【36.防護柵の攻防】
「怯むな。進めえ!」
すっかりと明るくなった空の下。
ライエルによって撃ち込まれた一本の矢羽が合図となって、スモレンスクの副将の声が轟くと、盾を翳した軽装の先発隊が一斉に走り出した。
「後発隊、行け!」
続いて一呼吸を置いたブランヒルの号令に、後発隊が動き出す。
先発隊に比べると動きは鈍いが、想定内。
狙いを定めにくい少数部隊の為か、城から放つ強弩の数は、初手に比べて少なかった。
「それっ」
矢羽の雨の中。壕に近付いた先発隊は腕に巻いた麻紐を解くと、手にした二本の鎌のうちの一本を、柵の向こう側へ勢いよく放り投げた――
防御柵の骨組みに、鎌を引っ掛けようというわけだ。
「ぐあっ」
しかしながら、無防備となる。格好の的になって崩れる者が続々と生まれた。
それでも何人かは無事に成し遂げて、壕の中へと飛び込んだ。
二本の鎌。
先ずは放り投げた鎌から伸びる紐の先端を、後発隊に投げ渡す。
もう一方は、壕の中から柵の向こうに放り投げ、同じように紐の先端を、外側へと渡す計画だ。
「うお!」
「あぶね!」
しかしながら、壕の底から見上げると、ほぼ垂直。
鎌を投げ込むも、カツンと柵に弾かれて、自身の頭上へとそのまま落ちてくるのだ。
「……だめじゃん」
二本目に関しては、大失敗。
前後の逃げ場もなく、必死の形相で投げた自身の鎌で負傷する者が居て、一人は頭を勝ち割った――
「おい、鎌を投げろ!」
「お願いします!」
そんなところへ、後発隊の面々が壕の際に達すると、盾の間から、眼下の仲間に声を出す。
呼応して、壕の外側に次々と鎌が投げられた。
「くっ……」
しかしながら、後発隊の面々は、正面から絶え間なく射られる矢の中で、手を伸ばすことも難しい。
僅かでも隙を見せたらと、全身が恐怖で固まっている。
「もう少し……」
一人の兵士が盾を手にしてにじり寄る。
やっとの思いで青草の上に覗く鎌の柄を手にすると、それを確認した他の兵士が前に出て、盾を翳して障壁となった。
「助かる」
それを見て、更に二人が加わった。
「早くしろ!」
「おらあ!」
急かす声。鎌を掴んだ兵士は手繰り寄せた紐の先端を腕に巻きつけた。
続いてありったけの力で鎌を放ると、小指の太さほどの麻紐が、薄い曇り空の下で放物線を描いた。
「噛んでいるか確認だ! 引いてみろ!」
やがて幾つかの放物線が描かれて、誰かの声。紐を引っ張ると、希望通りの抵抗。或いは無抵抗が伝わった。
後者の紐の先端では、鋭い鎌たちが、再び壕の中に落下する。
「うお!」
「あぶね!」
先発隊の面々は、またしても恐怖を味わった――
「疲れを感じたら、交代しろ! ここの攻防が、勝負を決める!」
トゥーラの南西の見張り台。グレンの大声が、新設した足場の上で一列に並ぶ弓兵を励ました。
城壁の下では束ねられた矢羽根が幾つも並べられ、それを10代半ばの少年が背負っては、ハシゴを上り下りしている。
「少し休め!」
「あ、ありがとうございます」
足が鈍ってきた少年に、軽装の若い民兵が交代を促すと、少年の頬が綻んだ。
「お疲れ様。これ、飲んで」
少年の背中が民家の壁を頼ると、中年の女性が水の入ったコップを手渡した。
視線を横にすると、同じように休んでいる少年や兵士が何人も居て、それぞれが喉の渇きを癒している。
最長17時間。日照時間の長い夏――
長期戦を覚悟して、城壁の後方ではテーブルを並べた給水所を設けている。
そこでは多くの女性が役割分担をして、コップや水筒を並べて水を注ぎ、前線へと運んでいた――
「援軍を送れ!」
南側の林の中で、攻めあぐねている後発隊に痺れを切らしたブランヒルが、怒りを含んだ。
精度の高い敵の矢羽は、確実にこちらの数を削っている。
だからといって、退く訳にはいかない。授けた策は、着実に実行されている。
もう一歩なのだ――
筋肉質な上腕二頭筋を晒すブランヒルの意図が伝わると、重装歩兵の一隊が進み出て、援護の準備を始めた。
「動かんぞ!」
紐を引く。柵を動かそうとした後発隊の声は、悲鳴に類似した。
背丈ほどの防御柵。見たところ木製で、重厚な造りではない。
数本の紐で引っ張れば手応えがありそうなものだが、びくともしないのだ。
「あれだ! 柵の下!」
一人の兵士が指を差す。
その声に、別の兵士が盾の隙間から視線を投げると、柵の足元が、隣の柵の足元と紐で結ばれていた。
「先発隊! 柵の足元だ! 紐を切ってくれ!」
弛緩を生む勇気の声。
同時に威力を孕んだ矢羽が盾を弾く衝撃で、前が空く。
その隙間を、別の矢羽が貫いた。
「ぐあっ」
盾を持つ手が下がったら、逃げられない。
次々と矢羽に射抜かれて、勇敢な兵士は追加の声を上げることもなく、壕の中へと頭から落下した――
「肩車だ!」
壕の中。先発隊の誰かが叫ぶと、それに呼応して各人が協力し、一人が膝を曲げ、もう一人が背後から太ももで首元を挟んだ。
「ふん!」
両手が壕の壁面に触れるため、負担は軽い。
下の者が膝を伸ばすと、上の者は柵の間を窺った。
「これか……」
防御柵は安定感を増す為に、二つの平坦な柵を交差して、足は四本。
指摘の通り、足元同士は紐でしっかりと結ばれていた。
手前の紐を切るのは容易でも、問題は、奥の方。
その時――
「ぎゃあっ」
上の者が目玉を射抜かれた。
柵に視線を移した刹那。真っすぐに狙いを定めている弓兵が視界に入った。
射抜いたのは、防御壁に配置された近衛兵。
平行に狙えるだけに精度も上がる。加えて日頃から訓練された彼らであれば、尚更だ。
次々と射抜かれて、肩車が崩れ去る――
「くそっ。どこでもいい! 一ヶ所に集中しろ!」
極限の状況下。指示を発する人物は、限られる。
それを受けて動く人間が現れて、釣られて動く人間が現れる。
もはや、それが正しいか否かを考える余裕は無い。
それなりの根拠があれば、静止している事は許されず、動かざるを得ない状況となってしまうのだ――
半分以下に減った先発隊の多くが中央付近に集まると、ふたたび肩車を組んで紐を断ち切ろうと、鎌を手にして柵に向かった。
「ぎゃあ!」
「うぐっ」
だが、一ヶ所に集まれば、当然目に留まる。
格好の的となった者たちが、次々と矢羽の餌食となっていく。
上の者は数本の矢が刺さり、首をもたげて息絶えているのに、下の者は奮闘していると思い込んで支え続けている――
そんな悲惨な場景が、目の前に次々と映し出されていった。
しかしながら、それは一点の光を生み出した。
射手の意識が中央に向かう一方で、隊の東端で取り残された一組が、目的を完遂させたのだ――
小柄な兵士は、柵の隙間になんとか身体を潜り込ませると、苦しい体勢ながらも、結ばれた紐に鎌を引っ掛けて、それを力任せに引き千切った。
「よし。こっちもなんとか……」
右側の次は左側。
這いつくばった状態で鎌を右から左手に持ち替えると、左腕を伸ばして麻紐に鎌を引っ掛けようとした。
しかしながら、利き手とは違って狙いは外れ、二回、三回と繰り返した――
「もう少し……」
鎌の先端が麻紐を捉えた瞬間、伸ばした左手を、一本の矢羽が貫いた。
「ぐあっ」
一瞬だけ間を置いて、鈍い痛みが全身を駆け抜ける。
(ここまでか……)
小柄な兵士は無念を胸に抱いたが、同時に達成感も含んだ――
後方に身体を滑らせる。やがて引力に任せると、再び壕の中へと、足元からずり落ちた――
「ここ、崩せるぞ!」
背中を地面に預けると、小柄な兵士は中央に向かって叫んだ。
「奥は切った。手前を頼む!」
駆けてきた仲間に指示を出す。
強い力で引っ張れば、大丈夫だろう。その声は、自信に満ちていた。
「それっ」
挑む仲間たち。士気は高い。
三組ほどが挑んだ結果、ついに手前の紐を断ち切ることに成功をした。
「やったぞ! この柵を、落としてくれ!」
「わ、わかった!」
壕の中から上がる声。
応えた後発隊が、文字通り無防備な状態で矢面に立ち、紐で結んだ鎌を柵の向こう側へと投げ入れる。
そして引っ張り、幾つかの抵抗を確認すると、今度は全力で柵を引き倒そうとした。
「くっ」
それでも、ビクともしない。無理に引っ張ると、千切れそう。
そうこうしている間にも、犠牲者が増してゆく――
「声を合わせて、同時に引くぞ!」
「せーの!」
誰かの掛け声に呼応して、数人の力が同時に加わると、ついに一つの防御柵がずるずるっと抵抗をあきらめて、やがてずずんと壕の中へと沈んだ――
「やったぞ!」
トゥーラに襲い掛かる侵略軍。
ついに、柵の向こう側を視界に捉えた――
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