結界の破壊
眩い光のトンネルを通るようにして、エミルは異空間の中を飛んで行く。
隣にいるルドは、一見飄々としているようだが、僅かに顔色が悪い。
人間として十八年しか生きていないエミルが、雷神とその他の神々との間でどのような揉め事があったのかを知るわけでは無いが、彼の顔は嫌でもこれから会うであろう雷神の人物像を想像させる。
「何度も言うが、俺は絶対にあの野郎とは話さねぇし関わらない。薄情かもしれないが、嬢ちゃんにもしものことがあっても助けてやれねぇと思うからそのつもりでな」
異空間の中でも彼の口頭注意は止まらない。
エミルのことを案じてと言うよりは、どちらかというと自分の身を守るための言葉にも聞こえるが、エミルにも覚悟は出来ていた。
「心配はいりません。万が一私が雷神様の手によって命を落とそうと、それは私の望んだことを成した結果で御座います。決して願望神様を恨むようなことはありません」
「それはそれは、大した覚悟だな。だったら俺も祈っておくよ。嬢ちゃんの望みが叶うようにな」
そんなこんなで順調に異空間を進んでいくエミルとルドだったが、数分程経った後に、ふとルドが口を開く。
「そういえば、さっきから随分と丁寧な口調で話してくれてるが、別にそこまで丁寧に話さなくていいんだぜ?」
どうやら、ルドは余り格式高い対応は好まない性格らしい。
だが、エミルとしてはどうしても抵抗が残る話だ。
「しかし・・・神族の方にそのような砕けた話し方をするなど、恐れ多いことかと・・・」
だが、ルドは首を振るとエミルに言った。
「確かに神族派の大多数の影響で、今の人間の殆どは俺たち神族を敬うようになっちまったな。でも昔は違ったんだぜ。それこそ数万年前は人間と神に明確な身分の違いなんてなかったし、誰もそんな生活に疑問を持たなかった。正直に言って、神と人間が全くの別種と見なされるようになったのはあのバカが居なくなってからだったな」
「それは・・・雷神様のことですか?」
エミルはあまり感情を出さないようにはしていたが、内心はかなり驚いていた。
神と人間は根本的に違う生き物だと、長年の経験で刷り込まれていただけにかつて人間と神が同じ立場で生きていたというのは、驚くべき話だった。
ルドの話は続く。
「だが、あいつが消えてから世界は少しづつ変わりだした。雷神という強大な抑制力が居なくなって、一部の今まで大人しかった過激な発想を持つ連中が、人間を玩具みたいに扱いだしたんだ。元々、神族派、人間派、自由派の三勢力は昔から存在していたが、ここまで顕著に戦いだしたのは、ここ最近の数千年からさ」
そう言うと、ルドはどこか寂しさを感じさせるような様子で溜息をつく。
恐らく、ここ最近の世界は彼にとって決して愉快な物では無かったのだろう。
何も言わなかったが、エミルも彼の心情を察した。
「俺は、戦いが苛烈になったこの世界が嫌いになった。だから自分の中にある魔力の大多数を使って、俺やその関係者しか入れない特殊な異空間を作ったんだ。俺たちが今通っている光の道もその一種さ。俺はここでただ何万年も世界を見続け、時々、強い祈りを捧げた人間に手助けをしていた。でも、逆に言えばそれだけさ。今の世界には余りにも残酷な祈りが多すぎる。俺は希望を感じた祈りには手助けできるが、希望の無い絶望に満ちた祈りには『契約』の影響で手助けできないんだよ」
そう言った彼の目には強い悲しみと怒りで満ちている。
エミルは、心が痛んだ。
彼は余りにも残酷な現実をそれこそ何万年も見続けていたのだろう。
十八年しか生きていないエミルですら辛いのに、何万年も人々の叶わない願いを見続けていたルドはどれ程の悲しみを抱えているのだろうか。
すると、ルドは言った。
「俺は、世界をここまで変えた神族派の神が許せない。雷神も大概だが、あいつらに比べればまだマシだ。だからこそ、嬢ちゃんには頼みたい」
そう言うと彼は帽子を取り、エミルに頭を下げる。
「何としても、雷神を人間派に引き入れてくれ。俺も説得したいところだが、逆効果になる可能性が高いんでな。そうなると、嬢ちゃんしか頼みの綱が居ねぇ」
エミルは彼の頼みを聞き、責任の重大さを痛感する。
分かってはいたが、この交渉に失敗すれば人間派は終わりなのだ。
言わば、エミルが雷神を説得できるかどうかが、人間の未来を決める。
「・・・分かりました。人類の未来のため、世界の繁栄のため、そして願望神様の無念を晴らすため、このエミル、全身全霊で雷神様と話して参ります!」
その途端に、今まで通っていた光の道が消えたかと思うと、青々とした森が目に映る。
気が付けば、エミルとルドは森林の中にいた。
「ここは・・・もしかして・・・」
「ああ、そのまさかだ。ここはレガリア大陸の奥地、「迷いの森」の入り口さ」
迷いの森というのはエミルも聞いたことがあった。
広大な森でさほど強い魔獣の類は出てこないが、どんなに歩いても結局元の場所に戻ってきてしまうと言われている迷宮の森で、実態がほとんど知られていないことで有名な場所だ。
だが、先程の話を聞いてエミルはこの場所が何故「迷宮の森」と呼ばれているかを悟っていた。
「もしかして・・・この森に結界が張られているということですか?」
エミルの言葉にルドは頷いた。
そして魔法陣が書かれた紙を取り出すと、魔力を込める。
魔法陣は一瞬だけ青く輝くと、その瞬間に紙から消えた。
するとその瞬間に、目の前の迷宮の森が青色に光り出し始める。
そして広大な森の上空に、見ているだけで目が回りそうなほど緻密で巨大な魔法陣が投影された。
「相変わらずクソみたいに強力な結界魔法陣だな。ほら、さっさと消えちまえよ」
ルドはそう言うと、パチンと指を鳴らす。
するとルドの指から黄色の光が飛び出し、飛び出した光は巨大な魔法陣のど真ん中に向かう。
そして、エミルは見た。
巨大な魔法陣が、真ん中から崩壊していくのを。
精密な硝子細工が砕けていくかのように、巨大な魔法陣は中心から細かい粒子に変わっていく。
「紙に書かれていた魔法陣は、森に仕込まれていた魔法陣をそのまま引っ張り出すための術式だったんだな。魔法陣自体は強固な魔法結界にでも隠していたんだろうが、魔法陣そのものは脆いからな。この程度の攻撃を受けるだけで簡単に壊れちまうってわけだ」
そう言うとルドはエミルの背中を軽く押し、もう一つの魔法陣が書かれた紙を渡す。
そして言った。
「俺が出来るのはここまでだ。後は全部嬢ちゃんに任せた。」
「あ・・・有難う御座います! 願望神様!」
するとルドは首を振り、エミルに言った。
「そういう堅苦しい言い方は無しだ。俺のことはルドでいいし、敬語もいらねぇ。というか嬢ちゃんの名前は・・・」
「エ、エミルと言います」
それを聞いたルドは笑うと、軽く手を挙げて言った。
「分かった、後は頑張れよエミル。敬語は要らないぞ、多分それは雷神も一緒だ」
「分かりました、がんぼ・・・・ええと・・・」
反射的に願望神様と言いそうになるのをギリギリで抑えたエミルは、言い直す。
「分かったわ、ルド。行ってきます!」
そして、エミルは森の奥に向かって走り出した。
目指すは古の最強神、雷神が住むアウトラセル城だ。