【21.夜の会食①】
将軍の住まいは敷地が広い。
急を要する事態に対処できるよう、戸口の横には厩があり、国王の愛馬や伝書用も含めて、常に5頭の馬が繋がれていた。
住まいはレンガ造りの二階建て。
部下を招く事もあるのだろうか。部屋の数は見るからに多く、椅子や机、花瓶などの調度品は装飾が施された高価なものが使われて、村で貧しい子供時代を過ごしてきたリアとロイズにとっては、生まれ持った格の違いすら感じるものだった。
「……」
二人がトゥーラに赴任すると、居住区にあった豪華な調度品は身の丈に合わないと、客間に移動した。
王妃が座る椅子とテーブルは、城の使用人の支度部屋に佇んでいたものを、こっそり拝借してきたものである。
(どうしよう。なんだか緊張しちゃう……)
先導するグレンの後ろ姿を見る形で、二人がついてゆく。
リャザンで行われた調印式や晩餐会に参加したロイズは普段と変わる様子はなかったが、鍔の広い麦わら帽子を胸に抱えて歩く王妃はどうやら違って、どこか浮足立っていた。
「こちらになります」
グレンの案内で食堂に足を踏み入れる。真っ先に飛び込んできたのは、食器の並んだ棚だった。
リアの目線の高さには、光沢を放つ銀色の、直径60センチ程の大皿がででんと鎮座している。
「すご……」
思わず声を発すると、王妃は大きな瞳を丸くした。
この時代、食器は工芸品として鑑賞される事も多かった。
高価な食器とは無縁のリアであったが、並べられている品々が、物凄く値打ちのあるものだということは、さすがに察した。
「どうぞ、おかけ下さい」
グレンが二人の前に右手を差し出して、席へと誘った。
長方形のテーブルには麻のテーブルクロスが掛けられて、中央には銀の水差しと大きな燭台が置かれ、長い4本の蝋燭に、小さな灯りが灯されていた。
4つの木組みの椅子に合わせる形で、ナイフに陶器のマグ。加えて一目で高級と分かる口縁を金銀で装飾された、白い丸皿が2枚並んでいる。
「……」
そんな食器や水差したちが、石壁で囲まれた薄暗い部屋の中、四隅で灯るランプに照らされて、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「別に、普段通りでいいのに……」
上下左右に首を捻って、お世辞の言葉すら出てこないリアをよそに、ロイズが呆れたように吐き出した。
「そういう訳にもいかないでしょう。それに、私は良くても、家内が良しとしませんよ……」
「なるほど……」
そういうものかもしれない。
グレンが返した言の葉に、ロイズの困惑が収まった。
続いてテーブルの長い一辺にロイズが座ると、リアが促されて隣に座り、ロイズの正面にグレンが腰を下ろした。
「槍の扱いは、どうですか?」
「まだまだ、軸がブレますね」
「腕を出そうと意識するからでしょうな。足腰が伴わないと、相手に払われます」
「分かってるんですけどね……」
早速会話が飛び交って、ロイズが苦笑いを浮かべた。
(ん? あれ? なんかコレ、彼氏の親に初めて会う時みたいじゃない!?)
目の前の情景に、王妃は赤面して俯いた。
お付き合いや男女交際といった感覚には無縁だったので、憧れもあったのだ。
「リア、どうかしたか?」
「え? いや……なんかこういうのって、慣れていなくて……」
普段とは勝手が違う。
新米王妃は胸に抱えた麦わら帽子で口元を隠した――
リアの頬が白に戻るころ。
アンジェがパンの盛られた皮籠を、むっちりとした両腕に載せてやってきて、小麦を焼いた芳醇が室内に広がった。
「まさか、王妃様がこんなに可愛らしい方だなんて……あなた、知っていたんですか?」
リアの正面に回ったアンジェがテーブルに籠を預けると、山盛りのパンが上下に踊った。
「わ。美味しそう!」
リアの瞳が大きくなって、声が上がった。
隣で灯った明るい表情に、ロイズの目尻が下になる。
「知らなかったさ。お目にかかった事は……ございましたか?」
グレンは妻の問いに答えると、リアの方へと四角い顔を向け、少し身体を前にした。
「あ、はい……一度、入城の際に……」
グレンの質問に、胸の前で麦わら帽子を抱えたままのリアが、ちょっと申し訳なさそうに視線を落とした。
「はて? ご入城の際には、ロイズ様しかいらっしゃらなかったような……」
身体を戻して椅子に背中を預けると、顎を触りながら、グレンは当時を思い起こした。
「あの時。ローブを着て、馬を引いていました……」
「なんと! そうでしたか……それは、気付かないわけです」
「すみません。主役を披露する場面ですから、他の者が目立ってはいけないと思いまして……」
「そうですな。お二人が並ばれたら、可愛らしい王妃様にばかり視線が向かいますな」
「あなた……」
「はっはっは」
戯れを妻が諫めると、グレンの声が高らかに響き渡った。
新しい城主のお出迎え。沿道には人が繰り出すに違いない。
幌馬車に乗って姿を隠しては、民の反応や街の雰囲気が分からない。
そこで思い付いたのが、従者に化ける事であったのだ――
「ロイズ様はお若いですし、独り身だと思っていたら、伴侶が居ると聞きましてな。普段から奥間にいらっしゃって、私などは城に立ち寄ることも少なく、なかなか拝見する機会が無い。どんな方かと、ラッセルに訊いたことはあるのですが……」
「あら、なんと答えていましたか?」
グレンの話にピクと反応をして、王妃は微笑みながら首を傾げた。
「『賢い女性ですよ。お似合いのお二人です』 と……」
「……」
「お似合いだって。嬉しいね」
予想外の言の葉に、椅子に座って小さく固まっているリアを見やりながら、ロイズが微笑んだ。
出来た部下である。
毎日昼まで寝てるとか、人使いが荒いとか、思い当たる欠点は、どうやら発していないらしい。
「なんか、照れちゃうね」
頬を赤くして、王妃はロイズに向かって微笑んだ――
「あ、帽子のお姉ちゃんだ」
前日、網籠を持って歩いていた少女が姿を見せると、リアの瞳が抑揚の無い声を捉えた。
さらっとした金髪を背中まで伸ばした5歳くらいの女の子。タカタカッと細かく足を刻んで駆けていく、後ろ姿が印象に残っている。
「メイも、知っていたのか……」
「うん。昨日。一緒に遊んだ」
グレンが驚くと、メイが父親を大きな瞳で見上げながら、平たい声で答えた。
「あ、帽子の……」
「帽子?」
アンジェが何か思い当たったように声を発すると、四角い顔が上がった。
「ええ……たまに、珍しい帽子を被っている女の子を、見かける事があったんですよ」
「珍しい?」
「ええ。王妃様。昨日は白い、ちょっと大きな帽子を被ってらして。他にもオレンジだったり、青っぽい事もあるんですけど。帽子でお洒落を楽しんでる女の子がいるなぁと思っていたんです。見かけるようになったのは、お二人がこちらに赴任されてからなので、一緒に付いてきた誰かの娘さんかと思っていたのですが……まさか、王妃様とは……」
「じゃあ、アンジェも気付いていたのか……」
王妃の姿に気づかなかったのは自分だけ。
妻の話に、グレンが疎外感を含んで呟いた。
「私は、監視官でもありますからね」
「監視官?」
「ええ。市場は、人が集まりますでしょ? この人の頼みもあって、不審な者が居たら、知らせるように言われているんです」
アンジェの言葉にロイズが口を挟むと、彼女はちらりと夫に視線を預けた。
「なるほど。役人に通達するより、手っ取り早いですね」
ロイズが賞賛を挟んだ。
日頃から将軍の妻が目を光らせているならば、おいそれと盗みや悪さを働く者は出ないだろう。
「その代わり、お城の仕事は疎かですけどね」
ぺろっと舌を出すようにして、アンジェは国王からの事後承諾を求めた。
彼女は女中頭。しかしながら現在は、愛娘を育てながら、トゥーラの市中の監視役。或いは女性陣の相談役みたいな立場となっていた。
小さな城に宴会や会合なんてものは殆ど無い。
普段を任せるのも仕事だと、最近では早朝の業務連絡に足を運ぶ程度。
それ故に、昼まで起きない寝ぼすけ王妃とは、会う機会が訪れなかったのである。
「ありがとうございます。おかげでトゥーラは、子供も自由に動ける、良い国になっています」
王妃は右手を胸に当てると、心からの感謝を口にした。
治安の良好は、目の前の二人が中心となって培われたものだったのだ。
恩恵はリアにも及んで、警護を付ける事なく、トゥーラの街を散策できる。
「いえいえ。そんな……今は市場の皆さんが協力してくれますから……私一人の力では無いですよ」
「いや、僕からも、お礼を言わせてください」
立ったまま。アンジェが謙遜を表わすと、ロイズも右手を胸にした。
今でこそ彼女の言う通りかもしれないが、現在に至るまでの尽力が、並大抵なもので無かったことは確かだろう。
何よりも、人望が無ければ出来ない話――
「お二人に、お礼を言われるなんて……」
王妃と国王が並んで頭を下げている。将軍の妻とはいえ、畏れ多い事ではある。
戸惑いの表情を浮かべると、アンジェの両手は口元に移動した。
「凄いなアンジェ。ワシからも、改めて日頃の礼をしよう」
雰囲気に合わせると、グレンも右手を胸にして、改まって頭を下げた。
「あら、珍しい」
「じゃあ、メイもする!」
お母さんが困った表情をしつつも、なんだか嬉しそう。
最後にメイが続くと、アンジェに向かってぺこりと頭を下げた。
「あらあら」
「はっはっはっ」
「ふふっ」
「ははっ」
会食の空間が、いっそう和んだものになる。
そして一同に、心からの笑顔が広がった――
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