願望神の本音
「それでだ・・・・エミルにいくつか相談したいことがある」
「・・・何よ。正直、眠たくて死にそうなんだけど」
周りは漆黒の闇に覆われ、数メートル先の景色すらまともに見えない空間の中を、一台の馬車が通っていた。
そして、その中には三人の人影が見える。
一人は、十代後半くらいの若い女性だ。
髪は赤く、長く伸ばしており、端正で美しい顔立ちをしている。
何を隠そう、エミルである。
そしてもう一人は、青年と中年の境目くらいの年頃に見える男性だ。
体は細身で、どことなく人を安心させるような雰囲気を持ち、頭には帽子が被せられている。
こちらもお馴染みのルドである。
そして、二人のすぐ横では十歳にも満たないような女の子が、穏やかな寝息を立てて眠りこけていた。
この女の子はもちろん雷神。
数万年の時を生きる、筋金入りの神である。
彼らは現在、アクアポートという町を目指して馬車を走らせている最中だ。
夜も完全に更けているが、彼らの乗る馬車は一切の迷いなく道を進んでいる。
「まさか祈りのエネルギーを馬に与えるだけで、こんなに元気になっちゃうなんてね・・・・」
エミルは、本来ならロクに先も見えないはずの道を元気に進む馬を、感嘆した様子で眺めている。
「まぁ・・・・俺もここまで上手くいくとは思わなかったよ」
馬に細工をした張本人であるルドも、完全に永久機関と化した馬を半ばドン引きというような様子で見ている。
一刻も早く先に進みたいというエミルの要望を聞いたルドは、少しでも馬の活力になればと自身が持っている祈りのエネルギーを馬に分け与えた。
しかし、未知なるドーピングに目覚めた馬の体内でどのような化学反応が起きたのかは定かではないが、おかげさまで現在この馬は、実に三日間もの間、飲まず食わずで走り続けている。
そのおかげで、本来予定していたよりも早くに彼らは、次の目的地に到着できそうだった。
するとルドは、導きの羊皮紙に描かれた地図をエミルの前に広げる。
「食糧不足が深刻だが、それはもう諦めよう。近くの適当な魔獣や木の実を狩って難を凌ぐしかない。むしろ大事なのはこれからどの道を行くかだ」
デラス村の人々から貰った食料類は、三日間の馬車生活の中で大幅に数を減らしていた。
というより、本来ならもう少し節制出来た所を、暇を持て余した雷神が娯楽代わりに食料を食べ散らかしたのが直接的な原因だ。
「この雷神のせいで俺たちは予期せぬ食糧難を迎えることになっちまった。といっても、食料だけでこいつを大人しくさせられたなら、それはそれで良かったのかもしれないけどな」
「確かに・・・・また雷神様が何処かに行ったりしていたら、こんなに順調に進んでいなかったのかもしれないし・・・・」
ルドの言葉にエミルも賛同する。
ただ、神族は元々食料無しでも生きられるのであって、むしろ食糧難で最も被害を受けるのはエミルだ。
少なくとも、ルドがこの三日間で一口も食べ物の類を口にしていないのは、ある意味徐々に量を減らしていく食料を少しでも節制しようというルドの気遣いなのかもしれない。
「まあ、唯一の救いは金には困らないことくらいだな。あのアホが持ってたレガリア鉱石は全部俺が集めておいた。虹色鉱石なんかは売れば山のような金貨に化けるぞ」
雷神は価値を全く分かっていなかったが、アウトラセル城には極めて純度の高い鉱石が無数に転がっていた。恐らく封印用の魔力供給源としてだと思われたが、ルドはその中から特に価値の高いものを選んで持ってきていた。
「それで・・・・道って何?」
すると、ルドはレンファを指していた指を移動させると、その先に伸びている道を指さした。
よく見ると、その道は三つに分かれていた。
「アクアポートは大陸の端っこにあるが、そこを目指すにはいくつかのルートがある。そしてそのルートは三つに分かれているんだ」
そう言うとルドは、大陸の海岸沿いに伸びる道を指さした。
「これは海岸沿いを通る道で、この大陸を通るなら一番無難な道だ。アクアポートに向かうまでに町が八つもあって、食料や装備の類だけなら、道の途中にもいくつか店があるから心配が無い。加えて言うと、道の多くが整備されているから、魔獣の心配も殆どない」
すると次に、大陸の真ん中を縦断する道を指さした。
「この道は、森の間を抜けていく道で、商人なんかがよく使う道だ。たまに魔獣が出るが、そのおかげで金目当ての山賊があまりいないからな。アクアポートまでにある町は主に五つで、この道も食料補給にはそこまで困らない」
そして最後に、ルドは山岳地帯を通る道を指さした。
「大陸の東側の山岳地帯を通るこの道は、この三つの中では一番厳しい道だ。そこそこ強い魔獣が出るのに加えて、道も険しくてとてもじゃないが馬で通るのは無理。おまけにアクアポートまでに三つしか町が無いから、食料は自分で調達するしかないな」
ここまで聞いた時点で、『どの道を通りますか?』と聞かれれば、それは一つしかないだろう。
「・・・・海沿いの道でいいんじゃないの」
眠気と戦っている最中のエミルは、半ば欠伸を噛み殺すように呟く。
だが、『そう言うと思ったよ』とでも言うかのようにルドは軽く頷くと、地図を指さして言った。
「楽をしたい気持ちは分かるんだが、残念だが俺の意見は違う。俺は・・・・・この道だな」
そう言って指さしたのは、森の間を抜ける道だ。
「何で!? アクアポートまでは少なくとも一カ月くらいはかかるし、確実な道を通ったほうがいいんじゃ・・・・」
そう言いかけたエミルだったが、地図のある部分を見ると途端に言葉を止める。
半覚醒状態から脱したことで、ルドの言わんとしていることが自ずと分かったようだ。
「・・・・私たちはいわゆる『お尋ね者』だから、人目が多い海沿いの道ではまた追手に見つかる可能性が高いわ。それに・・・・」
そう言うと、エミルは地図をもう一度よく観察すると言った。
「海沿いの道は蛇行する道が多いから、見た目よりも遥かに距離が長い。その点、森を抜ける道は殆ど一本道だから距離も短いし、迷うことも無い、ということね」
「御名答。俺の意見も大体そんな感じだ」
そう言うと、ルドは導きの羊皮紙を懐に入れた。
「俺たちはあくまで人から追われる立場なことを忘れちゃいけねぇ。時には一見辛そうな道でも、よく見れば近道だったりするのさ」
「そうね・・・・迂闊だったわ」
だがルドは軽く笑うと、エミルの肩を軽く叩いて言った。
「落ち込むなよ。俺だって間違えることはあるんだ。エミルも俺が選択を間違えた時には俺を正してくれよ」
「そうね・・・・・覚えておくわ」
少しほっとしたせいか、暫くするとエミルに再び睡魔が襲ってきた。
「少し寝るわ・・・・・また明日から頑張りましょう」
「そうだな。まずはゆっくり休んでくれ」
そして、軽く毛布を掛けて横になったエミルは、数分もしないうちに穏やかな寝息を立て始めた。
するとルドは見張りのために、外を見回す。
馬車は、広大な草原のど真ん中を猛スピードで進んでいる。
このペースなら夜が明けて暫くすれば、旅の大きな岐路となるであろうレンファに到着するはずだ。
だが、ルドの表情は冴えない。
大きな不安を抱えながらの旅になることは彼自身も分かっていたが、それを踏まえても様々な疑問が先程からルドの頭から離れなかったからだ。
彼は、雷神のすぐ横で寝ているエミルに視線を向けた。
揺れの激しい馬車の中で、それでもぐっすり寝ているエミルはどこからどう見ても普通の女の子だ。
だからこそ、ルドには疑問だった。
「何で・・・・・エミルが人間派のリーダーなんかやっているんだ。もっと望ましい生き方がエミルにはあったんじゃないのか・・・・・」
決意は有れど、非凡な才能は無い。
勇気は有れど力はない。
そんな「普通の」エミルが、このような重責を担っている理由が、ルドには分からない。
一体どのような経緯で彼女はこのような過酷な運命を背負うことになったのだろうか。
「今回の旅は・・・・・かなりヤバいかもな」
長い年月を生きるルドですら、今回の旅には危険要素が多すぎると感じていた。
生きる災害と言っても過言ではない雷神に加え、旅慣れしていないエミルがどの程度今回の旅に耐えられるかも未知数だ。
おまけに、二人とも人間派にとっては欠かすことの出来ないピースでもある。
外の真っ暗な空間を眺めながら、思わずルドは呟いた。
「頑張れよエミル。今回の旅は甘くないぞ・・・・・」
それがルドの、偽らざる本音だった。