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風景サンプル

作者: 蔵

 あかね雲の下、遊び疲れた子どもたちが下り坂を転がるように走ってゆく。

 茂みで秋虫が鳴き、用水路でカエルが合唱し、カラスがあ~あ~鳴いている。

 自分は縁石に座り、小さくなる子どもたちの後ろ姿を見守った。

 隣には名前のない老犬がいる。老いた眼で坂の上の、林から突き出た高く細い塔を見上げている。その塔はちょっと太いつまようじのよう。

 自分と老犬が座る縁石の後ろには、閉店した一軒の商店がある。シャッターを閉めた商店と自分と老犬の前には、茅葺き屋根の家。あと視界に見える建物は坂の上の塔。建物はそれだけ。あとは田んぼ田んぼ。それと田んぼ田んぼ。ちょっと林。

 夕餉の匂いが漂う。茅葺き屋根の家からで今日はカレーらしい。

 ここにずっといられたら、どんなに幸せなことだろう。

 子どもたちの姿が見えなくなったが、空の濃淡は変わらない。


 夢。

 ただの夢じゃない。安らぎを感じる夢。知らない坂と老犬。記憶にない風景。










 人間は後悔の連続。

 人間は選択して生きていく。ネガティブな自分は結果のせいにする。自分が選択したのに。

 きっと違う選択肢を選んでいたら、自分は後悔はしていないだろう。いつも、いつだってそう思う。自分は何かのせいにして生きてきた。自分で自分のことはよくわかっている。誰だって嫌なことは避けて生きて生きたいはず。

 後悔しないように慎重に選択して、結果後悔する。

 後悔を続ける自分には夢がある。憧れる夢の風景、緩やかな坂と、塔と、広がる田園風景に行くこと。夢は夢なのは充分わかっている。

 安らぎを感じる土地。特別な何かがあるわけじゃない。運命の恋人がいるわけでもない。きっと前世の記憶の一部でもないのだろう。

 夢に抱く感情は郷愁。

 社会とは無縁の子どもの自分が、走り回っている風景。学校が終わり、ランドセルを家に置き、日が暮れる間の自由時間。懐かしい。それと未知の塔があるワクワクドキドキ感。その地にストレスは皆無。安らぎの地に行ってみたいけれど、夢の記憶は記憶にない。

 最近では、夢から醒めているのに郷愁の夢に捕らわれ、思い出したように安らぎの地に自分の一部をそっと置いている。








 坂の下には十字路。茅葺き屋根の民家が一軒と閉店した商店がある。

 縁石に座る老犬と自分。塔、あかね雲、通り過ぎる車と子どもたち。秋虫が鳴き、用水路でカエルが鳴き、空でカラスが鳴く。

 たとえるなら食品サンプルならぬ、風景サンプル。形はあるけれど、壊れない世界。偽物だけど、理想の世界。

 ちいさい頃、早く大人になりたかった。大人になると、こんなに社会や大人に揉まれると思わなかった。子どもの時ははじめての幸せに満ち溢れていた。何気ないことが幸せだと思わなかった。

 知らない風景。懐かしくて幸せを感じる。

 きっと誰かに話しても、このひと摘みの幸せをわかってくれないんだろうな。

 みんな辛い辛い言いながらも、現実に満足しているんだろうな。







 あの風景サンプルは誰かが夢で観た風景なんだろうか。自分には夢の風景に一切覚えがない。

 この世には自分と容姿が似た人物が三人居るという。その方々と心のどこかで繋がっているのでしょうか。繋がっていたとしても、私はその方々を知らない。両義性が夢に安らぎを与え、心を捕らえるのだろうか。

 はてさて、同じ顔が三人いたとして、性格も同じということはあり得るんでしょうか?

 まるっきり同じ人物が三人。

 顔と体格だけが同じよりだったら、性格も同じ方が良いのかも。ストレスを共感している、苦しいのは自分だけではないと思えるから。

 風景も、同じ人物を通して夢の中で共用しているのかもしれない。

 誰かが通った緩やかな坂。坂の上の林にそびえ立つ塔。坂の下の田んぼに囲まれた一軒家と、誰かが買いに来ていた閉店した商店。そして風景の一部となった商店前の、誰かの所有である老犬。老犬は身じろぎひとつせず、じっと道を過ぎる車と人を見ている。

 自分たちはきっと心の奥で繋がっている。自分は他の自分たちであり、他の自分たちは自分なのだから。多分そう断言しても、誰からも責められはしないだろう。









 自分にも、自分だけのかけがえのない風景サンプルがある。

 日曜の学校。昼過ぎで、校内は人気はない。強い日差しが窓から差し込み、遠くで駆ける、ワックスをかけた床とシューズが擦れる音がする。一階の窓からはブランコや鉄棒などがある狭いグラウンド。反対の窓には中庭があり、コナラの樹が枝を伸ばし、風に枝葉がさわさわ揺れている。中庭の中央には池があり、フナが背面ジャンプをする。中庭を挟んだ向かいの建物の壁は、雷鳴が聴こえるような稲妻に似たヒビがある。一階のコナラの葉で日陰になったところの壁にはコケが生え、一部コケで盛り上がったところがあり、小鳥が巣をつくりピーチク鳴いている。

 低学年の自分は満面の笑みで、購買にできた行列に並んでいる。

 自分の番になり、見知らぬオジサンに真新しいバスケットシューズを貰って「ありがとう」と言っている。

 見覚えのある夢。一切ストレスの無い風景サンプル。


 自分が心踊る風景は記憶のなかに幾つかある。夢以外。実際の経験は、誰かが喜んでいたら誰かが苛立ち悲しんでいる。必ず悲しみと怒りが現実には渦巻いている。それはゲーム然り。

 自分は一番にはなりたくない人間。誰かの上に立ちたくない人間。上に立つということは、自分の下に苦しみ憤る人間がいるということ。自分のせいで生まれる悲しみは極力避けて生きていたい。誰かのサポート役でいたい。

 そんなことを考えて生きているから、現実が辛くなるんだろうね。でもしょうがない。







 もし、同じ容姿の人物達だけが共有して観れる夢があるとする。

 もし、同じ容姿の人物達には双子以上の心の繋がりがあるとする。

 強い心の繋がりを通じて、同じ容姿の人物と会えるとする。

 風景サンプルは偽りだが、風景サンプルは現実の記憶を元にしたものだとする。


 もし、老犬と坂と塔とあかね雲の風景サンプルを所有する人物に逢えたら、あの“安らぎの場所”を聞くだろう。

 辛くなったらあの安らぎの地がある。

 塔を上ろうか。老犬と一緒に道行く人と車をぼんやり眺めようか。田んぼで虫取りしようか。自転車に乗って坂を下り、風を感じようか。裸足で坂を走ろうか。好きな歌を口ずさんで木登りをしようか。あぜ道をひとりでしりとりをして歩こうか。

 自分は安らぎの地を求め、安らぎの地が無いことに悲しみ、求めたことに後悔するだろう。

 それを承知で、同じ容姿の自分に聞くんだ。あなたの過去を。何を見てきたのか。風景サンプルに繋がる歴史を詳しく。

 それでいい。偽物はどこまでいっても偽物でいい。

 安らぎの地を考えている今、自分の心が子どものようにはしゃいでいるのだから。それでいい。

 後悔は後回しにすればいい。




 了


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