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回想・犠牲のカテゴリー

 その日、少女の前に現れたのは自らの身体を検査する医師ではなく、一風変わった雰囲気を持つ男性だった。

 自らを"博士"と呼ぶよう指定したことからも変わり者感が半端ないものだが、それに輪を掛けて異質だったのがその態度である。

 自分に対して距離を作り、腫物でも触るかのような態度を取ることの多かった医師たちとは異なり、博士はにこやかに入室してきたかと思うと何の躊躇も無い様子で挨拶の言葉を口にした。

 そんな彼が何の目的をもって現れたのかを問い質そうとしていた少女は、お互いの自己紹介を終えたタイミングで告げられた一言によって先手を打たれ、困惑していた。


「次元変異体? あたしが?」


 笑顔を浮かべたままの博士の様子に揺らいだ様子はなく、その事実を伝えることが彼の目的であることを疑う要素を見出すことは出来ない。

 が、その単語に込められた専門的な意味を知らないまま告げられた立場としては、それが何であるかを聞き返すことすら思わず忘れてしまう程に、困惑してしまっていた。

 そんな不可抗力を察したのか、或いは元々この反応が返ることを想定していたのか、恐らくは後者である博士は1つ大きく頷いた後、言葉を返す。


「そう。君は不慮の事故で高次元体と接触し、その影響で異能の力を得た……と言えば分かりやすいかな」


 博士の言う通り、その口にした言葉の単語の意味は辛うじて分かるものであった。

 だが文章としての意味合いを読み解いた時、突拍子のない内容であることを理解してしまえば、それに対して素直に頷くような真似が出来るほど、少女は柔軟な思考回路を持ち合わせていない。

 加えて、意味も分からず半ば軟禁状態にある身としては、怒り方面に感情の針が振り切れても仕方のないことであると言える。


「……それを信じろと?」


 苛立ちを隠そうとせず、むしろ露骨に顔に出すことを意識した少女の顔は全力で疑惑と不機嫌を表現するアート状態だった。

 一般人的な思考の持ち主であれば威圧されて思わずたじろいでしまいそうな雰囲気を纏う少女に対して、一般人からはやや離れた思考回路で動く博士は何ら動じることなく自らへの気迫を受け止め、僅かに苦笑を浮かべながら答える。


「信じているのは我々さ。ここ数日の検査で取らせてもらったデータを参照した結果、裏付けは取れたってことだよ」


 なるほど、と少女は納得した。

 どんな理屈であれ、頑なに信じている者に対して否定の言葉を掛けたところで、その意見を覆す方向で考えを巡らせることが筋である。

 裏付けされたということはその理屈に明確な根拠が出来た訳だろうし、ならばそれを否定する為に必要なのは論議ではなく、明確な否定材料となる根拠に他ならない。

 ただ、今回のケースに於いてただ1つ難点があるとすれば、それは当事者自身の認識にあるだろう。


「と、言われても実感が湧かないわ。具体的に、あたしは何が出来るようになったの?」


 自覚症状のない話に対して、どんな証拠を突き付けたところでそれを納得させるだけの効果は得られない。

 その部分の説明を省いてこの場に軟禁するような真似をした施設とやらは、その時点で方向性を間違えている印象を少女は受けた。

 そこでふと、目前の博士の行動に対する違和感を覚える。

 その事実を口にすることは、果たして施設の意向に沿った上での話なのだろうか、という疑問である。

 博士はそんな内心の疑念に気付くことも無く、ただ問われたことに対する回答を提示するのみだ。


「次元障壁と呼ばれる、物理的な干渉を遮断する防壁を作ること。まぁ実は、この効果は副次的なものなんだけどね」


「……分かるように説明してよ」


 次元障壁、という単語に聞き覚えがない訳では無い。

 それはこの都市に住まう者であれば誰もが耳にする単語であり、この都市が人類最後の聖域などという仰々しい呼び名で呼ばれていることの理由とも言える要素だからだ。

 もっとも、生まれた年には既にある程度の平穏な日常が形成されていた少女からすれば、その障壁が人類の天敵となる存在からの侵攻を遮る為の防壁であると言われたところで、実感が伴わないというのが本音であった。

 そんな少女の認識からすれば、次元障壁は都市機能を守る為の機械的なシステムであると想像しており、それを生み出す理屈の中に人間の意思が介入することは想像の範疇の外にあったことである。

 博士は少女の認識の在り方を踏まえたのか、少々考えた後分かり易い言葉を選ぶようにしながら改めて口を開いた。


「なら……免疫、と言うべきかな。天敵である高次元体と接触したことで、本来我々が触れることすら出来なかった相手に対して、直接干渉できる力を手に入れたってことだね」


 その説明が過程と結末を簡潔に示した説明であったと、少女は理解した。

 そして彼女の知る常識の範疇を越えた内容であることも、同時に理解した。

 確信に近いものを抱いたのは、目前の博士とそれに属する者たちとの間に、相互理解を経た上での和解はあり得ないだろうという事実である。

 その中にあって、今日に至るまではぐらかされ続けてきた自分の軟禁理由に触れた目前の男には、少なくとも他の者以上には自分と会話をするだけの意思を持っていることははっきりした。

 これまでの果敢な挑戦で外界への脱出を幾度も無く阻止され、半ば諦めの境地にあった少女の前に訪れた変化の瞬間の訪れに、話を合わせて情報を得るという選択肢を選べるのは偏に、ここに至るまでに鍛え上げた忍耐力の成せる業である。


「あたしにその力があって、その為にここに捕まってて、外にも出して貰えない?」


「そうだね」


 少女の示した理解に、博士は素直に頷いた。

 嘘を言っている様子はなく、同時にわざわざ嘘の情報を告げる意味を見いだせなかった少女は、その発言の内容を正しいものと仮定し、更に思考を巡らせた。

 彼女の身体は健康体そのものであり、それは度重なる検査をした医師たちの証言はもとより、自覚症状としてもなんら存在しないことからほぼ確定している状況である。

 突拍子のない話ではあるが、そんな力を持っているとすれば確かに、施設側が身柄を確保しようと動くことにも一応の筋は通っている。

 感情的に納得できるか否かはこの際度外視するとして、重要なのはその力の存在であると少女は結論付けた。


「ならあたし、バリアーでも張れるわけ? 全く自覚してないんだけど」


 身も蓋も無い言い方と自覚しつつも、専門的な知識を持たない自分がそれらしい単語を羅列したところでボロが出ることは承知している少女は、とりあえず意味の通じそうなところを掻い摘んで率直な見解を口にした。

 鼻で笑われることも覚悟した上での発言だったが、博士の方は何故か目を見張って感心したようにしきりに頷いて見せている。

 率直過ぎる感想がツボに入ったのか、いずれにせよ予想外の反応に目を瞬かせる少女に、博士は問い掛けた。


「理屈ではそうなるねぇ。信じられないかい?」


「胡散臭いわ」


 間髪入れずの一言に、博士は思わず吹き出した様子である。

 ひとしきり笑って落ち着いた様子の彼は、微笑に若干の寂しさを交えた表情を浮かべながら告げた。


「率直だね。けど正論だよ、私も同じ立場なら相手の頭を真っ先に疑う所だ。ただ1つ留意して欲しいのは、我々がその胡散臭い話を、真実として信じて疑わない立場にあるということだ」


 現実問題として、少女はこの施設から解放されることはない。

 それはこの施設における常識が、異能を持っているとされる彼女の身柄を確保することも含め、それを至極当然のものであると認識しているということ。

 一方的な正論の押し付けに反発するような面持ちで、少女は疑念を口にする。


「随分と勝手な話ね。こっちの事情は全部無視して、そっちの都合だけ押し付けるなんて」


「全くだ。この行いが誰かを救う行為であったとしても、その為に誰かを犠牲にすることを納得しろというのは暴論だね。ましてや、当事者となれば尚更だ」


 博士は一切の弁明をしなかった。

 それは卑怯な態度であるというのが少女の率直な感想だったが、少なくとも悔いる気持ちのある相手に追い打ちを掛けても自身の気分を害する結果に落ち着くことは疑いようが無い。

 なので、とりあえず感情的になっても問題ない範囲で憂さを晴らすべく少女は告げた。


「確かに、納得しろなんて言われたらとりあえずアンタ張り倒してとっとと逃げ出すわね」


「アグレッシブだなぁ。しかし私くらいは何とでもなるだろうけど、その後はどうかな」


「アンタを人質に取る手段もあるわよ?」


 この言葉は半分は脅しだが、いざとなればそれを実行することも厭わない思いが少女にはあった。

 この場に留まることが自分にとってプラスに働くことは無く、実験動物の立場に素直に甘んじてやるだけの理由を彼女は見出すことが出来ないからである。

 しかし、その手段が実際に通じると思うかを考えれば、成功する確率が高いとはどうしても思えないのだった。


「上手くいくかな? この施設は使える人材はどんどん起用するけど、不利益をもたらす者には容赦ないから」


「……そんなところで、よく働いていられるわね」


 使い捨てられることが前提条件になっているような場所に、よくも留まり続けていられるものだと少女は呆れていた。

 同時に、そうまでして留まり続けるだけの理由があるのかと、興味を抱いたのも事実である。


「他に就職先が無くてね……それに、夢もあった」


 故にその発言の後半部分が耳に入った時、少女は自然と問い掛けていた。


「……過去形なの? その夢ってのは」


 まぁね、と苦笑交じりに答える博士の顔は、どこか寂しさを湛えたものであった。

 表情の裏から感じ取れるものは、理想と現実のすれ違いに思い悩んでいる姿勢そのものだったが、それが何であるかを知る術は少女には無い。


「高次元体に関する技術は人の役に立てることを前提に研究がすすめられたものだ。けど今の段階では、それは君たちのような犠牲があって初めて成り立つんだよ。人の為に人を犠牲にするその在り方は、ある意味で世の理に則ったものと言える」


 研究者としてこの施設にいる博士の言葉は、理屈の上では正しいことのように聞こえてくる。

 だがそれは、当人すら否定する錯覚に過ぎないということを、少女は言葉の響きから何となく察していた。


「けどその為に犠牲になる人間を、我々は次元変異体と呼称し、区別している。便宜上必要なことは確かだけど、それはいつしか人と君たちのような存在を分ける、明確なカテゴリーへと変貌していった」


 自分を含めた特殊な存在が、実験動物のように扱われているという事実が、博士の心を縛る鎖となって重く圧し掛かっているということ。

 続く彼の言葉を無言で聞きながら、少女はその苦渋の滲む表情から目を逸らさない。


「次元変異体なんだから犠牲になって当たり前。そんな考えが蔓延してきたこの施設の中で、私はどうにも肩身が狭い思いを強いられているのさ」


 それはごく一般的な人間の常識に当てはめれば正常な、しかしこの現状に於いては酷く身勝手な結論。

 研究者の立場で被検者となる次元変異体を利用する立場で、それを最初から自覚しながら今になってそれを悔やむのは身勝手だと、少女は思った。

 同時にそれが、人間として当然持っているべき罪悪感からくる正当なものであることも、彼女は理解していた。

 故に半分の非難と、半分の労わりを込めて少女は告げた。


「…………そ。情が移っちゃった、ってことね」


 その言葉に、博士は無言だった。

 無言のまま、どうしようもなく寂しい笑みを返すのみであった。


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