【110.慰霊式③】
ラッセルの発案によって執り行われた慰霊式は、無事に終了を迎えた。
早々に会場から姿を消す者が居る一方、墓前で別れを告げる者が居る。
遺族の感情も様々であった。
「……」
会場の南側。グレンとライエルの両将軍が、僅かに頭を下げて、伏し目となって並んでいた。
遺族に対する弔意。
軍の指揮を執った上に生を繋いでいる立場からすると心苦しい限りではあったが、一つのケジメである。
二人の前を、やりきれない想いを抱えたままの人々が、静かな足音を立てていた――
「……」
残夏の日差しが注ぐ中、ロイズは立ち去る参列者の背中たちを、黙したままで目に入れた。
やがて彼らの足が途絶えると、ふっと墓標へと視線を預けた。
狭い土地に拵えた、急造の墓地である。
一人一人の区画は無い。並べて埋葬された順に、墓標が一列に並んでいて、墓標の手前には、両将軍と国王が手向けた白い布に包まれた花束が三つだけ、寂しそうな姿で風に揺れていた。
カミツレの花束は、太陽が昇る前から女中や近衛兵が北に流れるウパ川の土手で摘んできたものである。
このまま枯れては寂しかろうと、ロイズは墓地の周りに花の種を蒔くことを決した――
一人の男性が、妻の墓標の前に進み出て膝を曲げると、胸元から4本のカミツレの花を取り出して、優しく墓前に供えた。
「……」
女中と共に参列者を見送っていた小さな王妃が、彼の姿に目を止める。
曲がった背中がすっと立ち上がって振り向くと、リアの大きな瞳が男性のやるせない表情を捉えた。
「……」
お互いが無言のままで伏し目となると、男性は南側に足を向け、上司であるグレンとライエルの前で小さな礼を交わして、そのまま墓地を後にした――
「リア様?」
小さな身体がおもむろに一歩を踏み出すと、女中頭のアンジェが続いた。
「妊婦さんだったのね…」
白い可憐な花が捧げられた墓標には、二つの名前が記されていた――
「偽善ですよね…」
「え?」
「慰霊式なんて言ってるけど、生者とそうじゃない人の懸隔は、埋められない…」
細い背中を前にして、アンジェは寂しそうな声を耳に収めると、一つを語った。
「その……一緒になる前の話です。戦いが終わって、ウチの人が言った言葉があります」
「……なんて?」
「『苦しみや悲しみは、乗り越えるものじゃない。通り過ぎて、僕らの一部になるんだよ』」
「避けられない……その通りね」
幾多の命を見送った…
若き日のグレンを浮かべると、王妃は静かに虚空を見上げるのだった――
慰霊式に最後まで残っていたのは、金色の髪を背中にまで流した女性と、10歳と5歳くらいの姉妹であった。
夫の墓標の前に凛とした姿勢で女性が立つと、金色の髪を夏の光に預けた姉妹が、三人で編んだカミツレの花輪をぽそっと足元に供えた――
「……」
母子の切ない情景を、ラッセルは細い眼で静かに見つめていた。
後悔が消える事はなくとも、明日はやってくる。
慰霊式は彼にとって贖罪の一つではあったが、本当の償いは、未来にある。
ラッセルは静かに一礼をして、強くあろうと胸中に誓うのだった――
「終わりましたね」
国王様を始めとして、王妃様に将軍様。
立派な肩書に囲まれて、張っていた緊張の糸が切れたのか、アビリがふっと声を漏らした。
「あっ。すみません」
「いいのよ。お疲れ様」
思わず口が滑ったと後悔を抱いたところに、上司の声が右から優しく降ってきた。
「あ…ありがとうございます」
黒髪のポニーテールを小さく揺らしてアビリが労いに応えると、マルマの心情が少し解ったような気がした。
物怖じしない性格を羨ましいと勝手に思っていたが、最初からそんなでは無かった筈だ。
戦禍を逃れた先で、拾ってもらった職場。
他には行き場が無いと全力で向き合って認められ、評価をぐんぐんと上げていった――
初めて厨房に入ってカブの下拵えを任されるも、ナイフの扱いが下手くそで綺麗な丸とはならなかった。
見かねたアンジェが配置転換を命じたその夜、マルマは薄暗い厨房で、夕食に支給された固い丸パンの表面を親指大になるまで薄く削って下拵えの練習をして、翌日に備えた。
それらを知っていながら、一歩ずつ歩いていった彼女の苦悩と努力の跡を、辿ろうとはしなかった――
「……」
先を歩いてゆく後輩の背中を、絶対に掴まえる――
なによりも、一段上がった景色の違いを、知ってしまったのだ。
仕事を終えた充足感も手伝って、アビリは新たな目標を見据えるのだった――
グレンとライエルの両将軍は、軍事教練と水路の整備、ロイズとラッセルは都市城壁の視察を行うという名目で、先に城へと戻った。
「なんか…もっと悲しげな感じになると思ってました」
墓地の清掃と整地を終えて城へと戻る道中、女中に扮した王妃を右にして、アンジェのふっくらとした身体の後ろを歩くアビリが感想を漏らした。
「最後まで残っていた女の人もそうですけど…皆さん、強いなって…」
「アビリ、それは違うわ」
「え?」
背後から届いたアビリの声に、振り返ったアンジェが諭すような声を発した。
「みんなの前では、泣かないだけ。一人になった夜に、涙が出るのよ…」
「……」
「争ってばっかり。ほんと、嫌になるわ」
左を歩くアビリが無口になったのを気遣ってか、両の手のひらを上に向け、王妃が低い位置から吐き捨てた。
「やっと戦争が終わったのに、どうせまたどこかで始まるんでしょ?」
「そう…なんでしょうか…」
否定はできない。アビリが小さく言葉を返した。
「トゥーラが始める事は無いとして、スモレンスクはどうかしらね! 少しは懲りてくれるといいんだけど!」
「そうですね…ウチの人も、気が休まりませんから…」
王妃の発言に、アンジェが首を回して同意した。
「人間って、争いが終わった時には穏やかな暮らしを考えるじゃない? それに慣れてくると、また争いを起こすの。バカでしょ」
「……」
「北の方に住んでいるネズミは、増えすぎると、自ずと抑制するなんて話もあるのよ? ヒトも、本能から同じ事をしてるんじゃないの? って考えちゃうわ!」
「それは…」
「違うとでも? そうでも思わないと、説明が付かないわよ!」
リアの憤慨は、簡単には収まりそうにない。
お供の二人はやれやれといった表情になって、王妃様の相手を務めるのだった――
「マルマ、お疲れ」
西側の都市城壁に太陽がすっかりと隠れた頃、捕虜にあてがわれた住居で水の交換を行った女中たちが城に戻って来るのを認めると、アビリは階上へと続く螺旋階段の手前で彼女を待ち受けた。
「アビリさん、お疲れさまでした。どうでした?」
慰霊式の報告だと察したマルマが、明るい表情になって尋ねた。
「なんかね。あんたが王妃様に憧れる気持ちが、分かった気がする」
「はい?」
思わぬ言葉がやってきて、マルマの丸っこい顔に備わる茶色い瞳が開いた。
「リア様は、渡しませんよ?」
「はいはい。別に取りはしないわよ」
じとっとした目つきになったマルマに、黒髪の先輩は呆れた声を返した。
「色んな話を国王様とするのかな。女性なのに、私じゃ考えもしない事を話されるわ」
「……」
「戦いが起こることは仕方がないって、どこかで思っていたけれど、あの方は心から憎んでいる気がする」
「そうですね…」
争いによって孤児となったマルマでさえ、抗うという気概は失っている――
紛争が身近で起こる時代に生まれ、日常が緊張の中にある――
一つの戦いが終わった。慰霊式も行った。
しかしながら、都市城壁の四方では監視兵が常駐し、練兵場では近衛兵の手によって弓矢が作られて、次なる戦いの準備をしている。
「亡くなった人のお腹に、赤ちゃんが居たみたいなの…」
「え…」
「王妃様、凄く悔しそうにしてた…」
「……」
「それでね。王妃様が言ったの。『子供を殺すって事は、私たちの未来を塞ぐって事なんだから!』 って」
「……」
「アンジェさんも、感心していたわ」
「……」
憧れの人が語った言葉を耳にして、別れ際の母の表情がマルマの脳裏に浮かんだ――
「うぇ…」
「ちょっと! どうしたの?」
潤んだ涙に気が付いて、アビリが咄嗟に身体を寄せた。
「すみあせん…」
まるっこい顔を両手で覆って前屈みになったマルマの姿を、アビリは静かになって眺めるしかなかった――
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