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小さな国だった物語~  作者: よち


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26/218

【26.スモレンスク公国①】

トゥーラの新領主が無傷の初陣を飾る前。


スモレンスクの城内では、春の訪れを祝うという、およそ名目など何でもよい、国王の参加する酒宴の席で、各自が持ち寄った情報という名の噂話の交換が、広々とした会場の各所で行われていた。


冬は河川の氷結により商人たちの往来が無くなって、情報が乏しくなる。

ロイズのトゥーラへの着任が、冬の訪れを待って行われたのは、情報を与えないという意図もあったのだ。


これはリャザンの重臣ワルフが、幼馴染の異動を建議した際に、併せて提案されたものである。


「トゥーラに、新しい城主が就いたそうな」

「なんでも、名も無い若造らしい」


春の酒宴の席は、東への侵攻を阻む要塞都市に赴任した、城主の話題で盛り上がっていた。


「誰が来ても一緒だ! 今年中に潰してやる!」


蠅のように飛び回る噂話を蹴散らすように、酔いの回った、しかし太くて勇ましい男の声が、シャンデリアが三つ吊るされた高い天井に響き渡った。


「ギュース将軍。勇ましいですな」


大声に応じた一人の文官が、ギュースの正面に歩み寄った。


ギュースと同じ30代半ばの男。

体格は細身。たとえ彼が5人で相手をしても、分が悪いと思われた。


「おう。ヤットか。当然だ。今日は国王様もおられる。どうだ? 今から出陣の直訴なんてものを、しに行かぬか?」


絹で覆われたソファにふんぞり返ったギュースが、赤くなった頬に(やいば)の傷跡を覗かせて、冗談とも本気とも取れない提案をした。


「今からですか?」


酔いの醒める発言に、ヤットは思わず背筋を伸ばした。


「宴の余興としては、面白いだろう? ちょいと震え上がらせに行くには、いい時期だ。挨拶代わりにな」


右手に掴んだ赤い液体の入ったマグを回すと、ギュースの口角がニヤリと上がった。


「まったく……トゥーラの奴らも可哀想ですね。休まる暇がない」


不気味に光る両の(まなこ)は、どうやら本気らしい。


国王陛下の御前でも、肩越しまで伸びたボサボサの赤い髪。

100キロ近い体躯に、丸太のような太い腕。

スモレンスクで1.2を争う猛将に、余興として春先に襲撃を受けるとはたまったもんじゃない。


右の手のひらを上にして、ヤットはやれやれと同情の声を上げるのだった――


「陛下!」


マグをテーブルに預けると、ギュースは勢いよく立ち上がり、殊更に大きな声を発した。

途端にざわっとした空気が会場を支配して、皆の視線が一点に集った。


「兵。500を与えてください! その新しい城主とやらの顔、拝みに行って参ります!」

「ほう……500で良いのか?」


赤紫の幕を背景に、玉座に座る国王は、右手でワインの入ったマグを掴んでから、歩み寄る野太い声を迎えた。


「十分です。必ずや、良い報告をしてご覧に入れます!」


言いながら、ギュースは両の拳を胸の前で合わせた。


「許す。いってこい」

「は!」


長い冬は退屈だ。

静かとなった会場に領主の声が響くと、ようやく雪解けを迎える白い大地に、早速赤い血を(もたら)す事が決まった――



スモレンスクを統べるロマン・ロスチスラヴィチの年齢は、30代半ば。


父であるロスチスラフⅠ世と、従兄のムスチスラフの勧めによってスモレンスクを譲り受けた若者は、父に倣って国力増強を声高に叫び、瞬く間に周りの小国を手中に収めていった――


1146年。

彼の父親は、キエフ大公フセヴォロドの死去を発端にした大公を巡る争いに参加して、現在のロシアの首都モスクワの礎を築いたユーリー・ドルゴルーキーと争った。


争いを制したロスチスラフは、晴れてキエフ大公の座を射止めたが、その後も何度かユーリー派に公位を奪われては奪還をする。

しかしながら1167年3月14日。最期は北方にあるノヴゴロドの地へ調停に赴いた帰途。60歳を迎える前に本来の領地であるスモレンスク郊外にて息を引き取った――


父が大公を巡る争いを続ける中、ロマンは従兄の力を借りながら国内を治めた。

そして父の逝去を迎えると、名義上はスモレンスクの領主だった従兄のキエフ大公への道を支えたのだ。


地に足の着いた内政は、出陣を繰り返した父との違いが鮮明で、国内での評価は高まるばかりであった――


しかしこれはキエフ大公となった父親が、外敵の弱体化を図った産物でもある。


名誉に目が眩んだという声も上がったが、キエフ大公(ロスチスラフ)による恩恵を、彼に仕えた古参の重臣は評価していた。

しかしながら現在では、外交政策の違いから、その多くは重く用いられてはいなかった――



「フリュヒト様! 聞きましたか!  トゥーラへの進攻が決まったと!」


国王(ロマン)がギュースの余興を認めて数時間後。一人の文官が地階の別室にやってきた。


「そのようですな……まったく、これでは国が疲弊していく一方です」


文官からの報告に、書類の積みあがった机の向こう側。椅子に座ってペンを走らせる男性が、ため息交じりに吐き捨てた。

仕えた男(ロスチスラフ)が逝去して、スモレンスクは威光を保つための武力行使に明け暮れている—―


「大掛かりなものでは、無いそうですが……」

「ふん。酔ったギュースが訴えたとか? 傭兵上がりには準備運動のつもりだろうがな。馬に武器、兵糧の確保。時間も労力も掛かる。気軽に出陣と言われても、困るのだ」


堂々と不満を漏らす文官の名は、フリュヒト。

齢70に近い白い顎ひげを蓄えた老臣で、前国王の側近を務めていたが、崩御によってロマンに代が替わると、その物怖じしない言動が仇となり、後方支援に回された。


周囲からは降格と見なされる人事であったが、それでも彼は腐ることなく、与えられた任務を粛々とこなしていた――


「ただ、勝っているうちは、止めようが無いのも事実ですな……」


後方支援の身としては、たとえ労力に見合う評価が得られなかったとしても、戦勝という結果には歓喜が起こる。


白い顎髭を蓄えた老臣はやれやれと立ち上がり、背後に並ぶ背丈以上の本棚に手を伸ばすと、書類の一つを手に取って、パラパラッとページをめくった。


「先ずは、在庫確認ですな」


しかしながら、瞳は確かに光を帯びていた――




準備期間に半月。出陣して一週間。

大敗の報告は、瞬く間にスモレンスクの隅々にまで広がった。


西側では連戦連勝。一方の東側。

数年かかったトゥーラの攻略にもようやく明るい兆しが見えてきて、いよいよ今年こそはと鼻息も荒かった矢先の失態に、国王(ロマン)の怒りは頂点に達した。


「ギュース! 戦勝報告はどうした!」

「は……申し訳ありません……」


刀剣の類は全て排除。

単色茶褐色の衣服を纏った将軍は、広い背中を小さく丸め、片膝を石床に置いて頭を下げていた。


「お前の言う『良い報告』 とは、俺を怒らせるものなのか!」

「いえ、決してそのような事は……ございません……」


どんな叱責が飛んだとて、弁解の仕様がない。

壇上にて椅子から立ち上がって罵る国王に、ギュースはひたすら頭を下げるしかなかった――


「キエフ大公だった父上が、必死に守ったスモレンスクの栄光を、俺は継いでいるのだ! 栄光に傷を付ける事は、断じて許さん!」

「ははっ!」


一歩を踏み出した頭上からの叱責に、ギュースの赤い髪が更に下がった。


「トゥーラの城主は、どんな奴だった? ああ? 城に着く前に戻ってきては、見れる訳がないだろうが!」

「おっしゃる通りでございます」

「おい! こいつの処分方法を誰か考えろ! 八つ裂きでも火炙りでもいいが、そんなものでは、俺の怒りが収まらん!」


右腕を大きく横に振りながら、国王ロマンが壇上にて叫んでいる。

その姿には、ギュースを笑いものにしようと広間に集まった、殆どの者が委縮した。


「陛下……」


引き締まった空気の中で、敢えて声を上げた者がいた。

皆の視線が集まる真ん中を、ロマンが怒り立つ、壇上の方へと足が進んでいく――


「フリュヒトか……何か、あるのか?」


表舞台から退くも、父の側近だったフリュヒトは、ロマンにとっても育ての親のような存在だ。

さすがの彼も冷静となって、怒りを収めざるを得なかった。


「はい。畏れながら、ご意見を」


背筋を伸ばし、しっかりとした足取りで歩みを伸ばすフリュヒトが、小さく丸まったままのギュースの隣で足を止めると、片膝をついて頭を下げ、発言の許しを求めた。


「……申せ」


ロマンは不満を抱えながらも、両肩の力を落とした。


「戦いには、相手というものがございます。必勝の戦いもあれば、そうではない戦いも、勿論あるのです」

「そんな事、分かっておるわ!」


苛立ちを隠せないロマンが口を尖らせて、フリュヒトの発言を右手で振り払った。


「いいえ、分かっておりませぬ」

「なに?」

「此度の戦いは、敵も同数。これで必勝を求めるのは、酷な話です」

「だがな、そいつが500と言ったのだ。相手を軽んじたのは、いったいどこのどいつだ!」


壇上からの発言に、ギュースの瞼が閉まった。目尻には、深い皺が刻まれた。


「おっしゃる通りです。ですが、彼には多大な功績があります。一度の過ちで、それらを無下になさると言うのなら、勇気ある行動を取る者がいなくなりましょう」

「……」

「……」


フリュヒトの発言は、広間に一時の静寂をもたらした。


ロマンは無能ではない。諫言にも耳を貸す。

だからこそ、父から譲り受けたスモレンスクの領地を、順調に拡大しているのだ。


フリュヒトもまた、話せば分かると信じているからこそ、進言している――


「……では、どうするのだ?」


会場の空気を察したか、ロマンが折れた。

許した訳ではない。話は聞いてやろうといったところである。


「先ず、此度の戦いですが、一つ、称えることがございます」

「……」


ギュースの瞳が見開いた。

同時に太い首を捻って、白い顎髭を蓄えた老臣の横顔を見やった。


「ほう?」


続いて壇上の国王が、眼光鋭く、興味深そうに続きを促した。


「損失は、50にも届きません。兵糧が残って、弓や油も、殆ど失ってはおりません。これは、早々に撤退を決した、将軍の功績でありましょう」

「……」

「確かに将軍は、油断をしました。殆どが攻城戦となるトゥーラから、討って出るとは思いもしなかった事でしょう。ですが、冷静になって戦況を判断し、恥を承知で撤退を決めた。これを、勇気ある決断とは呼べないでしょうか?」

「……」

「それとも、将兵500を失い、経験に富んだ将軍までもを失った方が、良かったと言われるのですか?」

「……もうよい!」


畳み掛けるようなフリュヒトの弁舌に、壇上の国王は右腕を振り払って身体を翻した。


「……」


どうやら、明日の命は残ったらしい。

頭を下げ続ける中ではあったが、ギュースはほっと安堵の息を吐き出した――


「しかしだ……何の咎めも無しでは、示しがつかん。どうするつもりだ?」


ロマンが壇上で振り向いた。簡単に引き下がるつもりはない。

鋭い目つきとなって、かつての教育係に問い掛けた。


「ここは今一度、将軍に機会を与えるのはいかがでしょう?」

「……」


淡々としたフリュヒトの弁舌に、再びギュースの視線が右へと向かう。


「先ほども申しました。武器も兵糧も残っております。現在(ここ)は一時撤退とお考え頂き、彼にもう一度、機会をお与えください」


壇上に向かって重ねて請うと、フリュヒトは伏し目になって頭を下げた。


「ふん。一時撤退とは、言い様だな」

「……」


吐き捨てるような言の葉に、敢えてフリュヒトは視線を上げなかった。


後の判断は委ねるという、彼なりの意思表示に他ならない。


「良いだろう。だが、負けは許さん! 十分な兵も兵糧も与えてやる! 必ず、トゥーラを獲ってこい!」

「ありがとうございます! 必ずや、戦勝のご報告を致します!」


赤髪の将軍は視線を上げると、眼前で両手を絡め、感謝と喜びに溢れた表情で誓いを立てた――



「……」


早足となったロマンが壇上を立ち去ると、並んで頭を下げていた二人のうち、老臣が先に膝を伸ばした。


「フリュヒト様……」


凛とした立ち姿。顔だけを上に向けたギュースは思わず涙声を発した。


「なんでしょう?」

「お助けいただき……ありがとうございます」

「私は、思うところを伝えたに過ぎません。あなたはそんな姿でここにいますが、一旦退()いただけ。敗れた訳ではない」


顎を上げたフリュヒトは、会場の四隅までを見渡した。


「私の任務は、後方支援。私だって戦っているのです。だからこそ、あなたにはお伝えしたい」


続いて視線を落とすと、ギュースの瞳に言い放った。


「未だ、終わっていない」

「……ありがとうございます」


再び、陣を出る――


両手を伸ばした将軍が皺だらけの左手を挟むと、一粒の涙が灰白色の石床を黒く濡らした――


「何でも言って下さい。共に、戦いましょう」

「……」


フリュヒトは、励ましの言葉を渡してから背中を向けた。


いつの間にか、忘れ去っていた……背負うもの……


戦場に在る者だけが、戦っているのではない。

各々が、それぞれの役割を担って戦っている――


(必ず、報いてみせます)


ギュースは静かに立ち上がると、右の拳を胸にして、丸い背中を敬仰の眼差しで見送った――

お読みいただきありがとうございました。

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