【13.野望①】
移民の流入によって大国への道を歩むリャザン公国と、割譲したトゥーラが改めて同盟を結ぶ。
不思議な話は周辺国に伝わるも、所詮は元から同じ国。
リャザンの統治に不満を覚えた城砦に、独立の機運が高まって――というような話でもない。
突然の話題は奇妙に映ったかもしれないが、いずれにしても些末な事案。
些事であることの証として、どの領地からも声明すら届くことは無かった――
「それでは、こちらに署名を」
威風を誇るリャザンの城内には幾つかの広間があり、議題や重要度、参加人数に応じて使う場所が決められる。
此度の同盟調印式。トゥーラからは護衛を含めて4名という少人数。
普段ならテーブル一つの小さな広間が使われる場面だが、今回は天井にシャンデリアが二つほど吊るされた、中程度の広間が使われていた。
壇上に視線を移すと、リャザン公国の小柄なグレヴィ王子と、トゥーラの端正な顔つきをしたロイズ国王が、仲介役のワルフを交えて書面のやりとりを行っていた。(*)
お互いが同じ文書に署名して、お互いが保管をするのだ。
同盟が覇権争いの中でどれほど役立つのかは不明だが、表向きの友好だとしても、他国をけん制する事にはなる――
「ではここに、リャザン公国とトゥーラの、同盟が成った事を宣言する!」
全てを取り仕切ったワルフの高らかな宣言に、乾いた拍手が会場全体から起こった。
どうやらリャザンには、トゥーラの独立には納得をしていない。或いは、疑問を覚える者が少なからずいるらしい。
一介の役人だった青年に、無条件に領土を与える内容なのだから、当然ではある。
(ま、そうだよね……)
ロイズとラッセルは、半ば白けた会場の空気を察すると、一方は壇上、もう一方は広間の隅という離れた場所に居ながらにして、同じ思いを灯すのだった――
「悪く、思わないで下さい」
その時である。
ロイズと並座するグレヴィが、ぼそっと口を開いた。
「ただ……私の意見としては、皆が申すほど、悪い話じゃ無いと思っております」
「……はい」
配下はどうであれ、王子の肯定は心強い。
透き通った瞳に視線を合わせたロイズは、クレヴィの柔らかな言の葉に、小さく頷いてみせるのだった――
その夜、シャンデリアの蝋燭に火が灯り、小さな晩餐会が開かれた。
四隅の松明が石壁を照らすと、揺らぐ炎の加減によって濃淡が生まれ、昼間と同じ会場だったとは思えない華やかな雰囲気が醸し出された。
大きなテーブルが中央に二つ。一つには中身が白い高級なパン、数種類のワインにチーズ、そしてソーセージ。
大鍋には、豚肉をふんだんに使って煮込まれたシチューが用意されていた。
もう一つのテーブルには、葡萄や林檎、チェリーといったドライフルーツが大皿を彩って、でんと置かれた大鍋からは、塩漬け肉と玉ねぎ等の新鮮な野菜を煮込んだスープが香しい湯気を立てていた。
注文を受けた女中が料理を木皿に移しては、各テーブルへと散ってゆく。
いかつい体つきのグレンと細身のラッセルは、そんな居心地の悪い空間の中に居た――
「結構、集まってますね……」
意義の薄い同盟に、参加者不足を危惧するも、意外にも多くの人が集まっていた。
殆どがリャザン側の官職である。
煩わしい挨拶が不要。純粋に飲食そのものを愉しめると踏んだのだろうか。
太子の御前であっても着飾っている訳ではなく、風通しの良さは感じるところであった。
「そうだな。しかしここに居ると、リャザンの情勢が少しは分かるな……」
「それは?」
続きを促すラッセルに、グレンは手にしたマグでゆっくりと壇上を示した。
細い瞳をラッセルが移すと、小柄なグレヴィ王子が酒の入ったマグを片手にロイズと膝を突き合わせて笑っている。
二人の奥には天井から真っ赤な幕が垂れ下がって、その中心には公国の茶色い三つ葉模様の紋章が、これでもかと大きく描かれていた。
こうした外交の場に於いて、自国の旗を堂々と掲げられるという事は、誇れるほどの大義を持ち、国民から尊厳、或いは畏怖といったものを認識されている証左にほかならない。
そんなものを背景に、臆することなく溶け込んでいる青年の姿を眺めると、なんだか遠い人の気さえした――
「なかなか、友好的ですね」
思ったままの感想を、ラッセルは口にした。
「……王子が居るから、人が多いのさ」
グレンが嘲るように答えると、マグを大きく傾けて、残っていた赤い葡萄酒を一気に飲み干した。
トゥーラの将軍に、労いの声すら掛からない。
政治情勢は別にして、長らく国境の要所を預かっていたのである。快く思わないのは当然かもしれない――
「なるほど……」
ラッセルは、改めて会場を見やった。
昼下がりに行われた調印式の参列者から比べると、年配層の割合が幾らか減っていた。
少なくとも、この場に居ない重鎮が、現国王派という事だろうか――
「グレプ国王も、なんだかんだいって長いからな。派閥に入り込めない奴らが、王子様に取り入ろうとするのは、当然の話だ」
四角い顔を赤くして、グレンはため息交じりに吐き捨てた。
多くの戦場を行き交った根っからの軍人らしく、陰湿な政治屋の行動には嫌悪感が湧くらしい。
「さて……俺は付いてきた奴らに、料理でも運んでやるよ」
居心地の悪い場所から退散する口実だろうか。グレンは空になったマグを軽く掲げてラッセルに伝えると、近くの配膳係を呼び止めて何やら指示をして、やがて会場を後にした――
「ラッセル殿」
一人になるのを待ちわびたように、声を掛けたのはワルフであった。
尤も、調印式の確認作業に追われ、会場への到着が遅れた事は確かである。
見た目からして膨らんだ腹部が、息を切らす遠因になっている事は想像に難くない。
「これはワルフ様。此度は、お疲れさまでした」
声に身体を向けると、ラッセルは手にした陶製のマグをスッと掲げた。
「何を言われますか。あなたの尽力、あってのものです」
動きに合わせると、ワルフも同じマグを肩まで掲げた。
結実した一仕事。穏やかな微笑みが、お互いの表皮に浮かび上がった。
「ところで、独立と同盟の話は、ワルフ様が提言されたとか? 本当ですか?」
ワインを一口流し込んでから、ラッセルが単刀直入に尋ねた。
王妃から聞いてはいたが、彼にとっては絶対に本人から答えを得たい疑問であった。
「え、ええ……」
唐突な質問に圧されるも、ワルフは隠そうとする素振りもなく、素直に肯定をした。
「そうですか……ですがリャザンには、独立に納得をしていない人、同盟に対して懐疑的な人が少なくないようです」
「……そのようですな」
続いたラッセルの疑念には、ワルフがさっと会場を見渡した。
「分かっていながら、何故に独立を?」
意に介さないような言動に、ラッセルが若干言葉を強くした。
「そうですな……」
どこまで話して良いものか……
視線を下げた太った男は、少々の考える時間を確保した。
「どんな事にでも、相反する勢力は生ずるのです。正しい道だと思えば、覚悟の上ですよ。反する者が居ない事態こそ、危険な兆候です」
「……」
「私にとっても、襟を正せる機会になる。ありがたいことです……」
恰幅のよい男は伏し目になって頷くと、政敵に対しても感謝した。
「ちょっと、外へ出ましょうか……」
続いて右腕を差し出すと、空気を変える目的もあってか、一歩を進み出た――
*グレヴィ王子= 歴史上の人物に同姓が多い事。発音が難しい事から、「ロマン・グレーボヴィチ」を略表記しております。
 




