【139.スーズダリ大公】
1168年、秋のこと。
キエフ大公ムスチスラフに反旗を翻したジミルヴィチは、年の離れた腹違いの姉を頼ってチェルニゴフの城市グルーホフに家族を残し、自身はスーズダリ公アンドレイの元へと馬を駆っていた――
「ジミルヴィチ様! お待ちください!」
その道中、右側の地平線から二頭の栗毛馬が現れた。
「我々は、スーズダリ大公アンドレイ配下の者です。大公からの伝言を、お伝え致します!」
「伝言? 申してみよ」
前以って使者を派遣して、スーズダリに向かうことは伝えてある。
返事が届く前に出立したが、彼にとっては普段通りの行いであった。
「現在、我が国は諸事情により、外部の者を排しております。スーズダリへの来訪は、ご遠慮いただきたい」
「……」
ジミルヴィチは呆然とした――
次のキエフ大公の継承権を握っている者が赴けば、誰もが快く迎えてくれると思っていたのだ――
「いや、しかし…私はこうして出立してしまった。引き返せという事か?」
ジミルヴィチは焦りを隠せない顔の表皮を使者へと向けて、上ずった声で尋ねた。
「とんでもございません。スーズダリ大公はこちらの都合でジミルヴィチ様を迎えられず、大変申し訳ないと詫びておられます。つきましては『後ほど、安らげる城市を預けたい』 とのことであります」
「……」
「ジミルヴィチ様におかれましては、城市の用意が整うまでの間、リャザンにてお待ち頂きたいと…」
「リャザンに? 何故そんなところに…」
次期キエフ大公にしてみれば、リャザンはルーシの東端に位置する辺境の地。
予想だにしない地名が届いて、思わず訊き返した。
「リャザンを統べるグレプ公は、我がスーズダリ大公が神の洗礼を受けた際の代父なのです。引き返してキエフへ戻るよりは、次にルーシを統べる者として、リャザンの地を視察されてはいかがでしょうか?」(*1)
「……なるほど、それは一考の価値がありますな。配慮に感謝して、私はリャザンに向かいましょう。スーズダリ公におかれましては、神の御加護があらんことを」
疑念の心は次なるキエフ大公という言葉によって霧散して、彼は愛馬の首をリャザンに向けた――
「キエフの謀反人は、追い払ったか?」
「はい。将来のキエフ大公なんて言葉を吐いたら、途端に顔色が良くなっておりました」
ひし形をした面長を、黒褐色の髭で囲ったスーズダリ大公が玉座に腰を据えたままで尋ねると、ジミルヴィチの元へと赴いた使者の一人が明るい声で嘲った。
「それなら良い。いつまでもキエフに拘っている訳にはいかんのだ」
スーズダリ大公アンドレイは安堵を浮かべると、玉座に広い背中を預けた。
「新たに国を興した父上の考えには賛同致します。民の支持も得られましょう」
使者として派遣されたのは、スーズダリ大公の次男ムスチスラフであった。
父と同じような面長の表皮を覗かせるが、黒褐色の髭は顎の先にだけ、整える程度に残されている。
「当然だ。親父のキエフに対する執着は相当だった…だからこそ、こうしてキエフの混迷を眺める立場になってみると、良くわかる。一歩を引いて情勢を眺めてみることが、大事なのだとな」
スーズダリ大公アンドレイの父親は、現在のモスクワの礎を築いたユーリー・ドルゴルーキーである。(*2)
手長公と称される彼は、北東のスーズダリの地を与えられるも、野心を隠さずに周りの集落を纏め上げ、ノヴゴロド、更にはキエフへと軍を進めたのだ――
そんな父の姿を間近に見る事で、息子は一旦父とは距離を置き、スーズダリの地に戻って落ち着こうと考えたのである。(*3)
「ミハルコは、去ってしまったがな…」
50も半ばを数える大公は、ぽつりと寂しそうに呟いた。
「今は、キエフに身を寄せているとか」
「そうらしいな」
息子からの報告に、黒褐色の髭の中から小さな相槌を吐き出した。
ミハルコは30歳以上も年の離れた弟で、若くから非凡の才を覗かせて、10代も半ばを数える頃には兄弟間の会話に加わるようになり、彼の弁舌に膝を打つこともしばしばであった。
しかしながら、若さゆえに視野の狭いところが見受けられた弟は、兄の目指すところを受け容れず、スーズダリの地を離れることを選んだ――
追放を口にしたのは自身だが、本当に出ていくとは思わなかったのだ――
「お前にも、悪いことをしたな」
スーズダリ大公が、ぽつりと呟いた。
「何を言うんですか。私にとっては叔父に当たりますが、ミハルコとは兄弟のようなものです。私はきっと、キエフで会う事になります。気にしないでください」
「そうだな…」
歳の近い二人の間には、変わらぬ親交があるのだろう。
アンドレイは言いながら、息子の殊勝な発言に寂しそうな皺を浮かべた――
キエフの南側。
夏に行われたポロヴェツ遠征の後始末を終えたミハルコは、ヴワディスワフに招かれる形でキエフの城市に足を踏み入れた。
「キエフの様子は、いかがですか?」
質素な木枠造りの一室で、木製のテーブルを挟んで椅子に座った二人が向かい合う。
水差しを掲げたヴワディスワフが陶器のマグに水を注ぐと、ミハルコが口を開いた。
「正直申しまして、良くありません」
ギリシャ商人救済を目的とした、夏のポロヴェツ遠征。
大公配下の従士が悪さを引き起こし、疑心暗鬼の悪魔が諸侯との間を切り裂いたのだ――
「ダヴィドとリューリクの心は大公様から離れ、アンドレエヴィチは更なる領土の拡大を迫ったとか…」
「え? ジミルヴィチが離れた後のドロゴプージを、彼は与えられたのでは?」
「そうなんですけどね…大公様は市民に迎えられ、諸侯とは十字架の誓いを交わしてキエフに就いた筈なのに…」
ポーランド出身のキエフの司令官は、未来に対して大きな落胆を表した――
「『神に誓ったり、十字架を切ってはならない。必要ないからである』 私の祖父が記したままですね」(*4)
「……」
対してミハルコは、起こった事態が必然であったかのように口を開いて、さらに続けた。
「ムスチスラフ様は武勇に優れ、政策に於いては謙虚を選ぶお方です。しかしながら、部下に対しても甘いところがある」
「……」
「自らの従士を正すことを怠った…従う諸侯の心も乱れましょう」
「……」
目の前で静かに語る、奥目の瞳を伏せた才人は、心に宿しながらも立場ゆえ、伝える術を持てなかったのだ――
ヴワディスワフは己の凡才を呪うと同時に、遠くに赴任したとはいえ、彼の元へ通わなかった自身の行動力を恨んだ――
「仮定の話ですが、ジミルヴィチがローシで命を落としていれば、弔いの意図を汲んだ諸侯は、大公を責めることは無かったかもしれません」
「……」
彼が語った「大義名分」 の意図が明かされた――
当時の陣容を思い返したヴワディスワフは、せめて大公の軍勢を先陣に立てるべきであったと悔やんだ――
「そういえば、ジミルヴィチの母親が、チェルニゴフに流されました」
「……」
しばらくの沈黙を挟んでから、ヴワディスワフが呟いた。
「情に厚い大公といえども、謀反人の身内をキエフに置いておくことはできなかったのでしょう」
「…ということは、奴の逃亡先は、チェルニゴフですか?」
チェルニゴフを治めているスヴァトスラフの陣営は、現キエフ大公とは政敵でありながら、姻戚関係を結んでいる。
彼らは春のポロヴェツ遠征には参加したが、薄利が予想された夏の遠征には参加をしなかった。
齎された情報に、ミハルコは膝の間で両手を組んで、難しい感情を表した――
「それがどうやら、チェルニゴフに入った後に、スーズダリを頼ったとか…」
「スーズダリに? 家族を連れて?」
追加の情報に、自然と語尾が上がってミハルコは訊き返した。
ドロゴプージからスーズダリまでは、直線距離にしておよそ800キロ。
従士も少ない中で、女子供を引き連れて簡単に移動できる距離では無い。
「いえ、家族はチェルニゴフ公領に残して、一人でスーズダリに向かったとか…」
「それで兄上は、奴を受け容れたのでしょうか?」
スーズダリ大公は、30歳以上も離れた彼の腹違いの兄である。
「それがどうやら、今はリャザンに居るようで…」
「リャザンに? なんでまた…」
「さあ? そこまでは分かりません。ミハルコ様の方が、詳しいのでは?」
「……」
生誕の地より追放されたとはいえ、総ての交流を絶った訳では無いだろう。
ポーランド出身のキエフの司令官は、事情を酌んだ上で訊き返した。
「スーズダリとリャザンの関係は、決して良好とは言えません」
「……」
1145年。現在のリャザン公グレプの叔父に当たるムーロム公が逝去すると、グレプの父である、ロスチスラフが後釜に座った。
当時のスーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキーは、覇権の機会を逃すまいと長男ロスチスラフと、三男の現在のスーズダリ大公アンドレイを派遣して、ムーロム及びリャザンへの侵攻を開始した――
勝ち目は無いとムーロムから逃げ出したロスチスラフは、リャザン公であったグレプを説得のうえ、領土を放棄して、南に暮らす遊牧民族ポロヴェツの有力者エリトゥクを頼った――(*5)
2年に渡る辛酸の日々の後、父子は1148年にエリトゥクの力を借りてリャザンを奪還すると、次いで1151年、ムーロムの奪還を果たした――
「……」
スーズダリとリャザンの関係が、修復されているとは思えない。
ミハルコは、明晰な頭脳を巡らせた――
「次期キエフ大公の継承権を握っているジミルヴィチを、手元に置かない理由…」
「……」
太い眉根を寄せたミハルコは、視線をふっと落としたままで、暫くのあいだ固まっていた――
*1 「洗礼」 神の子供として生まれ変わる、キリスト教の儀式。
「代父」 洗礼の立会人。信仰上の父親となる。
*2 ユーリー・ドルゴルーキー(ユーリー・ウラジミロヴィチ)
「モスクワの礎を築いた」 のは彼である。
スーズダリの地を与えられた彼は、防衛や自給のための拠点として幾つかの村を作った。モスクワの地は、その一つ。
「手長公」 という渾名は、彼の手が長かったからではなく、スーズダリを拠点にしつつ、ノヴゴロドやキエフにまで手を伸ばした事から付けられたもの。蔑称ではなく、当然ながら敬称である。
*3 現代に続くキエフ(ウクライナ及び周辺国)とスーズダリ(ロシア)の確執は、ここから始まっていると考えられる。
当小説では明確にルーシを統べる国家としての意志を表したアンドレイ・ボゴリュブスキーからを「大公」。但し、キエフ側の視点では「公」と記します。
*4 「教訓」のこと。
ミハルコの祖父に当たるウラジーミルⅡ世モノマフが、後の為政者ために記した文書。1117年のものと言われている。
『神に誓ったり~』 に続いて、
『誓いを立てようとするのなら、守り抜けるかどうか己の心に問えばよい。そして、誓った以上は守り抜きなさい』 と記されている。
*5 ポロヴェツ、ベレンディ人などの遊牧民には各々の部族があり、ルーシ諸侯との関係は個々に成り立っていた。
故に時に協力。時に略奪をする間柄として、資料にも描かれている。
お読みいただきありがとうございました。
感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o
 




