【19.わたぐも】
小さな領地は、リャザン領であった頃から、民衆による自治制度が根付いていた。(*)
質素倹約を旨にして、戦費は事前に貯めておく。
争いが起こる地域では、おしなべて重税を課す例が顕著だが、トゥーラに於いてはリアですら驚くほどの適正な税制となっていた。
民が逃げ出すほどの搾取では、防衛どころではなくなる。
前任者が悪政を敷いていた訳ではないのだ――
新たな上役が次々と新しい制度や律令を発しては、混乱を招きかねない。
住民の安堵を誘うため、ロイズが赴任してからも、トゥーラの財務を担当する文官はほぼ同じ。基本的な律令や税制も、殆ど変える事はしなかった――
トゥーラ城は灰白色。レンガ造りの3階建て。
都市の真ん中に南向きに建てられて、2階までは立方体。3階の国王居住区は、南北の方向に階下の半分の面積で、西側に設けられていた。
元来が西に備える突貫工事。
余計な装飾は見当たらず、非常に簡素な造りであった――
城の周囲には、幅10メートル、深さ5メートルにもなる深い壕。
リアの意向により、赴任時から比べると1メートルほど深くなり、当初は壕の内側だけであった石垣は、両側ともに築かれている。
城門は三か所で、正門が南側。
普段は閉まっているが、東西には、非常用の門が備えられている――
子供っぽい朱色の上着と白地のスカート。そして鍔の大きな白い帽子。
少々目立つ格好で城を抜け出した小さな王妃は、南の城門から壕に架かる幅3メートル程の石橋を渡ると、強い日差しに降参をして、西側から北に向かった――
「あれは……子供?」
北側に足を向けると、正面の城壁上部に違和感を認めた。
自身よりも小さな人影に、リアは好奇心を持って駆け出した――
城の北側に、住居は無い。
乾いた土地は整備され、練兵場として使われていた。
要塞都市であるトゥーラの住民は、当然ながら定期的な軍事教練が必須で、この日は弓隊の訓練を行っていた。
「良いか! 太陽を背にして戦う時は、太陽から矢羽が降り注ぐように、常に角度を意識しろ!」
四角い顔の大声が、乾いた空気を伝播する。
普段着の者。本番さながらに甲冑を着込んだ者。
それでも揃って真剣な表情となった男衆は、一列に並んで弓を構えると、灰白色のトゥーラ城の中腹辺りに掛けられた、幾つかの的に向かって次々と矢羽を放ち始めた――
そんな彼らを見下ろして、白い帽子が滑りゆく――
トゥーラを囲う都市城壁は、敵の侵入を防ぐため、外側は垂直に。内側は補強も兼ねて、60度くらいの傾斜が設けられている。
「何してんの? 危ないよ?」
傾斜に沿って架かる梯子は、10メートル以上。
子供の頃を棚に上げ、梯子の先を見上げる二人の女の子を捉えると、腰から曲がったリアが目線を合わせた。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんも、登ってみる?」
「え?」
突然声を掛けられて、二人はキョトンとしていたが、やがて年上と思われる、髪を左右で結った女の子が口を開いた。
想定外の提案に、リアの瞳は大きくなって、思わず上を見た。
「……」
三人の居る場所は、市中に建てられた射撃塔を兼ねる住居の影に入って薄暗い。
それでも梯子を見上げると、暗いのは壁の半分までだと認知した。
初夏の太陽に照らされて、白に輝く城壁が、青空に映えて美しい――
そんな眩しい輝きに、黒い塊が蠢いた。
恐らくは、遠くから見えた男の子―—
「の、登れるかな……」
「大丈夫だよ。私でも、登れるもん」
リアが不安そうに呟くと、けろりと声が戻った。
今でこそ王妃だが、男子に負けじと野山を駆け回っていた自負がある。
「じゃあ、登ってみる」
見た目10歳ほどの、都市に住む女の子に言われては、引き下がる訳にはいかなかった。
「お兄ちゃん! お姉ちゃんが登ってみたいって! 良い?」
口元に右手を当てながら、頭上の兄に向って妹が呼び掛けた。
「ええ? ちょっと待ってろよ!」
子供は概ね大人の侵入を阻むものだが、意外にも快い返事がやってきた。
上から見ると、白い帽子で隠れたリアが、大人には見えなかったのかもしれない。
「今日は、これだけだな」
一段一段。梯子をゆっくりと降りてきた少年の手には、立派に育った瓜が一本握られていた。
少年は地面に足を着けると妹に向かって報告をして、手にした瓜を妹の隣で佇んでいる、5歳くらいの女の子が下から両手で支えている網籠の中へと届けた。
「増えた」
籠の中身が幾らか増して、女の子の頬が思わず綻んだ――
「こんにちは」
「あ、こんにちは……」
歳はカルーガに住んでいるウィルと同じくらい。
リアが微笑むと、思った以上に大人だったからなのか、少年は少し畏まった挨拶を返した。
「登っても、いい?」
恐怖心と好奇心は、後者の方に振れている。
瞳を大きくさせると、リアは細い指で梯子を示した。
「いいよ」
「ありがとう。あ、ごめんなさい。帽子、持っててもらえるかな?」
「あ、はい……」
快い返答に、鍔の大きな白い帽子を外すと、リアは少年へと手渡した。
受け取った帽子からは柑橘系の甘い香りが漂って、少年の鼻腔をくすぐった。
ふるふるっとリアが頭を振ってみる。同時にさあっと風が流れて、赤みの入った髪の毛が、ふわっと広がった――
「……」
透き通った白い肌。赤みの入った長い髪。コントラストに、少年の心が奪われる。
続いて彼女は気合を入れるべく、踝まであるスカートの丈を、膝の上まですすっと捲り上げてみた。
背丈や服装で少女のように見えても、中身は大人。
立ち上がったリアが梯子を見上げると、ちょうど彼の目線に胸と白い首筋がやってきて、仄かに日に焼けた少年の頬が、更に赤へと染まった――
「よし」
緊張感と高揚感。
童心に帰った王妃は梯子を右手で掴むと、気合を入れて踏みざんに足を置き、一段、また一段と梯子を登り始めた。
「……」
胸の高鳴りは、梯子を踏み外す恐怖を含む。
しかしながら、地上で見上げる3人の手前、引き返す選択肢は浮かばない。
退路を断った決断は、進む勇気を生むのである――
(何か、置いてある……)
射撃塔の影の中。呼吸音を耳にしながらひたすら登ると、やがて長方形の木箱が並んでいるのに気が付いた。
少年がどうして瓜を手にして戻ってきたのか――
全容を望むころ、リアの全身も、強い日差しの中にいた――
「なるほどね……」
傾斜を設けた城壁の、石の隙間に杭を打ち込んで、その上に木箱を置いて作物を栽培中。
梯子の先端にも杭を打ち込んで、麻ひもで固定されていた。
これならば、勇気と体力さえあれば、女子でも登ってこれる。
「へえ……」
瓜。トマト。葡萄。
容易に栽培できるものが植えられている。
数日で食べ頃を迎えそうなものも、散見できた。
「気持ちいい……」
両手でバランスを取って身体を反転させると、城が聳える南側を除いた、トゥーラの都市が一望できた――
眼下での訓練は、まだ続いているらしい。
少し癖のある、赤みの入った髪の毛が心地よい風に触れ、さらっと泳ぐ。
まくり上げていたスカートの裾もすっかりと解かれて、ふわりと舞った――
思わぬ場所で、久しぶりに味わう解放感。
リアはしばし、青空の中で優雅に浮かぶ綿雲になって、小さな身体を委ねた――
「お姉ちゃん」
「なに?」
地上に足を戻したところで、網籠を持った5才くらいの女の子に声を掛けられた。
梯子を右手で掴んだ状態で、リアが大きな瞳を覗かせた。
「下着、見えてた」
「……」
三人を見下ろして、手を振った。少年だけは、すっと顔を背けた――
羞恥がやってきて、リアの頬は赤に染まった――
「帽子、ありがとう」
「……」
平静を装って声を掛けると、俯いた少年が、書状を渡すように帽子の鍔を両手で掴んで差し出した。
「梯子は、この一本だけなの?」
帽子を受け取って、リアが両手で頭に収めながら少年に尋ねる。
「こんな長い梯子、ここにしかないから……」
「そっか……」
城壁で野菜を栽培できたなら、自給率は上がる筈。
良策が浮かんだら、すぐ実行――
残念そうに答えた少年に、小さな国の王妃は手助けを決した――
* この時代、民会と呼ばれる民衆の意見集約、並びに自治制度が、キエフやノヴゴロド、その他のルーシの諸侯国で、ごく普通に行われていた。
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