19 ゴブリン船襲来
後れ毛がふわりと鼻に触れ、ふんわりとした石鹸の香りが、鼻腔をくすぐる。
それだけでもう夢見心地の少年は、他人事のように思う。
――女の子って、どうして通り過ぎていくだけで、みんなみんな、いい匂いがするんだろう……?
まだ小さなナデナちゃんや、キャルル……それどころか、コエまで……。
そして、タンポポさんも……。
通り過ぎるどころか、いま腕の中にいるというのに、まだ実感がわかない。
そしていよいよ彼のなかで、真実味を帯び始めていることがあった。
――これ、夢だよね……?
いくらなんでもおかしいもん。
いままでマトモに名前も呼んでもらえず、ラスト間際だの、すみっこボーイだのと、からかわれて……。
女の子と手を繋ぐどころか、目線もロクにあわせてもらえなかった、この僕が……。
ラスト・マギアを手に入れたとたん、こんなにモテモテになるだなんて……。
絶対、おかしいよ……。
そういえば父さん、言ってたなぁ……。
少年は亡き父が、よく言っていた言葉を、頭の中で繰り返しかけたが、
……ピーッ! ピーッ! ピーッ!
アラームのようなけたたましい音が鳴り響き、反芻を中断させられてしまった。
ボウイの視界には、
『飛翔体警報』
という文字と、緊急度の高さを示す赤い枠が、川上に向かって収縮していた。
……ハッ!?
と振り向いた先には、運河を流れてくる船影が。
まだ距離は遠いが、ボートみたいな小舟ではなく、巡行船くらいの大きさがある。
船首には備え付けの大弓があって、緑色の肌をした子鬼のモンスター、ゴブリンの姿が……!
飛翔体警報は、今まさにゴブリンが撃たんとしている大弓を示していた。
頭の中に、聞き覚えのある鈴音が鳴った。
『旦那様、飛翔体警報です。ゴブリンが大弓で、旦那様を狙っております。ゴブリンは現在照準中で、発射予想は3秒後……。弾道計算にて適切な回避ルートがHUDに表示されておりますので、そちらの方向に移動してください』
「こ……コエっ!?」
テレパシーのようなコエに、川岸をみやると、メイドがハラハラした様子で立っていた。
しかしそれどころではない、
……ピピピピピピピピ!
警報の間隔がいよいよ狭くなってきたからだ。
ボウイは足元に向かって、赤い矢印が伸びているのを確認すると、
「ふ……ふせてっ!」
タンポポを押し倒すようにして、中州に這いつくばった。
「キャッ!?」という悲鳴のあと、
……バシュウンッ……!
発射音と風切音が、ふたりの頭上を通り過ぎていった。
それでようやく、川岸にいたクラスメイトたちも気付く。
「あっ!? 見ろっ! 船がこっちに来てるぞっ!?」
「ゴブリン船だっ! しかも小型じゃなくて、中型のっ!」
「まさかこんな低層階に、ゴブリン船が出るだなんてっ!?」
「でもなんで、あんな遠くにいるゴブリン船を、ラスト間際のヤツは気付いたんだ!?」
「そういえば、あんな距離からの狙撃なのに、気付いて避けてたぞ!?」
「バカな! 俺たちだってぜんぜん気付かなかったのに! 偶然転んだだけだろっ!」
ざわめく少年少女たちを制したのは、やはりあの少年たちだった。
「うほっ! てめえら、今そんなことはどうだっていいだろうっ!」
「ライッ! ゴリラボーイの言う通りだっ! このままでは、タンポポレディが危ない! 弓と魔法が使える者は、あの船を一斉攻撃っ! ライラ・ライラ・ライッ!」
「で、でも、ライトニック君! こんなに離れてたんじゃ、弓と魔法をいくら撃っても届かないよ!?」
「うん! あっちは弩弓だから、リーチも威力もずっとある! ぜんぜん勝負にならないよ!」
「うっほぉーーーーっ! てめぇら、それでも冒険者かっ! 俺が2~3人まとめて担いで川に入って、あの船に近づいてやらぁ!」
「ライッ! ならばライたち軽戦士は丸太を伝って、あの船に直接乗り込むのさ! ライラ・ライラ・ライッ!」
「そ、そんな、無茶なぁーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
岸辺のやりとりを小耳に挟んでいたボウイは、援護は期待できそうにないな、と思っていた。
そして、そこまで思考を巡らせて、ふと驚く。
――こんな、絶体絶命のピンチのはずなのに……。
僕、すごく落ち着いてる……!?
『アーマード・ミノタウロス』に襲われた時、少年は思考停止してパニックになっていたというのに……。
今はこの絶望的な状況でも、活路を見出そうとしていたのだ。
――それもこれも、たぶん……ラスト・マギアのおかげ……!
ラスト・マギアがあれば、多分なんとかなるんじゃないかっていう、不思議な安心感があるからだ……!
いや、多分どころじゃない。
絶対なんとかなるっ……!
ボウイはブルルッと頭を振って気合いを入れなし、腰のベルトに挟んでいたハンドガンを取り出す。
――この火力があれば、あんな船くらい、あっという間に……!
しかし、肝心なものが足りないことに気付いた。
――しまった! コエがいない! コエがいなきゃ、反動で吹っ飛んで、川の中に落ちちゃうよ!
今までであればこの時点で、あきらめにも似た感情を抱いているはずだった。
しかし少年はすでに、次の思考へと切り替わっていた。
――反動はたしかに強いけど、それは立って撃った場合の話……!
いまは伏せてるから、この体勢のまま撃てば……!
すると、思考に呼応するかのように、視界に文字が現れた。
『ハンドガン射撃のモーションアシストがご試用になれます。「伏せ撃ち」のアシストを試してみますか?』
このわずかな間の経験で、確実な成長を遂げていた少年は、もう迷わない。
――お願い……!
僕を、助けて……!
『モーションアシストの試用を開始いたします。まず、近隣者1名の安全確保を行ないます』
その文字が表示されたと同時に、少年の腕が、導かれるように動く。
隣で縮こまっていた少女の身体を、力強く抱き寄せた。
「あっ……!? すみっこ様っ……!?」
タンポポは驚いたように顔をあげた。
しかし嫌がる様子はなく、されるがままになっている。
少年は力強い言葉で、彼女に向かって言った。
「これから僕が、ラスト・マギアを使ってあの船を沈めてみせる。大きな音がするから、僕の胸に顔を埋めて、絶対に離れないで」
そしてコレが、彼女にとってのドドメとなった。
「大丈夫、安心して。どんなことがあっても、キミだけは絶対に、守ってみせるから……!」
……ぽっ……!
と桜のつぼみがほころんだ瞬間だった。
それは次々と花開き、少女を満開へと変えていく……!
「ぽっ……! ぽっぽぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーんっ!!」
タンポポは少年の胸に、ふたたび飛び込む。
そして二度と離れませんとばかりに、ぎゅっとしがみついた。
「は、はい……! わたくしを一生、お守りくださいませ……! すみっこ様っ……!」




