【15.河原にて】
「それではまた、お会いしましょう」
晩餐会の翌日。前日の酒が残った為に遅めの朝食を終えたトゥーラの一行は、早々にリャザンを離れる事にした。
現有勢力の国王派。次世代を視野に入れている王子派。
晩餐会に参加した顔ぶれや政治状況を考えると、長居をしたなら面倒な疑惑を招きかねない。
これは晩餐会の壇上で、息をひそめたグレヴィ王子から提案があり、ロイズが承諾をしたのだ。
行動を素直に図るなら、王子に強い権力欲は無いように映った――
「是非」
5メートルはあろうかという深い堀の上、リャザン城に架かる大きな石橋の中心で、端正な顔立ちのロイズと、小柄なグレヴィ王子が握手を交わした。
「ワルフ、いろいろとありがとう」
「いやいや、両国の為です」
続いて、ロイズが恰幅の良い幼馴染と握手を交わした。
親し気な態度はいらぬ疑念を生みかねない。周囲の視線を気遣って、二人は外交上の礼節に留めた。
「ワルフ様。今後のご活躍、期待しております」
「ありがとうございます。お二人のこと、頼みます」
続いて、細身のラッセルとワルフが握手を交わした。
ラッセルの脳裏から昨夜の違和感が外れる事は無かったが、それを問い質すような時間は無い。
快い別れを演出するつもりは無かったが、励ましの言葉が無意識に口から飛び出した。
「さて、それでは行きますか」
やがて3名が、馬上の人となる。
ロイズが声を上げて十数人の見送りに背を向けると、無風の晴天の下、青いマントを揺らして愛馬の足を進めた――
「グレン将軍」
「は。何でしょう?」
「一日予定が空いた。今日は、早めに休む事にしましょう」
「そうしますか」
本来ならば、リャザンにもう1泊する予定であった。
リャザン公国の都市城門を抜けてしばらく、右を向いたロイズが「分かっているな?」 といった視線を送ると、四角い顔の将軍が表皮を緩めた。
「その前に、ひとつ頼まれて欲しいのですが……」
「なんでしょうか?」
グレンが答えると、馬を寄せたロイズは何やら耳打ちをした。
「ところでラッセル。この辺りに、良い釣り場はあるか?」
往路で共にできなかった負い目がある。
続いて左に顔を向けると、ロイズはリャザンに長く住んでいた薄い顔の尚書に尋ねた。
「ありますよ? でも、良いのですか? 私が、有利になりますが……」
ラッセルも、当然その気である。
口角を僅かに上げると、勝ち誇ったように猫背を真っ直ぐに伸ばした。
「ハンデだよ」
「おっと。それは私が言うべきセリフですよ?」
「む?」
都会育ちは引き下がれ。見下したようにロイズが言い放つと、グレンが割って入った。
「ははっ」
「ははは」
「はははは」
トゥーラの代表としての初仕事。
場違いな状況下で緊張を強いられて、政治的な思惑もあって発言にも気遣った。
諸々の条件から解放されて、頬を緩めて笑い合う。
それは歳や身分といった、普段から胸に燻っているものが全て除かれた、穢れのないものであった――
「少し行った左に、よいところがありますよ。野営もできます」
「じゃあ、今日はそこまでにしよう」
ラッセルが右腕を伸ばすと、薦めに応じたロイズは後ろに続く兵士たちへと振り向いて、軽やかな足取りを確かめた――
起伏の緩い大地が一斉に陽光を求めると、濃淡の緑たちが短い夏を謳歌する。
愛馬で先頭を進んでいたロイズは、正面に樫の木の集った場所を認めると、右手をゆっくりと掲げた。
「今日は、ここまで」
察すると、グレンが手綱を引いて愛馬を止めた。
四方を囲う樫の木が、互いに遠慮をしている空白地。
木漏れ日が降り注ぎ、川の流れが微かに鼓膜を揺らしている――
「赤い布が付いた荷車を曳いている者は、私と来るように!」
グレンが一部に指示を送ると、薪でも拾う為だろうか、一団は奥手にある白樺の林へと馬を進めた。
その後を、麻布で覆われた、リャザンで調達した数台の荷車たちが、悪戦苦闘をしながら続いていった――
「さて、残った者は野営の準備! 終わったら、自由時間です!」
太陽は天頂を過ぎた頃。ロイズの発言に、ワッと笑顔が広がった。
「釣竿なら、たくさんありますからね。夕食を豪勢にしたい人は、使ってください」
誰もが腕に覚えがある。
国王自らが、煮炊き用の石積みを組みながら放った勧誘に、部下たちの士気はどうしたって上がるのだった――
「終わりました!」
「こっちも、大丈夫です!」
次々と、完了報告がやってくる。
結果、普段の半分ほどの時間で野営の準備が終わった。
毎回こんな調子なら、一日の行軍距離も伸ばせるが、それは語ったところで無駄である。
遊びに行く時は早起きに。そういうものなのだ――
「よし。じゃあ行くか。ラッセル、案内してくれ」
「はい」
腰を上げたロイズが指示を送ると、ラッセルを先頭にして、ぞろぞろと一行が樫の木の向こう側へと足を踏み入れた。
「おお。良さそうなところだな」
やがてロイズの眼前に、太陽の光を浴びてキラキラと輝く湖面が現れた。
面積は、トゥーラの城下と同じくらいか。
「そうでしょう?」
左手を腰に当てたラッセルが、ふふんと背中を真っ直ぐに伸ばした。
「よし、先ずはエサ捕りだな」
ロイズは言いながら真っ先に湖畔へと走り出し、浅瀬から水の中へと入って行った。
細かい水しぶきが陽光に照らされて、七色の光をキラキラッと放った――
「俺も、手伝います!」
「冷てえ!」
国王の姿に感化されたのか、一人の男が駆け出すと、他の兵士たちも水しぶきの中へと飛び込んだ。
湖底に両手を突っ込んで。或いは水草の茂る湖畔を掻き分けて。
エサとなる虫を探すため、皆が童心に帰った――
「これは、楽しそうですな」
そんなところへ、一仕事を終えたグレンの一行が戻った。
「では、私も手伝いますか」
湖畔には、兵士の靴や麻の衣服が散らばっている。
グレンは衣服を脱いで裸になると、緑の一角に衣服を投げ捨てて、最年長とは思えない軽やかな足取りで水を求めた。
どれだけ年を取ろうとも、男は容易に少年へと戻るのだ――
「一番の大物を釣った奴は、リャザンの土産、持って行って良いぞ!」
それからは、全員参加の釣り大会。それぞれが思い思いに竿を出す。
やがて魚がスレてくると、初夏の暑さも手伝って、水遊びに興じる者が出現し、完全に無礼講の自由時間となっていた。
「しかし……ロイズ様もラッセル殿も、随分と体つきが変わってきましたな」
鮮やかな新緑の上。
心地良い風と日差しに任せて身体を乾かす二人の裸に、水から上がって水滴を払うグレンが結構なことだと労った。
いかつい体には、勲章でもあろう、大小の傷跡が刻まれている――
「農作業は、身体を鍛える目的もあったみたいですよ」
想えば住民総出で行った開墾作業では、グレンに随分としごかれた。
膝を抱えて座るラッセルは、苦笑いを含んだ。
それでもロイズの身体は細いまま。ラッセルに至っては、貧弱としか形容できない――
「なるほど。さすがはロイズ様ですな。槍の一突き、刀のひと振りだって、違ってきますからな」
左手を腰に当てがって、四角い顔が満足そうに微笑んだ。
(俺じゃないけどね)
(リア様ですけどね)
ロイズは視線を上にして。ラッセルは膝頭に顎を乗せ。
二人は心の中で同様の返答を浮かべるのだった――
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