吸血鬼、骨肉の闘争
「私も、吸血鬼にしていただけないでしょうか?」
これが合図だ。
良夫がその一言を口にし終えた瞬間、良夫の後方からふたつ、コンクリートの地面を蹴る音が響いた。その音が良夫に聴こえるのとほぼ同時に良夫の両サイドを二つの影、『yayata』と『煩ホル』が走り抜け、目の前の『ワンミリオン・バッドチョイス』に向かって飛び掛かった。
だが、良夫の仕事は『攻撃の合図』だけでは無かった。科白を言い終える直前から良夫は手持ちの黒い日傘を開くモーションを開始し、SNS仲間達が通り過ぎる直前に開き切った日傘の中に仕込んでおいた懐中電灯に灯を点した。
日傘の内側に描かれたのは十字架。
なけなしの細工である。開いた日傘の黒い布を十字架状に切り抜き薄いメッシュの生地を縫い直す事で、畳んでいる状態では何の変哲もない日傘だが、開いて内側からライトを点すと十字架の光を投射する事が出来るという寸法だ。この光を一瞬だけ、良夫の仲間達が突撃した直後にだけリュドミラに発射した。……無論、十字架を見せた位では精々驚かせるのが関の山。どのみちこれは申し訳程度の援護射撃でしかない。
〇.五秒程ですぐ懐中電灯の電源を切り日傘を畳む。仲間の視界に入ってしまっては話にならない。畳むと共に良夫は走る。方向はリュドミラの立つ地点とは逆。前もって目星を付けていたビルとビルの隙間の細道へと滑り込んだ。
ここから先、渡来良夫に出来る事は実は何も無い。『撤退条件』が満たされた場合に各員にそれを伝えるくらいの役割は一応あるが、それは仲間達がそれぞれ確認できる事なので別に良夫が特別に何かを言う必要は無い。
良夫はビルの陰から様子を見る。
リュドミラとSNS仲間達の戦いはすでに始まっている。
丁度、リュドミラの右後方から襲い掛かった『上楽』が彼女の放ったアッパーで空中に跳ね上げられている瞬間だった。顎の下にクリーンヒットしており、宙を舞う『上楽』の肉体は意識の手を離れ虚脱、骨を砕き内臓を捏ねるような不快な音を良夫もハッキリ聞き取れてしまった。そのワンカットだけで十分、思考を放棄したくなる衝撃シーンなのだが、生憎今の良夫にはそんな贅沢は許されない。良夫自身が許さない。
他のメンバー三人を確認。『煩ホル』と『オハラ』はリュドミラの傍で倒れており、『yayata』は左方向十メートルほどの地点で悶絶している。最初の不意打ちは失敗、見事に全員迎撃されてしまったらしい。良夫は心の中で歯ぎしりをする。最初の奇襲で勝負がついていれば話はとても簡単に済んでいたのだが。
『上楽』が地面に墜落する直前、既に『煩ホル』は立ち上がり始めていた。そしてリュドミラが良夫の隠れる方に向き直った時『煩ホル』ゆらりと上体を屈め、リュドミラに再度襲い掛かっていた。距離にして三歩分、『煩ホル』の攻撃対象は右足、前傾姿勢で飛び掛かり吸血鬼の親の脚に手を伸ばす。しかしこれは頭部への回し蹴りで再び弾き飛ばされた。……明らかに骨がどうにかなったような音が闇夜に響いている。
その蹴りを入れた左脚に今度は『オハラ』が襲い掛かろうとするのだが、リュドミラは降ろした左脚を軸にし、突進する『オハラ』を振り下ろした拳で迎撃する。頭頂部を拳の槌で殴られつんのめって倒れた『オハラ』だが、またすぐ起き上がろうとするような素振りを見せたので、リュドミラは地べたでもがく『オハラ』のシャツの首根っこを掴み持ち上げ、やはり起き上がっていつの間にか距離を詰め彼女に躍り掛かっていた『yayata』に向かってアンダースローで投げつけたのだ。
……吸血鬼として格上だからなのか、それとも戦闘経験に差が有るからなのか、噛みついて血を吸おうとする『我が子達』とは格段に動きのキレが違う気がする。まぁ、SNS仲間の四人は吸血鬼になる前は殺し合いなど無縁の一般人である。戦闘能力に差が有るのは仕方が無い。しかし運動性に差が有っても彼らが吸血鬼である事には変わりない。不死性に由来する復元能力が彼らの肉体を即時に継戦可能なコンディションまで回復させる。明らかに骨とか諸々が駄目になったらしい音と共に倒された『上楽』と『煩ホル』がアンダースローを終えたリュドミラの傍でゆらりと立ち上がり始めた。変な角度に曲がった首と歪んだ顔は二人が立ち上がりまた襲い掛かる刹那の内にみるみる元の形状に再生した。そんな二人をリュドミラは再び蹴り飛ばし殴り付けて地に伏せさせる。が、それも一時しのぎ。二人は回復してまた立ち上がる、いやそれよりも先に他の二人、『オハラ』と『yayata』が矢継ぎ早に襲い掛かる。
こちらに決め手は無い。だがそれはリュドミラも同じはずだ。
吸血鬼の肉体の損傷が一瞬で直る現象は人間及び生物で言う所の自然治癒とは全く違う理屈に依るものだと言われている。生物が本来持っている再生能力が強化されているという訳では無く、それとは全く異なる理屈、吸血鬼特有の魔力により細胞の一片一片、肉体の構成部位が元の位置に整列し直しているのだ。すなわち完全なる『復元』。それは人間の肉体で全く同じ呪術を再現しようとする場合より遥かに魔力効率が良い(少なくとも、現在の人類の魔法技術で鑑みれば)。吸血鬼が吸血鬼を確実に退治する場合、十字架・聖水・ニンニクのような弱点を突く道具を扱うのは自爆のリスクを伴うので
・心臓に杭を打ち込む
・吸血により血を完全に吸い尽くす、もしくは吸血鬼としての魔力を奪う
・再生能力が間に合わない位破壊し尽くす
これらの方法になる。いくら『ワンミリオン・バッドチョイス』が戦闘慣れしているとは言え、四人同時に襲い掛かられている状況で心臓に杭を打ち込んだりするのは無理がある。誰か一人の血を吸おうものなら瞬く間に他の三人に血を吸われて逆にやられてしまう。結果、現状のような状況、襲い掛かる格下を最低限の打撃や投げ技で一時しのぎし続けるしか対処法しかなくなる。戦闘能力の差でこちら側が手も足も出ていないが、決定打が打てないという意味ではあちら側も同じなのだ。……この作戦はリュドミラがとんでもない武術の達人だったり『ワンミリオン・バッドチョイス』と同時に別の近接戦闘用フラッシュ魔法を同時発動できるような吸血鬼としても更に規格外の魔法使いとかだったらどうしようもなかったのだが、超高出力の行動妨害魔法に頼るという『ワンミリオン・バッドチョイス』込みのバトルスタイルを鑑みると本人の戦闘力は格上だとしても常識の範囲内であろうという(願望の籠った)見立てがあったので、目の前の膠着状態は概ね良夫の予測通りである。
斯くして、大阪の命運を賭けた戦いは、四名の成人男性吸血鬼が妙齢の女性吸血鬼に眼にも止まらぬ速さで群がり眼にも止まらぬ速さで打ちのめされるという、迫力はあるがスケールの小ささは否めない対決が始まった。街灯によって微かに照らされた暗闇の中でアスファルトを蹴る音、衣擦れ、肉が潰れ骨が砕ける音、アスファルトに肉体が投げ出される音が淡々と響き続けた。
一心不乱に襲い掛かる四人の戦闘の素人達を状況を推し量る様に神妙な表情で叩きのめしていたリュドミラだが、或る時を境に、ハッと瞳を見開き、良夫が隠れているビルの隙間に一瞥をくれた。
そして彼女は笑った、唇の端を歪めてにやりと。それは秘密の悪戯に加担する時のような嬉しげで場違いな笑みだった。
良夫には彼女がこの状況で急に笑みを浮かべた理由に心当たりがあった。恐らく気付いてしまったのだろう。それは無論良夫達にはあまり歓迎すべき事では無い。この状況が作り出されているという大いなる違和感、何故SNS仲間達がリュドミラに対して普通に攻撃が出来ているのか、そのタネがバレてしまったのだろう。
大阪の現状を良く知る者、そして『ワンミリオン・バッドチョイス』の呪術の性質を知る者にとっては、今良夫の目の前で展開している状況に深い疑問を抱くはずだ。「何故、リュドミラ・ブルハノフと戦っている男性四人はちゃんと攻撃が出来ているのだろうか?」と。『ワンミリオン・バッドチョイス』のフラッシュ魔法は無数の選択肢からより悪い回答を無意識に相手に選ばせる魔法なのだが、それを同じ目的に臨む複数人を同時に対象とした場合、単体を対象とした場合よりも遥かに多くの選択肢が広がる事になる。本来ならば、『ワンミリオン・バッドチョイス』の影響下で無数の可能性が拓けるという状況には一切の希望は無く、相乗効果で独りきりの時よりもより悪い選択肢を強制的に選ばされる未来しかないのだ。
SNS仲間の四人は判断をしない。行動パターンを予め決めてしまっている。
例えば攻撃する個所。『煩ホル』は右脚、『yayata』は右腕、『オハラ』は左脚、『上楽』は左腕を狙い噛み付き血を吸うという分担を前もって決めていた。各自はその担当の攻撃ポイントを狙い両手ないしは片手で掴み噛み付く。それ以外の行動は一切行わず、機転も利かせない。例えば攻撃の最中、ターゲットに最短距離で近づいている時に仲間とぶつかりそうになった場合には両方とも一切避けず成り行きに任せたまま形振り構わず最短ルートを目指す。両人は無論ぶつかるだろうがそれは誰も一切何も選択しなかった末の出来事、選択肢が無い場所に『ワンミリオン・バッドチョイス』の呪術の付け入る隙は無い。
戦闘中に何ひとつ判断しなくても済むように状況状況に応じた行動パターンを前もって決めておいてそれに沿って戦う事で『ワンミリオン・バッドチョイス』の影響を受けないようにする、というのが良夫が考えた作戦だ。選択肢が最初から一つしかないのなら『悪い選択』を強要される心配は無い。リュドミラが行いそうなあらゆる行動への対策と『撤退条件』を考え得る限り全てマニュアル化し、良夫に従う吸血鬼四人は徹底的に愚直にそれに沿って行動するのだ(最終的に結構な数のケースを想定したのだが、どうも吸血鬼化すると身体能力と同様に記憶力もある程度強化されるらしいので四人とも正確に暗記する事が出来た)。そもそも良夫達にはいくら吸血鬼や式神使いから過大評価されようとも戦闘においては素人集団でしかなく、長年の勘や咄嗟の判断や機転等には一切期待できない。ガチガチに行動パターンを固めた方が迷いが無くなって良かったのかもしれない。いや違う、『迷いが無い』のはこの作戦のお蔭ではなくそれを実行する仲間達四人の覚悟の賜物だ。手持ちのカードでリュドミラと戦う上でこの方法が一番勝てる可能性が見いだせる方法のはずだが、この作戦は前提としてほぼ無防備な状態で親吸血鬼に何度もぶちのめされるというリスクを負う事になる。攻撃を防御する過程で何かを意図せず選択してしまう可能性が高まるからだ。肉体こそ瞬く間に修復するが、殴られ蹴られ骨を砕かれ肉を裂かれる度に、人間の頃と変わらぬ激痛を彼らは感じているはずなのだ。この作戦を提案したのは他ならぬ良夫だが、最初はこんな負担を掛ける方法を実行してもらう気にはなれなかった。しかし五人でとことん考え抜いたが結局これ以上に有用そうな作戦を思い付く事は無く、最終的に「良夫が提案してくれた作戦を信じる」と四人から言われた時は本当に申し訳無い気持ちでいっぱいだった。……それゆえに良夫は彼らが戦っている今この場を離れる訳にはいかなかった。自分が巻き込み、そして今幾度殴られ蹴られても起き上がり戦い続けるSNS仲間達を見守り続ける責任が自分にはあると良夫は考えていた。せめてものケジメである。
今のところ、ちゃんと戦いが成立している。
必ず間違った選択肢を選ばせる『幾重もの悪手』相手に継続して攻撃を続ける事が出来ている。『ワンミリオン・バッドチョイス』の性質から鑑みるとこれだけでも相当驚くべき事なのだろうが、どうしても勝たねばならない良夫達にとっては戦いを継続『出来ている』状態はベターにもほど遠い。前以て行動パターンを決めて最低限の動き以外余計な事をしない極力戦闘行動を単純化させたこの作戦はハッキリ言って敵にとっても単調で読まれやすい。一応数回に一度攻撃する個所を変えるとかそれくらいのフェイントは用意しているが、理想だったのは不意打ち。最初の一斉攻撃で、「『ワンミリオン・バッドチョイス』を発動させておけば肉弾戦で不利になる事は無いだろう」という侮りに付け込んで相手がこちらの手口を察する前にさっさとひと噛みを加えたかったのだ。流石に二つ名持ちの吸血鬼、フラッシュ魔法に頼り切っているだけの甘い相手ではなく自力も備えているという事か。
無責任な吸血鬼ウォッチャーとしてなら現在のこの戦いは中々胸の躍るモノだったのかもしれないが、今は完全に当事者。口の中がからからになり血の味がする。
飛び掛かるSNS仲間達が淡々と打ちのめされる光景が延々と続いている。無論リュドミラも吸血鬼なので相手の体力損耗を期待する事は出来ない。こちら側には一人でも噛み付けば相手の魔力に大きな不協和を与えられるという点でリュドミラのミスに期待するという戦い方が出来るが、こちらの攻撃が単調なので、時間を掛ければ掛けるほど、何らかの対抗手段を立てられるリスクが増す。
淡々とした夜戦の最中、不意にリュドミラを中心に空気が爆裂する轟音が響き渡る。左側から襲い掛かろうとした『上楽』がその爆音と同時に綺麗に弧を描きつつ五メートルほど吹き飛ばされた。
それを見た瞬間、残りのSNS仲間三人は飛び掛かる動きを止め、後ずさりする。
爆音の中心であるリュドミラの右手には四十センチ程の丈の銀色の杖が握られていた。『ショック・ロッド』と呼ばれる『魔法の品』である。杖の先端に嵌め込まれたトパーズの原石に衝撃波を発生させる術式が前以て刻み込まれており、指向性の無い魔力を一定量籠める事により『命令』を起動し魔術を構築する事が出来る。やはりとんでもなく高価なシロモノだが、特定の術式を資質に関係なくフラッシュ魔法の様に使用する事ができるので瞬発的な魔術運用が求められる戦闘魔術師などには似たような『魔法の品』は広く普及している。
しかしながら、解き放たれた銀色の凶器は二射目を放つ事は無く、急に攻撃の手を止め間合いを取り始める格下吸血鬼達ひとりひとりに交互に『ショック・ロッド』の先端のトパーズを向けながら出方を窺っている。ここで無闇に『ショック・ロッド』を乱射して魔力を無駄遣いしない辺りは流石と言うべきか、良夫は内心歯痒く思いながらも感心する。リュドミラの側からすれば、得物を取り出すと同時に急に『我が子達』の行動パターンが変化したので状況を見極めようという判断なのだろう。
リュドミラが『ショック・ロッド』を使用する事を良夫は戦う前から既に知っていた。それは生き残ったヴァンパイアハンターからもたらされた貴重な情報であり、一般の報道で世間にも知られている。そして無論、良夫(達)は『ショック・ロッド』対策についても先んじて考えてある。
この手の自動構築を行う『魔法の品』を使用する際には重大な注意事項がある。余程の例外が無い限り、一人の術者がフラッシュ魔法を使用しつつ『魔法の品』を起動させるのは不可能なのだ。出力する魔力の純度がバラバラだとか魔力に籠める思惟の指向性の乖離など幾つかの理由があるらしいが、(魔術について専門的な事はわからない)良夫達にとって重要なのは、『ショック・ロッド』を使っている時はフラッシュ魔法は解除されているという点だ。
リュドミラの立場からすると、フラッシュ魔法と『魔法の品』を併用出来ないという欠点は必ずしも致命的には成り得ない。彼女が徒手空拳で倒せない相手と戦う際、まずフラッシュ魔法で挽回不可能な悪手を選択させてから『ショック・ロッド』に切り替えて止めを刺すという様な戦い方を想定しているはずだ。良夫と四人の吸血鬼を相手取る今回の場合は、敵の方が『ワンミリオン・バッドチョイス』発動下での戦闘を想定した行動に終始しているので、『ワンミリオン・バッドチョイス』を解除しても何の問題も無いと判断、攻撃力重視で『ショック・ロッド』に切り替えたという所だろう。
ハッキリ言って『ワンミリオン・バッドチョイス』からの攻撃手段切り替えは良夫達にとってはかなり不利だ。『ショック・ロッド』の直撃を受ければ、吸血鬼といえども相当なダメージを受ける。殴られるのと猛スピードの自動車にぶつかられる位の違いがある。波状攻撃で相手の動きを制限してミスを生じさせるのが良夫達の作戦なので、回復に時間が掛かる深手を負ってしまうと作戦が成り立たなくなってしまうだけでなく、最小限の吸血しか行っていないSNS仲間達のエネルギー/魔力が尽きてしまう危険があった。一応『ショック・ロッド』を持ち出してきた時点でフェイントを交えた攻撃にシフトするという計画にしていたが、そのフェイントの方法すらもパターン化せざるを得ないので(これは『ワンミリオン・バッドチョイス』の発動を恐れているのではなく、先頭の素人である彼らに独創的な立ち回りを瞬時に組み立てるセンスが皆無である事に起因する)、やはりそこから法則性を読み取られてしまうとどうしようもなくなる。ここまでくると『撤退条件』にほぼリーチを掛けてしまう形になる。
この状況で『ワンミリオン・バッドチョイス』を解除し『ショック・ロッド』に切り替えた彼女の判断は正しい。だがしかし――。
杖を構え退治する吸血鬼達を見据えているリュドミラはふと辺りの雰囲気に違和感を覚えたらしく顔をしかめた。そして弾かれるように背後に振り向いた。
――その判断が正しいのは飽くまでも、こちら側が今まで明かした手の内の範囲で鑑みた上での事でしかないのだ!




