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小さな国だった物語~  作者: よち


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109/218

【109.慰霊式②】

立ち並ぶ背中たちに、短い夏の陽光が注いでいる。


トゥーラの城内。北西に建てられた射撃塔の手前では、国王ロイズの名のもとに、慰霊式が執り行われていた。


スモレンスクとの争いも一区切り。

相手次第ではあるのだが、存亡をかけた争いに高揚していた住民に、一旦の安寧を周知させる方法としては、上質だと言えるだろう。


それは、近しい人を亡くした遺族にとっても――



「此度の戦いの戦没者は、総勢38名にも上る」


慰霊式を執り行う尚書のラッセルが、自らしたためた原稿の両端を掴んで目線の高さに掲げると、薄い顔立ちに備わった細い瞳で文字を追いながら、感情は抑えて読み上げ始めた。


彼の本来の任務は、こうした文書の作成や、国王主催の催しの調整、式の執行役などである。

決して戦場にて馬を操ったり、槍を構えたりする事ではない。


女中達の評価は散々であったが、この日の彼は、水を得た魚のように堂々たる振る舞いであった――


(意外と、様になってるわね)

(事務方の方が、本職なのね…)

(マルマの見立ても、間違ってはいないのか…)


自信に乏しい普段の背中が、この日ばかりは頼もしいと映り込む。


王妃のリアに加えて、アンジェとアビリ。

それぞれが下げていた彼の評価というものを、この場では随分と戻すのだった――


「土に眠ったのは、兵士だけではない。退役者が1名。後方支援に当たっていた女性が、3名含まれる」

「……」


ジリッと纏わる夏の空気。ラッセルの重たい声が加わって、不快な想いが増していく。


「ごめんなさい…」


己を責めた王妃は微かな声を発すると、首と両肩の力を無くした――


「王妃様のせいではありません」


赤みの入った髪を頭巾で覆ったリアの発言を、アンジェは上から小声で諫めると、右手を伸ばして細い手首を掴み取った。


「……」


いつまでも塞いでいては、未来を望む事はできない。

そのために慰霊式(ここ)に居るのだと、励まされ、小さな身体は強い心魂を確かめた――



ラッセルの式辞に続いて、最前列で並ぶ国王とトゥーラの誇るグレンとライエルの両将軍に、後列で並ぶそれぞれの女中からカミツレの花束が渡された。

3名は足を揃えて一歩を踏み出したのち、片膝を地面に接して背中を丸めると、墓標の手前に優しく手向けを並べた。


続いて献花を終えた3名は立ち上がり、右の拳を胸に宛てがうと、揃って小さな一礼を加えた――


式典の参列者は、殆どが遺族である。


並ぶ墓標を正面に、国家を代表する3名と、彼らの後方に補佐役の女中が3名並んでいる。

加えて一団の右手から、進行役を務めるラッセルが細い眼差しを送っていた。


それらを囲うようにして、悲しみを最も抱える者達が、静かに屹立をしている――


「……」


遺族の列に、過去の戦いで(やじり)を受け、左の頬がぐしゃりと潰れている者が居た。


この地に生きる者ならば、戦いの傷を笑いの種にする事など、絶対にありはしない。

彼もまた、己が生きた勲章として、誇りにするのである。


しかしながら、そんな彼がこの場所に立っている。


彼こそが、此度の戦いで若い伴侶を亡くした夫であった――



近衛兵として戦った彼は、激戦となった西の戦場から這う這うの(てい)で妻の持ち場の救護所に戻った。


湧き上がる勝利の声。救護所の敷居を跨ぎ、妻の姿を求めるも、愛する顔は見当たらない。


中へと足を進めたところで、土床に敷かれた薄い板に彼女の衣服を認めると、一つに気付いた。


誰しもに、横たわっている彼女を気に掛ける様子がなかったのだ――


「……」


当然のこと。生者への対処が先である。


そんな常識は、誰よりも理解をしている――


土床にぺたんと両膝を落として、乾いた血色(ちいろ)が滲む脈の消えた右手を両手で掴むと、彼はやがて頬へと掲げた。


室内には夏の熱気が籠るのに、白かった柔肌は何者かが奪い去っていったかのように、冷感に侵されていた――


「……」


方々で始まった戦勝を讃える歓喜の中、彼だけは一人静かとなって、やがて返事の返ってこない亡骸へと縋った。


「帰ってきたよ…」


そして、精一杯の小さな声を絞り出すのだった――


「申し訳…ありません…」


悲しみに暮れる彼の姿を認めて小さな謝罪を口にしたのは、上を向いたままで隣の板で横たわる、腰から両脚を負傷した中年の兵士であった。


腰を挟むようにして添え木があてがわれ、両脚はおかしな方向に曲がっている――


「その方は…私なんかに…肩を貸したばかりに…」

「……」


夫の近くで。夫の支えになるならと、彼女は最も危険な南西の救護所を志願した。


負傷した兵士を救護所へと運ぶのは、女性の役目である。

防具を含めば自身の体重の2倍はあろうかという男達を、細い肩と腕、足腰の力で支えるのだ。


そんな彼女の太腿を矢羽が貫いて、二人で崩れ落ちたところを投石器の跳弾が襲った――


血糊の痕が生々しい、土床に敷かれた薄い板に、沈痛の涙が伝った。


「私の方が…盾になっていれば…」


冷たくなった手首へ縋る若い男に顔だけを覗かせて、命を残した中年の兵士は咽びながらも、必死に一声を絞り出した。


「いえ…」


差し出した細い肩が、例えば逆であったなら…


後ろ暗い思考が頭を過ぎるも、男はそんなものを打ち消した――


「……」


固くなった妻の左手は、お腹の上に置かれていた。


数日前。

朝の光が差し込む中で、朝食を拵えながら、月のものが止まったと、彼女は嬉しそうに伝えてくれた――


「く…ぐふ…」


勝利の報に沸きあがる、激戦を潜り抜けた筈の救護室…


ほのかに残る妻の温もりを求めるように、男は掴んだ手首と一緒になって、いくぶん綺麗を残した首元へと、静かに頭を落とすのだった――



トゥーラの城内。

慰霊式では黙祷が行われ、続いて遺族を代表する形で、一人が式辞を述べる運びとなった。


カツッと土を踏む乾いた音が響いてロイズが右に視線を移すと、城内にて祖父を殺された、短い紅茶色の髪を備えた女性が墓標の前に進み出た。


「……」


カデイナから向けられた視線は威圧的。ロイズの瞳は大きくなって、幾らかの緊張を宿した。


「愚かな戦いを、私達はしたくありません」


ロイズに背中を向けると、彼女は並ぶ墓標を前に訴えた。


「私の祖父は、殺されました。殺したのは、私の右手に居る、ダイルという男です」


突然に名前が飛び出して、皆の視線が右側へと向けられた。


恐らくは、彼女の式辞の為に待機していたのだ。

やがて二人の衛兵に挟まれて、薄い囚人服を着た一人の男が姿を現した。


「……」


ダイルに向けられた視線たちは、殺気を孕んだものではなくて、(あわれ)みであったり、蔑むようなものばかりであった――


この場に立つと決めた時から覚悟をしていた彼ではあったが、やはり平静を保つ事は叶わずに、高い鼻を敢えてカデイナのみに向ける事によって、この場を乗り切ろうとした。


「彼はその後、囚われの身となりましたが、私は彼を許すことができずに、その場で殺そうと、祖父の槍を手に取ったのです」


当時を語って、カデイナは一息を吐き出した。


「ですが、国王様に止められました」

「……」


静寂の中の一声に、視線が一斉に国王へと向かった。

ロイズの左で並び立つグレンとライエルもまた、視線は注がぬまでも、意識を右側へと傾けた。


(ええ? 何を話すの?)


わずかに頬が引き攣って、ロイズは目の前に佇む紅茶色のショートヘアを見つめながら、次に飛び出す式辞の内容を待ち構えた。


「憎んだところで、解決はしない」

「……」

「国王様は、私を通して、皆に訴えたのです」


ここまでを、カデイナは淡々と語った。


「……」


ロイズの背中の向こうから聞こえてくる女性の声を、リアは静かとなって胸の奧へと落とし込んでいた――


「ですから…」


カデイナの声質が、突然に震えた。


「私は、あなたたちの仇を、取ってあげることができません…」


悔しそうな感情を顕わにして、詫びるように紅茶色の髪の毛が、スッと下へと位置を落とした――


「ごめんなさい…」


英霊が望むものとは違っても、わたしたちは、自らが選んだ道を征く――


苦しみ抜いた末の結論が、短い言葉の中には表現されていた――


「……」


静寂の中で、羽を休める鳥たちの(さえず)りだけが、皆の鼓膜を揺らしている。


この場に居る誰もが、この時ばかりは彼女の言葉を胸に刻んだ――


「ダイルさん」


顔を上げたカデイナは、踵をずらして右を覗くと、彼女を見つめたままの囚人服を纏った男の名を呼んだ。


「……」


囚人は彼女を見つめた。

質素な麻のワンピース。

祖国(スモレンスク)であれば、絶対に視界に留まる事は無い女性…


しかしダイルは、彼女の凛とした立ち姿に対して、心を動かさずにはいられなかった――


「私たちの国は、戦わないわけではありません」


厳しい口調で、カデイナは一つを伝えた。


しかしながら次には温かな声となって、それでも一段と強い意志を伴って、言葉を紡いだ。


「例え思うところがあろうとも、武器を持たないあなたたちであれば、私たちは歓迎致します。そういう場所でありたい」


結論は、彼女なりに考えた未来の姿であった――


「……」


カデイナはロイズに対して小さく頭を下げると、自らが足を置いていた遺族の囲いの方へと一歩を踏み出した。


パチ…


ロイズの背後で、一つの拍手が起こった。


パチ…パチ…


小さな手のひらが鳴らす乾いた音色(おんしょく)は、三回目を聞くや、左右へと伝わって、やがて居並ぶ遺族たちへと広がっていった――


「……」


ダイルが後方へと下げられて、生まれた隙間にカデイナが足を置く。


二人はそこで一瞬だけ視線を交わしたが、彼女の方が細い背中を翻すと、送られる拍手に対して瞳を伏せて、小さな美しい一礼を返した――

お読みいただきありがとうございました。

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