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回想・ガラス管の中の少年

 白色灯に照らされた屋内、見上げるほどの高さを持つ天井と見渡せる程度に広い部屋の中央には、コンクリート製のの台座から垂直に伸びた円形の密閉型ガラス管が設置されている。

 成人した男性が数人は入れそうな大きさを持つ設備の、その内側に押し込められるようにしている少年の目から見れば、それは肉厚のガラスによって内と外を隔てる"檻"の意味合いを持つものであった。

 ガラス越しに見える周囲には、少年の周囲を取り囲う様に設置された用途不明の機械装置が多数並べられていて、隔離の影響で音こそ耳に届かないものの、そのどれもが周囲を行き来する周辺の人々と同じく、忙しなく起動している。

 機械の動作音と電子音に加え、唸り声のような冷却用ファンのモーター音が響いてくるのは、部屋内に設置された集音マイクを通してスピーカが外の音声を放送しているからだ。

 ガラス管から外へ出ることの出来ない少年にとって、それは外の人間と会話することの出来る唯一の手段であり、それらを含めた場の環境のみが彼の知る世界の全てであった。

 そんな見世物のような環境に囚われた状況にあって、それでも心折れることなく平静を保つことが出来たのは、偏に目前に立つ変わり者のお陰なのだと、少年は自覚していた。


「少年、調子はどうだい?」


 話し掛けてきたのは、青年と呼ぶには少し年月を重ねた雰囲気を持つ男である。

 大抵の場合は気崩したスーツの上に使い古された白衣を羽織った姿でいるこの男を、少年はその容姿と場の雰囲気を合わせて、いつしか彼を"博士"と呼ぶようになっていた。

 意図的に名前を語ろうとしないスタンスに違和感を覚えない訳でもないが、敢えて指摘するような理由もなかった為に、お互いが名前を知らないままに談笑するという、奇妙な環境が生まれていたのである。


「はい、健康状態に問題ありません」


 無論のこと、両者の間にあるのは互いの利益に準じた信頼関係に過ぎないため、相手を心から信用するには程遠いものである。

 しかし、交流の時間が長ければそれに見合うだけの付き合い方が板につくのは必然であり、当初のような堅さは成りを潜めていた。


「そうか。窮屈なのは相変わらずだろうが、もう少しだけ我慢してくれよ」


 博士の申し訳なさそうな台詞は建前だろうが、本心でもあると察する、或いは解釈する程度には相手の内面が掴めていた少年である。

 苦笑混じりに頷いて見せながら、無意識の内に手が自らの左胸辺りへと伸びた。

 他人より低い体温を保つ身体を動かす源が収まっている筈のその場所からは、鼓動の1つも感じとることは出来ない。


「……心臓がないというのは、やはり落ち着かないかね?」


 心の内を見透かしたような博士の一言に、少年は俯きながら僅かに表情を陰らせる。

 偶然を含めた様々な条件が重なって出来た現状に於いて、少年が抱えることになった現実を、その一言が明確に示していた。

 無地のシャツに覆われた内側、彼の肉体の丁度心臓のある筈の位置には、抉られたというよりは"切り取られた"と言うべき奇妙な空洞が存在する。

 全身に血液を送る根元を失った肉体は死の宿命から逃れられない筈であったが、今の彼の身体はそれを不自然に捻じ曲げられた形になっている。

 そうなった経緯を少年は知らなかったが、今の段階でその命を現世に留めていられるのは目前の博士を含めた、ガラスの外側の人間であることは承知していた。

 それ故に、彼らへの生き永らえさせてくれたことへの感謝の念と、歪な生を強いられた事への憎悪の念の双方を抱く複雑な心境を抱えながら、そのいずれもが時間経過の前に薄れることなく、むしろ逆に強まっていることをも自覚していたのである。

 感情のうねりに呑みこまれ、全てを曖昧なままで受け入れなければならなくなった少年の心の中に、確かなものは何一つない。


「未だに不思議ですよ。自分の身体ではないみたいだし、そもそも生きているという実感がありません」


 全ては、その一言に集約されていた。

 繋ぎ止められた命をただの人間として生きられるなら、多少の不自由を強いられることを加味したとしても、彼らを恩人として素直に受け入れられただろう。

 しかし、鼓動を感じないことで常時否応なく自覚させられる違和感を含め、この世界に存在を留めることであらゆる要因が全身にまとわりつくような不快感に晒され続けているという錯覚が、現実を素直に受け入れようとする心を妨げているのである。


「……すまない。残念ながら私に、今の君の気持ちをわかってやることはできない。限りなく自然に近い形で生活できる環境を用意する手筈ではあるが、それでは恐らく君の望んだ結果は得られまい」


 敢えて口にすることが博士の真摯な態度なのだと、少年は正しく理解した。

 その上で、突き付けられた現実は重く、無慈悲なものであると痛感する。

 それは考えうる可能性の1つとして頭にあった事実であり、そうであって欲しくないと心から願っていた結末だったからである。

 無意識に意気消沈した面持ちの少年に対して、博士は間を置かずに続けた。


「それでも。そのガラス管の窮屈な生活から抜け出せるようになれば、それはここに至るまでの君の価値観を覆す、重大な要素になり得ると私は信じている。例えそれが、私自身が罪悪感から目を反らすための方便であったとしても、だ」


 見も蓋もない台詞は、博士の本心であると同時に極めて独善的な願望であると言えた。

 身勝手な発言への反発さえ想定しているであろう相手に対して、少年は僅かに視線を上げると、先程から一度も逸らそうとしない博士の視線と交錯する。


「生きる意味をそこに見出だせと、そう言うのですか?」


「……信じているという言葉を、無責任と思うかな? その通りだとは思うが」


 博士の表情に影が射したのは、複雑な心境を反映したが故か。

 物分かりが良すぎる対応を当事者の視点から見た場合、さも責任感が欠如しているように捉えられるのは、自然な流れであると言える。

 感情的になることが必ずしも正しいとは言えないものの、同時に軽んじて良いものでもないというのが、世間一般における常識の範囲内だろう。

 客観的に見れば当事者の感情を無視した理屈を述べている博士に対して、少年はあくまでも個人の意見として受け入れた上で、答えた。


「いいえ。僕としても期待と不安が半々と言ったところですから、それをどうこう言うつもりはありませんよ」


 それは建前であり、同時に本心でもある。

 裏を返せば、劇的な環境の変化に頼らざるを得ない程に行き詰まった現状と言えるのだが、それでも少年の心の内にあるのは諦めの感情だけではない。

 僅かでも未来にすがろうとする意思を垣間見た博士の顔に、ほんの少しの笑顔が戻った。


「そう、か。ならば私も、今は君が次のステップに進めるよう全力を尽くすよ」


 それでも、満面の笑顔にならなかったのはどこか後ろめたい、明かしていない要素があるからだろうと、少年は思っていた。

 少年の周囲を取り巻く機材1つを見ても、博士に立場上の守秘義務が存在することは容易に想像できる。

 そして博士の性格や態度から察するに、その縛りは彼自身に必ずしも納得尽くの行動を許容してはいない筈である。

 その、言わば心の裏の闇を抱えながらも目的のために行動できる博士という存在は、少年に単純で根元的な1つの疑問を抱かせることになる。

 すなわち。


(そうまでして向き合いたいものだろうか? "生きる"ということは)


 それはぽっかりと抜け落ちた心臓と共に失われてしまった、生きている実感を本能的に求めている結果なのか。

 安堵の色を交えた苦笑を漏らす博士の姿を見ながら、少年はそんなことを思っていた。

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