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18 空を自由に飛びたいな

 残照のこる少年のブーツには、なにやら靴底に丸いものがあって、それがベルトで巻かれて固定されていた。



「これがあれば、空を飛べるの……!?」



 両方の靴でガムを踏んづけてしまった人のように、しきりに靴底を眺めるボウイ。



「はい、旦那様。そちらは靴に装着するタイプの、簡易飛行装置イージー・ジェット・パックでございます。最高5メートルほどの高度を、10分間維持できます。使い捨てとなりますが、軽くて扱いやすく、初めての空中散歩におすすめです」



 使い方を尋ねようとしたボウイの目の前に、チュートリアルのアニメーションが浮かび上がってくる。

 どうやらデヴァイスのセットアップが進み、連携して目の前に情報が現れるようになったようだ。


 読心術を働かせたかのように、コエが言い添える。



「デヴァイスはセットアップが進むことにより、脳波コントロールが可能となります。おそらく旦那様は、ジェットパックの使い方がお知りになりたいと思われたのですよね? その脳波に反応して、チュートリアルが開始されたのでございます」



「言葉に出さなくても、思うだけで伝わるだなんて……!」



 驚愕しきりのボウイ。

 しかし驚くのもそこそこにして、さっそくアニメーションに従ってジェットパックを起動させる。


 『空中浮遊(レビテート)』というのは高等魔法のひとつだ。

 いくらラスト・マギアとはいえ、かなりの手間が必要なはず……と覚悟を決めていたのだが、


 トリガーとなるのは、たったのひとつのこと(ワンアクション)……。


 そう……!

 それは……!



「空を自由に飛びたいなっ……!」



 脳波コントロールなので、本来は心の中で思うだけでよいのだが、少年は思わず口に出していた。

 コエは律儀に、そして健気に応じる。



「はいっ、旦那様。お空を、お飛びくださいませ。コエは、旦那様の勇姿を、片時も目を離さずに、拝見させていただきます」



 2年D組、そして勇者科と聖女科の少年少女たちは、みんな川のほうに注意を取られていたのだが、



 ……バシュッ!



 背後で破裂音がしたので、一斉に振り返った。


 すると、そこには……!



「えっ……!?」



 宙に浮かび上がる、少年がっ……!?



「えっ……!? えっえっ!?」



 まるで初めのアイススケートのような、ぺっぴり腰。

 生まれたばかりの子鹿のように脚をガクガクさせ、辛うじてバランスを取っている。



「えっえっ!? ええええっ!?」



 それが氷上であれば、爆笑モノの醜態なのであるが……。

 空中ともなれば、話は別っ……!



「えっ……えええええええええええええええええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」



 イリュージョンのような驚愕が、運河をさらに波打たせるほどに、轟いたっ……!



「なっ!? なになになにっ!? なにがどうなってるのっ!?」



「う……浮いてる! ラスト間際のヤツが、浮いてるっ!?」



「う、ウソだろっ!? 浮遊魔法だなんて!?」



「特待科の私たちどころか、先生にだって難しい、高等魔法なのに!?」



「そ……それも、数センチとかじゃないよっ!? あ、あんなに高くっ……!?」



 これには、友情ゴッコをしていたゴリタンとライトニックも飛び起きる。



「うっ!? うっほぉっ!? うほうほっ!? うっほぉぉぉぉぉぉーーーーーっ!?!?」



「ラッ!? ライラ・ライラ・ライッ!? ライララ・ライラララ・ライラララッ!?!?」



 世紀の瞬間のなかで落ち着いていたのは、ただひとりであった。

 いや、彼女も決して平穏でもなかったかもしれない。



「その調子でございます、旦那様。最初は落ちることもありますが、怖れてはなりません。たとえ旦那様が墜落されても、必ずこのわたしが受け止めさせていただきます」



 過保護な親のように、両手を広げて少年の後を追っていた。


 ボウイは最初はバランスを取るだけで精一杯。

 初めてラジコンヘリを操縦した子供のように、まっすぐ進むだけの技術もない。


 しかししばらく空中でもがいて、少しずつコツを掴んでいく。

 霞網(かすみあみ)に絡まった鳥のようであった少年が、やがて、解き放たれるように……。


 空にはばたくように、ゆっくりと……。

 前進開始っ……!



 ……ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオ……!



 ジェットパックからバーナーのような音を降らせながら、少年はクラスメイトたちに向かっていく。

 墜落されてはたまらないと、人垣が割れる。


 そして彼らはようやく、少年の意図を理解した。



「も……もしかして……!? ラスト間際のヤツ、あの浮遊魔法でタンポポさんを助けるつもりなのか!?」



「そ……そうか! 空から行けば、川がいくら激流でも関係ねぇ!」



「す……すごい! 空を飛んで、聖女を助けに行くなんて……!」



「く……! まるで教科書に出てくる伝説の魔法使いみたいじゃないか!」



 浮遊魔法の難しさを知っていたギャルグループは、アイシャドウに彩られた瞳を誰よりも見開いていた。



「う……うそだしっ! こんなの夢に決まってるしっ!? なんであーしらがゼンゼン無理な魔法を、あの落ちこぼれが使えるんだしっ!? ぜってーありえねーしっ!?」



 キャルルは地団駄を踏んで悔しがっていた。


 そうこうしているうちに、少年は運河にさしかかる。


 コエは、都会に旅立っていく息子を見送る母親のような、不安でたまらない表情をしていたが、すぐに人垣を抜けて川下へと向かった

 もしボウイが運河に墜落した場合、真っ先に飛び込んで助けるつもりなのだろう。


 中州に取り残されていた聖少女、タンポポは立ち上がって少年を迎え入れた。



「ぽぽっ……! ああっ、ありがとうございます! あなた様はたしか、普通科クラスのすみっこ様!」



 ジェットパックの噴射を収めて降り立ったボウイは、呼び名にズッコケそうになる。



「その呼ばれ方は初めてだなぁ」



「えっ? そうなのですか? 特待科の皆様が、そう呼ばれておりましたので、つい……。ぽっ」



 頬に手を当て、恥ずかしそうに顔を赤らめるタンポポ。

 ピンクに染まった頬がまるで桜のように美しかったので、ボウイはつい見とれてしまった。


 タンポポはその中の通り、ふわふわの綿毛のような髪をしていた。

 そして野草のような強さの中に、吹けば飛びそうな儚さのある、不思議な少女であった。


 聖女科のクラスのリーダーでもある才女なので、特待科の男子生徒からは多く言い寄られている。

 しかし当人は、



「ポポは、どなたの殿方の胸にもおさまりません。その名のとおり、人々の間を飛び回り、等しく癒しを振りまく人間でありたいのです」



 という立派な考えを持っていて、決してボーイフレンドなどは作ろうとはしなかった。

 して、いなかったはずなのだが……。



「タンポポさん、ひとりでこんな所にとり残されて、怖かったでしょう? でも、僕が来たからにはもう大丈夫だよ」



「ぽぽっ……! はいっ、すみっこ様っ! ポポは、とっても心細く思っておりました……!」



 ……ばふっ!



 少女は、まるで彦星でも見つけたかのように……少年の胸に、飛び込んでいた。

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