開戦に向けて
魔法使い・柩野石乃と契約社員・渡来良夫が会食していた部屋に、元人間現吸血鬼のSNS仲間三人を迎え対『幾重もの悪手』戦について話し合われた(因みに、石乃の協力を得る事に関してはこの場に居ない『煩ホル』以外の全員一致で賛成だった)。話し合いと言っても、先ずは良夫が石乃に自分達の『作戦』を説明する所から始まるのだが。
良夫達の作戦を聞いた石乃の第一声は
「……確かに、理屈の上では『それ』で『ワンミリオン・バッドチョイス』の呪術に対抗出来ていると思います」
である。良夫は、作戦に同意して貰えたにも拘らず何故か素直に喜べなかった。自分の作戦しか選択肢が無い、逃げ道を塞がれた気分だ。
「正直驚きました。多分、Vハンや魔法使いには絶対思い付かない方法です。
ただ問題は二つ、一つはリュドミラが『ワンミリオン・バッドチョイス』以外の呪術を使ってきた場合に対応できないかもしれない事、そしてもう一つは」
「そもそも四対一でこちらが勝てるのか、って事だよね?」
良夫は、石乃に問題点を指摘される前につい先回りしてしまった。石乃はそれに黙って頷く。自分が考えたプランが他人に否定されると何か傷付く。結局作戦を肯定されたいのか否定されたいのかハッキリ定まらず、煮え切らない自分がほとほと嫌になる。
「確かに『ワンミリオン・バットチョイス』のフラッシュ魔法をフォローするような方法を他に用意してたらどうしようもない。でも通常の儀式魔法(肉体に刷り込ませたフラッシュ魔法ではない、魔法陣や呪文を用いる正規の方法で発動する魔法全般を指す)を構築する場合はいくら吸血鬼でも数秒無防備になる。いくら相手が二つ名持ちで場数の差があっても、四人相手にそんな時間は無いと思う」
良夫の両サイドに座るチャット仲間の緊張が彼らの顔を見ずとも、良夫には感じ取れてしまった。良夫は申し訳無い気持ちで一杯だったが、今は与えられた『作戦立案者』の役を演じぬかねばならない。
「ですが何か別の魔法の品を用意している可能性があります。『串刺し公の標』や『ショック・ロッド』以外の」
「その場合は『撤退条件』に引っ掛かる」
「……」
「四対一で勝てるかどうかだけどこれは、というかこれもやってみなくちゃ判らない。この作戦は『四対一の肉弾戦なら勝機がある』って事を根拠もなく前提にしているからね。四人で掛ってどうにもならない場合は作戦そのものが破綻する。当然、『撤退条件』にも引っ掛かる」
「……この作戦、もしかしたらわたしが手伝う余地が無いのかもしれません」
良夫等に対して、と言うより殆んど独りごつ様に石乃が呟く。
「不用意に戦闘に参加すれば『ワンミリオン・バッドチョイス』の能力で逆に邪魔になってしまいそうですし」
静かに、そして口惜しげな石乃の言葉。
「いや、占術の専門家ならやって貰える事があると思うよ」
石乃が物音に警戒する野生動物みたいな反応で良夫の顔に視線を向ける。その眼は貫く様に真摯で、尚且つ期待が込められていて、良夫を慄かせる。
「ええと、素人だから間違ってるかも知れないんだけど、占いの魔法って遠くに居る見知らぬ相手より直ぐ近くに居る相手を占った方が的中率が高いって言われているよね?」
「はい、そうです。占う対象との縁が深ければより綿密に対象の未来を予測できます。しかし相手が知り合いであれば占術に主観が入り上手く占えなくなる場合があります。見たくない相手の姿から眼を背け、見たい姿を無意識下で見ようとしてしまうのです。無論、それらを防ぐ構築工程を付加すれば問題ないのですが」
「成る程、細かくなってかつ主観が入りやすくなる訳か。
じゃあさ、ええと、多分データが少ないから想像の範囲でしか判らないんだろうけど、『ワンミリオン・バットチョイス』の呪術で占いを防ぐ場合どっちのパターンの方が防ぎにくい? いや、どっちを防ぐ方が魔力や手間が掛かるかって聞き方の方が適切か」
「恐らくどちらに対しても必要な魔力コストは同じでしょうね。自分について占う占術に干渉する事には変わりないですし。
……もしかして、わたしの役割は占術で『ワンミリオン・バッドチョイス』の魔力を無駄遣いさせる事でしょうか」
「う……うん、例えばそんな感じのとか」
魔法使いを顎で使うような現状に良夫は改めてビビった。いきなり声を荒げて怒られたらどうしよう、という恐怖が常に付き纏う。しかし良夫の恐れとは別に石乃は提案について何かを熟考しているような素振りを見せる。
「他の占い師にも頼んでみましょう」
考えが纏まったらしい石乃は、良夫の顔を真っ直ぐ見据えて言う。
「事情を伏せても協力してくれそうな知り合いに二人程心当たりがあります」
その眼は冗談を言っている様には見えなかった。冗談じゃない、と良夫は思った。話がどんどんでかくなっている。
「……で、でもさ、複数の占い師が同時に同じ事柄を占うと、精度が物凄く落ちるんじゃなかったっけ? ほら『バタフライ効果による情報エントロピーの極大化』とかいう現象がさ」
しかしそれでも有らん限りのオタク知識でプロにツッコミを入れてしまうのが渡来良夫の『グッドマン』たる所以である。
「ああそうか、精度が低くても占いである事には変わりが無いからそれは問題無いのか」
「そうですね、それにバタフライ効果に注意しなければならないのは過去視から未来を予測する場合が主ですから。純粋に過去を知ろうとする場合は特に気にする必要のない問題です」
石乃は何気無く良夫の間違いを指摘する。良夫の方は中途半端な理解で知識をひけらかした自分が恥ずかしくなった。しかしいい加減自己嫌悪に陥るのは後回しにしよう。
「なるほど、これなら、わたしも限定的ですが戦闘に直接参加できるかもしれませんね」
石乃の表情に微かな高揚が浮かんだ。少し違和感を覚える。戦闘に参加する、という言葉の中に占術で援護するという事以上の意味合いが含まれているのが良夫にも読み取れた。
……『yayata』は石乃の事を『式神使い』かもしれないと良夫に教えた。『式神使い』と呼ばれる魔法使いには二種類いる。霊的な力を持った存在(精霊やら魔物)を呼び出したり命令を与えたりする『使役型』と架空の怪物を魔法で直接作り出す『創作型』(とちらも一人の肉体から二種類以上の別々の魔力が漏れ出ているように感じ取れるらしい。二重の存在を宿しているように)。石乃は自分を『創作型』の式神使いだと言っていたが、同時に彼女は過去視魔術の専門家を名乗っていた。両方の魔法に精通している、と言うより過去視にも利用できて戦闘能力も有する式神を創作すると考えた方がしっくり来るように良夫には思えた。
「わかりました。わたしのフラッシュ魔法についてお教えします」
「……いいの?」
「わたしの式神について説明しなければならない理由はよくわかりました。わたしの術式を作戦に組み込めば勝率を上げられるはずです」
魔法使いであり美少女でもある目の前の人物に信頼されてしまっている事を良夫は痛いほど感じていた。気持ちが昂る反面信頼に応えられなかったらどうしようという気持ちが大きくなる。良夫は根っからのチキンである。
その時、良夫は懐の携帯電話から振動を感じた。更に仲間の三人の方からもそれぞれ小さく細かい振動音が聴こえてきた。それぞれは急いで携帯電話を確認した。
メールによる着信。送り主はこの料亭に移動しているはずの『煩ホル』からだった。そのメールの内容は
内容は
内容は
――ちゃんと読めるはずなのに、何故か良夫の頭はその文章を理解しようとしたがらなかった。
「どうなさったんですか?」
次々と携帯電話を開き確認する四人の代表、良夫に石乃は尋ねた。良夫は話しかけられ
る事でようやく意識が現実に戻った。
「こちらに向かっている『煩ホル』さんが途中で見つけてしまったらしい、リュドミラを」
石乃はその言葉に驚きと戸惑いの表情を浮かべた。しかしそれは一瞬、唇を引き締め、落ち着いた真剣な視線で良夫に応える。それは自身の覚悟を相手に端的に伝える手法。良夫には、そんな石乃のサインに応える余裕は無かった。心臓に杭を突きたてられた気分、気を抜くとようやく抑えられた奥歯の震えがまた始まりそうだった。
ヴァンパイアハンターと魔法使い達の『リュドミラ・ブルハノフ』捜索を妨げる二つの要因を記す。
一つはフラッシュ魔法(だと思われる呪術)『ワンミリオン・バッドチョイス』。そしてもう一つはリュドミラが現地で精製している(らしい)魔法の品、『串刺し公の標』である。
この『串刺し公の標』は大して強力な魔法の品ではない。機能は、それを精製した者の『気配』を過剰に発散するというだけである。精製のためには吸血鬼特有の魔力が必要だが、長さ一〇〇cm以上の細長い金属製の棒が有れば簡単な儀式と少量の魔力で造り出せる。用途としてはある種のマーキング、その場所一帯が自分の縄張りである事を視覚的にだけでなく皮膚感覚や精神面にも印象付ける。その『標』が立てられている場所一帯が、自分の勢力下である事を近付く者に警告するのだ。実際にそれに近付けば、その『標』に籠められた魔力の主に監視されているような気分にさせられ、落ち着かなくなるだろう。
この『串刺し公の標』は、『ワンミリオン・バッドチョイス』の占いを当たらなくするフラッシュ魔法を補強するためのノイズとして設置されたのではないかと考えられている。占いを当たらないようにするためには無数の紛らわしい過去と未来、つまり『標を設置した過去』と『破壊された標を再度構築し直す未来』などの可能性に過去視と未来視を導くのだ(いくら占いを当たらなくする呪術でも、そもそもの選択肢が少ないと占いの結果に現れなかった事象が真実、という事になってしまう)。あとは占いに頼らず自力でリュドミラを探そうとする者への対策。『魔力の質』を感じ取る事に長けた魔法使いや広範囲の魔力を感知できる魔法の品を用意している者にとっては『串刺し公の標』は非常に紛らわしいデコイになる(もっとも、仮にリュドミラを見つけられたとしても、彼女のフラッシュ魔法で非常に不利な戦いを強いられるのだが)。
――『煩ホル』が料亭に無事到着して良夫達と合流した後、改めてリュドミラとの戦い方について話し合われた。
『串刺し公の標』と、それを構築した術者の見分け(感じ分け)は特別な訓練を積んでいる人間以外にはまず無理だ。が、それが吸血鬼となると、実は違う理屈が働く。
『串刺し公の標』が発する魔力や存在感はそこが自分の領地かあるいは餌場であることを他者に示すが、同族はさらに敏感にそこから情報を読み取る。同種の獣にだけがわかるマーキング。喩えは悪いが、獣が排泄物などの匂いで自分の縄張りを主張するのに似ている。特に吸血鬼は上下関係が非常に厳しい。吸血鬼特有の痕跡で相手の格を正確に読み取れねば命に関わるし、それ以前に吸血鬼の本能で嫌でも読み取れてしまうのだ。 ……つまり、吸血鬼同士なら、同じ『串刺し公の標』でも嗅ぎ分けが出来てしまうのだ。それが攪乱のための適当な紛い物なのか、より重要度の高い領域なのか、そもそもそれ以上に魔法の品構築者本人が居るのかどうかすら判別できてしまう。これは一般人には、もとい魔法使いや専門家にもあまり知られていない。良夫も殆んど妄想に近い仮説を本かネットで目にしただけで、実際に吸血鬼化した仲間達で『実験』してみるまで確信できなかった程だ。いくら現代が『蜜月時代』だからと言って吸血鬼は人間に自分達の体質や秘儀についてあまり教えたがらない。未だに知られていない生態もまだまだたくさんあるのだろう(そもそも吸血鬼が『生き物』なのかどうかすら議論の余地があるけれど)。
しかしこの吸血鬼の性質(あるいは習性)を利用した捜索方にはひとつ大きな粗がある。『串刺し公の標』は構築主の存在感や魔力を過剰に立ち上らせるが、逆に本体は目立たないように気配を消すという事も可能なのだ。しかも、リュドミラ側は、敵対する勢力に吸血鬼が居ることを知っている(というか、自分で敵を増やしている)。吸血鬼同士による縄張りに対する感度の高さを警戒しているなら『串刺し公の標』の中に紛れようとせずもっとわかり辛い意外性のある場所に隠れようとするだろう。そうなると若輩吸血鬼達の本能とハングリー精神、相手のハイド能力よりこちらのシーク能力が上回っている事に賭けるしかない。
『煩ホル』は『担当区域』からこの料亭に移動する間にリュドミラを見つけた。厳密にはリュドミラの気配を感じ取っただけで本人を直接見たわけではない。それは日中に撤去してもその次の晩にそれ以上の量が設置される『串刺し公の標』の一つであるかのように紛れ込んでいたらしい。姿は隠して気配は消さず。まるで吸血鬼にだけ見つけられるように隠れているかのように。
リュドミラのそうした行動を実は良夫は想定していた。最も、思い付いた良夫自身も信じていなかった妄想に近い可能性だったが、ターゲットの中途半端な隠れ方からその有り得ない可能性が補強されてしまった。
つまり、『幾重もの悪手』は良夫達に会いたがっているのだ。