【177.弔い②】
都市城門の南側。
雪の舞う白い大地を前にして、トゥーラの王妃とリャザンの王子。加えてリャザンの尚書が先の戦いに散った英霊を弔っていた――
「ここが、例の落とし穴か?」
「そう。春になったら、ロイズが花を植えるみたい」
「それは…良い事だな…」
「……」
二人の会話の傍らで、リャザンの王子は瞳を伏せて沈黙を保っていた。
「弔問。ありがとうございます」
トゥーラの王妃はグレヴィの方に向き直ると、右手を胸にして一礼をした。
「当然のこと。リャザンの民を代表して、私は礼を言いたかった」
「…ですが、グレヴィ様。…リャザンを守った者たちは、城内で眠っております。ここで眠っているのは、スモレンスクの侵略者です」
「……」
戯れではない。
動きの止まった王子の前で、リアの琥珀色の瞳は動かなかった――
「これは…人が悪い。トゥーラを襲った…愚か者への皮肉とは…」
朧気ながら意図を読み解いて、グレヴィは冷笑を浮かべながら両の手のひらを広げた。
「ここで眠っている人は、愚かと言われるのですか?」
「……」
雪はますます強くなっている。
白が貼り付く赤髪をそのままに、王妃は視線を大地に向けたあと、再び上目遣いを送った。
「そ、そうだな…彼らは、トゥーラを簡単に落とせると思っていたのではないか?」
「…かもしれませんね。でも、グレヴィ様。それ以上に愚かな者が居たのです」
「……」
一瞬だけ口元が緩んだか。それでもリアは再び視線を強くした。
「それ以上に…」
答えが浮かばない。
眼下の可愛らしい姿が意志を伴って、リャザンの王子は固まった。
「愚かにしたのは、誰なのですか?」
「……」
「リア…」
先の言葉を察すると、ワルフが口を挟んだ。
「今、グレヴィ様は、同じ立場に居るのです」
「リア!」
諫言は、薬になるとは限らない――
背景を理解しながら、主張を重ねて叫ぶ姿には、辟易を招く要素がある――
例え、正論だとしても――
「言い過ぎました。申し訳ありません」
「いや…」
萎れるリアを前にして、グレヴィは瞳を丸くした。
懲罰の対象となる発言。
出陣する将を前にして、士気を挫く振る舞いは慎むべきである――
「父上が…そして尚書が、あなたに惹かれる理由が、少しだけ分かった気がします」
リャザン公である父親から、野心を含む話を聞いたことはない。
何度も聞かされたのは、子供の頃の逃避行。そして奪還戦の残虐行為を前にして、戦場というものを忌諱するようになったということ――
それでもアンドレイの要求に、息子を戦場に差し出した――
忸怩たる思いは幾ばくか。
息子も感じるところであったのだ。
「リャザンは、どうあるべきだと思うか?」
城門を潜って北側の城壁を目指す中、グレヴィが赤髪の王妃に見解を尋ねた。
「スーズダリ…少なくともアンドレイとは距離を置くべきです」
「……」
「アンドレイにも言い分はあるでしょう。でも、やっている事は侵略行為です。キエフに続いてノヴゴロド。大人とは思えません」
「……」
「手厳しいな」
返答に、グレヴィは黙って耳を傾けて、ワルフは苦笑いを浮かべた。
「たかが肉のことでキエフをこんがり焼いて、言い分が通らないからってノヴゴロドに手を上げる。こんなの子供がやることでしょ?」
「確かにな…」
リアの視線がやってきて、ワルフの心に温かなものが広がった。
過去に描いた場景が、まさに現実となっている――
「だが、キエフもアンドレイの一族に渡って、もはや逆らう者はいない。お前ならどうする?」
手段が全く浮かばない――
ワルフは立ち寄った一番の理由を口にした。
「そうね…この出兵も、首謀者が居ないんだから、勝手に軍を退くこともできないしね」
「八方塞がりか?」
「うーん…そうでもないかな。布石は打っておかなくちゃ。スーズダリから首謀者が出てこないなら、やり易いでしょ」
「……スモレンスクと、密約を交わすのか?」
浮かんだ一案を、ワルフはリアに披露した。
「そうね…そこまでは要らないかな。スモレンスクはロマン公が出るって話だから、馬を並べるだけで良いんじゃない?」
「ん? ロマン公が出る? どこで聞いたんだ?」
「ん……言わない」
カプスの想いを利用した…
濁った心を吞み込んで、リアは視線を前にした――
北側に足を置く。改めて慰霊を終えてから、一行は城へと戻ることにした。
「キエフは…揺れると思うか?」
雪はまばらに舞っている。
ワルフは起こるであろう未来を口にした。(*)
「そうね…キエフに執着してる人は、少なくとも3人。二人は近くにいるからね…」
「ムスチスラフと、ジミルヴィチ?」
「うん。どちらかは、動くと思う…」
「そうだよな…」
「でも、アンドレイにとってはチャンスなんだよね…」
「ん? どういうことだ?」
話の行方が変化して、ワルフは赤髪の頭頂部を眺めた。
「私だったら、背後を狙うから…」
「……」
アンドレイの思惑は、二正面作戦――
才媛の見解に、二人の足は思わず止まった――
「そっちが、本命ってことか?」
「でも、陣容がね…」
「陣容?」
続いた質問に、リアは違和感を語った。
「アンドレイを信奉してる陣営なんて、殆どいないのよ。誰が背後を衝くの? あるとしたら、息子くらいでしょ?」
「……」
一年前の遠征と比べると、陣容は薄いものとなっている。
カプスの便りによると、キエフと繋がりの強いスモレンスクの領主は動きそうにない。
「という訳で、分かった?」
「は?」
突然に瞳が向けられて、恰幅の良い身体から困惑の声が上がった。
「分からないか…でもまあ、その時になれば分かるでしょ」
「……」
信頼を口にして、幼馴染は少女の頃と同じように勝ち誇った――
翌朝を迎えると、国王ロイズが加わった一行は、トゥーラの北側に足を置いていた。
キリスト教徒のグレヴィが、朝の礼拝を行う為である。
小さな平屋の木造家屋。三角屋根に、木製の十字架が掲げられている。
「おはようございます」
一行に声が掛かって視線を向けると、金髪を背中に伸ばしたライラが母親と共に頭を下げていた。
「ライラ。おはよう」
「え? 王妃様も、礼拝に?」
「いいえ。私は、付き添ってるだけ」
「そうですか…残念です」
ライラは敬虔なキリスト教徒である。
母親の影響で布教活動に勤しむ事もあったが、女中として働くようになってから、布教に従事することは無くなった。
「ごめんね」
「いえ…」
「そなたは神に、救いを求めないのですか?」
リアの姿勢を訝しんだグレヴィが、不思議そうに尋ねた。
「そうですね…私は小さい頃、悪魔と罵られましたから…」
「……」
赤い髪は異端の証――
心無い発言に瞳を落とす彼女の姿を、ワルフは何度も見掛けている。
悪魔と呼ばれた少女が、神を名乗る悪魔に降るのは、耐え難い事であったのだ――
「お前は、私たちを、トゥーラを救ってくれた。神に救われなくとも、俺たちが、又は誰かが、お前を救ってくれる筈だ」
「…そうですね」
幼馴染が幇助して、側仕えのライラは理解を示した。
続いてグレヴィが口を開く。
「あなたが導いた結果も、神の助けによるものです」
「……そうかもしれませんね」
信徒としては、真っ当な声なのだ――
神様の御心と悪魔の所業。
総てを関連付ける教えに辟易としながらも、異端の王妃は宗主国の王子を立てるのだった――
朝の礼拝を終えて一時間後。都市城門を潜ったところで、ロイズは馬上のグレヴィと別れの挨拶を交わした。
「ご武運を」
「帰還の際に、寄るかもしれません」
「是非」
一方で、赤髪の王妃は幼馴染の元へと足を進めた。
「ワルフ。アンドレイが息子を総大将に据える意味、解ってる?」
「ん?」
解ってくれているだろう――
信頼はしていても、相手は己の分身ではない。
確認を怠って後悔しないように、思い直したリアは見上げる形で問いかけた。
「隠居しているって話だろ?」
「……」
今更といった感覚に、小さな王妃は肩を落として大きな溜息を吐き出した。
「な、なんだよ…」
「あのね。隠居なんて嘘に決まってるでしょ。敵が多くて出てこれないだけよ。ロマン公にグレヴィ王子。会談の機会を逃すなんて、あり得ない。今後を考えても、不自然すぎるでしょ」
「……」
「だから昨日も言った。あなたは、布石を打つこと。分かった?」
「…分かった」
「……」
物足りない返答であったが、リアの唇がそこから動くことは無かった――
「それでは、また」
二つの人馬が背を向ける。
並び立ったトゥーラの国王夫妻は小さく手を振って、戦場に向かう彼らを見送った――
*第173-174話参照
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