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回想・価値観の相違

 モニターを前に、少々根を詰め過ぎたかと自覚するような頃合い。

 博士は大きく伸びをしながら、疲労感を覚える身体に刺激を与えつつ気分転換を試みようとしていた。

 部外者を拒む重要区画には違いないその場所は、逆に言えば関係者であれば咎められることなく足を運べる場所であるということで、普段であれば他の誰かが近付いてきたところで特に驚くこともなく応対するところである。

 が、やはり疲労による集中力の低下という要素は大きく、常日頃の状態を保てない程自身が疲弊していたという事実を、彼は自覚した。


「大分お疲れのようだな、博士」


「おや、主任」


 振り返った先にあったのは、見知った仏頂面である。

 高次元体の研究を行う為に作られたこの施設の最高責任者であり、上司にあたる人物である主任に対して、博士は特に気を引き締める様子も見せずに軽い返事を返した。

 それは立場の上では上下関係にあるものの、年齢的な面で言えばそこまでの違いがない為、そこまで下手に出る必要性もなかろうという結論からの態度である。

 その態度も主任の表情を硬くさせる要因の一つであるだろうとは思いつつも、博士の記憶によればそれ以前から彼が柔和な表情を浮かべたことは無かったはずであり、ならば自分には何ら非がある訳では無いのだと結論付けていた。

 そんな間柄であるからこそ、両者の間に生まれる会話とは談笑とは程遠い、仕事に関する真面目な話に終始するという有様である。


「博士。定着型次元障壁の実用化は、どのレベルまで進んでいる?」


 少しは愛想というものを取り繕うつもりはないのか、喉元まで出かかったその台詞を博士は抑え込んだ。

 口で言って治るものではないという考察と、そもそも素行を正してやるほど親しい間柄でもない相手に対して、そこまで言う義理もないだろうと判断したが故にである。

 頑なな相手に冗談を交える必要もなかろうと、博士は身体ごと主任へと向き直りながら質問の返答を口にした。


「とりあえず形にはなったよ。実働データがないから、どの程度と聞かれても返答には困るけどね」


 それはあくまでも現状を正しく表現する為の一言に過ぎなかったが、遠回しな言い方を挑発とでも解釈したのか、主任の眉間に小さな皺が寄った瞬間を見逃さなかった。

 とは言え、感情をそのままぶつけると言った短絡的な行動に映るほど、彼は子供では無かったということだろう。

 何事も無かったかのように平静を取り繕いながら、あくまでも平坦な口調で告げた。


「ならば準備が整い次第、テストを行うとしよう。データ量が多いに越したことはないからな」


 現実を見据えた建設的な意見を常に述べている、と言えば聞こえも良いだろうが、主任の態度は結論を急ぐ合理主義者を地で行くものであり、そこに反感を抱いてしまえば決して埋めようのない"溝"を生んでしまう危険性を孕んでいると言える。

 組織というものは様々な主義、思想を持つ者が無秩序に顔を突き合わせる空間であり、最終的に結果を出すという点に関しては議論の余地も無いほどに当然のことながら、それ以外の面についてはある程度の譲歩や妥協はどうしても必要になる筈だ。

 根本的に生真面目な性格なのだろうが、果たしてこの組織の内に於いてそれを理解し、かつ受け入れている人間がどれほどいるのだろうか。

 そう考えれば、決して多い数ではないだろうと博士は思ってしまうのであった。

 自己の責任だと言ってしまえばそれまでだが、それでは部署同士の間に不要な軋轢を生むこととなり、現場で作業する立場にある博士自身にも飛び火する事態にもなりかねない。

 その提案を口にしたのは、そうした思惑が働いたが故のことだった。


「主任。その際に少年を、施設の外へ連れ出す許可をもらいたいんだがね」


 対する主任の反応は予想通りというべきか、露骨に不信感を露にした硬い表情を浮かべている。

 他者より遥かに早いペースで回転するその頭脳が導き出した想定の中に、博士の意見は微塵も含まれていなかったということだ。

 我が強いことそのものに善悪の基準は当てはまらないが、排他的とも取れてしまう思考回路が導き出す結論が最善であるとは、残念ながら信じることは出来ない。

 そうした根本的な考え方の違い故と言うべきか、主任の回答は疑問に疑問を返すという、あまり好ましくない形で行われた。


「何故だ? 実働データを取るだけなら、施設内の設備を使えば十分だろう」


 機密を預かる立場からしてみれば当然だが、相応の理由が無ければ許可しないことをはっきり示す台詞でもある。

 博士自身も素直に通ると期待した訳では無かったが、ここまで露骨な態度を出されては、余計なことを言ったかも知れないと内心でため息を吐く他なかった。

 この場は取り繕っても無意味と判断した彼は、思うところを素直に口にすることを決める。


「普段から過度なストレスを強いている手前、気分転換の1つも必要だろう。それに彼が"デュアル"となる前に、彼が守ることになる世界の姿を見せておきたい」


 この意見が通るとは、口にした博士自身も思っていない。

 しかしこの施設における研究の最終的な決定権は主任にあり、その彼に自分が持っている考えとそこに思い至るまでの根拠を伏せたままでは、研究そのものをどのような方向に捻じ曲げられるか想像も付かないのである。

 ましてや、博士にしてみれば考え方が根本的に違う、合理的な判断に特化した相手が自分の上の立場に居るともなれば尚更だ。

 立場上頭ごなしに否定されることはないだろうと考える博士ではあるが、返された答えはやはり色の良いものではなかった。


「それは、安全性を確認した後の段階で論じるべきことだな。下手に施設から離れて不慮の事態に陥った場合、本来不要な被害を被る可能性を無視できない」


 想定通りというべきか、示されたのは施設内の規則に基づいた模範的な解答である。

 ただ、言葉の端々に排他的な色が見え隠れしている様子が見受けられるのは、気のせいだとは思い難い。

 責任者が責任を放棄するような台詞を口にしないだけ、主任の態度は自らの職務に忠実であると言える一方で、やはりと言うべきかその判断基準に妥協の余地はなく、これ以上食い下がれば反感を買うことは避けられないと博士は判断した。

 今このタイミングで疑惑の目を向けられては、結果的に被検体の少年に不利益があることを思えば、ここで自らの意思を折ることに不満も無い。


「……確かに、時期尚早だという君の判断は正しい。すまないね、余計なことを言った」

 

 素直に引き下がった態度をどう思われたのか、相変わらずの仏頂面では判断に困るところだ。

 言葉が途切れ、不自然にならない程度に空いた沈黙を、破ったのは主任の方である。


「……情でも移ったか?」


 率直なところで、博士は驚いていた。

 合理的な判断を常に下してきた彼の立場からすれば、一配下に過ぎない男の心情などは本来意図しない部分である筈だ。

 その部分に敢えて踏み込んできたという事実は意外であり、同時に目前の男がただ正しさを追求するだけでなく、自分なりの倫理観を持って行動していることを示している。

 ただ上からの命令に唯々諾々と従っている男では無いことを、博士は理解した。

 そして、己の判断1つでどんな冷徹な判断をも下せるような、鋼の心を持つ男であることを思い知らされた。


「仮にそうだとしても、それで本来の領分を逸脱したりはしないよ。私は今、この場にこの立場でいられることの意味を忘れたことは無いからね」


 どれほど被験者の立場に立とうと、博士自身は施設側の人間であり、実際に実験と称して干渉する存在であることに変わりはない。

 円滑なコミュニケーションを図るためにどれだけの言葉を交わそうと、少年の心の奥底に自分たちへの疑念の心が燻ぶり続けているであろうことは、疑う余地も無いほどに明白であった。

 今の自分に、主任の考えを覆すだけの正論を口にする資格はないのである。


「賢明な判断だ。博士は未だこの施設に欠かせない人材だ、こんな些事で失うような真似は避けたいからな」


 未だ必要とされている身というならば、必要なくなった場合は排斥される定めか。

 だがそれは博士に限ったことではなく、この施設に関わる者全てが背負わされたものである。

 目前の主任とて、その冷静な判断が出来なくなったと上から判断されれば、是が非でも排斥されることとなるだろう。

 博士たちは、そういう世界に身を置いているのだから。


「些事、か。そうだな」


 自分たちも実験の被験者たちと変わらない、施設の機能を循環させる為の機能に過ぎないことを、博士は改めて自覚した。

 その上でなおこの場に留まり続けるのは、自分なりに妥協に甘んじてでも成し遂げたいと思う、理由があるからである。

 そしてその理由は、目前の上司を含めた施設に関わる全ての他者に、知られてはならないことだった。

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