【33.光る大蛇】
西南西。
眩しい光の下では、草原の上に林の深緑が重なっている。
短い夏の景色から、一瞬だけキラッと光が放たれた。
「き、来たぞ!」
槍の穂先が陽光を跳ね返す。
都市城壁の南西に設けた見張り台。侵略者に気付いた衛兵が、焦りを含んで声帯を震わせた。
「……」
明確なる殺意たち。数個、数十個と増えていく。
それらが百を越えるころ。兵士の面々は改めて事態の深刻さを自覚した。
「おいおい……」
連なった光の帯が、途切れない。
それはまるで緑の中を、光を放つ大蛇がゆるゆると近付いてくるようであった――
「予想以上ね……」
城の屋上。
震える両手を腰で支えると、赤みの入った癖毛を風に泳がせた王妃が、来るなら来なさいと覚悟を持って呟いた――
「お出ましだ」
城壁の西。新たに設けた足場の上で、主に南の防衛を任されたグレンが、敵の姿を両の眼に捉えた。
「どうやら、速攻という訳では無いらしいな。各所に伝えてくれ」
「はっ」
草原を埋める歩兵の動きは緩慢であった。
部下に指示を与えると、四角い顔の将軍は板を並べた足場の上を、いかつい身体を揺らして南に向かった。
城壁の下ではそれぞれの防具を身に纏った男達が、我先にと矢籠を背負って準備を始め、その一部は早くも梯子に手を掛けて、敵の姿を拝んでやろうと息巻いていた。
「来ましたね」
「ああ……」
南西にある見張り台。
背筋を真っすぐに伸ばした美将軍が、上司の気配を認めて緊張気味に口を開くと、四角い顔が応じた。
「予想より、多いですかね」
続いて右手を翳したライエルが、視線を細くした。
「多いな。……だが、今日の進軍は無いな。もちろん夜襲の警戒は必要だが、あれだけの数だ。恐らくは、それも無かろう」
「……そうですね」
グレンが落ち着き払って伝えると、ライエルが遠くを眺めて同意した。
過去の籠城戦。スモレンスクの遊軍が夜襲を挑んでくる事は多かった。
それでも「無い」 と見立てることが出来るのは、新たに設けた二つの壕と、防御柵のおかげである。
「グレン様。ライエル様。強弩隊、弓隊、揃いました!」
「ご苦労様。防御壁の様子は、どうですか?」
足元からの報告に、グレンが四角い顔を右下に向けると、ライエルは確認の声を送った。
防御壁とは、南門から10メートル。国民総出で耕した畑の手前に設けた、石壁のことである。
「弓の確認、補充に時間が掛かっておりますが、配置はできております!」
「ありがとう。敵に、動きは無さそうです。それでも準備、確認だけは怠らないように」
青年は片膝を落として、部下に対して上から簡潔な指示を送った。
西の空は青から白、そしてオレンジから燃えるような赤へと変わっていった。
灰色の雲の濃淡が、殊更に映える役目を果たしている。
北西から南西に、綿のような雲の尾っぽがすうっと伸びていた――
緊張の時間。いつ動くかわからない敵の動きに備えて、じっと待つ。
或いは何度も弓の張りを確かめて、更には矢尻や矢羽根に破損がありはしないかと、一本一本確かめる。
西側と南側の都市城壁。
木製の足場に1メートル間隔で配置された弓隊は、各々が、時に城壁上部に背中を預ける形で座ったり、時に立って、西に浮かぶ林の前で膨れていく敵の姿を、空虚な感情を宿して見据えたりしていた――
訪れる、薄明の時間帯。西の空に残された青色が、墨色に浸食されていく。
「篝火を」
「は」
グレンの声に応じると、先ずは南西の見張り台に設けられた、直径40センチ程の燭台に火が入った。
それを認めた南東。続いて北西、最後には北東の見張り台にも、篝火の炎が上がった。
「撤収してください!」
南側の都市城門。
城壁の上から上半身を乗り出したライエルが、新設した防御壁に布陣する兵に指示をした。
「良いのですか?」
「今日は、もう大丈夫でしょう。それに、休む事も必要です。お疲れ様でした」
「分かりました」
「ふう……」
銀色の甲冑を纏った兵士が兜を外して見上げると、ライエルの発言に方々から安堵の声が漏れ出した。
籠城戦の配置の中で、彼らは真っ先に奇襲を受ける城外部隊。
緊張からの解放は、戦闘行為の一環である。
「お疲れさまでした。ひとまず、中で休憩を」
城門が開くと、ライエルは城外部隊を出迎えた。
当然、警戒が解かれた訳ではない。
休むと言っても、帰宅は許されない。
彼らが木製の都市城門を潜ると、城へと続く大通りの左右には、藁と麻布で拵えたベッドが並ぶ、簡易な休憩所が設けられていた。
「ありがとうございます」
防御壁で戦う者は、全員が甲冑を纏った近衛兵。
主力の武器は強弩でも、剣と盾も備えている。
規律の取れた動きで、先ずは盾を置き、次に兜を脱いで隣に置き、最後に鞘に収められた剣の柄を、兜の上に留めた。
兜の上に柄を置く事で、いざという時に剣を掴み易くしているのだ。
臨戦態勢を彷彿とさせる武具の整列は、否が応でも緊張感を醸し出す。
「ふう。風が気持ちいいな」
それでも兜を脱いで感じる思いは等しかった。
吹き出した汗を夜風が冷やす中。一人の兵士が束の間の安堵を口にした。
「皆さん、お疲れさまでした」
そんなところへ蹄の音がやってきて、栗毛馬に跨った国王が姿を現した。
「こ、国王様!」
「ロイズ様!」
「ああ……立たなくて良いです! 座っていて下さい。休んでて下さい!」
腰を起こそうとする兵士たち。
規律の為には必要な動作と理解をしながらも、ロイズは慌てて左腕を伸ばした。
「いや、しかし……」
「良いのです。私なんかよりも、今は、あなたたちが休むべきです」
「はい……」
下の者が敬って、上位の者が馴致する――
連綿と受け継がれてきた行為には、概ね理由があるものだ。
例えばこの微笑ましい一連の行動は、組織を計る上で、ほどよい指標ともなっている。
訓練された衛兵と、威厳の欠如を否めない新米国王――
(さて、どうなっていくのやら……)
南西の見張り台。
四角い顔の将軍は、右手で下顎を触りながら、眼下で行われた穏やかな場景を、口角を上げて見守った――
夜を迎えると、膝丈ほどの篝火が、主だった市中の十字路にも焚かれた。
宵闇に浮かぶ幻想的な炎の羅列。留守番中の子供達は、一様に窓に張り付いて、それらを好奇と感嘆の瞳で眺めていた――
「通りまーす!」
荷車を牽いて城から出てきた女官達が、明るくなったトゥーラの路を、積載物が崩れないようにと気を遣いながら進んでいく。
先頭に立って元気な声を上げるのは、茶褐色の髪を肩まで伸ばしたマルマであった。
「ご苦労様です! パンの配給です! 干し肉もありますから、一緒にどうぞ!」
先ずは最前線。城から南に下った都市城門。
牽いてきた荷車を止めるなり、マルマが兵士に呼びかけた。
「ありがたい!」
「腹が減っちゃ、動けねえからな!」
真っ先に腰を上げたのは、兵装に乏しい民兵たち。
わらわらと荷車に寄って来て、パンと干し肉を2つずつ受け取っていく。
「皆さんは、どうされますか?」
「我々は、後で構いません」
士気や結束を担うのは、衛兵よりも民間人―—
歩み寄ったマルマが休憩所の衛兵に尋ねると、穏やかな声が戻った。
「はい。承知しました!」
規律の順守を理解して、マルマは小指に力を入れた右手を額に当ててみた。
「マルマぁ。一回、戻るわよ!」
「はーい」
一団からの柔らかな微笑みを受け取ると、女は翻り、肩まで伸びた茶褐色の髪を揺らしながら、荷車の方へと駆けだした。
「先輩! 私の名前は、マルマリータですよ!」
「知ってるわよ。マルマの方が呼び易いんだから、良いじゃない」
「そうそう」
「えー」
同僚たちと緩い会話を交わしながら、マルマは軽くなった荷車とともに城へと戻った――
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