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小さな国だった物語~  作者: よち


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【29.自覚】

スモレンスクの東側、ウグラ川を越えた辺りから、リャザンの西を流れるオカ川までの広大な大地は、西スラブ民族より派生した、ヴァティチと呼ばれる部族集団の勢力圏。


森の中。彼らは各地に集落を築いて、農耕生活を営んでいた。

生粋の遊牧民族であるポロヴェツやベレンディ人とは異なって、ルーシの諸侯国の影響は受けつつも、一定の政治的独立を保っていた――


リアとロイズの育ちの故郷カルーガは、そんなヴァティチの中心部に築かれた、穏やかな集落の一つである。



トゥーラへの出陣に先立って、スモレンスクの総大将ギュースは、二つの中間に位置するカルーガへと早馬を飛ばした。


目的の一つは、宿の確保である。

夏の行軍。陣中食だけでは体力の回復は追いつかない。


カルーガの住民にとっては外貨獲得の貴重な場。

戦時には総出で兵をもてなすのが慣例となっていた。


見かけは中立を貫いて、軋轢は排除する。

彼らの確固たる処世術の一つである。


目に映らない幾多の命と引き換えに、一部の利益。()いては莫大な富を(もたら)す経済効果もまた、悲しいかな偽らざる戦争の真実である。


それゆえに、引き起こそうとする者がいる――



「来たようです」

「来たか。では、行ってくれ」


カルーガで早馬を待っていたのは、トゥーラの偵察隊。


借り上げた一軒宿で報告を受けると、メルクは手筈通りに指示をした。


「では、ご無事で」


健闘を祈った部下が一人を連れ出して、颯爽と馬に跨って東へと駆けてゆく。

中間地点で根を張るオークの切り株あたりで、繋いでおいた馬に乗り替えるのだ。

元気な馬を走らせる事により、半日ほどでトゥーラに着く。


報告を終えた二人は、急いでカルーガに引き返す予定であった。


「では、俺たちも準備にかかろう」


小柄で重心の低い男は残った9名を三つに分ると、三方へと潜ませた――



「む。来たぞ!」


トゥーラの都市城壁。南西にある見張り台。

明るい太陽の下。監視の兵が、深緑の木々から抜け出してきた二つの人馬を認めた。


「来ました!」

「来たぞぉぉ!」


続いて二人の衛兵が、城内に向かってありったけの声を発した。


「来たか?」

「やっぱりか……」


響き渡った大声は、城下に緊張を齎した。

老若男女の区別なく、過去の襲来が頭を(よぎ)る。いよいよ、決戦の時が訪れた――



「来た?」

「そうだね……」


緊張感を払うため。居住区で二本のナイフと戯れていた王妃が赤みの入った髪を揺らすと、いつもの席から伴侶の動きを眺めていた国王も、ふっと首を回して窓の向こう、西の方へと視線を送った。


同時に螺旋階段を駆け上がってくる足音がやってきて、居住区とを隔てる扉が開くと、息も絶え絶えな尚書が姿を現した。


「先ずは、偵察の2名が戻りました……」

「ありがとう、手筈通りにやってくれ」

「はい……」


膝に両手を当てながら報告を終えると、ラッセルは背中を戻し、深い呼吸を一つして、踵を返して階段を駆け下りて行った――


「じゃあ、行ってくるよ」

「うん……」


侵略者の到着は、明日以降。緊張するには早い。

しかしながら、心に余裕は無い。


それはロイズが唇を合わせないまま扉を開けて、螺旋階段を降りて行った事でも明らかだった――


「あ……」


やることはやった。自負はある。それでも、相手が存在する。


伴侶の背中を見送ったリアの左手が、ナイフを握って小刻みに震えていた。


不安なのだ――


震える左手に、彼女は鎮まるようにと同じく震える右手を重ねると、ゆっくりと口元に運んだ。


そして誰も居なくなった室内で、落ち着くようにと、懇願するように自身に言い聞かせた――




トゥーラの、全ての人が動き出した。


敵を確認してからの動きは、お手の物。


男衆は慣れたもの。

先ずは家の倉庫から武具を持ち出して、いつでも動けるようにと玄関付近に全部移動。弓の張りを確かめて、束ねた矢羽根と新しく拵えた矢籠を用意する。


「なんか、随分多いね……」


夫が抱える矢羽根の膨らみに、とある家の妻が不安そうに呟いた。


「ああ。今回は、相当やばいらしい……」


夫は、危機感を素直に認めた。


新しい城主が赴任して、城周りの壕が深くなった。

年が明けて独立宣言が為されると、防御壁が設けられ、同時に練兵場での訓練も、実戦を想定した張り詰めた緊張感の中で行われるようになったのだ。


狙われた獲物は、何度でも襲われる――


トゥーラに漂う重苦しい戦時色の空気を、男達は今まで以上に感じているのだ――


「そうみたいだね……」


それは、女子衆も同様だ。

過去の戦いでは、どこかに緩んだ空気があった。


(いくさ)の前に景気付けだと酒を飲み、ともすれば二日酔いで戦列に加わる者まで居たくらいだ――


それが三日前。突然禁酒令が敷かれた。

率先して触れ回ったのが酒好きの大将軍。

住民の意識が変わるのも、当然の帰結である。



「一つ、頼まれてくれない?」


発案者はリアである。

ベッドの上。ロイズの胸板に背中を預けると、伸びてきた右手を両手に挟んで口を開いた。


「何を?」

「禁酒令」

「え?」

「それを、グレン将軍が伝えるように、頼んでほしいの」

「え……」


ロイズの言葉が思わず詰まった。


「あの人が、酒で失敗したって話は、聞かないけど?」

「グレンさんには無くても、他の兵士にはあるでしょ」

「……」

「こういうのは、同列のラッセルが言っても角が立つからダメ。誇りを気にする人だったら、下の者が言っても聞き流すからダメ。私は、あなたが言うべきだと思う」

「……」

「上が示してこそ、下が従うの」

「分かった……」


次の日。ロイズが直接伝えると、グレンは静かに頷いた――


「そろそろ行くわ。後は任せた! 矢羽根を全部、積んどいてくれ!」

「はいよ!」


三日の断酒を続けた夫は、明確な指示を発すると、城の方へと駆け出した。


頼もしい後ろ姿は久しぶり。

誇らしげな表情となって、妻は伴侶を見送った――



「うわ……」


螺旋階段を地階まで駆け降りたラッセルが、石畳の廊下を走って城門に辿り着く。

壕に架けられた石橋は、人間と荷車の姿で溢れ返っていた。


城内の倉庫から四人がかりで防御柵を運び出そうとする者。柵を受け取って荷車に載せ、都市城壁の外側へと運ぶ者。弓を抱えて四方の城壁へと走る者。束ねられた矢羽根を隙間なく荷車へと積み込む者など、役割分担された男衆が、テキパキと澱むことなく働いている。


「ラッセルさん! 北の様子を見てきてもらえますか?」


思わず足が止まった細身の尚書に、防御柵の配置を任された若き美将軍から声が掛かった。


「分かりました!」


口元に手をやるライエルに右手を掲げると、ラッセルは混雑を避けるため、一旦城内に引き返し、久しぶりに開かれた東の門を出て、練兵場の脇を通って北へと向かった――


「はあ……はあ……」


息が切れる。

それでも宿った使命感が尽きない燃料となって、脚だけは土を蹴る――


(なんか……頑張ってるな、俺……)


流れる景色が普段よりは遅くとも、少しずつ北の城壁は近付いている――


(リア様、見てますか?)


自己満足の類かもしれない。

しかしながら、気分は悪くない。


都市全体に広がる高揚感も手伝って、ラッセルは走りながらも姿勢を改めて、胸を張って青空を眺めてみるのだった――



「ラセルさん」


細身の尚書がふらふらになって北に足を運ぶと、都市城壁の上から声が掛かった。


声を掛けたのは、大将軍(グレン)が率いる近衛兵。ルーベンである。


遊軍としての指揮を任されたラッセルだったが、実戦経験が無いのは不安だと、グレンが彼を副将に推したのだ。

痩身の、およそ軍人とは思えないような体型であったが、骨太で、動きが軽く、何よりも機転が利いた。


ラッセルの方もこれ幸いと、軍事面での指揮権はルーベンに一任していた――


頼りない話にも聞こえるが、己の得意分野、技量をよく解っているとも受け取れる。

それでも見た目の指揮系統として、国王付きの尚書の上に一兵卒のルーベンを置くわけにはいかないと、階級章や腕章の類は、総てラッセルが身に着けていた――


「ルーベンさん! 足りない物、ありますか?」


息を整えたラッセルが、薄い顔を上げて大きく口を開いた。


北側の城壁は、将軍夫妻の愛娘が、初めてリアと出会った場所である――


王妃が風に泳いだ一件から、都市城壁の内側には、1日に1本ずつ、約10メートル間隔で梯子が設けられていったのだ。


加えて城壁の最上部から1メートルほど下がった辺りには、直径15センチ程の丸太を石の隙間に差し連ね、その上に幅2メートルほどの板を敷いた足場を設けて、一人分ではあるが、左右に移動できるようになっていた。


これが現在では、南側にただ一つ存在する都市城門の部分を除いた、トゥーラを囲う都市城壁の総てに施してある。


春先までは高所が四隅の監視台しかなかったが、現在では四辺から矢羽を浴びせる事ができるのだ――


「北が…は大丈夫です。ラセルさんは、外をお願ぃします!」


滑舌の悪さを露呈して、ルーベンが口を開いた。

自身でも自覚はあるようで、幾らかゆったりとした語り口である。


「わかりました」


ラッセルの傍らには、束ねられた矢羽根が丸太のように積まれていた。


射手が専念できるよう、戦闘開始後の矢籠の補充は女性たちが、梯子を登って矢羽根を供給するのは、徴兵前、身軽な10代前半の少年兵の役目となっていた。


「では、お任せします!」


ルーベンを見上げて伝えると、ラッセルは来た道を引き返し、南側、たった一つの都市城門へと駆け出した――

お読みいただきありがとうございました。

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