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小さな国だった物語~  作者: よち


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107/218

【107.寝顔】

王妃のリアが復帰して、トゥーラの政務を司る。


その効果はてきめんで、燻っていた事案が一気に動き出した。


先ずはスモレンスクへの使者として、偵察隊のメルクを派遣する事が決められた。

経由地であるカルーガまでの道中に詳しく、かの地で困窮するスモレンスク兵に対して施しを与えるという任務を全うし、敵将にも幾らか顔が利くというのが選定の理由である。


「それでは、行ってまいります!」


トゥーラに唯一設けられた南側の都市城門。国王ロイズと上司であるグレン将軍の見送りを受けたメルクは、踵から頭頂までを真っ直ぐに伸ばして気持ちの良い挨拶を発した。


メルクの他に、スモレンスクへの到着を知らせる伝令役だったり、交渉事が生じた際の補佐役として、7名が同行をする。

単なる使者にしては大所帯であるが、当然ながら王妃の指示である。


「スモレンスクの空気を多くの人に吸って欲しいの。戻ってきたら、それぞれに感じたままを話してもらって」

「なるほど…」


尚書の疑問には、情報収集の為だとリアは論じた――


一方で、捕虜の処遇を巡っては、二人の間で意見の相違が見られた。


「捕虜を返すのは、使者が戻ってからね。スモレンスク(むこう)の言い分を聞かない事には、こっちからは動けないわ」

「……」

「なに?」

「もっと、迅速に動いては…」


下手(したて)に出るという夫の意見とは違うらしい。ラッセルが意外そうに尋ねた。


「勘違いしないでよ? 私達は勝ったんじゃなくて、守っただけなんだからね!」


驕りのような空気を察してか、戒めの言葉が戻った。


「力は向こうが圧倒的に上。捕虜まで手放したら、交渉の主導権をどうやって握るの?」

「それでも、総大将が(くだ)りましたので…」

「あのね。ウチとは違うの。そんなもん、向こうには代わりがいくらでもいるでしょ。一人くらい切り捨てたって、キノコみたいに生えて来るわよ!」

「……」


反論できなくて、薄い顔の尚書はリアの見解を収めるしかなかった。


グレン将軍が倒れたら、トゥーラはたちまち亡国の危機に陥りそうである――


「それにしても…」

「はい」

「降ってきた総大将の件を、捕虜に伝えなかったのは、上出来ね」


いつもの席で、落ち着いた口調に戻ったリアが呟いた。

白い丸椀を両手で支えて水を含み、色艶の戻った魅惑的な唇を濡らした。


「知られたら、戻す以外に無かったかもしれないし、収監場所を分けたのも、むこうの情報を知るうえで、適当だしね」

「……」

「指示を出したのは、誰?」

「それは恐らく、ロイズ様かと…」

「そう…」


ラッセルからの返答に、王妃が頬を緩めると、大きな瞳は優しいものとなった。


「リア様ならどうするか…それだけを、考えられたみたいですよ」

「……」


続いた言葉に対しては、複雑な心境が灯った――


控えとなって、自身を立ててくれるのは嬉しい…

だからといって、彼がそれに甘んずる事は、本意ではない。


現在(いま)のままでは、今後の彼の成長を阻害するのでは無いか?


大局を見据えた上で、小さな王妃は仄かな懸念を灯した――




「……」


昼下がり、文官との調整に席を外していたラッセルが執務室に戻ると、小さな王妃は瞼を閉じて、お気に入りの椅子に背中を預けて、柔らかに肩を落としたままの姿勢で静かな寝息を立てていた――


「リア様?」


確認の声を薄い顔立ちから囁くも、反応は無かった。


「……」


復帰の初日である。

ベッドの上で、身体の疲れを感じては眠っていた生活を一週間。

そんな彼女が昼前だというのに目を覚まし、以前と変わらぬ姿を見せていた…


5時間で限界を迎えても、当然であろう。


「……」


愛しき女性の無防備な寝顔を、今はラッセルの瞳だけが映し出している――


薄氷の左肩へと僅かに首を傾げて、赤みの入った色艶の戻った前髪が、閉じた瞼を霞ませる。

透き通った白い小顔に、気持ち膨らんだ薄紅色の唇が、浅い呼吸を伴って、微かな動きを覗かせる。


麻の衣服に包まれた華奢な身体(しんたい)は、どうしたって儚げで…


「……」


偶像のような彼女に手を伸ばすことは、果たして許される事なのだろうか――


ラッセルは胸の高鳴りを感じながら、一つの自問を浮かべるのだった――




「あ、寝てた…」


小一時間ほど経ってから、リアの口から存外な言葉が漏れ出した。


眠気を感じたら、ベッドへ直行。

常にそんな心構えを備えていただけに、本人ですら驚きの事象だったのだ。


「おはようございます」


リアの正面。壁沿いに備えた机に向かっていたラッセルが寝起きの王妃に気付くと、柔らかな声を発した。


「珍しいですね」

「あ、うん…ごめんね」

「いいえ」


寝顔を拝見できました。そんな心の声は、内側に…


「どうされますか? 体調が戻っていないようでしたら、お休みになりますか?」


羽根ペンをペン立てに戻したラッセルが、リアを気遣った。


「あ、ううん。大丈夫だから、続きをやりましょう」

「畏まりました。それでは、紅茶でもお淹れしますね」

「あ、ありがとう…」


不覚にも眠ってしまった原因は、昨夜の激しかった秘めごとのせいだ…


立ち上がったラッセルの視線に恥じらいを灯した王妃は、テーブルに置かれた資料へと手を伸ばすと、緩んだ頬を隠すように口元へと当てがうのだった――



「慰霊式の件だけど…」

「はい」


テーブルに置かれた白い丸椀に淹れたての紅茶が注がれると、リアは努めて真顔に戻って、ラッセルへと語りかけた。


慰霊式(これ)はあなたの発案だから、思うところもあるでしょうし、任すわね」

「はい。お任せください」

「他に何か、頼みたいことがあるのなら、言ってね」

「そうですね…」


王妃の発言に、薄い顔の尚書は暫くの時間を稼いだ。


「ロイズ様は勿論として、リア様は、参列なさいますか?」

「……」


予想外の伺いに、彼女の思考回路は一瞬だけ止まった。


「王妃が参列しないのは、マズイかしらね…」

「それは、どうでしょうか…」


ラッセルが、浮かんだままの言葉を返した。


「分かってるとは思うけど、目立ちたくはないのよ…それでも式は見届けたいし…女中の格好でもして、アンジェさんと並ぶことにしようかな?」

「はあ…」

「何?」


気の抜けたような声がやってきて、小さくリアが訊き返す。


「いえ、それで…王妃様としては、欠席という事ですか?」

「薄情なんて噂が、流れちゃうかな…」

「それは、どうでしょうか…」

「何? なにかあるの?」


細い瞳が含みのありそうな声を発すると、リアが続きを促した。


「恐らくですけど…トゥーラの殆どの人たちは、ロイズ様が独り身だと思っているんじゃないかと…」

「はい?」


鈍重になったラッセルの発言を、王妃は驚きの一声で受け止めた。


「どういうこと?」

「いえ、私も初めて聞いた時は戸惑ったのですが…」


ラッセルは負傷療養中の大広間で耳にした、とある女中たちの会話を伝える事にした。


「グレン将軍とライエルが、見舞いに来てくれたんですよ」

「そうみたいね。マルマから聞いたわ。相変わらず、ライエルは人気みたいね」

「まあ、そうなんですけどね…」


悔しいというというよりは、呆れた口調になってラッセルが認めた。

目鼻の整った少年のような顔立ちに、鍛え上げた鋼のような胸板。姿勢は正しく、言葉遣いは柔らかい。女性の理想を絵に描いたような好青年である――


「それで?」

「次の日に、女中の一人が話していたんですよ。『ライエルさんに会ったって家族に話したら、妹には羨ましいって言われて、お母さんには嫁にしてもらいなさいって言われた』 なんて…」

「まあ、冗談にしても、ライエルだって年頃だし、そんな話は当然あるわよ。あの子の隣に相応しい人になる為に、彼女たちの気心が高くなるのは、悪い話じゃないと思う」


言いながら、リアは白い丸椀へと両手を伸ばして支えると、スッと口元へと持ち上げた。


「そのあと母親から『王妃様になってもいいのよ』  って言われたみたいで…」

「ぶはっ!」

「わわわ。書類が…」


思わず紅茶を吹き出した王妃の始末に、ラッセルが膝を落として書類を拾う。


「げほっ… ごめんなさい…」

「いえいえ」


むせかえるリアの詫び。ラッセルは細目の目尻を下げていた。

こうした二人のやりとりこそが、彼にとってはかけがえのない愉しい時間であるのだ――


「恐らくですが…」


整えた書類をテーブルへと戻し、リアが落ち着くのを待ってから、ラッセルが静かに見解を伝えた。


「マルマは当然として、城の女中は王妃様が好き勝手に外出なさるので、事件でも起こったら大変だからと、口外していないのですよ」

「……」


そうなの? といった表情で、リアの上目遣いがラッセルへと向けられる。


「いくら治安が良いと言っても、あなた様は他とは違うのです。監視は当然付けていますが、不測の事態に備えられる訳ではありません」

「そんな…」

「何か?」

「ひ…」


大袈裟な…といった口答えを起こしたところで、ラッセルの細目が鋭利な視線となって、リアを上から威圧した。


文句があるのか? こっちの立場も考えろ――


声には出さなくとも、そういう事である。


「ごめんなさい…」


しゅんとなったお転婆王妃は、口先だけの謝罪を小さく発した――

お読みいただきありがとうございました。

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