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人間より弱い吸血鬼原理  作者: 沢城据太郎
8/9

幾重もの失敗 幾重もの悪手

「――ミステイク!」

 そして突き出した右腕でぱちんと、指を鳴らして見せる。

 途端、目の前の『コックリさん』の上半身が風船のように膨れ上がり、轟音と共に大爆発した。

 『無粋なる顕現』を構成していた魔力が爆散し白い粒子となり、路地裏は瞬く間に白い魔法の煙で包まれた。

 爆音と煙幕、聴覚と視覚に唐突に過負荷が掛かった事で良夫の意識は己の内側に逃げ込む。

 ――『コックリさん』への単純な外部からの攻撃・衝撃で起こった現象ではない。良夫は瞬時に広がった煙に巻き込まれながら直感した。

 一瞬見止められた内側から膨れ上がるような爆発は、正規の方法での術式の解除とは違い、意図とは関係無く不意に構築物が維持できなくなった事を意味する。構築物を形作る思惟が残留した状態で過剰な魔力供給により構築物が派手に爆発して瓦解する現象。それは良夫の知識にもある現象なのだが、これはハッキリ言って未熟な魔法使いが慣れない術式を運用した時に起こる低次元な失敗である。一級魔術師である柩野石乃が自身のフラッシュ魔法でそんなミスを犯すとは思えない。自転車に乗っている最中に急に自転車の乗り方を忘れて転ぶようなものだ、有り得ない。

 それを可能にしてしまう要因。

 リュドミラが口にした『ワンミリオン・ミステイク』という言葉と謎の指パッチン。あのタイミングであの所作はどう見たって術式の発動コードだ。よくある『チチンプイプイ』とかそういう術式を起動させる最後のスイッチ。信じがたいがどうやら、リュドミラはふたつフラッシュ魔法を習得していたという事らしい。

 魔法の煙で視界が遮られた直後、また違う種類の爆発音が断続的に四つ。それに併せ何かが硬い物にぶつかる音がやはり四つ響いた。恐らく視界が遮られた瞬間にリュドミラが我が子達の居た場所に『ショック・ロッド』の衝撃波を放ったのだろう。攻撃は四人に見事命中。

 『ワンミリオン・ミステイク』、その言葉と『ワンミリオン・バッドチョイス』の能力を鑑みるにそれは『任意の行動を必ず失敗させる魔法』ではないだろうか? 猿を木から落とし弘法に筆を誤らせ一級魔術師の構築物を大爆発させる魔法。対象(の行動?)を指差したり発動コードを唱えたり指パッチンが必要だったりで予備動作がいくつか必要らしいが十二分の恐ろしい魔法である。もっとも、『ワンミリオン・バッドチョイス』の方が強力過ぎて今まで陽の目を見る事が無かったらしいが……。

 この辺りまで推測した辺りでそろそろ良夫も『自身』の違和感に気付き始めている。断片的な情報から次々と魔術に関する妄想が沸き立つ。頭の回転が速くなり過ぎているのだ。危機的状況により脳内のアドレナリンが大量に分泌され思考のスピードが普段より圧倒的に速くなっている。

 向いている方向が過去なのか現在なのかというだけの違い。

 ああそうか、これも一種の走馬燈なのか。

 白い煙幕が晴れんとする刹那、良夫はそこに立つ黒い影を見止めた。その瞬間その影は瞬く間に距離を詰め、良夫をビルの隙間から引き摺り出した。

「……ひぃ!?」

 思わず小さく悲鳴を上げ、胸倉を掴まれたまま高々と持ち上げられてしまった良夫を見上げ、持ち上げた勢いを殺さずそのままその場でくるくると踊る様にステップを踏むリュドミラは

「アッハッハッ!! スゴい、スゴかったヨ、キミ!」

破顔していた。

「ここまでやってくれるとは思ってナカッタ。ハハ、ワタシの目に狂いはナカッタ。キミは間違い無くワタシの『敵』だった!」

 いや、凄かったのは柩野石乃とSNS仲間達なんだが……。思考の端でそんな突っ込みをしたがそれ以上にこの絶望的な状況に声も出なくなっていた。現在の危機的状況に素直に向き合えなくなるほどに良夫の思考はフリーズしかかっていた。

 供物の様に掲げられ(というか供物そのものだが)頭が真っ白になっていた良夫の精神は迫り来る『死』の現実に耐えきれず場違いな方向へ気を逸らす。

 白い霧はすっかり晴れていた。

 しかしSNS仲間達の姿は誰一人も見られない。『ショック・ロッド』のダメージがまだ回復しきっていないのだ。今、勝利に酔っている(らしい)吸血鬼が回復する時間まで与えてくれるとはちょっと考えにくい。

その時視界の端に写った映像が良夫の脳に活を与えた。黒い外套をひらめかせながら華奢な人影が音も無く走り込んでくる。柩野石乃が蓋の空いた瓶――恐らく聖水入りの瓶を掲げながら本人が直接向かってきたのだ。

 良夫は思わずリュドミラの顔を盗み見て、生々しい絶望を味わった。先程まで歓喜に満ちていたリュドミラの表情は刻々と着実に無表情へ近付いていく途中だった。映像一つ一つが異様にスロウに見える。彼女の口元と目元から笑い皺が刻一刻と減り、神経を研ぎ澄ませるように目を細めていく。

 次の瞬間、良夫はリュドミラの手を離れ宙に飛んだ。浮遊感を味わう間も無く背中から何かに激突。意外と痛みが無かったがそれが石乃が下敷きになっているからだと気付き態勢を立て直そうとしたが、またリュドミラに胸倉を捕まれ、持ち上げられた。そして持ち上げられる最中に良夫は、起き上がろうともがく石乃が腹を蹴り上げられる様を目にしてしまった。

 石乃は吸血鬼じゃないんだぞ……!? この数分の出来事で暴力に対して感覚がマヒしていた良夫は、少女が痛めつけられた光景に生理的嫌悪感が喚起され、若干正気を取り戻した。

「フフ、油断も隙もナイネ」

 リュドミラがパーティーで羽目を外した友人を面白がるような調子で嗤う。……この状況で正気である事が救いになるかどうかは些か疑問ではある。

「キミは吸血鬼にはできない」

 殆ど独り言のように宣言するとリュドミラは良夫をビルの外壁に押し付けた。

「キミはここで確実に吸い尽くす。多分次はワタシはキミに勝てない。ワタシはキミに勝たねばならないからネ」

 持ち上げていた良夫の身体を自分の視線と同じ高さまで下げ、リュドミラは死の宣告をする。良夫を降ろしたのは顔を見て話すためではなく、これから首筋の血を吸うため。

 宣告はそれで終わり。

 血管が透けて見える生気の無い白い肌に瞳にだけ獲物を喰らう歓びを爛々と輝かせ、唇を解きながらゆっくりと貌を近付けてくる。その唇から姿を現す牙はその一本一本が良夫に逃れ得ぬ死の威圧感を植え付ける。――普段ならば意識できない程一瞬一瞬の表情の変化だが、脳内麻薬が止まらない良夫の無駄に活性化された認識能力化では、今まさに己の血を吸わんとするリュドミラの所作一つ一つが恐ろしくスローに見えているのだ。

 身動きが取り様の無い良夫の脳内で死の恐怖がなけなしの正気に喰らい付く。

 どうしてこんな事になってしまったのだ、なぜ自分がこんな目に遭わねばならないのか、良夫はそんな風には考えない。どうしてこんな事になったのか? それは間違いなく自分のせいだ。自分が関わるあらゆる事象において何か不都合な事が起こったのならそれは漏れなく良夫自身のせいなのだ。良夫は疑いも無くそう考える。吸血鬼などという身の丈に合わない相手に関わろうとした自分に全ての非がある。迫り来る吸血鬼の牙と冷たい吐息がこれまでの吸血鬼研究に費やしてきた日々と絡まる様にリンク――ここに来て良夫はようやく自分が本物の一般的な走馬燈を見ている事に気付く――して、良夫の記憶をもっと古い、良夫と吸血鬼の出会いの起源にまで引き戻す。

牙が 吐息が

子供の頃 出掛けた

昏い夜の闇の中で 死ぬ

柔らかな明るさに 弾む声

胸倉を締め付ける腕にますます力が加わる

初恋の、イタリア料理人が笑顔で自分と母を迎える

死が近付く

触れ合う食器 火に掛けられるフライパン

死の音が 死の匂いが 冷たさが 死が

油に何かが焼ける匂い

死が

……油? 焼ける……、匂い?

死が 死が 死が 死が


……匂い?


「っっ…………!!」

 良夫は雄叫びを上げたが、失敗した。良夫の人生において雄叫びを上げる機会など一度も無かったので、反射的に雄叫びを上げる場面だと感じたが肉体が全く付いて来なかった。何事も予行演習というのが肝要である。

 だが、そんな事は無論どうでもいい。

 良夫の幼少時代まで遡った走馬燈が、現代の良夫にある決定的な、過去から未来まで貫く大いなる楔のごときビジョンをその脳裏に呼び起こし、自滅と後悔の生涯を再びその楔を辿って駆け上がり、現代の今わの際に舞い戻らせた。

良夫が雄叫びを失敗したのと同時に行った事がもう一つ。リュドミラの牙が迫る最中、良夫は懐から『ある物』を取り出した。それは瓶。常に持ち歩き時々眺めたりしている瓶。スライス上の乾燥した『チップス』が詰まったそれは、

ニンニクチップスが詰まった瓶なのだ。

 ……ニンニク嫌いの男が何故ニンニクチップスが大量に詰まった瓶を持ち歩き始めた理由は正直に明かすと恥ずかしいモノで、粋がった中学生がバタフライナイフを隠し持つ感覚でニンニクチップスが詰まった瓶を「吸血鬼に対する護身用」と称して常に携帯していたのだ、それも学生時代から今まで(吸血鬼に出会う事など普通ではほぼゼロに近い確率なのにどうしてそんな習慣を続けていたのか、などという質問は野暮である。中二病とはそういうモノなのだ)。そしてそれは同時に、ニンニク嫌いをいつかは克服したい、という意思表示でもある。ニンニク嫌いという人生の大きなシコリにいつかは挑みたいというポーズを表した儀式染みた習慣。いつかは瓶の蓋を開けたい。……賞味期限が過ぎるので頻繁に中身は入れ替えてはいるのだがそういう事では無く精神的な前進という意味での瓶の開封。いつかは瓶の蓋を開けてその中身を食べなければならない。敢えて吸血鬼の弱点を食する事で吸血鬼オタクから少しはマシな人間に成長したいとする意志の象徴。まぁ、ポーズだけである。

 この瓶詰めのニンニクチップスを実戦投入という発想は良夫には最初から露ほども無かった。そして懐から取り出そうとしている今この瞬間良夫は既に大後悔していた。取り出すのはいいけど、どうやって蓋を開けるんだよ!? 瓶に詰まったニンニクチップスを見た瞬間吸血鬼も多少は驚いてくれるかもしれないが、直接触れさせないと何の効果も無い。あと数フレームで血を吸われるだろうというこんなタイミング、この態勢でどのように蓋を開ける!? 良夫の脳裏に瞬発的に、固く閉じたニンニク入りの瓶を片手に亡骸を晒す往生際が悪い上に間抜けな自身の最期を幻視した。死に際すら中途半端で格好が付かない。死に様すらも最悪の選択肢に導く事すら『ワンミリオン・バッドチョイス』の性能の一部だというのならば、それはなんと底意地が悪く無慈悲な魔法なのだろうか!

 そんな後悔とは関係無く肉体は既に動いてしまっている。

 そして懐から取り出したニンニクチップスが詰まった瓶は、

 上部が割れていた。

 本来回して開くアルミの蓋があるはずの瓶にはそれが無く、良夫が反射的に全力で取り出した蓋の無い瓶から、大量のニンニクチップスが、まるで瓶から湧き出るように飛散し宙を舞った。

 良夫とリュドミラは、舞い飛ぶ大量のニンニクチップスと押し寄せる刺激臭を直接顔面で受け止めた。

 途端、首に牙を突き立てる直前だったリュドミラは、大きく上体を仰け反らす。

 それは反射的に回避した動きという訳ではなくもっと原始的なもの、アレルギー的な反応に近い。リュドミラは顔面でニンニクに触れてしまった。リュドミラが両手で押さえた顔面から何かの化学反応のような白い煙がシュウシュウと湧き上がり、その押さえる両手も痙攣して激しく震えている。

 拘束から解放された良夫は転がる様にその場を離れ、リュドミラから距離を取る。

 無論、良夫は瓶の蓋が割れているなどとは全く予想していなかった。恐らく先程投げ飛ばされて石乃共々地面に倒れ込んだ拍子に瓶が割れていた、という事なのだろう。そして多分それを知っていれば『ワンミリオン・バッドチョイス』の能力によりあのタイミングで瓶を取り出す発想には至れなかったはずだ。

 全て『偶然』。ただの偶然で『ワンミリオン・バッドチョイス』を看破してしまった。

 痛みを押し殺すような低い唸り声を上げるリュドミラ。両手で顔を押さえながらも震える両足でゆっくりと良夫が逃げた方向へ向き直る。ニンニクに一瞬触れた程度では吸血鬼の調伏には不十分。良夫もそれは承知している。

 良夫は反射的に、視界の端に捉えた飲料水のボトル程のサイズの瓶を拾い上げた。先程石乃が持っていた聖水の瓶である。まだ中身が少し残っている。

 全身を震わせながら左手で顔を覆いつつ右腕をゾンビよろしく垂れ気味に伸ばしてくるリュドミラ。……顔面からの煙の量が先程より少し減っている気がする。

 リュドミラに相対する良夫の脚は、リュドミラとは全く異なる理由で震えていた。だが、聖水の瓶を手にしたまま何も出来ずにいたのはビビっているからではない、どうすればいいのかわからないからだ。そう、ここに至り良夫は悩む。このまま聖水を振り掛けてしまってもいいのか? 懸念しているのはSNS仲間達の存在だ。彼らが今どこにいるかわからない。良夫が聖水を振り掛けた瞬間、吸血鬼のSNS仲間が現れて誤射してしまう事態というのが有り得る。いや、『ワンミリオン・バッドチョイス』の影響下ならそれは確実に起こる。かと言ってこのまま何もしない方が良いのか? ……いや、多分そう選択した瞬間『ワンミリオン・バッドチョイス』の術中なのだろう。最早良夫の想定範囲から完全に外れた事態が展開している。どうしたら……!

「せ、聖水を……!」

 不意に良夫の後方から絞り出すような声が聞こえてきた。良夫は咄嗟に振り向く。柩野石乃が両手を突いて何とか起き上がろうとしながら良夫に何かを訴えかけようとしていた。

「フラッシュ魔法を……、発動できて、ませんっ……! ……早く!」

 腹部を蹴られたダメージが残っているのだろう、咳込みながら途切れ途切れに良夫に叫ぶ。魔法使いなので魔法を使っているか否かを感知できるのだ。

 良夫はリュドミラの方に向き直り、両手で持った聖水の瓶を腰に押し当て、ゆっくりと膝を落とす。所謂野球選手のビール掛けの構え。このフォームなら真っ直ぐ正面に聖水を振り撒く事が出来る。以前『聖水のTPOに応じた正しい使い方』と称してブログにまとめた事がある。さっき走馬燈の中で確認した。

「聖水を使います! 皆さんは離れて下さい!」

 暗がりの中に居るであろう仲間達に叫ぶと、良夫は腰に落とした聖水の瓶を素早く突き出し、さっと引いた。

 瓶の口から聖水がきれいな弧を描きながら

「グギャアアアァァァァァアアァァ!!!」

 リュドミラの身に降りかかった。つんざく様な悲鳴を上げながら身悶えを始める。服の上にも関わらず、掛かった個所からニンニクの時同様に白い煙が噴き出している。

「オッケーです! 皆さんお願いします!」

 良夫がそう叫んだ途端、リュドミラの周囲から幾重もの影が殺到した。『煩ホル』は右脚、『yayata』は右腕、『オハラ』は左脚、『上楽』は左腕、一斉に掴み掛られリュドミラは前のめりに倒れた。……どうも、良夫の号令に併せてスタンバイしていたらしい。もしかしたら聖水まで使う必要は無かったかもしれない。

 そしてSNS仲間達がそれぞれリュドミラに牙を突き立てる。念願の、吸血。

 その光景を確認して、良夫は、全身の力が抜け思わずその場で膝をついた。


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