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小さな国だった物語~  作者: よち


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106/218

【106.幕開け】

右手を差し出した伴侶に未来を問われた小さな王妃は、しばらくの時間を置いてから、右手の指先をおもむろに伸ばした。


「あ…」


指先が触れた刹那、ロイズが細くなったリアの手首を捕まえると、力任せに引っ張り上げた。


小さな足裏がぽんと石床に乗っかって、リアの身体がそのまま前のめりとなる。


「おかえり」


ロイズの愛しい胸板に飛び込む形となったところで、逞しくなった彼の両腕が、リアの身体を優しく包み込んだ。


「……」


ロイズの両の手のひらが、細腰と背中を捉えている。


離しはしないという強い信念が、愛情となって彼女の身体に注がれていった――


「うん…」


瞼を閉じて、未来を想った王妃は抱き締められるままに身体を任せた。


前向きな言の葉で、リアの心は(すぼ)んでいた胸の内でやわらかに羽を広げると、ようやく乾いた唇を通り抜け、外界へと羽ばたいていくのだった――


「一人で、立てるか?」


幼児に接するような愛情で、ロイズが尋ねる。


抱き締められた腕がふっと緩んだ事により、踵が浮いていたリアの足裏は、約十日ぶりに寝室の固い石床を踏みしめた。


「たぶん…」

「身体、清めに行く?」

「うん」


倒れてからというもの、ベッドの上で着替えと同時に清拭は行っていたが、入浴をする事は無かった。


動かなかった心身の錆を落とすには、願ってもない提案である――


「大丈夫?」


リアの背中を右手で支えたままのロイズが、気遣うように声を発した。

足腰が弱っているのは明らかで、彼女の小さな身体すら支えるのは困難かと思われた。


「うん…思ったよりは、歩けそうかな」


しずしずと、よろめいた時の為に両肩の辺りをロイズに備えてもらいながら、寝室から居住区の方へと足を運んだ。


自らで立っているという現実に、リアの心は随分と和らいだ。


「お嬢様、お手を」


居住区を抜けて螺旋階段の手前まで進むと、ロイズがスッと一歩を踏み出して階段を一段だけ下りると、振り向きざまに右手をそっと差し出して、瞳を伏せて畏まった姿勢となった。


「…はい」


頬が赤くなる。それでもリアは素直に従って、左手をそろりと預けた。


「……」


右手を壁に任せて、左手をロイズに支えてもらいながら、螺旋階段を一段一段と降りていく。

階段を踏みしめる度に膝が折れそうになる感覚が走るも、2階へと足を置いた頃には、右手を離せるまでになっていた。


「マルマを呼んでくるよ」


リアとロイズが使う浴室は、城の2階に設けられている。

地階まで下りる事も無かろうと、ロイズはリアに一言を告げて、支えていた小さな左手を外した。


「うん。待ってるね」


小さな王妃は少しの寂しさを覚えるも、螺旋階段を軽快に下りていく伴侶の後ろ姿を、憂いの瞳で見送るのだった――


「リア様!」


やがて階下からマルマの声がして、螺旋階段を駆け上がってくる足音が聞こえると、笑顔の溢れた丸っこい顔が現れた。


「ひっ」


勢いのまま抱きつかれたら、転倒必至。警戒した王妃だったが、マルマの足は2階に乗った所で立ち止まり、スッと伸びた両手が胸元にあったリアの小さな手指を挟むと、ふくよかな胸の前に引き寄せた――


「…良かった」

「……」


呟かれたひと声に、リアの胸中は陰った。


気苦労をかけ続けたという負い目を抱えては、彼女の安堵は眩しすぎたのだ――



「着替えは、こちらに。お湯加減は、ぬるく張ってあります。ごゆっくりお入りください」

「うん…」


入浴の準備を整えて、リアを浴室へと招いたマルマは、丁寧に一つ一つを説明していった。

自らの足で立っている王妃様を前にして、仕える事ができる喜びを、側仕えの彼女はしみじみと噛み締めた――


「近くにおりますので、何かあったら、お呼びください」

「え? 勝手に出るからいいわよ」

「ダメです。久しぶりのお風呂でのぼせたら、堪ったもんじゃありません!」

「……」


過保護すぎる…

心に灯すも、自身の汚点が原因で、反論できる材料は乏しかった――



およそ二時間。

夏のぬるま湯を勧められた王妃は、お湯を途中で入れ替えるほどに温浴を愉しんだ。


じわっと吹き出る水分を補うように木筒から水を補給して、浴槽のへりに乏しい胸を預けたり、半身浴に切り替えたり…


生まれ変わったような皮膚の感覚を身体の随所で認識しながら、リアは自身の失態を流すべく冷熱の感覚を呼び覚ました――



「あがられますか?」


身体中に水分を摂り込んで、すっかりとふやけた小さな白い肢体が浴槽から上がると、気配を察したマルマの声が扉の向こうからやってきた。


「…うん」


悪気があるのか無いのか…

様子を窺うのを口実に、幾度か扉がそろりと開いては、マルマの瞳がこちらを覗いた。

その度に視線を合わせては、サッと彼女の頭が引っ込んだ。


そんなやりとりも可笑しくて、リアの心は随分と軽いものになっていた。


「お体、お拭きしましょうか?」

「大丈夫。そのくらい自分でやるから」

「そうですか…」


(しお)れた声がやってきて、心が揺れる。

ベッドの上では全てを任せていた筈なのに、恥じらう気持ちは何故なのか…


普段通りの胸中に、戻っていると自覚した――



「大丈夫ですか?」


螺旋階段を、地階へと下りてゆく。

足取りがゆっくりな華奢な背中を眺めながら、マルマが心配そうな声を発した。


「階段って、人生と同じね…」

「は?」


眼下の赤い髪。ひょんな言葉がやってきて、マルマが思わず聞き返した。


「上るよりも、(くだ)る方がキツイと思う」

「……」


自虐を含んだ発言は、未来を覗くゆえのこと。


「まだまだ、幕が下りる事はありませんよ!」


そんな事には、させません。

明るいマルマの決意がリアの鼓膜に飛び込んだ――



女中の集まる食堂をリアが覗くと、一様に華やかな笑顔が広がった。


アンジェの指示なのか、気を遣ってか、病身明けの王妃に近付こうとする者は皆無で、小さな王妃は注がれる安堵の視線の中で、両手を前にして、ペコリと頭を下げて感謝を示した。


誰かがパチッと両手を合わせると、すぐさまそれが伝播して、拍手となって部屋を温かなものにした――


「……」


胸の中が熱くなって、大きな瞳に涙が滲んでくるのを自覚する。


視線を戻すことが出来なくなって、小さな王妃は赤みの入った髪を垂らしたままの姿勢で固まった。


「リア様。これは、私達の感謝です」


リアの左側。一歩を進んだマルマが高い声になって口を開いた。


「王妃様が、私達を守って下さったこと、みんな知っているんです!」


視界には、涙ぐんでいる女中の姿も窺える。

更に一歩を進み出て、頭を下げたままの王妃に向き直ると、マルマは伏し目になって小さく頭を下げて、仲間の想いを代弁してみせた。


「本当に、ありがとうございました!」


拍手は一段と大きくなり、祝福だけが部屋を満たした――



「さて、やるか」


居住区に戻った小さな王妃は、久しぶりにいつもの席に腰を下ろすと、両手を首の後ろに回して、んっと背筋を伸ばした。


目の前の小さなテーブルには、ロイズが記した戦闘の記録や報告書。加えてラッセルと合議した今後に向けての課題や提案、予定表の類が置かれていた。


日付の若い順に並べられ、傍らにはインクとペン。幾つかの紙片が置いてある。

特に指示したものではなかったが、リアの入浴中に、ラッセルが臨時の執務室から運んだのだ。


居住区の、総ての窓が解放されている――

新鮮な空気が充満する中で、リアの頭脳は自覚できるほどに活性していくのだった――



白い太陽がオレンジ色を帯びる頃、ロイズが居住区に姿を現した。


螺旋階段を上って、いつもの席にリアの姿を認めるも、頭頂部が覗いて発声を控えたのだ。


「おかえり」


それでも気配を察したリアから声が上がった。


「どう?」

「うん。ごめんね…もう大丈夫」


体を起こすと、リアは肩の力を抜いて、目尻が下がって安堵を口にした。


「食事は摂った?」

「うん」


痩せ細ったように映るのは、気のせいではない。

既にベッドの上で、確認済みの事である。


ロイズが気遣うと、リアは普段通りを意識した――



日も暮れて、ロイズが浴室から足を戻すと、小さな身体は寝室へと移動していた。


ベッドの上で胡坐をかいて、ロイズが記した紙片と真剣な眼差しで向き合っている。


「質問あったら、言ってね」

「うん…でも、問題ないかな」


ロイズの穏やかな声質に、感謝を含んでリアが答えた。


「この分なら、任せても大丈夫そうね…」

「え? それはちょっと…」


続いた称賛に対しては、ロイズが思わず抗った。


「ダメなの?」

「だって、リア以上にはできないよ」

「……」


本心からの言葉らしい。

そんなものを感じ取って、彼女は言葉に詰まった。


おだてられた悦びは自覚して、一方で重荷が圧し掛かる…


「意外と、残忍なのね…」


頬を緩めるロイズに向かって、恨めしそうにリアが呟いた。


「だって、僕一人じゃ倒れちゃうからね。そうなったら、リアが泣くでしょ?」


ベッドのへりに腰掛けて、ロイズは大きくなった瞳に投げ掛けた。


「そうね…」


自惚れた発言は、事実だろうなと受け止めた…


「主役が寝てる間に、舞台を造り直しておいたってところだね」


言いながら、腰を上げたロイズは棚に置いてある木筒に手を伸ばした。


「……」


逞しくなった伴侶の背中。小さな王妃は黙ったままである。


「ここからは、リアの出番だよ!」


ロイズはくるっと振り向くと、主役の登場を待ち望む観客のように期待して、リアに出演を促した――

お読みいただきありがとうございました。

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