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人間より弱い吸血鬼原理  作者: 沢城据太郎
9/9

リザルトおよび回想パート2

 いや、ほんのちょっとだけなんだけど、あのどさくさのタイミングでリュドミラに噛み付いておかなかったことに良夫はほんのちょっとだけ後悔していた。

 『幾重もの悪手(ワンミリオン・バッドチョイス)』ことリュドミラ・ブルハノフ調伏から四時間経過、場所は(恐らく)大阪市内の某病院の地下。良夫は一人、廊下に並べられたベンチに座ってSNS仲間達の診断結果を待っていた。『某病院』なんて言い方をしたが、それは匿名性を尊重しているとか名称を明示するのが面倒臭いとかそういう事では無く、良夫にもここがどこなのか本気でわからないのだ。

 SNS仲間達が吸血を完了し、それぞれ人間に戻ったらしい事を確認し嗚咽交じりに喜び合っていた最中、突如数台の黒塗りのワンボックスタイプのバンが狭い路地に突っ込んできた。途端各々顔面蒼白になり即座に逃げ出しそうになったが、石乃が「悪いようにはしない」と言って引き留めたので、それを信じる事にした。

 バンのバックドアから現れたのは救急救命士のような白いツナギを着た人物達で、開け放たれたバンの中は中心にベッドが備え付けられ更に医療器具が敷き詰められた殆ど救急車に近いものだった。……中に収容する『モノ』を悟られないための覆面救急車という事なのだろう。脱・吸血鬼を果たしたSNS仲間達は一人ずつそのバンに乗せられ、良夫も石乃に促されその内の一台(煩ホルが乗せられた車両)に乗った。そして血を吸い尽くされ動かなくなったリュドミラも担架によって誰も乗せられていないバンに収容された。

 そして現在良夫が居るのが運び込まれた某病院の地下という訳だ。窓の無い車での移動だったのでここがどこなのかは詳しくわからない。もしかしたら病院と言うよりも何かの研究施設かも知れない。

 実はこの施設について、そしてSNS仲間達を輸送した人物達については道すがらにある程度(差し障りの無い範囲で)石乃から訊いていた。リュドミラとの対決に際して、前以て石乃は管理機構に話を通しており、戦闘終了と共に元吸血鬼達を医療施設に収容するよう手筈を整えていたのだ。親吸血鬼の血を吸う事で人間に戻る事が出来る支配脱却のルールだが、この方法は殆ど伝承として伝わっているレベルの信憑性なので、SNS仲間達が本当に人間に戻っているかどうか、そして人間に戻っているとしてもその肉体の変化がどの程度人体に変化をもたらすのかを調べる必要があるのだ。場合によってはある程度の解呪処置も行われるだろう。それらは世間にバレない様に、最初から民間人が吸血鬼化したなどという事実が存在していなかったかのように秘密裏に行われねばならない。この医療施設の所在を良夫達にも明かさなかったのも秘密を守るためなのだ。

 まぁそれはいいんだけど。

 SNS仲間を調べるのは、データが欲しいというのも本音何だろうなぁ、と良夫は思った。支配脱却のルールが現代に成功したケースは良夫も知らない。SNS仲間達の肉体は非常に貴重な生きた標本なのだ。正直、良夫もそれには興味があり、解呪医学の素人にもわかり易く噛み砕いてご教授お願いしたいものだがここで良夫はちょっとしたジレンマに陥る。そもそも誰にも知られない様に秘密裏に吸血鬼を退治する事が良夫達の目的だったのだ。それによって得られたデータ、吸血鬼に血を吸われなければこの世に存在し得なかったデータなど公表できるはずは無い。――その点は、今SNS仲間達を調べている医療スタッフ或いは研究者にも言える事だが、要するに今回のような存在し得ない事件の副産物が所謂禁書だの禁断の魔導書だのの一頁を飾るネタになるのだろう。そう思うと多少ワクワクしないでもない。

 そしてもっと卑近なジレンマが有り、良夫自らが提唱した『吸血鬼に噛み付けば、クリスマスイルミネーションの十字架に本能的な恐怖を感じなくなり、異性にモテるようになる』という戯言の格好のサンプルケースを四人分も手に入れたのにそれをブログでネタにできないという事だ。彼らが今後本当にモテるか否かに関わらず、各人のプライバシーを保ちつつ長期間の経過観察の分析を中心に相当面白おかしい記事を書く自信が有った。……そうか、そういう点では自分はどさくさでリュドミラに噛み付く必然性など無かったのだ。どの道ブログのネタにはできなかった訳だし。おふざけに命を懸ける気には最早なれない。

「わ、渡来さん」

 少し上擦ったような声で不意に名前を呼ばれた。思案に没頭していた良夫が視線を向けると、石乃が廊下の角から現れた。

「身体の方は大丈夫なの?」

 良夫は思わず立ち上がり、自身の腹部をさすりながら尋ねた。そう言えばなんだかんだで石乃に名前で呼ばれたのはさっきのが初めてかもしれない。苗字ではあるが。

「あ、はい、問題ありません。強く強打してはいましたが骨や内臓の損傷はありませんでしたから」

 急に立ち上がった良夫に一瞬気圧されたらしいが、石乃は穏やかに返答する。灰色の外套は綺麗に畳んで両手で抱えるようにして持っている。ポロシャツとジーンズ姿の彼女が最初に出会った時より華奢で、なんだか小さく見える気がするのは多分気のせいだろう。

「渡来さんは、お怪我はありませんか?」

「いや、俺は全然。首にちょっと跡が付いた程度だよ。お医者さん?に触診された程度」

 あとちょっと貧血気味じゃないかとか言われたけどねと良夫は努めてお道化て付け加えた。石乃が和らいだ表情でそれに応えつつそのまま近付いて来るので良夫は慌てて、差し出がましい気がしたが隣にスペースを作りつつ再度ベンチに座る。石乃は躊躇無く良夫の隣に座った。

「御友人方も全員人間に戻っている事が確認されたようです」

 石乃がそう告げると良夫は小さく「そうか……」と返事した。その呟きが余りにも素っ気無い風に響いて驚いたので良夫は付け加えるように「良かった……」と口にした。すると今度は彼らの無事に心底安堵する気持ちが膨れ上がって来て「良かった」「良かった」という呟きが止まらなくなってしまった。色々な事が有り過ぎて、感情の整理が上手く出来なくなってしまっているらしい。

「えと……、ただ、若干の後遺症が残る可能性はあるそうです」

「……どんな? アレルギー的なモノ?」

「いえ、どちらかと言うと心理的なモノで、吸血鬼の弱点になり得る物に本能的な忌避感を覚えるようになるという事です」

「……みんなニンニク嫌いになっちゃうんだ」

「そうなります」

 良夫は冗談めかして言ったつもりなのだが石乃に真顔で同意されたので良夫は軽く死にたくなった。そもそも冗談で言う事では無い、不謹慎だ。やっぱり自分は平静を失っているらしい。

「万が一生活に支障を来たすレベルの後遺症が出た場合は管理機構の方で確実に対処させます。どうかご連絡下さい」

「うん、間違っても一般の病院には行っちゃ駄目って事だね」

「はい……、そうです」

「皆にも言い聞かせておくよ」

 その後、良夫と石乃は二人並んでベンチに座ってたどたどしく話を続けた。良夫は仲間達四人と再会し無事を確認するまでは梃子でも動くつもりは無かった。その旨を石乃に伝えると彼女も一緒に待つ事にしたらしい。

 そしていくつか今後の事について話し合う事になった。

 今回の事件の真相は世に明かされる事無く闇に葬られるだろう。吸血鬼化された一般人など一人として居なかった事になる。対外的には、柩野石乃が独力でリュドミラを調伏したと発表する予定だ。――蛇足だが、リュドミラに掛けられていた懸賞金は一旦石乃が受け取った後六等分して良夫達に分配すると石乃が宣言した。それについて良夫は何か意見を言おうとしたが、受け取り拒否など許さないという頑なな姿勢が暗に込められた口調で改めて「六等分にしましょう」主張されただけだった。労力を考えれば自分が他のメンバーと同じ額を受け取るのは明らかに貰い過ぎだと思えたが、そんな事を主張しても多分全員から反対されるだけだろうと思えたので、とりあえず「他の皆とも相談してみるよ」と肯定的なニュアンスを含ませつつその場は収める事にした。正直、今回の件で良夫は散々散財していたのでこの臨時収入は物凄く有り難いと言わざるを得ない。貰うべきでは無いと思う反面貰わないと明日からの生活が割と真剣に危ういという実情もあるのでスッキリした態度が取れない。

……石乃が功績を総取りする。それについては何ひとつ問題は無いが、気になるのはリュドミラが言っていた「ワタシのミカタもワタシのテキも、ワタシを倒した人間をほっておくはずはない」という言葉。その言葉にどれほどの意味や重みがあるのかは計り知れない。自分達と関わった事で石乃に何かとんでもない難題を押し付けてしまったかもしれない。それについて、開戦直前に良夫がリュドミラと交わした会話について石乃に伝えると、

「大丈夫です、望む所です」

そう良夫の眼を真っ直ぐ見据えながら答えた。その表情には決意と覚悟が満ちていて、笑顔ですらあった。良夫はその勇ましくも可憐な石乃の笑みに胸が締め付けられた。自身の無力さと尋常じゃない場違い感が心底嫌になった。今回の件で良夫が生き残ったのは運が良かったという事以外何ひとつ理由が無い。ハッキリ言って死んでいた。生と死がコインの表裏となり宙を舞い、どちらが表になっても何らおかしくないような領域に自分の命は晒されていた。それを運良く生き残った程度で一級魔術師の無事を心配するだなんておこがましいにも程があるのだ。石乃の今後を慮った所で自分に出来る事など何もないのだ。

 自己嫌悪に陥る。石乃の魔術、そして理知的で清楚な美しさを見せつけられると、石乃と同じくらいの年齢の頃の自堕落な自分が思い出されて後ろめたい気持ちになる。学業もそこそこに吸血鬼や魔術などのオタク的な知識の収集に終始していた自分(そしてそれは今も大して変わってはいない)。大体石乃は何も悪くないのに石乃の態度や心根を見せつけられる度にネガティブな気持ちになっている自分自身が何よりも不快だ。うん、拾った命を早くも投げ出したくなる。

 ダメだこのままではメンタルが死ぬ。違う話題を。

「未だによくわからない事があるんだけど、リュドミラがオレに『ワンミリオン・バッドチョイス』が利きにくいとかいうような事を言っていたんだけど、それはどうしてなんだろう? やっぱり瓶からニンニクの匂いが染み出ていた、とかかな?」

「いえ、だとしたらリュドミラもすぐに気づいたはずです。ニンニクの匂いには人間よりも敏感ですから」

「そうだよね……」

 そこで石乃が、少し言葉を選ぶように思案する。

「恐らくですが、リュドミラは渡来さんの魔力……、というか存在感から本能的にニンニクとの(えにし)のようなモノを読み取ったのではないでしょうか?」

「ニンニクとの、(えにし)?」

「生命ある物はそれぞれ微量ではありますが魔力を持っていて、人間のそれは特にそれまでの経験や環境で魔力の性質が大きく左右されます。渡来さんのその、子供の頃のお話や燻製したニンニクを詰めた瓶を常に持ち歩いていた事を鑑みると、渡来さんとニンニクが存在としての深い本質的な部分で強く結びついているのかもしれません」

「それが、(えにし)

「はい」

 ……なるほど、リュドミラが自分の存在に軽度の拒否感を抱いたのはそのニンニクとの(えにし)が原因という訳なのか。

「わたしも渡来さんとお会いした時に、若干ですが薬草学に精通した魔法使いに近い存在感を感じました。吸血鬼ならば捕食対象を選定する上でもそういった感度は人間よりもより敏感だと思います。ただ嗅覚程は正確ではなかったようですが」

「ニンニクとの(えにし)かぁ……」

 ニンニクの匂いが身体や服に移っているという訳ではなく、そもそも存在感や本質的な点でニンニクっぽいと? それはどういう風に考えればいいんだろうか? わかり易く臭いと言われた方がまだ救いがあるような気がしないでもない。

「別にニンニクが好きとかは無いんだけどね」

 良夫は卑下たような笑いを溢しつつ呟く。

「人間性の根本に根差した物事ならば好き嫌いに関係無くそういった(えにし)が生まれてくる事が考えられます。わたしも……、実は『コックリさん』が特別好きという訳では無いんです。どちらかと言うと、渡来さんの様に、コンプレックスが根元にあるんです」

「……どういう事?」

「十歳くらいの頃、学校でコックリさんが流行ったんです。ああ、それは魔法ではなくただのお遊びとしてのコックリさんです。それはそれで友達と楽しんでいたんですけれど、わたしはちょっと心のどこかで物足りなかったんです。丁度その時師匠から過去視の占術について教わったばかりで、もしかしたら術式で確実かつ明瞭に占えるコックリさんを組めるんじゃないかと考えたんです」

「おお」

「それで実際に完成して学校で試したんです」

「えー、すごいな。でも学校で魔法を使って驚かれなかったの?」

「え……? あ、ああ、それは大丈夫です。所謂『魔法学校』でしたから」

「ああ、なるほど」

「ただその、その年齢でちゃんとした占術の儀式をほぼオリジナルで構築するのはかなり難しい事で、最初はみんな驚いてくれたんですけど」

「うん」

「でもそれ以後、コックリさんが廃れてしまって誰も遊ばなくなってしまったんです」

「……おおう」

「……飽くまでもお遊びで、勝手に動くコインをわいわい騒ぐのが面白かったのに、それをちゃんとした魔法として構築してしまったからみんな白けちゃったんです。最初はその因果関係に気付かなかったんですけれど、成長して改めてその頃の事を思い出すたびにその頃の自分の空気の読めなさとか優秀な事をアピールしたがる自己顕示欲とかみんなの楽しみをぶち壊しにした罪悪感とかが押し寄せてきて居た堪れなくなるんです」

「あー……」

「ただ、その頃に儀式魔法の構築が出来たという事が後々の自信に繋がっているという部分もあって、フラッシュ魔法を身に付けようと思った時も最初に思い付いたのが『コックリさん』だったんです。魔法使いのわたしとコックリさんは絶対切り離せないなと思うんです」

「……なるほど」

 ……だから『無粋なる顕現』という訳か。

 なるほど、と同意してみたものの、良夫はこの時内心戸惑っており、そして緊張していた。取り敢えず、石乃にとんでもなく気を遣わせてしまった事だけは理解出来た。そもそも良夫の人生に於いて年頃の女の子と長時間会話すること自体稀で、しかも今この瞬間意を決した打ち明け話に対して少女が失望しないような気の利いた『返し』を求められている事が伝わってくる(彼女が求めているのではない、世界を構成する森羅万象から監視され審査される立場にあると、良夫には思えていた。それくらいのプレッシャーという意味)。リュドミラとの戦闘とはまた別の次元の緊張感で、背中には変な汗が流れていた。

「いや、なんか……」

 正解などわからないが、何かを言わねばならない。

「オレがうじうじしてるせいで、その、踏み込んだ話をさせちゃったみたいでごめんね。いや、うん、ていうかありがとう。参考になりました」

「いえその、謝罪とか、お礼なんて……」

 良夫の努めてお道化た決死の返答に、石乃は少し顔を赤くさせた。恥ずかしがる石乃の表情に良夫はちょっと罪悪感が疼く。ニンニクとの(えにし)があると言われて軽く凹んでいた良夫に石乃は自身の恥ずかしい過去を告白する事で元気付けようとしてくれたのだ。いや、すごく嬉しいんだがその気遣いはもっと重要な局面に取っておいた方がいいと思う。自分なんかに空費せずに、と良夫は思った。

「これはけじめなんです。渡来さんに過去の話を聞かせてもらったから自分もそういう話をしなければフェアじゃないと思いました」

「いや、うーん、むしろあんな話を聞かせてしまった事が申し訳無く思っちゃうレベルだから別にそんな風に思わなくても」

「いえ、そんな。参考になりました」

 石乃の返しに良夫は軽く笑った。笑いながら、汗だくになった背筋の冷たさを感じながら、美少女との会話における重要局面っぽい場面を及第点前後で乗り切った事を歓喜していた。いよっしゃああぁぁぁぁぁぁ! 逃げ切ったああぁぁぁぁぁぁ!!

 まぁ、何というか志が低い。歓喜した直後にまた良夫は少しだけ自分が嫌になった。何故自分はリュドミラに噛み付かなかったのか?

 いや、もちろん吸血鬼に噛み付いても異性にモテるハズなど無いとわかっている。でもあの時リュドミラに噛み付けなかった、噛み付こうなどと露ほども思えなかった理由は多分ただひとつ、リュドミラの今わの際を見てしまった事だ。SNS仲間達に羽交い絞めにされ引き倒されながら四肢に牙を穿たれる彼女の苦しみに歪み聖水で爛れた貌、そしてそれが徐々に力を無くし表情が蒼白としていく様をすぐ傍で見てしまった。他の仲間達は血を吸っていたので、リュドミラが刻一刻と吸血されていく様子を観察していたのは良夫だけだろう。

 良夫はリュドミラに同情している訳では無い。人間を五人も殺した相手だ、同情するはずがないし出来る筈も無い。自分達の行動には正当性があった。吸血鬼化した仲間四人を人間に戻しつつついでに大阪を救う、『正義』を行う上での大義名分としてはそれなりに説得力のあるお題目だろう。しかし正当性が有ろうが無かろうが、自分達のエゴで吸血鬼を一体殺してしまった事は拭い去り様の無い事実なのだ(吸血鬼が生き物と呼べるかどうかは議論の余地があるだろうが自分の意志で行動して意思疎通をしようとする存在なら『生きている』と定義しても問題無いだろうと良夫は考えている)。

 良夫は、リュドミラを殺す時に、自分だけ直接手を汚せなかった事を悔いていた。ニンニクへの執着同様に、吸血鬼への執着は良夫自身が抱えるある種の狂気だ。狂っていないのならそもそもリュドミラが潜伏している大阪でオフ会なんか企画しないし、リュドミラへのリベンジに向けて準備していた時も心の片隅で胸躍ったりしていなかった。多分、リュドミラが終わるその瞬間だけ素に戻ってしまったのだ。良夫は今、何故あの時当初の努力目標である非モテ脱却のための疑似的吸血行為を実行できなかったのかと本気で悔いていた。狂気を拠り所に始めた事ならば、仲間達に業を押し付けたりせず最後まで狂気を貫き通さねばならなかったのだ。

 誰一人良夫のそんな狂った行動は望んではいなかっただろう。そんな事はわかっている。しかしあの瞬間自分だけ高みの見物をしていた事、そしてそんな詮無い事でぐじぐじ悩んでいる自分が堪らなく嫌だった。

「あの、渡来さん」

 石乃に呼ばれ良夫の意識は現実に引き戻される。石乃の方を向くと予想外に真摯な眼差しを良夫に向けていたので、思考を見透かされたようで居心地が悪くなった。

「なに?」

「その、差し出がましいかもしれないのですが、もしその、ニンニクの匂いが気になるのでしたら、香水などを付けてみるのはどうでしょうか?」

「……香水?」

 良夫はその、全く想定していない方向性からの話題に一瞬付いていけなかった。

「いえ、その、別に渡来さんがニンニク臭いという訳では無いんです! 全然そんな匂いはしませんし」

 ああ、そうか。石乃はどうやら、良夫が黙り込んで考え事をしているのを見て、ニンニクと(えにし)があると言われた事を気にしていると誤認したらしい。良くないな、石乃にあんな個人的な話をさせてしまったのに不安にさせる様な態度を取ってしまった。良夫は自分の気の回らなさに加減に秘かに腹が立った。……しかし、そこまで力強く「ニンニクの匂いはしない」と言われると逆に何か異臭がしているんじゃないかと勘繰ってしまいたくなるんだが。

「……最初から香水で別の香りを付けておけばニンニクの匂いを気にしなくてもいいって事か。平安時代とかの貴族みたいな感じで」

「はい、そうです。わたしもそれほど詳しいという訳では無いのですが、男性用の香水というのもあるそうですし、渡来さん、その服装もお洒落ですし服に併せて香水を選んでみたら中々素敵なんじゃないでしょうか!」

 うーん、このジャケットとかフリル付きブラウスはぶっちゃけ吸血鬼のコスプレなんだが。吸血鬼をイメージした香水? 新境地過ぎて全く想像がつかない。

「香水か。オシャレ難易度が高過ぎて取っ掛かりがわからない。そういうのってどうやって勉強するものなのかな……?」

「魔法薬の専門家が開いているお店が郊外にありまして確か香水も扱っていたハズです。あ、その、こ、こ、今度良ければ一緒に行ってみませんか!?」

 えっと、

 いやいやいやいやちょっと待って。

 なんかそれデートみたいじゃないですか。気恥ずかしい以上に畏れ多い。

 ……先程から石乃の様子が良夫には奇妙に感じられた。喋るのが辛そうというか顔色もちょっと赤みを帯びている気がする。腹部に受けた蹴りのダメージが身体全体に過負担を与えているとかそんな感じ? ただ彼女本人の口から「大丈夫だ」という言葉が出ているので、戦闘の素人が魔法使いの自己管理に口を挟むのは差し出がまし過ぎるのかもしれない。

 社交辞令で言ってくれた事なんだろうけど咄嗟に的確な返しが思い付かない。難度が高過ぎる。なので良夫は、石乃の誘いに関してはあやふやにしつつその『魔法使いが作る香水』とはどういう物かという話題に話をシフトさせていく事にした。ファッションや化学の知識に疎い二者が魔術の知識のみで妄想を交えたたどたどしい会話を展開していくのだが、良夫は顔の赤みが収まらない石乃の体調がずっと気になっていた。

 ……人間に戻った四人の恋愛変遷についてやはりデータを集めておこう。良夫は石乃との会話の最中に秘かに決心した。ネット上には公表出来ないが、自身がリュドミラの死の業を背負う方法はそれしかないように思えた。それが遠い将来に自分なりの禁書なり禁断の魔術書なりになるのならそれはそれで面白い。あの時吸血が行えなかった自分自身など丁度良い比較対象になるだろう。



Fin
























・続 き は 無 い

 続編を匂わせる様な内容ですが、本作の中で各キャラクターのバックグラウンドを纏め切る事が不可能だったので、長い物語の一部という形で本作を世に出させていただきました。真面目に物語を最後まで完結させようとすれば本作の十倍位書く必要があるので現在は執筆する予定はございません。


・吸血鬼が登場する作品においての『例の植物』の扱いの冷遇ぶりに危機感を覚え本作の執筆・投稿に踏み切った次第です。元々はもっとストイックに、一人の中年男性が『例の植物』ひとつのみを武器に吸血鬼に戦いを挑む内容だったのですが、エンターテイメント的にそれはどうかと思い直して今のような感じになりました。

 私の知識が足りないだけかもしれませんが、もっと『例の植物』を吸血鬼が登場する作品で活躍させてもよいのではないでしょうか? 八百屋とか農家の人とかコックとか植物学者がスタイリッシュに活躍するダークファンタジーアクション。無茶振り以外の何者でもありませんね。


・良夫のSNS仲間達の設定を雑に紹介

煩ホル……三十歳元フリーター。吸血鬼化のせいでバイトを辞めざるを得なくなり、事件終了後のバイト探しはあまり身が入っていない。中肉中背。

・yayata……四十歳手前の古美術商。京都の観光地に店を開き、ふざけたガラクタからガチの骨董品まで手広く扱う。

・上楽……二十歳大学生。十歳の頃からネットを通して良夫と接点がある。わりかしイケメン。自分の人生と同じ轍は踏んで欲しくないと良夫は常々思っている。

・オハラ……二十代後半、医療器具メーカーの営業。関西一円の病院内を日々背広姿でウロウロしている。輸血パックを見るとちょっとテンションが上がるらしい。

 ……一応設定は考えていましたが、それらを生かす場面が一切無く、下手に紹介してもノイズにしかならないので、作品演出の事情で記号的な存在に徹してもらいました。

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