薬草園が広がる訳 1
シーガルは懐に納めたそれを気にしながら足早に運動場を抜けた。
『オルガ様なら先程、運動場奥の方に本を抱えて行かれるのを見ましたが』
下級生の言葉が間違いなければ探している相手はこの先にいる筈。
彼女が魔道書の類いを抱えて歩くのは日常的な光景だ、決して珍しいことでもなく、毎日目的の場所に通っているのだから半ば当たり前の光景でもある。
そして。
(何処ぞの落とし穴に落ちるのもお約束の光景だな)
そんなことを思いながら足を進めていれば、探していた背中がホテホテと半ば覚束ない足取りで運動場の端の方を横切っていた。
その頭の先に見え隠れするのは間違いなく抱え込んだ魔道書。
それを確認したシーガルの足が無自覚に駆け出して。
(また、前が見えなくなるくらいに抱えているのか、あいつは…)
そうなると次に起こるのは。
「…ぁ」
その細い身体が不意に傾いて。
「…っ」
シーガルは慌てて一気にその距離を無くすと今にも落ちそうな背中に腕を伸ばした。
何とか落ちる前に細い腰に腕を回す掴むことが出来たシーガルが力任せに相手の身体を引き寄せれば、逆らうことなくその身体はシーガルの腕に収まった。
「あ、ありがとうございます…シーガル様」
やんわりとした耳障りのいい声が届く。
「いつも気をつけろと言っているだろう」
ひとつ溜め息を零し、シーガルはその身体を一度強く抱きしめた後解放すると引き寄せた弾みで落としてしまった魔道書を拾い上げ。
「前が見えなくなるくらい抱えるのもやめろと言っているだろう」
そう続けながら探していた相手、魔術科に籍を置くオルガの腕から魔道書を取り上げた。
「シーガル様、あの、全部持って行かれると私の荷物が…」
オルガが慌てて手を伸ばすがそれよりも早くシーガルが背中を向けてしまう。
「行くぞ」
顔だけを向けてそう笑うシーガルにオルガはふにゃ…と笑い返し、タタタ…とその隣りに駆け寄った。
「いつもありがとうございます」
「気にするな」
そうやって2人が並んで歩く姿も、これまた学園ではよく見られる光景だった。
「そう言えば」
運動場奥にある薬草園の隅に建てられている医務寮を目指しながら、ふとオルガは小首傾げた。ここまでに石に躓くこと2回、轍に足を取られること4回、魔法発動トラップに引っ掛かりそうになること3回と見事なまでにオルガは不運さを発動させ、それら全てをシーガルによって回避した。
これもある意味お馴染みの光景である。
「シーガル様、今日の昼過ぎまで演習に参加されていたんですよね?
お怪我などはありませんでしたか?」
上目遣いシーガルを見上げてくるに彼は知らず息を止める。
彼の方がオルガより拳2つ分程背が高いので必然的にそうなるのだから今更ではあるが未だ慣れないものがある。その動きに合わせて彼女の栗色の髪が揺れた。
高い位置で結ばれたそれの先は彼女の背中に届くか届かないか程度の微妙さ加減で、見た目以上に手触りもよく、何気にシーガルは気に入っていた。
それを目の端に捉えながら彼は静かに告げた。
「あぁ、行っていた。
さっき帰ったところだ」
言いながら彼は厩舎に馬を戻したときのことを思い出す。
彼が籍を置く騎士科は最終学年になると実際に騎士団の演習に参加することが多くなる。
身分は騎士見習い。
彼らはそこで実践形式の演習をこなし、卒業と同時にそれぞれ騎士団に配属されることになる。
「西の騎士団の演習に参加させて頂いていたんだが、やはり自分はまだまだだと実感させられた」
紡がれた言葉にオルガはふんわりと笑って。
「常に鍛えてらっしゃるシーガル様らしいお言葉ですね」
真っ直ぐな言葉にシーガルは目を細めた。
彼女の纏う柔らかい雰囲気に肩の力が抜けるのを感じる。
『シーガル様っ』
厩舎で彼の愛馬を託した下級生の笑みを思い出す。
今年学園に入学したばかりの彼は将来的に騎士科への進級を望んでいるので本来の学習時間以外を従者見習いとして過ごしている。
従者見習いは騎士科の上級生について様々な仕事をする決まりになっていた。
『世話が終われば帰って構わない』
『鎧と剣はどうしますか?』
『オルガに魔術付与をしてもらうことになるだろうからこのままでいい』
『はいっ』
元気な返事を返す自分の従者の頭を軽く撫でた後、シーガルは胸元から小さな鉱石を取り出し、己のそれより小さな手に握らせた。
『これだろう?
1年生の魔法の授業で使う鉱石は』
『はいっ』
『たまたま演習先で拾った。
使うといい』
『ありがとうございます!』
『いつも真面目に仕事をしている褒美だ。
これからも頼むぞ』
『はいっ!』
向けられる眩しい瞳に、それに答えられるだけの技量を持ち得るか。
常に彼は己に言い聞かせている。
そんな彼が穏やかに呼吸出来る場所をオルガが自然に与えてくれる。
彼女の柔らかい雰囲気にシーガルは学園に戻って来たのだと実感した。
「シーガル様?」
「いや。
これじゃなかったか?
先日、本で見ていた薬草は」
差し出された魔石を受け取り、その中を日の光で透かし見たオルガは途端にパァ…っと花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「えぇ、これです。
どこで採取されたのですか?」
その弾んだ声にシーガルは苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「今回の演習先で採取した」
「…演習先、ということは西の国境付近ですか?
これは西側に群生しているとは記載されていなかったかと…?」
「あぁ、国境付近ではあるが、正しくは違う。
少し特殊な場所で、採取は可能だが少々困難だ」
その言葉にオルガの笑みに陰が差した。
「そんな危ない場所なんですか?」
「あぁ、お前やイーファの研究の為には採取に行くべきなのだろうが、出来れば連れて行きたくない程度には距離もあるし、場所も特殊だ」
「えぇと、でも魔術科も薬学科も騎士科の同伴があれば採取の為の外出及び外泊は許可されるから多少困難でも…」
「…そう言い出すことは予測済みだ、オルガ。
ただ、場所を訊いたらルーディもいい顔をせんぞ?」
途端、オルガはショボンと俯いた。
そんな顔をさせたい訳ではないシーガルは魔道書を抱え直し、柔らかいオルガの頬を軽く撫でた。
「医務寮にはルーディも行っているだろう。
採取に関してルーディと相談したいと思っている。
話が纏まれば採取に行けるだろう」
「ルーディ様、ですか?」
「あぁ、話をすればルーディだって乗ってくるだろう。
この薬草はイーファも欲しがっていたものだからな」
「あの、話が纏まって採取に行く場合、私も連れて行って頂けるんですよね…?」
ウニュゥ…と上目遣いに見上げてくるオルガに頷き、その頬から手を離すとシーガルは視線を前に向けた。
「あぁ、勿論」
その言葉にオルガはホッとしたようにはにかんだ笑みを浮かべて。
「あ」
呟き口元を押さえた。
「オルガ?」
「いえ、忘れていたと思いまして」
シーガルが再び自分に視線を戻したのを確認すると、オルガはコテンと首を倒した。
「お帰りなさい、シーガル様」
その言葉に一瞬シーガルは目を見開いたが、直ぐに笑みを浮かべて。
「…あぁ、ただいま」
そう返した彼の視線の先には目的地である医務寮が見えてきていた。
医務寮の奥、いつもの研究室に足を踏み入れたシーガルはそこにもう1人の探し人の姿を認めてホッと息を零した。
「やはりここにいたか、ルーディ」
「おう。
馬を預けてから真っ直ぐこっちに来た。
オルガに剣と鎧に魔術付与してもらわないといけないからな」
言いながらルーディはイーファが用意したらしきカップを軽く持ち上げた。
彼はシーガルと同じ騎士科で、一緒に演習に参加していた。所属する班が違っていたので帰還時間に多少の差が出たようだ。
鎧を脱ぎシャツとズボンという軽装になっている。
その前ではこの研究室の主であるイーファがやんわりと笑っている。
「お帰り、シーガル。
怪我もなかったようでなにより」
「お陰さまでな。
貰った薬はあまり減らなかった」
近くの机に抱えていた魔道書を置くとシーガルは鎧を脱ぎ始めた。
すぐ脇に立ったオルガが脱いだそれらを受け取り丁寧に机に並べていく。
「悪いな、オルガ」
手渡しながら告げるシーガルにオルガは首を横に振る。
「いえ」
魔術師を目指すオルガは様々な魔術を研究している。
鎧や剣への魔術付与もその一環で、これを行える生徒は学園でも数が少なく、一番の実力者はオルガだったりする。
まだ研究段階の魔術付与に騎士科に籍を置いているシーガルとルーディが協力し、実戦でどれくらい使えるか演習に参加しながら実験を繰り返しているのだ。
「最初の頃より強度が高くなったと思うぜ?」
ルーディがシーガルとオルガのやり取りを見ながら今回の演習での成果を報告する。
「そうだな、鎧の重さも軽減されたような気がするし、剣の切れ味も最後まで落ちなかった」
今回の演習では魔獣討伐という実戦も組み込まれていたのだが、2人の剣は他の剣よりも遥かに切れ味を保っていた。
「そうですか」
嬉しそうにオルガが笑みを浮かべる。
「お役に立ててよかったです」
最後の1つを受け取ったオルガは用意していたタオルをシーガルに渡し、自分たちの飲み物を用意する為に研究室の奥にあるキッチンスペースへと入っていった。
それを見送ったシーガルはルーディの脇の椅子に座りオルガに渡したものと同じものをイーファに差し出した。
「シーガル様、これって探していた薬草?」
中を透かし見ながらイーファは驚いたような声を上げた。
「西の国境付近で採取した」
その言葉にイーファと共に透かし見ていたルーディが眉を寄せる。
「あったか?
俺も探したけど見付からなかったぞ」
「そのことで話があって、出来ればルーディにも訊いて欲しかったんだが居てくれて助かった。
見付けたは見付けたんだが、な」
シーガルは言いながら肩を竦めた。
「俺も…ってことは、もしかしなくても場所が悪いのか?」
「あぁ。
西の国境付近に森があっただろう。
あそこの奥、切り立った崖になっていたんだが、その斜面に群生していたんだ」
「流石にそこまでは足を伸ばさなかったな。
成る程。
だから俺に相談、か」
ルーディの言葉にシーガルは頷いた。
「どうだ?
時間、取れるか?」
シーガルの確認にルーディが頷く。
「行ける。
で、出来れば魔工科で作っていたヤツの試運転も兼ねたいんだけど」
「魔工科で作っていた、と言うと。
あれか。
馬が引かない魔道馬車」
確認してくるシーガルにルーディが頷いた。
「まだまだ改良の余地はあるけど、取り敢えず走らせてみたいんだよ。
先生もオルガと俺が同行するなら試運転してもいいと言ってくれてるんだ」
「設計者としてのお前と、動力開発者としてのオルガの同行が条件、ということか。
国境近くだから馬でも1週間はかかるからな。
魔道馬車ならもう少し早いか?」
「あぁ。
設計通りの動きをしてくれるなら5日前後で着けるんじゃないか?
ほんの少し早い程度だが試してみる価値はあると思うぞ?
荷物も積める設計になってるし。
俺たちとイーファとオルガで採取外出の申請をすればいい」
つまり4人乗れて荷物も積める、ということなのだろうとシーガルは判断した。
「そうだな。
イーファもいいか?」
その言葉にイーファは頷いて。
「根っ子ごと数株採取してくれば薬草園に移植出来ますよね」
「可能じゃないか?
あまり頻繁に行ける場所でもないしな」
「じゃぁ、最近オルガと一緒に実験している簡易家屋も持って行きましょう?
野宿しなくても済みますし、見張りに立たなくても大丈夫ですし」
「簡易家屋?」
聞き慣れない言葉にシーガルとルーディは顔を見合せ首を傾げた。
「魔石に建築魔法の魔方陣を封じ込めたもので、魔石を組み合わせることによって水、灯り、暖房などを利用出来る仕組みなんです」
カップを持って来たオルガが説明する。
「また変わったものを作ったな」
シーガルに言われてオルガは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「採取と魔道馬車、及び簡易家屋の使用実験で申請を出すか」
シーガルの決定に3人は頷き、それから綿密な計画を立てると早々に申請を出して2日後には魔道馬車の試作品を動かし、学園を後にしたのだった。