回想パートおよび式神使い対談3
渡来良夫(二十八歳)は普通の人間だ。魔法も使えないし吸血鬼でも無い。大手スーパーに食品を卸している総菜メーカーの契約社員として働き(一応生産ラインの指導役、という形だけの肩書きが自身もラインに入って細かい手作業をしている)、駅から歩いて二十分の安アパートで暮らす。
ただ良夫と吸血鬼との接点は、一方通行ではあるが確実に在る。良夫自身はそれについて、そこまで至った経緯を包み隠さず話すには幼少の頃まで遡らねばならないと考えている。
小学生低学年位の頃か、大人になった今となってはその頃の記憶は曖昧模糊としているが幾つか嫌にハッキリと覚えていることもある。子供時代の自分がどうしようもない程頑固な奴だった事とかイタリア料理の女性料理人に恋をした事とか。
このイタリア料理の女性料理人というのは良夫の母親の親友で、家族ぐるみの付き合いがあり、家族で彼女が働いているレストランに食事に行くこともしばしばあったし、家に遊びに来て料理を作る事さえあった。朗らかで明るく、とても生き生きした笑顔の女性だったと良夫は記憶している。
それは学校の先生が好きだとかいう感覚に近い無邪気な物だったのだが、少年渡来良夫には反面そのイタリア料理の女性料理人が嫌いだと思ってしまう点があった。良夫はニンニクが大嫌いなのだ。
こってりとした激臭とその奥にほんの少し香る植物特有の青臭さのブレンドが良夫にどうしようもない生理的嫌悪感を与えた。そして高い割合でニンニクを使用するイタリア料理も良夫には苦手だった(ペペロンチーノなどは、今でも写真で見ただけで憂鬱な気分になる)。母親が親友のイタリア料理の女性料理人の店に良夫を連れて通った理由も良夫のニンニク嫌いを荒療法で直そうとする意図もあった。しかし結局、良夫のニンニク嫌いは治る事は無く、小学生高学年になるかならないかという頃女性料理人は武者修行と称して単身イタリアに渡った。良夫は寂しく思ったし同時にイタリア料理を親に食べさせられる口実が減った事に少しほっとしたのも事実だ。しかしこのイタリア料理人の存在が、後の良夫の恋愛観に深いしこりを残した。好きだった相手が作った料理を心から喜んで食べる事ができなかった。イタリア料理人への恋慕を持ってしてもニンニク嫌いを克服出来なかったという事実が良夫に恋愛に対する劣等感を植え付けた。自分は誠意を持って心から人を愛せない人間なのではないだろうか、という風に(凹凸の激しい特徴的な顔や、大学卒業後就職できずに派遣社員なってしまった事に代表される人生の局面での要領と引きの悪さも大きな一因になっているのだけれど)。
恋愛感情を持ってしても克服出来なかったニンニク嫌いは、同時に自ずとある存在への興味を良夫に抱かせた。吸血鬼である。ニンニクは陽の光や十字架と同様吸血鬼の代表的な弱点として挙げられる。人間よりも圧倒的に強い力を持った存在が自分と同じ物が嫌いだという事にシンパシーを感じ、吸血鬼の性質やその歴史的背景に興味を抱くようになっていった。――因みに、魔術師柩野石乃との対峙中に着ている黒のコートとフリルに満ちたワイシャツ、更に黒い日傘はなんと良夫の普段着で吸血鬼のコスプレも兼ねている。吸血鬼狂信者という訳ではないが吸血鬼オタクと言われるのも仕方が無い位には吸血鬼に傾倒している。
ネットワーク技術の発展に伴い、その集めた知識を披露しようという考えは至極自然に浮かんだ。インターネット黎明期に開設したホームページ『首筋歯形倶楽部』は、吸血鬼に纏わる歴史や事件、その生態や有名吸血鬼の二つ名やそのフラッシュ魔法についての考察、果ては吸血鬼が題材になった創作物の研究なども手掛ける吸血鬼の総合情報サイトとして今なお運営されている。と言うより、この『首筋歯形倶楽部』は総合情報サイトとしての役割を超えて、ネットワーク上での吸血鬼に纏わる話題そや流行そのものの発生源としても注目されている。特に『クリスマスと吸血鬼』との関係に関する考察は今なお語り草である。「クリスマスはキリスト教の行事で町中に十字架が掲げられる。クリスマスに独り身の奴らは恋人がいないのではなく僅かに吸血鬼としての因子のある人間で外に出る事が出来ないだけなのではないだろうか? 吸血鬼としての因子のある人間が恋人を作らないのはクリスマスに不必要に外を出歩く事を本能的に恐れた防衛手段である」というような趣旨野文章を素人には真贋が見極め辛い歴史的出来事や学説の引用などを交えつつ論文風に書かれた三万字程度の馬鹿馬鹿しい文章は毎年クリスマスを独り身で過ごす人々にある意味一大ムーブメントを巻き起こした。今ではクリスマスが近付くとネット上の掲示板等で訊いてもいないのに自ら吸血鬼を主張する輩が跳梁跋扈する光景はお約束と成りつつあった。クリスマスに独り身であるという劣等感を自分が吸血鬼に近いという優越感に反転させるという発想が多くの人に共感を得た、という風に分析する者もいるが、急に訳のわからない物が流行り出す事自体が流行の性質でもあるので『何故流行ったか』という問いに対しては良夫は思考しないというスタンスを貫いている。文章を書いた良夫自身もどうしてこうなったのか全く理解できずパソコン画面の前で茫然としたり震えたり変な笑いが止まらなくなったり恐怖を感じたりしたものだ。
そんな経緯もあり、渡来良夫ことハンドルネーム『グッドマン』はヴァンパイアフリークの間では『知る人ぞ知る人物』として認知されるようになった。良夫は一人歩きするネット上の自分に戦々恐々としたが、それで自分が偉くなる訳でもない事を十分にわかっていたので(大学就職後就職をし損なって契約社員になってしまったというのが現実な訳だが。だからと言ってネットワークの世界で驕ると言うのも陳腐で嫌だった)、これまでと変わらず謙虚に吸血鬼の研究・資料集めを続けていった。そう、自分に思い上がりなど無いつもりだった。
そしてある時、大阪に『幾重もの悪手』が現れた。被害者の冥福を祈りつつも地元に二つ名持ちの吸血鬼が現れた興奮を隠す事は良夫には出来なかった。ネット上でも異様に盛り上がり、遂に警戒レベル3の大阪市内でオフ会を開く事になってしまった。……無論、それはお世辞にも懸命な行いとは言えない。分別ある大人ならそんな危険な企画を開くべきではないだろう。しかし良夫自身、被害者という形で確実に存在を誇示する吸血鬼を無視するのは自分の沽券に関わる事の様に思えたし、企画の内容も夜では無く昼の町を歩き、いくつかの災害現場を見て回る程度のものでそれ以上危険な事はしないでおこうと硬く決めていた。
オフ会に集まったのは全員で五人。主催者『グッドマン』こと渡来良夫と、過去のオフ会にもしばしば顔を出す関西県在住の顔馴染みのSNS仲間四人。――良夫としては予定していた道順をただ巡っていただけで、影の深い危険な場所(人気のないアーケード下など)は避けて道を選んだつもりだった。しかし、他の四人はどうも、違った。いつの間にか一人はぐれている事に気が付いた。一旦道を引き返して皆で探してみるのだがまた一人ずつ居なくなり、最後には良夫独りだけになった。途方に暮れ、警察なりヴァンパイアハンターなりに助けを求めるべきなのかと思い始めた頃行方不明になっている一人から携帯電話に電話が掛って来た。教えられた場所、皆が失踪した辺りからさして離れていない場所に立つ人気の無い雑居ビルの階段で待っていた四人は既に吸血鬼化していた。
四人に共通する顛末は、現代の大阪(一部区域を除く)に明らかに不釣り合いな格好の人物、黒いゴスロリ服の男性版みたいな仰々しい服の妙齢の女性の姿が視界の端に見えたので、他の皆に何故か一言も声を掛けず追い掛けて日陰に入った途端意識を失い、気付いた時には吸血鬼化されてこの雑居ビルの階段に放置されていたという事だ。彼ら四人の首筋にはそれぞれ鋭い二つの犬歯の痕があった。……凶眼の類で対象をコントロールする呪術にも似ているが、どうもこれは『ワンミリオン・バッドチョイス』の最悪の選択肢を強制的に選ばせる魔法の応用の様に思える。四人はおかしな格好をした女性を見かけた事を誰にも話さず独りで黙って追いかけるという良くない選択肢を強制的に選ばされたのだ。しかも本人には意図的に良くない選択をさせられているという自覚は無い。ちょっとだけ確認して直ぐ戻ろう、という様な気持で単独行動をした、という事らしい。
もっと注意しておけば、『幾重もの悪手』の能力についてもっと深く考えておけばこういう事態は避けられたのではないか? 良夫は自責の念に駆られたが自分ごときが吸血鬼に対抗できると考える事、更にはそもそも吸血鬼を無視する事が自分の沽券に関わるなどと最初に思ったそれ自体がとんでもない驕りなのではないだろうかと思い至り、後悔した。
恐らく自分の思い込みだが問題から眼を背けるための口実かもしれないが、良夫は考える。自分の少しずつ確実に落ちぶれていく有り様は、全てニンニクが嫌いである事が起因しているのではないかと。他にもコンプレックスはいくつかあるが、ニンニク嫌いはより特別に自分の人生を致命的な部分にまで流転させているように思える。好きだったイタリア料理人を拒絶した時から視界の端の方に見えていた暗く深い破滅への大穴は今、眼の前まで迫りその巨大な暗黒の中に引き摺り込もうとしている。
……子供の頃の話までする必要は無かったのではないか? 良夫は話を終えた後少し後悔した。
ただ、如何にして吸血鬼オタクになったのかという部分を言及しておかないと石乃に信じてもらえない様な気がしたのだ。情けない半生も加味されて警戒心も薄れてくれることだろう。
そして石乃はと言うと、呆れている様な面喰っている様な茫然としている様な、何だか説明し辛い表情をしていた。予想外の話を聞かされて混乱しているのか、或いはそもそも理解できなかったのかもしれない。石乃は、そんな自分の様子を見て戸惑っている良夫の様子に一瞬訝しげに眼を細めてから訊ねる。
「それで、どうしてあなただけ吸血鬼化されなかったのですか? 何か心当たりは?」
「さてね、見当もつかないよ。それを言えばなんでオレの仲間が狙われてしかもわざわざ陽の当らない場所に放置されていたのかもわからない」
これについてはもう只の愉快犯なんじゃないかと良夫は思っている。ヴァンパイア・ハザード警戒レベル3の大阪に吸血鬼を放置したらどうなるでしょう? という疑問を形にした安易な社会実験。人間に置き換えるとご飯の食べ残しを玩具にするようなものだろうか? あまり行儀の良い遊びとは言えない。
「とりあえず、あなたが魔術に詳しい理由はわかりました」
石乃が自分で自分の言葉を推し量る様に言う。
「自分の尺度や知識だけで常に正しい答えが導き出せると考えるのはただの傲慢だ、とかつて師匠に言われたことがあります。隣りの部屋の人達が吸血鬼になった経緯などはどうにもハッキリしないように思えますし先程の話も完全に理解できたとは言い難かったのですが、取り敢えず信じてみようと思います」
要するに判断を保留するという旨の言葉と今の石乃の眼付きから察するに自分の決死の恥ずかしい暴露話は十分な効果があった訳ではないという事がわかった。相手を呆れさせる意図で披露した半生なのだが良夫の正体が斜め下過ぎて、石乃のキャパシティを超えてしまっているように良夫には思えた。不気味な存在感が更に増しただけかもしれない。
「んー、素人考えで恐縮だけれど、取り敢えず程度にしか信用できない話なら占いで確かめてみればいいんじゃない? 一級魔術師で過去視術の専門家でオレの顔や名前がわかっているなら簡単じゃない?」
逃げの一手で言ったつもりだったが、言った瞬間良夫は「しまった」と思った。石乃は今まで以上にキツイ眼付きで良夫を睨んだ。心なしか石乃の質量が急に増えた様にも錯覚出来た。
「人間本来の能力の代わりに魔法を使うべきではありません。人を見定める力はそれに当たります。それに無闇に他人の過去を覗き見るような下品な真似はしたくありません」
気配として感じ取れた感情の高ぶりに反して石乃の声色は不自然に穏やかだった。それが逆に恐ろしくも感じられたが。
過去視に関する呪術を使える魔法使いが妄りに他人の過去を覗き見る事を控える事は一般的、という訳でもない。完全に性格の問題だ。過去を暴きたがる魔法使いはどんどん暴く。ただ石乃の様な真面目そうなタイプは、理性や自制心を重んじ呪術の研究を自身を高める手段として捉えている節がある、という通説があり、何でもかんでも呪術で解決すればいいという発想はとても嫌がられると言われている。……どうも彼女なりの線引きを土足で踏み躙ってしまったらしいと良夫は理解し、背筋が寒くなった。
「……申し訳ない。気に障ったなら謝る」
「いえ、謝ってもらう必要は」
石乃も露骨に怒りを露わにした事を恥じたのか、若干申し訳なさそうに言う。
実際だが、
実際良夫はSNSの仲間達が吸血鬼化する経緯に関して嘘は付いていないが、一つ敢えて口にしていない事があった。オフ会の裏の目的、というか努力目標についてだ。
それは吸血鬼に於ける支配脱却のルールに関わる。支配脱却のルールとは、吸血鬼化した元人間がその親吸血鬼に噛み付き返す事により支配権を剥奪して人間に戻る事ができるという物だ。実はヴァンパイア・ハザード警戒レベル4で出撃する国連軍も可能な限り親吸血鬼の生け捕りを行う事になっている(しかし飽くまでも退治の方が優先順位は上であるので、実際は殆んど形骸化している規則なのだが)。ただ吸血鬼化させた親吸血鬼以上に力を持った格上の吸血鬼を噛む事で人間に戻る事が出来るという所謂『裏ルール』が存在する事が最近明らかになっている。あの良夫が書いた『クリスマスと吸血鬼の関係』に纏わる文章にもそれは言及されており、「吸血鬼の因子を持った人間が吸血鬼を噛めば、もうクリスマスが来ても恐れる事の無い、モテる人間に成れるのではないか」という理屈が披露されている。それ故独り身の者達が多く集った吸血鬼絡みのオフ会では、『もし吸血鬼に出会った場合非モテを脱却するために積極的に噛み付くよう努力する』という暗黙の目標が存在し、しばしば話のタネにされる。実際に四人が吸血鬼化した今回のオフ会でもその非モテ脱却に関する話題が(無論笑いのネタとしてだが)話し合われた。この辺の話は、それほど重要ではないし、尚且つとんでもなく馬鹿馬鹿しいので石乃には話さない事にした。しかし、皮肉な物だと良夫は思う。ネット上で話し合われていた冗談を日常に帰還するために本気で実践せねばならなくなっているのだから。
「……それで、これが一番訊きたかったことなのですが、あなた方は今大阪で何をしているのですか?」
石乃が居住まいを正しながら訊く。実は、良夫にとってこれが一番されたくなかった答えるのが恥ずかしい質問だった。
「『リュドミラ・ブルハノフ』の退治だよ」
答えてしまえばもう自棄ではあるが。
「正確には支配権の奪取。警戒レベルを4にせず四人を人間に戻すにはそれしかない。解呪医学の分野で人間に戻す方法も開発されてるっていうのは知っているけど成功率はまだとてつもなく低いし四人の存在が知られるとその瞬間警戒レベルが4になる」
内心、素人が何を格好付けているんだと自己嫌悪している。それを聞いた石乃はと言うと、ただ眉一つ動かさず真剣に良夫を見ているだけだった。もしかして、怒っているのだろうか? うーん、一笑に付されるのとどっちがマシだろう?
「そりゃあさ、大阪や日本のために一番良い方法は四人纏めて陽の光飛び込んで跡形無く消滅することなんだろうけれどさ、それって余りにも酷でしょ? 可能性があるなら試してみたいんだよ」
四人を救うため、というのは自身の欺瞞ではないかと良夫は考えている。実際「自殺する」と言いだしたチャット仲間を止めたのは良夫だ。
「それはわかりました。ですがあなたが彼らを手伝う理由がわかりません」
「まぁ……、オフ会を企画したのはオレだし。責任は取らないといかんよ」
努めて軽い口調で良夫が言うと、石乃は信じられないといった表情を微かに浮かべた。気位が高く美しい少女の表情をころころ百面相させている事に良くわからない快感の様なものをほんの少し感じたが、良夫はその感覚を無理矢理思考から打ち消した。
「吸血鬼を追うにしてもさ、皆は日中外に出られないから行動に制約ができる。それにこんなオレにも、っていうかオレ位しか頼りに出来ないから、応えてやらないといけないと思う訳よ」
「だから、自分の血も与えるって言うんですか?」
今度は良夫が絶句させられた。
「……どうしてわかったの?」
「ただの思い付きです。顔色が凄く悪いのに食欲が旺盛でしたから予想して言ってみたら案の定でした」
……何だか上手く罠に嵌められたらしい。しかし良夫は表情に動揺の色を浮かべないようにした。
「うん、結局罪悪感から逃れたいっていうのが本音なんだけどね。
流石にオレが死んじゃうから献血車を襲ったんだ。話には聞いていたけど最近献血させてくれる人っていうのは少ないんだよな。五個ほどの輸血パックを分け合って飲んだんだけど皆手が震えてて。基本的に犯罪とかに縁の無い人達だから興奮なり罪悪感なりで感情が昂っていたんだと思うけど、その光景が痛々しくて頭に染み付いて離れないんだ。そんで、この人達をこんな目に遭わせたのは自分なんだって、だから責任を取らなきゃいけないと思うんだよ」
途中でただの泣き言を言っている自分に気付いて恥ずかしくなったが、一度吐き出すと止まらなかった。しかも吸血鬼の聴覚ならどんなに小声で話した所で壁越しの隣りの部屋からなら十分に聞こえるという事にも途中で気付き、尚恥ずかしくなる。
「……それで、勝てる見込みはあるんですか?」
石乃のその言葉は、良夫には意外だった。石乃の眼は真剣そのものである。
「一応作戦は考えてあるけれど素人が考えた素人が実行する作戦だからね。勝てる見込みがあるのかはわからない」
「わたしも協力させて頂きたいのですが宜しいでしょうか?」
「……はい?」
一瞬、何を言ったのかわからなかった。
「大阪の行政は静観するつもりですがやはりリスクが高過ぎます。いち早く退治すべきです。あなた方の捜索は大阪側の依頼でもあるのですがわたし個人の目的はあなた方が何を考えて行動しているのか、その真意を確かめることでした。過去視によって大阪に留まっているのは把握していましたが留まっている理由に関しては『ワンミリオン・バッドチョイス』の機能で占いを歪ませられる可能性もあったので直接会って話を聞くことにしたのです。
わたしの人を見る眼が確かならば、あなたは信用に足る人物だと考えられます。微力ではありますが、あなたの作戦に協力させて頂くことは出来ないでしょうか?」
開いた口が塞がらないというのはこういう時に使う言葉なんだろうな、と良夫は思った。『魔法使い』がただの人間に協力を求めるなんて事態訊いた事が無いぞ……!
魔法使いと呼ばれる者達は自身の技術に強い自信を持つものが多いというのが一般論である。呪術が使える事自体一種の才能で、幼い頃から特別な教育を受ける彼らは魔法が使えない者達に対して心理的に線引きをするような非常に強いエリート意識を持っている。良夫に「協力する」と申し出た石乃はその例外かと言えばそうではない、と良夫は考える。良夫に協力することによって石乃は府行政や管理機構の指示を完全に無視している。これは使命より正義感を優先した訳では無く、単にそれらの組織の指示が彼女にとって守るに値しない程軽いものだからであろう。日本魔術管理機構についても国と契約する魔法使いの窓口になる社団法人だが魔法使いが契約自体を蔑ろにしているのでほぼ形骸化している組織と言われている(そもそも協会の幹部に魔法使いが一人もいない。ぶっちゃけ天下り機関的な側面が強いといわれている)。正義感や(魔法が使えない人間に因る)社会の利益のために行動しようとする魔法使いは稀にいるが基本的には傲慢、自身の尺度で勝手に行動する。石乃は形式上でも行政や協会の顔を立てて行動したのは協力が欲しかったという以上に邪魔されずに行動するためのフリーパスを手に入れる為だったのだろう。
「え、えええええー、本気?」
つい口に出た言葉はそんな驚きの呻き声で、途端「冗談でこんな事を言うと思っているんですか……?」と凄まれたので即座に謝った。
「確かに、本当は好奇心が発露だった事は否定しません。わたしも『創作型』ですが式神遣いをさせていただいています。吸血鬼を式神にしている人物の存在は心が引かれるモノがありました。実際に会ってみると想像した人物とは少し、いえ、かなり違いましたが、あなたは死ぬべき人ではありません。少なくともあなたは筋を通そうとしています」
「筋って言っても完全に自業自得だし。それにさっきも言ったけどオレ達は素人で」
「ですが、作戦がある、と仰いましたね」
石乃は痺れを切らした様なやや強い口調で良夫の言葉を途中で撃ち落とした。
「わたし、だけでなく他の魔法使いやVハン達にはリュドミラを見つけることすらできません。今の大阪でリュドミラを退治する作戦があるなんて言える人物は恐らくあなただけです」
「えっと」
魔法使いはプライドが高い。
彼女も例外ではないだろう。そんな石乃に自ら、だけでなく魔法使いそのものの不甲斐無さを口にさせている事の意味を良夫は急速に理解した。真剣に受け止める必要がある。そうでなければ彼女の顔に泥を塗っているのと同じではないか? そう思い至った良夫の頭は冷たく引き締まった。自分も恥をかく覚悟を決めよう。
「わかった……。でも協力すると決める前にオレ達の作戦を聞いてもらいたい。その上でオレ達に協力するかどうか決めて欲しい」
「わかりました」
石乃は神妙に頷いた。
「それから、先に確認しなくちゃいけない事なんだけど、もしオレ達に協力する場合君が使える魔法について話してもらわないといけない。出来れば使える魔法全てとその精度について」
その言葉にほんの一滴程の驚きと戸惑いが石乃の表情に滲んだ。うん、それ。そのリアクションをされたくなかったから協力をお願いしたくなかったんだ。
「理由は多分作戦の内容を聞けばわかってもらえるだろうけど、この条件が最初から飲めないと思うなら最初からオレの話は聞くだけ無駄だよ」
良夫の言葉に石乃は眉間に皺を寄せ一瞬だけ黙ったが直ぐに「わかりました、話します」と返した。これには逆に良夫が驚かされた。「作戦を聞いてから考えます」程度の返事でも取り敢えず作戦を教えるつもりだったのだが。この少女の思い切りの良さが眩しい。
「……わかったよ。そうと決れば隣りの部屋の皆も呼ぶよ? 情報は共有しておく方が良いだろうし」
石乃は淀み無く同意した。
良夫が立ち上がった時、自分の足が震えている事に気付いた。ずっと正座していたからではない、武者震いの類だ。魔法使いの美少女と長時間対談するという有り得ない状況が良夫にとてつもない精神的負荷を掛けていた。無論、魔法使いの協力は心強くはあるが、今後の展望や作戦の説明の筋道など、新たに考えなければならない事も増えた。良夫のストレスはここからも増えるだろう。
壁越しに呼ぶ、というのも考えたが、石乃と顔合わせして貰う前に皆の意見も訊いておいた方が良いように思えた。『リュドミラ』退治の方針はSNS仲間達との協議の末、全て良夫に一任されているので良夫の決定は全員の総意という事になっているのだが、一応自分が両者のクッションになるべきだろう。ただ、先程の石乃との会話を聞かれていた事を思い出すと多少気恥しくはあるが。良夫は一人部屋から廊下に出て、隣りの部屋を覗いた。
中に居たチャット仲間達は良夫の顔を見ても無言だった。
しかし彼らの視線は入室した良夫の方を向く。『煩ホル』を除く三名、先程電話をした『yayata』と、『オハラ』と『上楽』。その眼は打ち捨てられた子犬のような、どうしようもなく助けを求めるような種類のそれだったが、良夫はその真意をわかりかねた。予想していたリアクションとは少し違う。未だに『煩ホル』が合流して来ない事を気にしているのかと思い付き良夫も少し不安になったが、ふとテーブルの上に鎮座する三杯のドンブリに眼が止まった。
……そう言えば皆お金持って無いよな?
僕を追ってこの料亭に入ったのは良いけど何も注文せずに部屋を陣取る訳にはいかないのでやむなく一番安そうなメニューを注文した、と言った所だろう。
吸血鬼は人間の食べ物を受け付けない。人間の新鮮な血から直接魔力を摂取するからとか人間の血以外の食べ物全てに対してアレルギー反応を起こすとか諸説あるが、取り敢えず肉体と精神が人間の食べ物を食べ物として認識できなくなるのは確からしい。テーブルの三杯のドンブリの蓋は閉じられたままだった。良夫は中身を見たくないと強く思った。そこに如何なる煌びやかな食材と食材のコラボレーションが息を潜めているかなど想像もしたくない。
ドンブリ三杯と言うギリギリ代金を払えそうな絶妙さがまた辛い。石乃にお金を借りてしまおうと少し考えたが、これから『魔法使い』に『指示を出す』という大仕事を目前にしてこんな細かい弱みを見せるのは得策じゃないし、半端じゃなく情けない。
「とりあえず……、伝票が見たいんですけど?」
気さくな態度で恐る恐る訊ねたつもりだったが良夫の声はどうしようもなく上擦っていた。




