【109.慰霊式②】
立ち並ぶ背中たちに、短い夏の陽光が注いでいる。
トゥーラの城内。北西に建てられた射撃塔の手前では、国王ロイズの名のもとに、慰霊式が執り行われていた。
スモレンスクとの争いも一区切り。
相手次第ではあるのだが、存亡をかけた争いに高揚していた住民に、一旦の安寧を周知させる方法としては、上質だと言えるだろう。
それは、近しい人を亡くした遺族にとっても――
「此度の戦いの戦没者は、総勢38名にも上る」
慰霊式を執り行う尚書のラッセルが、自らしたためた原稿の両端を掴んで目線の高さに掲げると、薄い顔立ちに備わった細い瞳で文字を追いながら、感情は抑えて読み上げ始めた。
彼の本来の任務は、こうした文書の作成や、国王主催の催しの調整、式の執行役などである。
決して戦場にて馬を操ったり、槍を構えたりする事ではない。
女中達の評価は散々であったが、この日の彼は、水を得た魚のように堂々たる振る舞いであった――
(意外と、様になってるわね)
(事務方の方が、本職なのね…)
(マルマの見立ても、間違ってはいないのか…)
自信に乏しい普段の背中が、この日ばかりは頼もしいと映り込む。
王妃のリアに加えて、アンジェとアビリ。
それぞれが下げていた彼の評価というものを、この場では随分と戻すのだった――
「土に眠ったのは、兵士だけではない。退役者が1名。後方支援に当たっていた女性が、3名含まれる」
「……」
ジリッと纏わる夏の空気。ラッセルの重たい声が加わって、不快な想いが増していく。
「ごめんなさい…」
己を責めた王妃は微かな声を発すると、首と両肩の力を無くした――
「王妃様のせいではありません」
赤みの入った髪を頭巾で覆ったリアの発言を、アンジェは上から小声で諫めると、右手を伸ばして細い手首を掴み取った。
「……」
いつまでも塞いでいては、未来を望む事はできない。
そのために慰霊式に居るのだと、励まされ、小さな身体は強い心魂を確かめた――
ラッセルの式辞に続いて、最前列で並ぶ国王とトゥーラの誇るグレンとライエルの両将軍に、後列で並ぶそれぞれの女中からカミツレの花束が渡された。
3名は足を揃えて一歩を踏み出したのち、片膝を地面に接して背中を丸めると、墓標の手前に優しく手向けを並べた。
続いて献花を終えた3名は立ち上がり、右の拳を胸に宛てがうと、揃って小さな一礼を加えた――
式典の参列者は、殆どが遺族である。
並ぶ墓標を正面に、国家を代表する3名と、彼らの後方に補佐役の女中が3名並んでいる。
加えて一団の右手から、進行役を務めるラッセルが細い眼差しを送っていた。
それらを囲うようにして、悲しみを最も抱える者達が、静かに屹立をしている――
「……」
遺族の列に、過去の戦いで鏃を受け、左の頬がぐしゃりと潰れている者が居た。
この地に生きる者ならば、戦いの傷を笑いの種にする事など、絶対にありはしない。
彼もまた、己が生きた勲章として、誇りにするのである。
しかしながら、そんな彼がこの場所に立っている。
彼こそが、此度の戦いで若い伴侶を亡くした夫であった――
近衛兵として戦った彼は、激戦となった西の戦場から這う這うの体で妻の持ち場の救護所に戻った。
湧き上がる勝利の声。救護所の敷居を跨ぎ、妻の姿を求めるも、愛する顔は見当たらない。
中へと足を進めたところで、土床に敷かれた薄い板に彼女の衣服を認めると、一つに気付いた。
誰しもに、横たわっている彼女を気に掛ける様子がなかったのだ――
「……」
当然のこと。生者への対処が先である。
そんな常識は、誰よりも理解をしている――
土床にぺたんと両膝を落として、乾いた血色が滲む脈の消えた右手を両手で掴むと、彼はやがて頬へと掲げた。
室内には夏の熱気が籠るのに、白かった柔肌は何者かが奪い去っていったかのように、冷感に侵されていた――
「……」
方々で始まった戦勝を讃える歓喜の中、彼だけは一人静かとなって、やがて返事の返ってこない亡骸へと縋った。
「帰ってきたよ…」
そして、精一杯の小さな声を絞り出すのだった――
「申し訳…ありません…」
悲しみに暮れる彼の姿を認めて小さな謝罪を口にしたのは、上を向いたままで隣の板で横たわる、腰から両脚を負傷した中年の兵士であった。
腰を挟むようにして添え木があてがわれ、両脚はおかしな方向に曲がっている――
「その方は…私なんかに…肩を貸したばかりに…」
「……」
夫の近くで。夫の支えになるならと、彼女は最も危険な南西の救護所を志願した。
負傷した兵士を救護所へと運ぶのは、女性の役目である。
防具を含めば自身の体重の2倍はあろうかという男達を、細い肩と腕、足腰の力で支えるのだ。
そんな彼女の太腿を矢羽が貫いて、二人で崩れ落ちたところを投石器の跳弾が襲った――
血糊の痕が生々しい、土床に敷かれた薄い板に、沈痛の涙が伝った。
「私の方が…盾になっていれば…」
冷たくなった手首へ縋る若い男に顔だけを覗かせて、命を残した中年の兵士は咽びながらも、必死に一声を絞り出した。
「いえ…」
差し出した細い肩が、例えば逆であったなら…
後ろ暗い思考が頭を過ぎるも、男はそんなものを打ち消した――
「……」
固くなった妻の左手は、お腹の上に置かれていた。
数日前。
朝の光が差し込む中で、朝食を拵えながら、月のものが止まったと、彼女は嬉しそうに伝えてくれた――
「く…ぐふ…」
勝利の報に沸きあがる、激戦を潜り抜けた筈の救護室…
ほのかに残る妻の温もりを求めるように、男は掴んだ手首と一緒になって、いくぶん綺麗を残した首元へと、静かに頭を落とすのだった――
トゥーラの城内。
慰霊式では黙祷が行われ、続いて遺族を代表する形で、一人が式辞を述べる運びとなった。
カツッと土を踏む乾いた音が響いてロイズが右に視線を移すと、城内にて祖父を殺された、短い紅茶色の髪を備えた女性が墓標の前に進み出た。
「……」
カデイナから向けられた視線は威圧的。ロイズの瞳は大きくなって、幾らかの緊張を宿した。
「愚かな戦いを、私達はしたくありません」
ロイズに背中を向けると、彼女は並ぶ墓標を前に訴えた。
「私の祖父は、殺されました。殺したのは、私の右手に居る、ダイルという男です」
突然に名前が飛び出して、皆の視線が右側へと向けられた。
恐らくは、彼女の式辞の為に待機していたのだ。
やがて二人の衛兵に挟まれて、薄い囚人服を着た一人の男が姿を現した。
「……」
ダイルに向けられた視線たちは、殺気を孕んだものではなくて、憐みであったり、蔑むようなものばかりであった――
この場に立つと決めた時から覚悟をしていた彼ではあったが、やはり平静を保つ事は叶わずに、高い鼻を敢えてカデイナのみに向ける事によって、この場を乗り切ろうとした。
「彼はその後、囚われの身となりましたが、私は彼を許すことができずに、その場で殺そうと、祖父の槍を手に取ったのです」
当時を語って、カデイナは一息を吐き出した。
「ですが、国王様に止められました」
「……」
静寂の中の一声に、視線が一斉に国王へと向かった。
ロイズの左で並び立つグレンとライエルもまた、視線は注がぬまでも、意識を右側へと傾けた。
(ええ? 何を話すの?)
わずかに頬が引き攣って、ロイズは目の前に佇む紅茶色のショートヘアを見つめながら、次に飛び出す式辞の内容を待ち構えた。
「憎んだところで、解決はしない」
「……」
「国王様は、私を通して、皆に訴えたのです」
ここまでを、カデイナは淡々と語った。
「……」
ロイズの背中の向こうから聞こえてくる女性の声を、リアは静かとなって胸の奧へと落とし込んでいた――
「ですから…」
カデイナの声質が、突然に震えた。
「私は、あなたたちの仇を、取ってあげることができません…」
悔しそうな感情を顕わにして、詫びるように紅茶色の髪の毛が、スッと下へと位置を落とした――
「ごめんなさい…」
英霊が望むものとは違っても、わたしたちは、自らが選んだ道を征く――
苦しみ抜いた末の結論が、短い言葉の中には表現されていた――
「……」
静寂の中で、羽を休める鳥たちの囀りだけが、皆の鼓膜を揺らしている。
この場に居る誰もが、この時ばかりは彼女の言葉を胸に刻んだ――
「ダイルさん」
顔を上げたカデイナは、踵をずらして右を覗くと、彼女を見つめたままの囚人服を纏った男の名を呼んだ。
「……」
囚人は彼女を見つめた。
質素な麻のワンピース。
祖国であれば、絶対に視界に留まる事は無い女性…
しかしダイルは、彼女の凛とした立ち姿に対して、心を動かさずにはいられなかった――
「私たちの国は、戦わないわけではありません」
厳しい口調で、カデイナは一つを伝えた。
しかしながら次には温かな声となって、それでも一段と強い意志を伴って、言葉を紡いだ。
「例え思うところがあろうとも、武器を持たないあなたたちであれば、私たちは歓迎致します。そういう場所でありたい」
結論は、彼女なりに考えた未来の姿であった――
「……」
カデイナはロイズに対して小さく頭を下げると、自らが足を置いていた遺族の囲いの方へと一歩を踏み出した。
パチ…
ロイズの背後で、一つの拍手が起こった。
パチ…パチ…
小さな手のひらが鳴らす乾いた音色は、三回目を聞くや、左右へと伝わって、やがて居並ぶ遺族たちへと広がっていった――
「……」
ダイルが後方へと下げられて、生まれた隙間にカデイナが足を置く。
二人はそこで一瞬だけ視線を交わしたが、彼女の方が細い背中を翻すと、送られる拍手に対して瞳を伏せて、小さな美しい一礼を返した――
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