29 防犯モード
停車中のバイシクルメイドに、じりじりと近づいていく、動く茂み。
指呼の距離まで近づいたかと思うと、モモンガのように飛び上がり、襲いかかる。
葉っぱが散ると、賢者科のアカデミックスーツを着用した何者かが現れた。
しかし葉っぱのマスクだけは残っており、顔はいまだに覆い隠されている。
「ニョロォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
しかしその独特の雄叫びのせいで、正体はすぐにわかった。
「あっ!? スネイル!?」
キャンペーンコードに夢中になっていたせいで、ボウイは不審者が近づいているのを察知できなかった。
そして、気付いたときにはもう手遅れ。
葉っぱのオバケのような少年は、すでにシートに跨がっており、にょろにょろと笑っていた。
「ニョロロロロ! こんなすごい魔導装置、すみっこにはもったいない! ボックンみたいな優秀なゴーレムマスターが乗りこなしてこそ、幸せになれるんだ……! 『センチピード・ゴーレム』みたいなゴミなんかより、ずっとすごいコレを持ち帰れば、パパも大喜びしてくれるはず!」
「待てっ!」とボウイが静止するのも聞かず、スネイル少年はアクセルを捻る。
しかし、ウンともスンともいわない。
「あれっ? すみっこのやつ、加速するときにハンドルのこの部分を握ってたから、これで動くはずなのに?」
首をかしげるスネイルに向かって、例の鈴音が静かに鳴る。
「あの、申し訳ございません、スネーク・イール様。ラスト・マギアはすべて生体認証により管理されておりますので、生体情報が適合しない場合、ご利用になれません」
その案内は、いつものように事務的であった。
そして、いつもどおり慇懃であるはずの声だったのだが……。
遠くからそれを聞いていたボウイは、不思議と違和感のようなものを感じていた。
――コエが、怒っている……?
なんとなくそう感じたのだ。
「わたくしのシートは、わたくしの旦那様であります、ボウイ・ネイション様の専用となっております。誠に申し訳ありませんが、他の方々はどなたもお乗せすることはできません。たとえご友人であっても、ご家族であっても、そして、どんなに偉い王様であってもです。ですので、ただちにお降りになっていただけませんでしょうか」
コエの声は至って丁寧だったのだが……やはりどこか、不快感のようなものを感じさせた。
ただそれは、本当にわずかな差でしかなかったので、ボウイも錯覚かと思っていた。
持ち主である少年ですらそうなのだから、持ち主でない少年が気付くはずもない。
「ニョロッ!? うるさいっ! 魔導装置のクセして、人間に意見するつもりかっ!? いいから黙って走れっ! 言うことを聞かないとこうだぞっ!」
……ガンッ!
まるで駄馬を扱うように、スネイルはカカトで車体を蹴り上げる。
「ニョロロロロ! こんなのはまだ序の口だっ! 家に帰ったら他のゴーレムと同じように、たっぷり躾けなおしてやるから覚悟しろっ! さぁ、これ以上痛い目に遭いたくなかったら、ボックンの言うとおりにするんだっ!」
すると、
「かしこまりました」
と短い一言で、コエはあっさりと発進してしまった。
「こ……コエッ!?」と驚くボウイに向かって、スネイルはにょろにょろと高笑い。
「ニョロロロロ! ボックンほどのゴーレムマスターともなると、どんなゴーレムも魔導装置も、簡単に言いなりにできるんだよねぇ! 人間じゃなくてもわかるのさ、落ちこぼれのすみっこよりも、優秀なボックンに服従するほうがいいって! じゃあ、これで取引成立ってことで! じゃあねぇ~っ! ニョロロロロロローーーーーーンッ!!」
一方的に宣言しながら、つまみだした紙幣をひらりと地面に落とすスネイル。
その手をバイバイと振って上機嫌で走り出した。
しかしそれも束の間、小石を乗り上げた僅かな振動で、
「ぎゃいんっ!?」
と尻尾を踏まれた猫のような悲鳴をあげていた。
ボウイは何事かと思い、目を凝らしてよく見て見たら……。
なんとシートが、三角形に……!?
そしてマシュマロのように柔らかかったはずなのに、木馬のようにカッチカチに……!?
淡々とした、しかし青筋を浮かべているようなアナウンスがおこる。
「盗難を察知いたしましたので、防犯モードを起動いたします」
そして言うが早いが、鬼嫁に角が生えるかのような勢いで盛り上がっていく、三角シート……!
さらに怒りを加速させるようにスピードアップし、悪路めがけて突っ込んでいく……!
スネイルの身体が、バイクの上でガクンガクンと揺れる。
サスペンションもまるで効いておらず、ボウイが乗っていた頃とは雲泥の差といえる激震であった。
当然のように、乗り手は股間を何度も強打し、
「ギャアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーッ!? 痛いよぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
裏返った悲鳴をこだまのように、山々に轟かせる……!
「やめてとめてやめてとめてやめてとめてっ! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
しかしノン・ストップ……!
ブレーキの壊れた特急列車のように、無軌道な若者のように、ひたすら暴走は続く。
とうとう、山の頂上から飛び出し、大ジャンプ……!
……バウンッ!!
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?!?」
ようやく岩山を降りたボウイは、尾を引くような絶叫を追いかけ、消えていったバイクを探す。
すると、凄惨すぎる光景がそこにはあった。
さながら火車に乗せられた亡者が、地獄の火の山を転げ落ちていっているような……!
「いだいいだいいだい! いだいよぉぉおっ! わあああーーーん! 助けて! 助けてぇぇぇぇぇーーーーーーーっ!!!」
葉っぱもすっかり剥げ落ちるほどに、わぁわぁと泣きわめくスネイル。
彼は今にも落車しそうだったので、ボウイはハラハラした。
しかしよくよく見てみると、ハンドルにかけられたスネイルの手首、そしてステップにかられた足首は、どちら手錠のようなものでしっかりと拘束されている。
ようは振り落とされるどころか、離れたくても離れられないという、ヘル・モード……!
しかも麓まで降りると、賢者科のクラスメイトたちに晒し者にするかのように、まわりをグルグルと回りはじめた。
「うわあああん! 誰か助けてぇ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーんっ!!」
ひたすらまわりを周回するバイクに、少年少女たちはテニスの試合を観戦しているようにせわしなく首を動かす。
「な、なんだ、どうしたんだ!?」
「さっき、すみっこ君が乗ってた魔導装置を、なんでスネイル君が乗ってるの!?」
「わかったぞ! スネイルのやつ、いつの間にかいなくなったと思ってたけど……魔導装置を盗みに行ったんだ!」
「そういえばスネイルのやつ、あの魔導装置はボックンにこそ相応しい、とか言ってたな!」
「こうなったのも全部すみっこのせいだ、とも喚いてたぞ!」
「ひっどーい! 元はといえばスネイル君が、すみっこ君に意地を張ったからこうなったのに!」
「うわぁ、なんか痛そぉ~!」
「でも、いい気味だぜ! いくら羨ましいからって、人のものを盗もうとしたバツだ!」
「うわあああん! うわあああんっ! パパっ! ママぁ! うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!」
泣き叫ぶスネイルを気の毒がるどころか、侮蔑し、嘲笑するクラスメイト。
その様子を頂上で眺めていたボウイは、
――コエも、怒ることがあるんだなぁ……。
と思っていた。
しかし少年は、その考えを早々に改めざるを得なくなる。
なぜならば……。
コエの『防犯モード』には、まだ最後の仕上げが残っていたからだ……!




