーラの一番高い場所。四方を見渡せる城の屋上で、目立たぬようにと灰色の布巾で頭を隠した小さな王妃が、ぺたんと腰を落とした。


疲労困憊。体が重い。それでも状況確認をしなければ……


夜明けは4時頃で、日没は21時頃。

夏の太陽は地平線の下に沈んでも、残り火のような光源が、視界を塞ぐことを許さない。


南側では、都市城門の前に造った策略が、大地にポッカリと穴をあけている。

崩落の先には、甲冑を身に纏った敵兵の姿が水揚げされた魚のように転がっていて、微かな動きがある者も、数多く存在していた。


「……」

「リア!」


戦禍に言葉を無くす王妃の背後から、愛しい響き。

王妃は頭に被った布に左手を伸ばすと、剥ぎ取りながら振り返った。


「おかえり……」


か細い声。

黄昏に照らされた、赤みの入った髪がはらりと広がった。


城の屋上から見下ろす怒号の先で、次々と人の姿が歩みを止めて、やがて動きを消してゆく。


飛び交う矢羽を目で追うと、敵だけでなく、都市城壁に立つ味方の兵士も次々と膝を崩した。


そして午後を迎えると、血気に(はや)った人間たちが、悲鳴と共に土砂と土埃に混じって崩れゆく姿を、真正面から二度も確認をした――


侵略者。

トゥーラを防衛する彼女にとっては、喜ばしい場景だ。


それでもこの日、リアの口角が上がることは、一瞬すら無かった――


「大丈夫か!?」


螺旋階段を駆け上がり、屋上へと続く梯子を登って顔を出し、憔悴しきったリアの表情を目にすると、ロイズは咄嗟に駆け寄って、くたっと萎れた小さな身体を両腕で支えた。


机上の戦いとは違う。


初めて人間同士の凄惨な争いを()に入れて、彼女の両肩は小刻みに震えていた。


僅かばかりの水以外、何も口にする事ができなかった。

没入する彼女に、曇天だったとはいえ、太陽の熱が容赦なく小さな身体に浴びせられ、更には石造りの天井の反射熱が、じりじりと体力を奪っていったのだ。


琥珀色の大きな瞳の輝きが、儚い。

脱水症状と熱中症。現代ならば、そう呼ばれる状態だった。


「ラッセール!」


リアを抱えて立ち上がり、足を進めたロイズは階下に繋がる梯子を覗き込むと、大声で執務室に居るはずの尚書の名前を叫んだ――



梯子を登った尚書が屋上に顔だけを出して事態を認めると、慌てて一階の食堂へと身体を移して、女官のマルマを呼び出した。


王妃を慕うマルマは尚書からの報告に青ざめて言葉を失くしたが、直ぐに正気に戻って、自身の上司、王妃が慕うアンジェの元へと走った。


王妃の一大事――

しかしながら、勝利に湧き上がる士気を下げたくは無い。


危惧したラッセルは、信頼できる者だけに声を掛けるようマルマに伝えた――



「ロイ……」


赤みの入った髪をだらりと下げた伴侶を抱えたまま、ロイズが寝室に戻って小さな身体をベッドに預けると、か細い声が耳に届いた。

ロイズの後ろからラッセルが、続いてマルマが水差しとコップをお盆に載せて入室をする。


「何?」


掠れた声。ロイズが耳元で続きを促すと、僅かに瞳を覗かせた王妃が唇を小さく震わせた。


「助けて……あげて……」

「……」


伴侶の願いが何なのか……ロイズは瞬時に理解した。

しかしながら、それが不可能に近いということも、彼は十分に察していた――


「ん……」


それでも彼は、決意を含んだ声を漏らした。


努力はする。そういった返事である。

「分かった」 と一言、口にすれば良かったのかもしれない。


しかしながらどうしても、気休めの返答は出来なかった――


「マルマ、リアを頼めるか?」

「はい! 勿論です!」


まるっこい顔の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。

彼女はロイズの信頼に、それが零れ落ちる前に力強い声を返した。


「リア様を、絶対に生き返らせてみせます!」

「……」

「別に、死んでないからね?」


続いたマルマの宣言に、並び立った薄い顔の尚書は顰蹙(ひんしゅく)の眼差しを送った—―



「一つ、やってみたい事があるのですが……」


トゥーラ城の2階の中広間。難しい表情を浮かべた国王が、テーブルを囲んだ諸将を前にして、重たそうに口を開いた。


「何をでしょう?」

「うん……ちょっと、言い辛いんだけど……」


グレンの返答に、ロイズは両手をテーブルに置いてから、ゆっくりと希望を続けた。


「未だ、生きている兵を……捕虜にできないかな?」

「え?」

「なんですと?」

「……」


提案に、若き美将軍(ライエル)は思わず声を発して、グレンは驚いて、ラッセルは細い瞳を静かに塞いだ。


「ロイズ様」


大将軍(グレン)の口から、冷静な言葉が飛び出した。


「未だ、戦闘中です。朝は早い。我々には、休息の時間が必要です。そんな余裕はありません!」


開戦前に行った作戦会議でも、軽い言動が目に付いた。


実戦経験の無さが危機感の欠如を生み出すにしろ、看過できない事態を迎える事は、彼の立場では許されない。


(ぬる)い空気を纏うのは、魅力の一つと理解をしても、諫めるべき時は諫める。


それこそが、トゥーラの中枢に於いての最年長。経験ある者の役割なのだ――


「……」


尤もな諫言に、ロイズの端正な顔が引き締まる。


指揮を執った東側でも、負傷者は複数に上った。

戦いは継続中。6時間もしないうちに、再び戦闘は始まるのだ。


身内の独善的な矜持のために、他者の多大な犠牲を払うなど、あってはならない――


「国王様。人手の無い我々には、無理な話です」

「……」


はっきりと、普段は寡黙なライエルさえも、リアの希望を退ける。

続いて大将軍(グレン)が加えた。


「何が大事か、見失ってはなりません。見失ったら、天に召されます。指揮を執るということは、そういうことです」

「……」

「覚悟をお決め下さい!」

「……わかった」


二人に諭されて、ロイズは観念するしかなかった――


しかしながら、これは想定内。

仮にリアが正気で、同じ意見を発したなら、二人と同じく、ロイズも反対したに違いなかった。


つまり一連のやりとりは、伴侶の代役を演じることにより、夫妻(ふさい)が納得をするための手順だったのだ。


「一つ、良いでしょうか? これは、私の考えた案なのですが……」

「ん……言って下さい」


グレンが発すると、ロイズが続きを促した。


「いえ、これは……先ずはロイズ様だけにお伝えします」

「え? うん。分かった」


改まったグレンの重たい眼差しに、国王は小さく頷いた。


「では、ライエル。足場や弓の確認を頼む。明日(あした)を乗り切れば、勝てるはずだ」

「はい」

「ラッセルは、食料と水の補充。残った戦力の確認を頼む」

「分かりました」


そして各々に指示を送ると、二人は早々にその場を後にした――


「それで、一案とは?」


二人の退場を認めると、ロイズが改めて口を開いた。


「反対されるのを覚悟で、お伝えします。そして、この策の裁量権を、私に預けて下さい」

「……」


グレンの低い声色が、ロイズに緊張を届けた。

進言の前に権利を与えろとは、随分と乱暴な話である。


それだけ重い内容という事か……

二人の瞳は真っ直ぐに向き合った――


「……分かりました」


戦闘は大将軍の管轄権。

何を言われても、素人が反論できるものではない。

端正な顔を崩すことなく、ロイズは視線を僅かに落とした。


「……え?」


人払いをしてまで授けられた一案に、ロイズは思わず瞳を見開いて、再びグレンを見やった。


一つだけ部屋に灯された赤い松明が、二人に仄かな明かりを届けている。


「……」


グレンは何も語らずに、ただ沈黙を守って、真っすぐにロイズの瞳を見据えた――



トゥーラ城の三階。国王居住区の寝室。


「ん……」

「リア様!」


ベッドで仰向けに横たわっていた王妃が小さく唇を震わせると、ベッドの脇で膝を立て、両手を組んで回復を願っていたマルマが喜びの声を発した。


「……」

「生き返りました!?」


続いて微かに瞼が動くと、マルマは茶褐色の細い髪を揺らして身体を乗り出して、思わず問い掛けた。


「あのね……まだ……死んでないわよ……」

「良かった……」


声を発する湿った口元には、微笑すら窺えた。

マルマは安堵に襲われると脱力し、重力のままに少しほわっとした身体を後方へと任せた。


「痛!」


身体を御しきれず、ゴンという鈍い音を発して、彼女は背後の石壁に後頭部をぶつけた。

声が飛び出して、両手で頭を抱えている。


「なに……やってんのよ」

「あは」


滑稽な姿に王妃が苦笑した。マルマは痛みに顔を歪めつつ、浮かんでくる涙を隠す事なく微笑んだ。


「リア様ぁ!」


続いてだらんと横たわる王妃の細腕に飛び付くと、両手で縋りながら、大粒の涙を流した。


「大袈裟よ……」


ベッドで仰向けになったままの身体から、困ったような声が出る。


「だって……アンジェさんが、『絶対に目を離すな』 って言うから……」

「……」


心配の声を耳にして、王妃はこれまでを振り返った。


リャザンから赴任して、トゥーラのため、トゥーラに住む人々のために、考えながらここまでを走った。


一方で、自負はありながら、自己満足の類かもしれない……

そんな想いを、心のどこかに内包していた――


それでも実際、後ろには、慕ってくれる人が居たんだな――


「ありがとね……」


ルシード、ウィル、グレン、アンジェ、ラッセル……


右腕をマルマに任せたままで、おもむろに瞼を閉じると、王妃は笑顔を向けてくれた人々を、静かに思い浮かべた――



「はい、どうぞ」


夜の時間が半分を過ぎた頃。ぽってりとした体に白いエプロンを巻いたマルマが、腰に枕をあてがって上半身を起こした王妃に、赤いスープの入った木製の皿とスプーンを載せたお盆を手渡した。


「ありがと……」

「ゆっくり飲んで下さいね。アンジェさんの、お手製スープですよ」

「え? アンジェさん、まだ(ここ)にいるの?」

「はい。そろそろお帰りになると思います」

「……」


自宅では、5歳になったばかりの愛娘が母の帰りを待っている――


王妃は俯くと、自身の不甲斐無さに怒りと悔しさを覚えながら、具だくさんの野菜スープを、そっとスプーンで掬って、ゆっくりと口に運んだ。


「美味しいですか?」


涙が零れそう。

そんなものを、マルマの言葉が思い止めた――


「あ……うん」


弱っていても噛み易いように、細かく千切られた干し肉はしっかりと味を残し、それでいて、染み出してくる旨味と塩分だけによって煮込まれた野菜たちも、本来の味を損なう事なく主張してくる――


そんな滋味深いスープが、干からびた身体の内から優しく染み渡っていく――


もう一口とスープを口に運ぶと、リアは生を繋いだ安堵を灯して、ほうっと息を吐き出した。


「美味しそうですね……」


様子を眺めていたマルマが、物欲しそうに口を開いた。


「あ、食べてみる?」

「はい。じゃあ、私もいただきます!」

「え?」


リアが手にしたお盆を差し出すと、マルマは背を向けて、居住区の方へと消え去った。

お盆を浮かせたままの病人が、呆気に取られたような顔をする。


「一緒に食べた方が、美味しいですよね!」


しばらくすると、マルマは木製のお椀を右手に、小さな丸椅子を左手に持って戻ってきた。

お椀からは、ほんのりと湯気の昇る野菜たちが、ひょっこりとはみ出している。


「最初から、そのつもりだったのね……」

「はい!」


リアが呆れたように呟くと、マルマは悪びれる様子もなく、屈託のない笑顔を返した――



「えっと……リア様は……私の、憧れなんです」

「え?」


椅子に座って、スプーンを使わず両手でお椀を傾けて、中身を飲み干してからマルマが呟くと、スープを掬った王妃の細い右腕が、思わず止まった。


「私?」

「はい」

「なんで?」

「色々ありますよ? 王妃様なのに、偉ぶっていないところ。私みたいな者にまで気を掛けてくれるところ。子供にも優しいところ。夜遅くまで難しそうな本を読んでいたり、努力家なところ。あと、可愛いらしいところ」

「……」

「それに……」


明るい瞳になって言葉を連ねると、次にまるっこい愛嬌のある顔はしんみりとなった。


「それに?」


リアは意外そうにそれらを聞いていたが、ふいに止まった言葉の続きを、少し時間を置いてから促した。


「リア様は……私と同じで、両親が亡くなっているとか……」

「うん……」

「私は……リア様が側にいて、立ち直れたんです。後ろばかり見てちゃ、駄目だって……」


マルマは膝の上。両手で支える空になったお椀に話し掛けるように口を開いた。


「……」


見てくれる人が居る――


周りの反応を捉えて、自分の位置と、正しさを知る――


「ありがとね……」


大きな瞳を細くして、俯くマルマに向けながら、王妃は感謝の言葉を口にした。


「え? なんでですか?」

「なんでも……」


驚きの表情を浮かべるまるっこい顔。

リアは口角を上げると、小さな声でうそぶいてみせるのだった――

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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