表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小さな国だった物語~  作者: よち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

154/218

【154.ボゴリュービィ】

生誕の地であるスーズダリから追放されて8年後。

敗軍の将となったミハルコは、キエフを焼いた首謀者。腹違いの兄であるスーズダリ大公(アンドレイ)と顔を合わせる事となった――



クリャージマ川に沿って馬を東に走らせると、やがてスーズダリを守る土塁の上に、生神女就寝大聖堂の荘厳な白い姿が飛び込んできた。


1158年。大公を称したアンドレイの指揮の下、帝都コンスタンティノポリスから多くの職人がやってきて、キエフに建立するソフィア大聖堂を手本に建てられたものである。

敷地は1000㎡を優に超え、5つの黄金のドームを(いただ)いて、石灰岩を使用した美しい外観は、木造の教会ばかりだったルーシの大地に衝撃を与えた。


この大聖堂の完成以降、技術はルーシの奥地に継承され、白亜の大聖堂が次々と建てられていく――



「こうして見ると、立派ですね…」


初春の薄い曇り空を背景にして、大理石で造られた白亜の外壁が聳え立っている。

川を進むにつれて大きくなる大聖堂の姿に、ミハルコは改めて感嘆を表した。


スーズダリを離れている間に黄金の門が建てられて、付随する新たな建物や土塁が次々と築かれていったのだ。

それこそは、大公を称した兄の治世が、順調であることの何よりの証左であった――



「ムスチスラフ様!」


雪解けを迎えて水かさの増したクリャージマ川の向こう側。

小さく揺れ動く馬の羅列を確認したのだろうか。土塁の上から数人の男が滑り降りてきて、一行を出迎えた。


「ボリス! 出迎えご苦労!」


手綱を引いたスーズダリ大公の息子が、従士に向かって労いの声を発した。


「キエフが、燃えたとか…」


一人の従士がムスチスラフの元まで足を進めると、神妙な面持ちで口を開いた。


「ボリス、その話は後だ。大公は今、どこにいる?」

「ボゴリュービィに…」

「分かった。至急の要件があると、取り次いでくれ」

「はっ」


焦りを含んだ指令。ボリスは小さく一礼をして踵を返すと、岸壁のように聳える土塁に向かって足を進めた。


ずんぐりとした男の進む先には登坂を補助する為だろうか、数本の太い麻縄が土塁の上から垂れ下がっていた。


「私たちは、迂回しますか」

「そうですね…」


長旅の疲れは誰もが感じるところだ。

ボリスの後ろ姿を眺めるムスチスラフの発言に、ミハルコは素直に同意した――




ボゴリュービィ。

ウラジーミルからクリャージマ川を11キロほど下った辺りに建てられた、アンドレイが住まう付属の城市である。

支流であるネルリ川との合流地点が目の前で、眺めるに美しい。


大公の公称ボゴリュブスキーは、住居として選んだ土地に因んだものであり、存命中から使われていた。



土塁に建てられた2階建ての白亜の住居。

足元ではほんの小さな緑が姿を現している。


自由に動き回る鳥たちを眺めていた大公に一報を寄せたのは、スーズダリの軍司令官ボリスであった。


「ミハルコが来た?」


報告を受けたスーズダリ大公は、ひし形の顔の表皮に驚きの表情を浮かべた。


「はい。御子息様と共に、謁見を願い出ております」

「……それは、通すしか無かろう」


遠征の報告は当然としても、異母弟(ミハルコ)を連れてくるのは想定外。


追い返すわけにはいかないと、アンドレイは息子の要請を受け入れた――


「……」


約8年前。アンドレイは肉食を巡る宗教的対立を利用して、父親の側近と後妻、後妻の子供たちをスーズダリから追い出した。(*)


当然ながら、これには別の理由があった。

父であるユーリー・ドルゴルーキーは、後妻の子であるミハルコを、スーズダリの後継者として望んでいたのである――


また、当時の市民たちもスーズダリの実質的な支配者であり、キエフ大公の地位に就いていた父親の意向を認識していたのだ――


成長したミハルコは、必ずや政敵となるに違いなかった――


「……」


父の怒りの根源を、アンドレイは認識している。


1155年。キリスト教の信奉者であるアンドレイは、聖都より父へと贈られた聖母のイコンを奪ってスーズダリに戻った。

その後自らで建立した生神女就寝大聖堂にイコンを掲げたが、父は既に天に昇っていた――


聖母を守る。キリスト教徒としては正しい行いであったかもしれないが、父の脳裏から、聖なるイコンを奪われた記憶は消えなかった筈である――



「父さん、ミハルコを連れてきました!」


白亜の居住区を出たところ。緑の若芽が乏しい土塁の上に立っていた父親に、スーズダリ大公の次男は駆ける馬上から、敢えて家族としての一声を送った。


雪解けの水を抱えた二つの河川は、起伏の乏しい大地を自由に侵している。


やがて水が引いて本格的な春を迎えると、一斉に新緑が吹き出して、大地をあっという間に覆うのだ――


「上手く、やれたか?」


馬から滑り降りた息子に対して、面長を黒褐色の髭で囲ったアンドレイは静かに口を開いた。


「その事で、お話が…」

「あれが、ミハルコか?」


息子の向こうから、ぬかるんだ大地の上を並足で近づいてくる人馬の姿が覗いて、スーズダリ大公は被せるように尋ねた。


「あ、はい…」

「では、待つとしよう」


キエフの状況は耳に入っても、ミハルコを連れてきた理由が分からない。


先ずは、話を聞くべきだ――


冷静に心を開いたアンドレイは、息子と弟が並び立つのを待つことにした――



「お久しぶりです」


高台の手前で下馬をしたミハルコは、ぬかるんだ大地に降り立った。

ピチャっと泥が跳ね跳んで、彼の足元を汚した――


「大きくなったな」


ぬかるんだ大地に足を置いたまま。あくまで虜囚の身であろうする弟に、アンドレイは穏やかな声を送った。


「大公様も、お元気そうで」

「……」


右手を胸にあてがうと、ミハルコは緑を含んだ奥目の瞳をスッと下にした。


恨みの感情は多大でも、今となっては従うより他にない。


空気の締まる発言は、キエフを支えてきた人物の、覚悟の表明でもあった――


「よく来たな。上がってこい」

「はい」


兄の言葉に従って、ミハルコは膝から下を包んでいた麻布を丁寧に剥いでから、土塁の上に足裏を重ねた。


「……」


赦しが出るまでは、捕虜として。

足を並べるなら、使者として。


賢者の振る舞いに感じ入ったスーズダリ大公は、8年という時を経て、彼の才能が順調に開花していることを悟るのだった――



「用件は、何だ?」

「ミハルコに、キエフを与えてください」


(つぼみ)が幾らか膨らむも、黒褐色のままの木々の間を冷たい春風が撫で去った。


右膝を地面に接した二人の血縁に向かってアンドレイが尋ねると、頭を下げたまま、息子は真っ直ぐに願いを申し出た。


「理由を述べてみろ」

「キエフを戻すには…ミハルコの力が必要だと考えます」

「……」


追い出した異母弟の行く末を、父は北から見守っていた筈だ――


姿勢はそのままで、ムスチスラフは両者の和解を促した。


「プロコビィ」


左手をスッと掲げると、アンドレイは彼に仕える召使の名前を口にした。


「お呼びでしょうか?」


敷地内に建てられた、白壁の家屋。中から一人の若者がひょこっと姿を現した。


歳は10代後半。細身で気が弱そうな。しかしながら従順であろうことは一目で解る青年であった。


「椅子は、3つあるか?」

「はい。ございます。ですが、同じ形ではございません」

「構わん。持ってこい」

「畏まりました」


プロコビィは一礼をしてから、先ずはアンドレイの家屋へと足を進めると、背もたれの大きな骨太の椅子を一脚。

もう一度戻って木枠の椅子を一脚。更には小屋に足を戻して、背もたれのない簡素な丸椅子を一脚。土塁の上に並べた。


「下がれ」

「はい」


最初に運んできた骨太の椅子は白亜の家屋の2階から運んできたようで、どすんと落とした時には息が上がっていた。


「失礼します」


舞台を整えてぺこりと頭を下げると、プロコビィは身体を翻して、木造小屋へと早足となって戻っていった――

*肉食を巡る宗教的対立 = キリスト教徒の精進。原則主義と慣習主義の争い。

 『キリスト教徒は水曜日と金曜日、肉食禁止』

→「厳格に守る者、祝日は例外と考える者が居る」(第150話.肉断ちの日 参照)


ルーシ<略地図> 描写地.勢力図

挿絵(By みてみん)


お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ