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小さな国だった物語~  作者: よち


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122/218

【122.散髪】

トゥーラ城の食堂では、賄いの朝食を食べ終えた女中たちがその場に残ると、やがてふくよかな身体を揺らしたアンジェがやってきて、カルーガで行うスモレンスクとの停戦交渉の実施が伝えられた。


先遣隊としてライエル将軍が赴いて、交渉役として尚書のラッセルが後を追う。

後者の補佐役として二人の女中が加わって、そのうちの一名はマルマが担う――


簡単な内容は、以上である。



「え? マルマも行くの?」


薄い顔立ちに驚きの表情を浮かべたラッセルが、地階の螺旋階段の手前でマルマに向かって口を開いた。

名目として尚書の補佐役を任じられ、当日持参する物品などを尋ねるべく彼女が足を運んだのだ。


「なんですか? 私が行ったら、マズい事でもあるんですか?」


怪訝な反応がやってきて、マルマは口を尖らせた。


「え? いや、そういうわけじゃないけど…」

「ラッセルさんの考えはお見通しです! リア様と一緒に旅行できるとか、思ってるんでしょ!?」

「う…」


ずいと踏み込んだ彼女の指摘は、貧相な男を見事に貫いた。


「ほらやっぱり! リア様と温泉入れるとか、リア様の残り湯に浸かれるとか、思ってたんでしょ!?」

「そ、そこまでは思ってない!」


存外な言葉が降ってきて、ラッセルは必死に否定した。


「じゃあ、どこまでを思っていたんですか!?」


随分と締まってきた両の腰に手を当てて、マルマは鋭い目つきで威嚇した。


「お、お前が思っている事なんて、想像してない! リア様と温泉…なんて…」


その刹那、ふわっと浮かぶ湯けむりの中で、乳白色の柔肌を露天の湯に浸ける妖艶な姿が浮かんで、ラッセルの動きが止まった。


「ほらやっぱり! いやらしい!」


呆けた表情を浮かべたラッセルに、マルマが右手を前にして軽蔑を放った。


「いやいや、お前が変なこと言うからだろ!」


本当の事である。

想い慕う小さな身体が両腕の中に納まって、上下に揺れる馬上で未来を語り合う…


そんな場景をふたたび過ごせると、高揚した気分に浸っていただけである――


「リア様には、指一本触れさせないんだからね!」

「お、お前にそんな権利があるのかよ! 交渉するのは俺なんだからな! お前なんか外してやる!」

「残念でしたー。私はリア様から直々に指名されたんですぅ」

「く…」

「ふん。どうせあんたなんかが指名されるくらいなんだから、大した役目じゃないでしょ! ライエル様に代わってもらった方が良いんじゃないの? そうだ。私がリア様に提案しちゃおうかな?」

「ちょ…それは待ってくれ…」


完全なる敗北を悟ったラッセルは、縋るように右手を差し出した。


「こんなところでなにやってんのよ。相変わらず、仲が良いわね」


二人の距離感で罵り合っていたところに、螺旋階段を降りてきたアビリが割って入った。


「な、仲良くなんてしてません!」

「そうなの? そんなふうには見えないけど…」


茶化すふうでもなく、アビリはすました表情で感じたままを発した。


「あ、そんな事よりもマルマ。私、立候補するからね」

「え?」


突然の先輩からの発言に、マルマの茶褐色の瞳が固まった。


「もう一人、選ぶんでしょ?」


黒髪のポニーテールを揺らしたアビリが、そばかすの上の黒い瞳を悪戯っぽくマルマにぶつけた。


「あ、はい。でも、私が選ぶわけじゃないんですけど…」

「じゃあ、推薦しといてよ」

「え…」

「あ、アビリ。良いところに居た」


マルマが答えに窮したところで会話に割り込んだのは、食堂から出てきた女中頭のアンジェだった。


「あ、アンジェさ…」


これ幸いと、アビリが許可をもらおうと明るい表情になって声を発した。


「アビリ。マルマが出てる間、頼むわよ!」

「え? あ…はい…」

「……」


短く要件だけを伝えて風のように去っていった上司の背中を、二人は見送る事しかできなかった――


「く…温泉…入りたかった…」

「ま、またチャンスはありますよ! 落ち込まないで下さい!」


あからさまに肩を落とすアビリを励まそうと、マルマが必死になって慰める。


「ありがと…でも…アンタが羨ましい…」


最後に妬みを吐き出すと、アビリは亡霊のように、すうっとマルマの元から離れていった――




「あなたが選んで良いからね」


昼下がり。トゥーラ城の地階の廊下にて、マルマはアンジェから同行者の人選を任された。


「……」


王妃様の意向も含まれている。


そんなものを感じ取ったマルマは、上司の背中を見送った後で、憧憬の念を抱く王妃の元へと向かった。


「私だけじゃない理由は、何故ですか?」


マルマもまた、二人きりの行程を楽しみにしていたのだ。

寝室のベッドに腰掛けて、赤みの入った髪を愛用の櫛で梳いている小さな身体に問い掛けた。


「久しぶりに羽を伸ばそうと思っているの。元気になったのは、あなたのおかげだしね」


優しい手つきで髪を梳きながら、王妃は感謝を口にした。


「いえ。私だけでは…」

「もちろん、全部じゃないけどね」

「……」


希望の回答が戻ることはなく、マルマはしばし言葉を逸した。


「私は…リア様と二人が良かったです…」


拗ねたような表情になって、マルマの口元から思わず本音が零れた。


「え? ああ…そういうこと?」


どうやら慕われている。そんな感情を理解したうえで、小さな王妃は諭すように理由を口にした。


「ロイズから頼まれたの。スモレンスクとの会談は宿屋を使うんだけど、ちょっと大きな普通の民家って感じなの。それでもね、秘匿性は高くしたいってことで、給仕は私がやることになったの」

「……」

「その間、あなたは独りになるわ。だったら誰か居た方が良いかなって思ったの」

「……」

「余計なお世話だった?」

「いえ…」


信用しているとはいえ、会談の内容を女中に知られるわけにはいかない――


王妃の言わんとしているところを理解したマルマは、渋々ながらも通達を受け入れた。

寒風の中に放り出される姿を想像したことも、素直となった理由である。


かくしてマルマの人選は、無難なところで落ち着いた――




「なに!? スモレンスクとの停戦交渉に同行する?」

「うん…」


驚きの声を上げたのは、暖炉の前のソファに座り、夕食後のくつろぎの時間を過ごしていたライラの父親であった――


夏の初め。

お城で働きたいと申し出た箱入り娘に、勤まるわけが無かろうと高を括って、鼻で笑いながら承諾をした――


いよいよ初出勤となった朝、高い身長の全部で緊張を表しながら家を出た娘は、夕刻になると憔悴した姿で戻ってきた。


「わたし、なんにもできなかったの…」

「……」


羽毛のベッドで丸くなった上半身を麻のシーツで覆って、悔しさに肩を震わせる娘に、父は掛ける言葉を失った。


「どうする? お断りの連絡を入れる?」


ベッドの脇で膝を落とした母親が、心配そうに娘を探った――


「…ううん。やめない」

「……」


娘の声には、確かな意志が宿っていた。

侮った父親を見返してやろうと意地になったのか、己の無力が恨めしかったのか…


甘やかして育ててしまったと少なからず自覚をしていた父親は、娘が示した予想外の気骨に驚いた――


「ライラ、あなたには、荷が重すぎるのではなくて?」

「……」


麻のシーツでは隠せない、白くて細い下腿(かたい)を覗かせる娘に、鮮やかな金髪を背中にまで伸ばした母親が、思い止まることを勧めた。


「あなたのそんな姿を見るの、おかあさん辛いわ…」

「母さん、ライラを信じよう」


語りかける母の右手が、麻のシーツで隠れる娘の背中へ伸びると、動きを止めるべく、細い右肩に背後から手を置いて、父が短く語りかけた。


「……はい」


重くなった右肩に動きの止まった母親は、心配の表情を残しながらも伴侶の言葉を受け入れることにした――



「ライエルさんに、告白した女が居るんですってよ?」

「え? なにそれ。ありえないんだけど」


夏の日差しを感じ始めた頃。トゥーラのメインストリートで行われる朝市に出掛けたライラの母親は、目の前を歩く二人の女性が高い声で話す、一つの噂話を耳にした。


「誰が?」

「さあ? 背の高い金髪女って話だけど…」

「どっちにしろ、身の程知らずよね。ライエルさんには、貴族のお嬢様って感じのお相手であって欲しいもの」

「そうね…でも、トゥーラ(ここ)には貴族なんて居ないけど?」

「そんなの時間の問題よ。どこからか噂を聞きつけて、縁談が舞い込むに決まってるわよ」

「そんなものかな…」

「そんなものよ!」

「なんだかそれも寂しいなあ。ライエル様には、ずっとトゥーラの王子様で居てほしい」

「そんな訳にはいかないでしょ…」


うっとりと理想を口にする女性に対して、友人が冷静にツッコんだ――


「……」


ライラの母親が、顔の表皮を青くした――


数日前の昼下がり、娘は小さな顔を両手で覆ったまま家に戻ってきて、そのまま自室に引きこもったのだ。

何事かと駆け寄って尋ねるも、答えが返って来ることは無かった――


ようやく姿を現すと、一張羅の乳白色のワンピースを着たままで、背中まで伸ばしていた自慢の金髪は、無造作に断ち切られていた――


「わたし、変わらなきゃ…」


さすがに体裁が悪いと椅子に座らせて、娘の散髪を静かの中で執り行った…



トゥーラの誇る若き美将軍。

憧れの対象としてその名を普段から発していた娘であったが、まさかガチ恋だったとは――


噂の張本人が娘であると悟った母親は、絶句のあとに少しだけ頬を緩めると、買い物を済ませて自宅に戻り、ライラの元へと向かった――


「あなたは間違いなく、私の娘ね…」


ベッドの上で膝を抱えて、身体全部を麻のシーツで隠していた娘に対して、母は膝を床に落とすと、優しく口を開いた。


「お母さんもね、お父さんを追いかけたのよ。貴方も知ってる通り、材木屋の息子さんでね。お店に頼んで働かせてもらって、トゥーラにもお店を構えるってお話が上がった時に、付いてきちゃったの」

「……」

「あなたに、神のご加護があらんことを」


彼女なりの励ましを伝えると、母は膝を伸ばして部屋を後にして、音をたてぬようにと扉を閉めた――



「カルーガには、ライエル将軍も行かれるんですって!?」

「あ、うん…別行動になると思うけど…」


ソファで寛ぐ父親を前にして、立ったままでカルーガ行きを告げたライラは、背後からの母の質問に、振り返って答えた。


「さすがは俺の娘だな! 外遊に帯同する3名に選ばれるなんて、凄いじゃないか! なぁ母さん!」

「……」


手のひら返し。上機嫌の父親をよそにして、ライラの表情は浮かないものであった。


何かが決するには理由がある。


決して実力で選ばれたわけではない――

むしろ最も劣っているから…普段の業務には差し障りがないからこそ、声が掛かったのだ――



「楽しんできてね…」


どんよりとした風貌になったアビリ先輩が、恨めしそうな笑顔を作ってくれた…


相当行きたかったらしい…


そんな想いを受け取っては、心から愉しめる筈も無かった――


「……」


自身の働き始めた頃を思い起こした母親は、沈んだ表情を浮かべる一人娘の心の内を、黙って汲み取ってみせるのだった――

お読みいただきありがとうございました。

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