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小さな国だった物語~  作者: よち


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101/218

【101.あの日⑦】

薄暗い地下室で、折り畳んだ三枚の麻布を臀部の下に敷いた二人は、息を潜めて固まって、鼓膜だけを頼りに外の様子を窺っていた――


「用意できたか?」


幾頭もの馬がぶるぶると鼻息を鳴らす中、出発を告げる男の声が二人に届いた。


「ネロたちが行っても、僕たちは残るよ…」

「うん…」


軽率な判断は、命を落とす。

少年の意向を年下の少女は素直に受け入れた。


「そろそろ、出るぞ」

「うぃす」

「へい」


前夜の酒が抜け切っていないらしい。

隊を率いる男への返答は、覇気に乏しいものだった。


「隊長、馬車に乗ったら吐きそうなんで、あっしらは、最後に見回ってから戻りたいんですが…」

「なに? お前らか…仕方ないな。後で報告に来いよ」

「勿論です。隊長」


含みのある会話が聞こえてしばらくすると、馬の蹄が重たそうに土を踏み、荷車の車輪がガラガラッと滑り始める音がした。


「さて、寝るか…」

「寝るの?」

「さすがに動けねえよ。昼過ぎに出ればいいだろ。おやすみ」

「…じゃあ、適当に起こすわ」

「頼む」


呑気な二人の会話が聞こえると、一人の足音がリアとロイズの頭上付近にやってきて、やがて消え去った。


「……」


恐らくは、小さな身体が毎晩眠りに就いていたベッドに転がったのだ。


両親に挟まれて過ごした肌のぬくもりが、思い出となる情景たちが一方的に穢されて、膝を抱えた少女は悔し涙を浮かべるのだった――



「おい」


灰白色の壁の向こう。上方から、突然男の声が響いた。


「あ、はい…」

「できたか?」

「はい」

「よし。そいつを一つずつ、音を立てないように、俺に渡せ」


抑えた声で、指示が飛ぶ。

ネロの母親が、相手に合わせるように低い声となって応じると、やがて刀剣の擦れるカチャっとした音色(おんしょく)が、リアとロイズの上方を、何度か移動をしていった。


「助かったよ。水とパンくらいしかねえが、食べな」

「あ、ありがとうございます」


明るさの灯った女性の声が、侵略者に対して感謝を告げた。


「もう少しだから、大人しくしていようね」

「うん…」


母子のそんな会話が為されると、壁の向こうは静かになった――



「おい。そろそろ起きろ」


それから、数時間は経っただろうか。

石床の冷気は変わらずも、ぼんやりとした暖気が午後を告げる中、二人の頭上から男の声が届いた。


「うん?」

「もう、残ってるのは俺たちだけだ。そろそろ行くぞ」

「おう…」

「その前に、ちょっと手伝えよ」


増えた足音が移動して、再びの金属音がやってきた。

母子が拵えた、束ねた刀剣を外に繋いである馬の背中へと運ぶらしい。


「これで、全部か?」

「ああ」

「じゃあ、行くか?」

「いや、ちょっと待っててくれ」


そんな会話が届いた後で、やがて男の声が壁の向こう側へと移動した。


「おい、出れるぞ」

「あ、はい…」


まさか案内されるとは思っていなかったのだろう。

疲労の中にも明るさの宿った女性の声が聞こえると、軍靴の音が三つほど下がった。


「いや、待て。先ずはガキだけだ」

「え…」


男の吐いた一声に、戸惑ったネロの声が確かに聞こえた。


「でも…」

「話があるんだよ」

「……」

「行きなさい…」


母親が促して、躊躇う少年の足音が地階へと上っていった――


「お、おい! ガキが出てきたぞ!?」

「好きにしろ!」


当惑した男の声が頭上で響くと、それに対する大声が、灰白色の壁の向こうから発せられた。


「好きにしろって…どうすんだよ…」


煩わしそうな声色が、やがてネロの足音をかき消した――


「物分かりが良くて、助かるぜ」


壁の向こうから、毒気を含んだ声がやってくる。


「助けてやりてえが…期待はするなよ」

「え…」

「お前らだけ、ここまで生かしてやってんだ。その分だけでも、愉しませてくれよ」

「あ…せめて、あの子だけでも…」

「約束は、できねえな」


続いた鈍い音色(おんしょく)は、二人が床に倒れ込むような音だった。


「いや…助けて…」

「お前次第だよ」


二本の腕と一つの頭、(かかと)が抵抗する雑音が、低い位置から生まれ出る。


リアは咄嗟に両耳を塞いで、怯えたように立ち上がり、一番遠くへと急いだ。


ロイズは動きに反応できず、彼女の姿を唖然とした表情で見送るしかなかった――


「ごめんなさい…」


両耳は塞いだままで、小さな身体が壁に頭部を接して(うずくま)る。

聞こえてきたのは、消え入るような慙悔の声であった――


「……」


少年は無言で立ち上がり、リアの方へと足を進めた。


「ごめんなさい…ごめんなさい…」


ロイズは身体に巻いていた麻布を剥がすと、背中を丸めるリアの首筋から頭を隠すように被せた。

それでも声が漏れ出るのを認めると、二人が臀部に敷いていた麻布までをも持ってきて、更に上から重ねた――


「いや…痛い…」

「我慢しろ」

「これで…助けてくれる?」

「ああ。殺しはしねえよ」


壁の向こうでは、不気味な擦れるような音色と、男と女の息遣い。時折短い呻き声が響いてくる。


「……」


ロイズもまた、リアに倣って両耳を塞ぐと、膝を屈して壁に背中を押し当てて、次に両膝を抱えて蹲るのだった――



少女の涙は、枯れ果てた。

それでも尚、幾重にも重なった麻布は細かい震えを起こして、くぐもった低い声色が漏れていた。


「……」


耳を塞いでは、リアの声まで消えてしまう。

ロイズは右手の指先を伸ばすと、背中を覆った麻布へと触れてみた。

続いて反応が無いのを確認すると、無言のままで手のひら全部を当ててみた。


「うあ…お願い…助けてね…」

「ああ…」


灰白色の壁の向こうでは、引き続き無力な悲嘆の声が漏れている。

救いを求める女性の声は、二人の願いと等しくて、ロイズの胸中は猛烈に騒いだ――


少年には何がなされているのか分からなかったが、それが本能でおぞましいものである事は自覚した――


恐らくは、隣で震える少女も…


「ご…なさい」


リアの後悔は、ますます深いところに沈んでいく――


危険を察していたにも関わらず、伝える事をしなかった…


実際に踏み出す一歩は重くとも、行為だけなら声帯を震わすだけである――


だからこそ、罪の意識は深いものとなった…



「お前も、行って来いよ」

「お前の後じゃ、気乗りしねえな…」


コトの済んだ男の足音が地階へ戻ると、屋外から会話がやってきて、次なる足音が灰白色の壁の向こう側へと移った。


「ひ…」


やがて、女性の引き攣った声色が、低い位置から届いた。


「安心しろ、楽にしてやる」

「あが…」


金属の高い音が微かに鳴った。短い女性の呻き声。何かが床に崩れる重たい音色(おんしょく)が、一回だけ響いた――


「……」


ロイズの感覚も、既に麻痺をしている。


恐らくは、隣で震えるリアの背中には、今の気配は届いていない…


幾らかの安堵を、彼は沈んだ空気の中で、冷静になって灯すのだった――


「なんだ、早かったな」

「もっと、若けりゃあな」

「……」

「昨日の夜に、四人ヤッたしな。お前の後だし、あんなので俺のを汚すこともねえや」

「四人? そういやお前、夜には居なかったな。眠いのは、そのせいかよ」

「まあな。三日後には片付けが来るからな。女は縛って飯だけ置いて、隠しとくんだよ」

「そんなの、逃げるんじゃないのか?」

「歳いってると、どうなるか解ってるからな。逃げるなって言っても、逃げようとするんだ」

「……」

「そんで、見つかって殺されるんだ。アホだぜ。そういや、もう一人いるぜ? やってくか?」

「歳は?」

「11くらいかな」

「ちょっと、若いな」

「そうか? 女にしてやるのがいいんじゃねえか。俺は夜に、もう一回来るぜ」

「…そういや、子供はどうした?」

「殺したに決まってんだろ。どうすんだよ」

「まあ、そりゃそうか…」

「優しいなあ、お前は。あの女は、知らずに死んだだけ、マシだな」

「……」


二人の会話が遠くなると、やがて馬の蹄の足音が、ゆっくりと離れていった――



「……」


久しぶりの、静寂が訪れた。


リアの懺悔は声が掠れるほどに続いていたが、やがて背中の震えも収まった…


心を置き去りにしたまま復調しようとする自身の身体。

彼女の心は深い自己嫌悪に陥った――


「行ったみたいだよ」

「……」


小さな背中に手を触れて、ロイズが優しく声をかけてみる。

ゆっくりと頭が上がって、ダンゴムシのように丸まった背筋を伸ばすと、リアはそのままごろんと床に転がった。


「水…飲む?」

「……」


ロイズの問いかけに、答えは返ってこなかった。


憔悴しきった表情で、琥珀色の瞳だけは空しく天井を見上げている…


乾いた地面で足を閉じる、軽くなったセミの屍のようであった――


「どうしようか…」

「……」


返ってこないと理解しながらも、それでも少年は自身の平静を保つ為に小さな声を発した――



二人きりの夜が過ぎ去って、地下室での三度目の朝を迎えた。


部屋の隅。リアは無言のままで、相変わらず膝を抱えて蹲っていた。

足元には木筒が置いてあったが、乾いているであろう唇に、水分を充てている様子は窺えなかった――


「……」


誰も いなくなった…


昨夜はたった一度だけ、遠くから男の恫喝するような声が耳へと届いた――


咄嗟に少年は、両方の鼓膜を塞いだ――



「……」


風に揺らぐ草木の音と、時折り鳥獣から生まれる不気味な音色が鼓膜に触れる。

きっと野犬の類が血肉の匂いに誘われて、物色しているのだと思考した――


感覚が、鋭くなっている――


迎えが来ると確かに告げられた状況下。

その者を待つと同時に、警戒を怠るわけにもいかない…


徒歩でやってくるのか。馬に乗ってくるのか。


そもそも、本当に迎えは来るのか…


発芽した不安の種が育つ中、外から届く違和感だけは決して逃すまいと、少年は神経を尖らせた――


同時に、地下室にいつまでも留まる訳にはいかないと、呆けたままの少女を眺めながら、ロイズは二人だけでの逃避行を心に宿すのだった――

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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