【124.判決】
すっかりと秋色を宿した林の中を、麻色の上着を羽織った3人の女性が西へと進んでいた。
「凄い! こんなふうに色づくんですね!」
白樺の黄色、楓の赤。
陽光に輝く暖色の隙間に覗く水色を見上げながら、秋の絨毯をガサガサと踏み歩いていたマルマが、一歩をぴょんと跳ね跳んで、振り返りながら歓喜の声を表した。
戦乱を逃れてトゥーラへと辿り着き、女中として拾われて以来、彼女は外の景色を見ることが無かった――
尤も城壁の中で住まう女性たちが都市の間を行き来する事は稀であり、子供の頃にリャザンから移住してきたライラもまた、色づく白樺の林を眺めることはあっても、鮮やかな黄金色の中に足を進める体験は初めてのことだった。
「いきますよ!」
突然二人を残してガサガサと膝を高く上げながら脇へと駆け出したマルマは、えいっと声を響かせて、膨らんだ好奇心を擽る落ち葉の布団へと飛び込んだ。
「マルマリータさん、子供みたいですね」
腰回りを絞って魅力を増した先輩の体躯が枯れ葉に埋まったのを眺めると、緊張を緩めたライラは楕円の額縁に入った美人画のような顔立ちに穏やかな微笑みを浮かべた。
「ライラも来なさいよ!」
ごろんと仰向けになった年下の先輩が首だけをひょいと起こすと、年上の後輩に促した。
「え!?」
箱入り娘という自覚はあっても、おてんば気質は備えていない。
先輩からの無茶振りに、ライラのほっそりとした身体が固まった。
「呼んでるわよ」
「は、はい!」
王妃の声を行ってこいという指令だと受け止めて、ライラは一歩を踏み出した。
堆積した枯葉の中を歩くのは、思いのほか体力が要る。
膝を上げて跳ねるように進んだマルマに対して、ライラの歩みは次第に重くなり、呼吸も荒いものへと変わっていった。
「えい!」
足が縺れて倒れるように、膨らんだ枯葉の中へ腕を上げたライラが目を閉じて飛び込むと、バサッと音が広がって、長身の身体がめり込んだ。
「どう?」
「ちょっと顔が痛いです。でもこういうの、良いですね。」
抵抗した落葉に敬意を表して、先輩と同じようにごろんと仰向けになったライラの視界には、彩り豊かに染まった木々たちが飛び込んだ。
暖色の布団に身体を預けながら、両手を胸前で組んだ彼女は、心の奥でアビリに対してごめんなさいと謝罪した――
「リア様!」
続いて頭を起こしたマルマが、王妃の名前を叫んだ。
自身とライラの間には、ちょうど一人分のスペースが空いている。
「しょうがないな…」
あきれ顔。それでもまんざらではないといった苦笑いを浮かべると、小さな王妃も跳ねるように飛び出して、二人の手前でくるっと翻ったかと思うと、そのまま背中から落ち葉に倒れ込んだ。
「気持ちいい…」
枯れ葉たちの弾力を感じると、小さな身体は久しぶりの解放感を楽しんだ――
(立ったから、こんなことができる…)
リアの心に、一つが浮かんだ――
『居場所を創ろう』
国家ではない。穏やかに過ごせる土地で良い。
漠然とした想いではあったが、彼女の中に確かな標が灯った――
「さて、行くよ」
我に返った王妃がむくっと身体を起こすと、先を急ぐようにと二人を促した。
「そうですね」
明るい時間帯は短い。原因をつくったマルマが起き上がる。
続いて三人が麻の上着にくっついた落ち葉や小枝たちを払い合いながら足を進めたところで、マルマが一つを口にした。
「リア様、ありがとうございます」
「お礼なんか、言わないの!」
無礼講で楽しみたい—―
金と茶褐色と赤い髪。リスたちが木の実を探し回る姿を追ったりしながら、舞い落ちる秋に溶け込んだ三人娘は、やがてヴァティチの林を抜けるのだった――
「皆様! 馬車にお乗りください!」
大中小と並んだ三名が草原に入って足を速めると、背後から突然の声が掛かった。
「そうですね。お願いします」
振り向くと、荷馬車と共にメルクが現れた。
徒歩の行程では春でさえ、到着は日没前。日照時間を考慮して、リアは素直に従った。
「よっと」
座席なんてものは無い。リアとマルマは両手で荷台の縁を掴むと、片足を車輪に掛けて己の力だけで荷台へと納まった。
そんな二人をライラはぽかんとした顔になって眺めていたが、頬を赤く染めたメルクが臀部を支え、二人が荷台から腕を引っ張った結果、なんとか長身の身体はマルマの足元に転がった。
「ラッセルが、心配してるかもね」
「絶対してますよ!」
メルクから手綱を受け取って、御者になったリアが呟くと、王妃の背後からマルマが同意した。
「あの人は、リア様の事ばっかり話すんですよ!」
憤慨したマルマが訴えた。
実際には彼女の方がリアとの時間を接しているのだが、冴えない男が憧れの王妃様に近寄って新たな情報を齎すことには我慢がならないらしい。
「そんなことは無いでしょ…」
苦笑いを浮かべた王妃は両手に掴んだ手綱から出発の合図を送ると、育ちの故郷へと一団を率いるのだった――
「お待ちしておりました」
カルーガの手前で一団の到着を待っていたのは、先に派遣された美将軍の部下たちであった。
会談の期間中、村は関係者以外立ち入り禁止。丘の上には監視の兵が配置され、商人は勿論のこと、住民たちも村の外に足を運ぶことは許されなかった。
此度の会談は国家の威信を示すもの。不測の事態は許されない。
国王が不在だからこそ、ライエルを含む兵士たちの気概は尚のこと上がるのだった――
馬車を下りた三名がのどかな村内を散策するように歩き出すと、やがて紙片を開いたリアが宿泊する民家の割り当てを確認した。
「こっちが私で、そっちがマルマとライラね」
初めて訪れたように装いながら、リアが育ちの家と隣家のローリの家を示した。
「自由に使って、良いのでしょうか…」
借りたとはいえ、他人の住居である。臆するようにライラが口を開いた。
「大丈夫よ。薪も用意してあるし、遠慮なく使いましょう。風邪なんか引いちゃったら、申し訳ないもの」
二つの家の間には、滞在予定が三日にも関わらず、リアの腰辺りにまで薪と炭が積まれていた。
養父のルシードと隣家のローリ、加えて幼馴染のウィルからの励ましと受け取って、小さな王妃は尤もな理由を並べた――
「さあ、温泉行くわよ」
協定の会場下見を兼ねたリアの一声に、小中大と並んだ笑顔の三人娘は、カルーガに一軒だけ存在する温泉宿へと足を進めた。
「こんにちは。温泉、入れますか?」
「アレッタちゃん!? アレッタちゃんよね?」
垣根の外に二人を置いて、単身で懐かしさを覚えながら玄関を進んだ王妃が人影に気付いて声を掛けると、ほっそりとした風貌の女将から驚きの声が上がった。
「はい。お久しぶりです」
声が大きいですと右手の人差し指を立てた王妃は、改まって笑顔を振り撒いた。
「まあまあ、すっかりお嬢さんになって。元気にしてた?」
「はい」
「今はトゥーラに居るってローリさんから聞いてるけど…大丈夫だった?」
全身で心配を表して、前屈みとなった女将がリアの右手を両手で掴んだ。
「はい」
どうやら王妃という立場は伝わっていないらしい。
養父や隣家の計らいを思いながら、小さな身体は安心してくださいと明るく応じた。
「もしかして、会談のお供で来たの?」
「はい。カルーガまでの地理にも明るいので」
「それは大役ね! 昔から利発な子だったけど、見てる人には分かるのね!」
「いえ、そんなことは…」
(あなたも知っている奴のせいなんですけどね!)
もみじのような手のひらを相手に向けて恐縮を表すと、小さな王妃は一人の幼馴染を脳裏に浮かべた――
「それで、温泉…」
「ああ、そうだったわね。温泉なら自由に入って。暗くなるから気を付けてね。私は二階で明日の支度をしてるから、何かあったら呼んでね」
「ありがとうございます。それと、一つお願いが…」
「なに?」
「私の素性は、内緒にしておいてください…」
「ん。わかった」
何かしら、事情があるのだろう。
女将は両手を腰に添えると、任せなさいとリアの要求に応じた――
すっかりと暗くなったころ、猫背の男が宿屋の大将を訪ねた。
「お、あなたはいつぞやの。ご無事でしたか!?」
「はい。おかげさまで」
「酷い戦いだったようで…なんだか逞しく見えますな」
「そうですかね…」
全く自覚のない言葉がやってきて、細目の男は恐縮をした。
「こんな時間に足を運ぶとは、明日の下見ですかな?」
「いや、それもあるのですが、慌ただしくなる前にお風呂を頂こうかと…」
「それはそれは。気に入って下さって、ありがとうございます」
かくしてラッセルは、にんまり笑顔で宿屋の裏手にある温泉へと足を進めた――
「あー生き返りますう」
弦月が輝く夜空の下で、滑らかな肩を縁石に預けて星々を仰いだマルマが、この世の極楽といった蕩けた表情を浮かべながら大きく息を吐き出した。
「やっぱり素敵よねえ。掘ったら、トゥーラにも湧いたりしないかな」
「リア様。城門の前をあれだけ掘って何も出ないんですから、無理だと思います…」
湯に漬かった王妃が発した心からの願望を、マルマが冷静にあしらった。
「不思議ですね。湧いたお湯が出てくるなんて…神に感謝致します…」
膝から下がお湯の中。のぼせそうになって長身のスラリとした肌を冷えた空気に晒したライラが、ほっそりとした手指を組んで星空を見上げると、感慨深そうに呟いた。
月明かりに照らされた白い肢体は、遠い神話に出てくる魅惑的な女性を思わせる。
「そうよね。まだまだ、知らないことばかりよね…」
言いながら、湯気の中で立ち上がった小さな身体は夜空を見上げると、未来に想いを馳せながら、果てのない現実にやるせない思いを起こした――
「そろそろ、出ますか?」
「そうね…」
宿との間に焚かれた炎は随分と小さくなっていて、足元を照らせるだけの明るさは失っている。
マルマの声にリアが応じると、ライラが冷えた身体を温めようと、乳白色の肢体を急いでお湯の中へと滑らせた。
「あれ?」
「どうしたの?」
ライラが発したひょんな一声に、湯の中で立ち上がったままのリアが振り向いた。
赤みの入った髪先は濡れていて、癖毛はいくらか真っすぐとなっている。
「なんか…影が過ぎったような?」
「え?」
「女将さんじゃないの?」
不安げなライラの声に、思わず湯の中に身体を沈めたリアが宿の方へと視線を向けると、心配ないわとマルマの声が上がった。
「あ、そうですよね」
ライラが安心を浮かべると、細い焚火からぼうっと火の手が上がり、松明らしき丸い火球が現れた。
「女将さん。ありがとうございます。もう出ますね」
火球が近付いて、腰のくびれを覗かせたマルマが立ち上がり、宿の方へと湯の中を進んだ。
「え?」
「え?」
松明からの声は男性で、マルマが思わず声を発すると、松明の隣に男の顔が現れた。
「きゃあっ!」
「ら、ラッセルさん!?」
マルマが咄嗟に湯の中に身体を沈めると、同時にライラから驚きの声が飛び出した。
「え? なんでマルマが? え? リア様も?」
「確認すんなああ!」
松明を左右に揺らしたラッセルに向かって、マルマが叫ぶ。
「見えます! 見えてます!」
「そのぶら下がってるもんも隠せバカ!」
「え!? あ、ごめん…」
両手で顔を隠して背中を向けたライラに続いて、マルマが指を翳して怒りを示した。
「わちっ! わっ! あちっアツイ!」
股間を隠そうと腕を下げると、松明の炎が陰部を掠めて思わず手を開く。たちまちに炎が足の指先を襲って、ラッセルはその場で踊り始めた。
「なにやってんのよ!」
「だって、アツイんだよ!」
言い訳を飛ばしながら、ラッセルは膝を落として松明を拾い上げようとした。
「ラッセル? あなた、罰を与えて欲しいって言ってたわよね?」
「え? あ、はい…」
大声で罵り合う二人の間で、松明の炎が濡れた石床によって役目を終えると、蔑んだ白い瞳となった王妃から冷静な声が上がった――
「死刑」
暗がりの湯気の中。裁判官より判決が告げられて、ラッセルの未来は突然に決するのだった――
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