【31.戦いの基幹】
「こりゃ……やべぇな」
苦々しい声を上げたのは、偵察に派遣されたメルクであった。
オカ川を越えた軍勢が、続々とカルーガの村に収まっていく。
更には周辺にも陣を張り出して、烏合の衆はどんどん膨れ上がって、足の鈍った後続は川べりで腰を下ろすほどになっていた――
上空の鳥たちには、強大なオタマジャクシに映っているだろうか。
大軍を予測していたが、想像以上である。
「散開しよう」
「二人が戻るのは、待たないのですか?」
松林の中。メルクが背後に伝えると、部下の一人が疑問を挟んだ。
二人とは、侵攻を知らせる為に出立した早馬のことである。
「この様子では、無理だろうな。それに、これ以上は俺達が危ない」
陣の設営と同時に周囲の探索に乗り出すのは慣例で、数が多ければ、当然範囲も広いものとなる。
敵の斥候を確認したのが三日前。既に危ない橋を渡っているのだ――
「わかりました」
「いいか、絶対に見つかるなよ。明日の午後、東で落ち合おう」
「はい」
「了解しました」
茂みに隠れた重心の低い体型が指示を伝えると、10名は方々に散らばった――
「ギュース様!」
カルーガの村。
温泉宿に滞在するスモレンスクの総大将の元に、トゥーラに放っていた斥候が戻った。
カルーガで唯一の二階建て。要人が利用しても失礼の無いように、床には平たく削られた石が敷き詰められていた。
駆けこんでくる靴音が、次第に大きなものとなっていく。
「様子は?」
兵が姿を見せるなり、ギュースはぼわっと生えた赤髪と100キロを超える体躯を前にした。
「トゥーラの周囲には、防護柵が設けてあります! 向こうも、相応の備えはしているようです!」
「そうか。やはり新しい奴は、前のブルンネルとは違うらしいな」
苦杯で感じたものが、確信となる。
左の頬に大きな傷痕を抱えた総大将の瞳が鋭くなって、口角が上がった。
「バイリーたちを呼んでくれ」
「は」
指示を発して数分後。諸将が次々に集まってきた。
「なんだ? 急に呼び出して」
真っ先に現れたのは、同列のバイリーであった。
ライバルの下に就こうとも、呼び出しに対して真っ先に駆け付ける姿勢は評価されるべきだろう。
仮に逆の立場であったなら、ギュースは足取り重く渋々と、いや、わざと遅れて姿を現したに違いない――
「おう。すまんな。斥候が戻ってきたので、伝えておこうと思ってな」
「何か、あるのか?」
ギュースの説明に、バイリーは総大将を中心に扇状に置かれた4つの丸椅子の右から二番目に腰を下ろすと、興味深そうに身体を前にした。
頭髪を綺麗に剃った楕円の頂が、松明の揺れる灯りに照らされている――
「楽勝とはいかんらしい。そこで俺たちは、意思の疎通をしておこうかと思ってな」
「ほう」
「宿の主人から貰った、コイツでな」
言いながら、ギュースは白い土器の持ち手を軽々と左手で掴むと、顔の高さにまで掲げた。
「前祝いか」
「ま、そういう事だ」
適度な余裕は覗いても、全体の緊張感は保ちたい。
酒宴の席は、互いを引き寄せるための潤滑油――
「申し訳ございません」
「おう、来たか」
「遅くなりました」
やがてブランヒルの声がして、弟分の二人が後から続いた。
綺麗に剃った頭部が回ると、鍛えた上腕筋を晒したブランヒルの頭が下がった。
「気を遣わせたな」
「いえ……」
向かう途中。両将軍の会話が耳に届いた兄貴分が足を止め、続けてやってきた二人の足を制したのだ。
右に座った部下にバイリーが小声で囁くと、彼は涼しい表情で話を流した――
「さて、コイツを頂く前に、偵察からの報告を伝えておこう」
ギュースが白い陶器を左手でぽんと叩くと、幾らかの緊張が走った。
バイリーは背筋を伸ばして腕組みをして、副将3名は身体を少し前にした。
「どうやら城壁の周りには、柵が敷いてあるらしい。距離にして、およそ100メートルという事だ」
「ふむ……」
「100メートル? 外周に?」
ギュースの発言に、バイリーは鼻を鳴らして、ブランヒルは驚きの声を発した。
「一ヶ月やそこらでやれることではありません。余程の備えをしているのでは?」
楽観的な空気を戒めるような発言に、童顔のカプスと長身のベインズは視線を合わせた。
「確かにな。トゥーラの新しい城主は、赴任して直ぐに策を講じたんだな」
続いてバイリーが懸念を表すと、空気は更に重たいものとなった。
「だが、勝たねばならん!」
それらを払うべく、総大将が言い放つ。
慎重さは求められるが、短期決戦に於いては足枷となる事が少なくない。
退けない戦いだからこそ、攻める姿勢を明確にしておきたかったのだ――
「勿論だ。この軍勢でトゥーラを落とせなかったら、恥だからな」
バイリーが同意する。
背水の心意気は、ギュースだけのものではない。
相応の兵力で結果が出なければ、当然相応の処分は免れない――
「初日に関しては、手筈通りで問題ない。反撃の様子を確かめて、勝負は二日目だ。各自、対応できるよう準備を頼む。場合によっては、城門だけを狙うこともある」
「わかりました」
「はい」
「は」
「了解した」
総大将の確認に、4者はそれぞれの返答を示した――
その後、一人一人に陶器のマグが与えられ、ギュースが赤いワインを自ら注いで回った。
「それでは、互いの健闘と、勝利に!」
最後にギュース自身が赤を注いで眼前に掲げると、勝利を目指す4つのマグが一斉に集った――
東スラブ民族が支配する、ヴァティチの地。
緑豊かな大地を、ヴォルガ川最大の支流であるオカ川が、カルーガを囲うように南西から北側。やがて東南東へと流れゆく。
小村の殆どは農地で、採れた野菜や小麦は備蓄したり、オカ川を経由する商人に売ったりしている。
敢えて備蓄をするのは、周辺で戦いが起こった際に需要が生まれるから。
周辺の国々も、戦時の兵糧としてアテにしている。
東のリャザン公国は移民の受け入れに寛大で比較的穏健な国家であったが、西側にはスモレンスク。北方には現在のロシアの首都モスクワの礎を築いたユーリー・ドルゴルーキーの三男、血気盛んなアンドレイが新たに興したスーズダリ。
覇権を目指す国家の狭間。
方々へと気を遣いつつ存在意義を確立している――
中立を掲げるカルーガは、そんな立ち位置の村なのだ。
ギュースたちが決戦に挑む日。
小さな村が朝の光に照らされると、人々の姿で埋め尽くされていた。
具足で全身を纏った者。防具の下だけを着用して、上半身の防具は肩に担ぐ者。防具すら持たずに、武器だけを持って参加する者。
更にはそんな様々な出で立ちの男達が、足を踏み入れる事さえ適わずに、村を囲うように溢れかえっていた。
寡兵であれば先を急ぐが、大軍を率いるとなると難しい。
斥候の話では、トゥーラの様子に変化は見られない。
それならと、カルーガで一日を過ごしてオカ川を渡る兵站の到着を待つことにした――
「では、出るとしよう」
宿の玄関前。
各将の出発準備が整ったのを認めると、ギュースは椅子から立ち上がった――
『専守防衛』 を掲げたトゥーラに対して、 『圧倒的な兵力で蹂躙する』
これこそが、スモレンスクの武力をルーシに知らしめるべく侵攻を図る、彼らの基幹であった――
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