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ハウリング・エコー

 人類最後の聖域と称されるこの都市が、高次元体の脅威に晒される時代にあってなお健在であるのは、その侵略行為に対抗する為の手段が既に実用化されているからである。

 その最たるものが都市の外周部分を覆い尽くすように展開した不可視の檻、広域型次元障壁と呼ばれるものである。

 物理的な干渉を遮断するという点に於いては必ずしも利点のみを得られるものではないが、高次元体に干渉できる防壁としての性能は確かであり、これを維持することは都市、ひいては高次元体に関わる技術の研究を行う施設に属する者にとって最重要課題だった。

 平穏な日常とはそうした強引な手法によって成り立つ不確かなものであり、それは現状維持をただ続けていればいずれ限界が来ることを意味する。

 これは都市機能を維持する業務に関わる者全てが共通して認識している事実であり、故に隔離を主とした保守的な手段に頼る現状を打開する為の研究が、多くの研究者の手によって並行して行われていた。

 "デュアル"と呼ばれる存在を生み出すこともその内の1つの手段でしかない。

 それが数ある研究チームの1つで働く女研究者の持つ認識であり、それは同じ立場であれば他の誰であっても等しいものであった筈である。


「次元変異体を実戦投入するよう、上から指示があった」


 伝令役として現れた男からその指示を聞いた時、女研究者の脳裏に浮かんだのは率直な疑問である。

 次元変異体とは、大まかに言えば高次元体の影響を受けてその本質を変容させた人間を示す言葉であり、現状に於いては研究対象となる被検体と同じ意味合いを持つ言葉である。

 彼女自身が受け持っている研究対象もそうした人物の内の1人であり、指示の内容からすればその研究対象を使って任務を実行しろと言っているのだろう、というところまでは理解できる。

 しかし”研究対象”である。未だに完成の域に達しないからこその研究であり、それを今すぐ形にしろと言うのは横暴以外の何物でもない。

 不信と苛立ちの感情を隠そうともせずに露骨に顔をしかめながら、彼女は聞き返した。


「何故? まだ調整段階で、ろくにテストもしてないのに」


 使えと言うならそれだけの理由があるのだろう、という発想に至る程度には冷静だった。

 その為、口から出たのは感情的な部分を度外視した回答、すなわちもっとも根本的な問題点の指摘である。

 次元変異体の力は人間の常識を覆す可能性を秘めているが、それは同時に人間を容易く危機的状況に陥れるだけの危険性を抱えているという意味でもあるのだ。

 迂闊に開放する訳には行かない力を求める、その理由は何か。

 伝令の男は僅かに躊躇した様子で言葉を詰まらせるが、すぐに気を取り直して答えを返した。


「覚醒した"デュアル"が暴走した。広域型次元障壁の中枢に向けて、現在侵攻中とのことだ」


 女研究者とは別口の、高次元体の特性を利用した研究項目の1つ。

 その中にあって現状、最も実用化に近いと言われていた内容を示す単語を耳にした彼女は、ただ驚愕するしかない。

 それはいち早く覚醒したデュアルが敵対した脅威に対するものであると同時に、管轄外とは言え、同じ施設に於いて研究されていた技術が制御を失って放逐されたという事実に対するものでもある。

 自分が責任者の立場であれば、そんな事態に直面した時に平静を保っていられる自信はない。

 それほどに、高次元体に関する研究というのは重要な項目なのだと、彼女は信じて疑わなかった。


「確か、デュアルの担当者は博士よね。原因は何なの?」


 女研究者の脳裏に浮かぶのは、飄々とした態度で他人と接する変わり者の研究者の顔だ。

 科学者としてずば抜けた知識と技術を併せ持っていながら、研究対象となった被験者を対等の人間として接する姿は、同じ研究者の目線から見ればあまり賢いやり方とは言えない。

 研究対象に対するある程度の非情さを持ち合わせることが研究者としての心構えであり、時として非常な判断を下さねばならない時に情念と言うものは障害になるからである。

 こと高次元体の研究に関して言えば、人類という種そのものに影響を与えかねない存在なのだから、尚更だ。

 そうした意味で、博士とは研究に対する方向性の違いから距離を置いた形になっている彼女は、デュアルの反乱に対してどこか納得してしまう自分自身を自覚した。


「不明だ。彼とは連絡が取れんらしいし、そもそもデュアルとは会話すらままならない状況のようでな。定着型次元障壁のもつ弊害、って奴だ」


 物理的な干渉を遮断する次元障壁が展開していることで、言葉を始めとした意思の疎通が阻害されているということである。

 そんな初歩的なミスをするほど間抜けな存在では無い、というのが女研究者の持つ感想だったが、或いはそれも想定の内であると考えるべきか。

 伝令の男もその辺りに関しては同じ疑問を抱いているようで、見るからに腑に落ちないといった表情で言葉を続けた。


「あちらさんの意思を把握できないこの状況。研究者の思わぬ見落とし、なんて言葉で片付けられるものかは疑問だな」


「そうした理由が分からなければ何とも言えないわね」


 施設を含めた都市の生命線とも言える次元障壁そのものの研究は進んでいて、現象としての再現方法を除けばその本質は、技術としての応用が現実的な意見と認識される程度には解明されている。

 その事実を踏まえて考えれば、被検体との交流を率先して行ってきた博士がその意志の疎通を行えなくなる不具合を見逃すと言うのは不自然だ。

 しかし同時に、そのミスを敢えて見逃すことで彼に益があるかと問われれば、首を傾げるしかないと言うのが両者の最終的な結論である。


「或いは、独自に開発した専用の手段があるのかも知れんが」


 伝令の男の何気ない一言が、女研究者の脳裏を刺激する。

 今現在の疑問を紐解くに当たって、公にされていないだけで意思疎通を行う手段そのものが既に確立されてと仮定した場合。

 デュアルが既に行動を開始している現状での、普段とは異なる何らかの変化点を見つけることが出来れば、それを手掛かりに真実に至る可能性が開けるのではないか。

 そう考えた女研究者は、飛びつく勢いで自らの作業用のモニターへと向き直りつ端末を操作した。


「……どうした、急に?」


 何か心当たりでもあるのか、と聞きたがる伝令の男には見向きもせず操作を続け、蓄積されたデータの奥底から引っ張り出したものが今、モニターへと映し出された。

 それは彼女の担当する次元変異体の、現時点における健康状態を管理する為のグラフである。

 前日の結果と照らし合わせても変わり映えのしないデータの羅列であったからこそ、今日に至るまで彼女の研究は滞りなく進められたと言えるだろう。

 そして平時とは異なる要素が加わった現状に於いては、参照することで変化点を把握することの出来る比較対象として活用することができる。

 文字列や数字、細かく変動するグラフのメモリを睨み付けるように凝視を始めた女研究者は、ややして平時とは異なる、僅かな違和感に辿り着いた。


「これは……ノイズかしら?」


 次元障壁の基本的な構造を解明するにあたって、その現象を感知する為のシステムは既に確立されている。

 彼女の凝視するモニターに映し出されたのはそのシステムの内の1つであり、休眠状態でほぼ全てのステータスが安定している中で、ごく一部の表示が時折不規則に反応している様子が伺えた。

 まさしく、彼女の言葉の示す通りの現象である。


「何らかの意思を伴った現象が、次元変異体から外側に向けて発信されていると見るべきかしら」


「まさかそれが、次元障壁を越えた相手と通信する手段になるのか?」


 伝達の男は半信半疑と言った様子だが、それは女研究者にしても同じことだ。

 しかし、物理的な干渉を遮断する次元障壁が"同質の力であれば干渉しあう"という事実は広域型次元障壁を含め、ここに至るまでに導き出されている事実である。

 それと合わせれば、今このタイミングでこの現象が発見されたのは必然と言うべきか。

 組織による制御を失い、自律的な行動をする高次元体と同質の力を操る存在が現れた今この時に。


「都合が良すぎるというよりは、このタイミングだからこそ発見できたと言うべきね」


 故に、女研究者の遠回しな言い方であっても、伝達の男がその真意を察するには充分であった。


「…………デュアルか!」


 得心の言った様子でその名を告げる男に、彼女は頷く。

 特殊な手段を用いなければ意思の疎通が出来ない相手が現れたからこそ、発現した能力であるというのが研究者としての彼女の結論であった。

 それは、前例のない状況へと推移すれば高次元体の力を使う者の在り方は変質を続け、やがて取り返しのつかない程の”進化”を遂げる可能性を示している。


「次元干渉波、とでも呼ぶべきかしら。次元障壁を纏う存在となったデュアルと、どんな情報のやり取りをしているのかしらね」


 迂闊に次元変異体を投入すれば、人類の制御を離れた彼らがどういう反応を示すのか。

 研究する立場からすれば魅力的な状況は、同時に人類として致命的な状況に覆りかねないものとなっていた。

 上からの指示に従うか、現場の判断でこれを拒否するべきか。

 顔を突き合わせた両者は、その結論を出すことが出来なかった。


 そしてモニター上のグラフは、今なお不規則に点滅し続けている。

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