星に願いを
思い付きです。
ついでに。しばらく書いてなかったのでリハビリ用です。
変なところあったらごめんなさい。
潮風が鼻をくすぐった時に一抹の涼しさを感じた。
ベランダで爪先立ちを試みながらメリィは空を見上げる。
ずいぶん前から、それを見つめている気がした。腕に緩く巻きつけた時計を見れば、その短針は寸分の狂いもなく八の数字の真上に陣取っていてひどく驚いた。
とうとうだ、とさっきまでは思っていた。
だが、どんなに待てどもどんなにそれを請おうとも、あれ程待ちわびたその時はやっては来ない。
彼女はもう一度、それを見つめた。
いくら見たところで、もちろんそれは変わりはしない。
「なんでそんなダルダルなことやってるのさ」
ばさり、と肩の上に降り立ち、はらはらとちらつく黒い羽はやがて、足下の闇にのまれて消えていった。それは確かに、メリィの肩に乗るそいつの仕業で、奴は自分の羽を器用につくろいながら、そんなことを言うのだった。
「あれ、レイヴン」
メリィが、来たの? と目をぱちくりと瞬かせると、その鴉は嘴を一瞬だけ止めて、彼女の顔を覗き込むように一声カアと鳴いた。
普段は飄々としているくせして、何故かこういう時だけは一緒に待っていてくれたりする、妙に律儀な奴である。
ただ、そういうところがメリィにとっては嬉しかったりする。
何だか体がそわそわするような、そんな感じだ。
レイヴンは、メリィがまだほんの小さな子供の頃に森から拾ってきた卵が孵ったものだ。卵から孵ったその時にレイヴンが見た顔が、その時はまだまだ小さなメリィで、そこでレイヴンは自分の親を知ったのだ。そういった行動が刷り込みと呼ばれていることを知ったのは、それから五年くらい経った時だった。
肩の鴉は言った。
「今日も待ってるみたいだ」
「うん。みたいじゃなくて、そうなの」
手の平に息を吐きかけながら、メリィはまた空を見上げた。
「首痛くなるぜ」
「いいの。でも、寒いなー」
「帰ればいいじゃん」
「嫌だよ。それに、」
ぐるりと首を傾けて、隣のそれに目を向けた、
「じゃん、なんて言っちゃだめ。言葉、汚い」
鴉はうるさそうに羽を広げて、二、三回羽ばたかせた後に、ふわりと空を飛んだ。
「ノアは寝たのに。ダルダルだから俺も寝たい」
それも彼女曰くの汚い言葉、である。ダルダルという珍妙な単語はだるい、を変な風に改造した言葉らしい。
それを言いだしたのは弟のノアだった。メリィは、まだ小さな弟をこっそりと、少しだけ恨み、絶対にそんな言葉を言わせちゃだめだ、と決心をした。ノアにそんなことを言わせたらいけないのだ。
もしかするとそれは、今メリィ自身が抱えている、また別の決意と似たものであるのかもしれない。
「去年も、その前も、またその前も。ずうっと待ってきたもの。レイヴン、先に部屋に帰っててもいいよ」
メリィは呟く。絶対に、いつかはそれをやらなければいけないのだ。
その言葉に鴉は焦れたように羽をばたつかせた。
「あーもう! 俺はメリィと一緒にいるって決めてるんだよ!」
先に帰るわけないだろ、と頭上で喚く鴉の声は耳にいいものではない。軽く聞き流しながら、メリィは昔のことを思い出していた。
それは、毎年、この日だけに彼女が夜空を見上げる理由だ。
今はもういない、メリィの母親は星を見るのが好きだった。何で好きだったのかなんて分からないが、そのきらめき、とりわけそれが流れるのを見るのが何よりも好きな人だったのだとメリィは記憶している。
『メリィ。こっちにおいで』
自分の膝をぽんぽん叩きながら、女性はメリィに向かってほほ笑む。目に浮かぶように鮮明な幻影は、しかし、過去の記憶だ。今ここにあるのは、記憶だけの母と、あの頃から少しは伸びたのではないかと思えるくらいの身長になったメリィと、取り残されたノア。真っ黒に塗りつぶされた空だけは、メリィが成長した今も変わらずにそこにあり続ける。メリィの耳朶の奥で、また幻聴が木霊する。
ただ、全ては幻なのだ。
メリィはまた空を見上げた。今日は、彼女の母が天に召される前に見た最後の空からちょうど四年が経つ。あの日は流れ星が流れていた。
あの時から、毎年のこの日にメリィは必ずここに来ることにしている。レイヴンも何故かついてくる。肩に乗って、毎年同じ文句を吐いている。
よりかかった柵から体を離してぺたりと座り込み、冷たい地面に少しだけ体を強張らせた。いつの間にか頭上の声はなくなっていて、横の地面を見れば黒々とした瞳の中に自分が映っているのが見えた。
「メリィはさぁ」
鴉が口を開いた。言われる前に自分で言った。
「頑張りすぎ、なんかじゃないもの」
先に言われる言葉に予想はついていた。たとえどんなにこの鴉に知性があったとしても、彼は鳥であるが故に自分が言ったことは忘れてしまう動物だから。
そう思ってメリィは言ったのだが、鴉は「いや」と返した。
いつものように聞き流してきた言葉ではない言葉が聞こえた。
「毎年言ってるって、何でか思い出したから、今年の俺は別のことを言うよ」
「……」
「メリィ。別に、一人で悩む必要なんてないんだぜ?」
「……」
「ノアだって、お前が背負い込む必要なんてない。謝罪なんて、必要ない」
あるいは、もう四年も昔の、ある日のことを言うなれば。
病弱な母の手を引いて、こっそり病院を抜け出した、あの日のことを言うなれば。それは、メリィにとっては後悔しか思うことが出来ない、そんな日だった。
黙ったままの飼い主に、鴉は目を背けたい部分を見せつけた。
「お前の母さんは言ってたじゃないか? 『見れて良かった』って、そう言ってたじゃないか?」
メリィの母にとっては、それは最後の景色。
自らを悟って、まだ小さな娘に重荷を負わせてもなお、彼女はそれを望んだのだ。メリィも、そしてノアも取り残された。
ノアは、母親を知らない。その容貌は写真で知った。聞かされたのは、彼のために歪曲され、少しの嘘が混じって構成された『事実』。そしてそれが、メリィを更に苦しめる。
幼き頃の自分と、時の経った今もなお本当のことを言えない自分に腹が立ち、しかし怯えるのだ。メリィに出来たのは、失くしてしまった母親の代わりにノアをきちんと育てること、それだけだった。
「――、だって、」
気づけば、メリィの目からは涙が溢れてきていた。どこか飄々とした気質の彼女からは考えられない出来事だった。この四年間に抑圧されてきた感情のすべてが、涙と一緒に流れ出したのだ。
もう一つ変わらないものがあった、とメリィは思い直した。
あの日の時と同じように、あの日に降ったという流れ星を見れば
許されると思えてしまうのは、ずっと変わらない。
『メリィ。ちょっと病院に戻って先生を呼んできて?』
『お母さん、星見るんじゃないの?』
彼女は指を口に当てて、微笑んだ。
『先生が来る前に見るのよ。さあ、行って?』
少女は走り出す。鴉は母親の傍でゆっくりと空を旋回している。
「そういえばまだ話してなかったけどな。お前の母さん、多分こうなることを分かってたんだぜ」
「…………なんで?」
「お前が医者を呼びに行った時にこんなこと言われたんだよ」
『レイヴン。ちょっとこっちに来て』
ふわふわと空を飛んでいた鴉は、すいと彼女の下に下りた。
『どうしたんだ、死にそうなのか?』
『うん、そうよ』
実にあっさりとした答えに、自分で尋ねたにも関わらず、鴉は目に見えて狼狽した。彼女はそれを見て、笑う。
『あはは。本当に面白いのね、あなた』
『ちょ、そんなこと言ってる場合じゃないだろ!』
『でも、苦しいものは仕方がないのよ? ねえレイヴン』
『……なんだ?』
『メリィにいつか伝えてくれないかしら。私の贖罪の言葉』
「何でそんな大事なこと言わなかったの?」
鼻を啜りながら、メリィは鴉を責めた。まったくもって迫力がない様子であった。
「俺は大切なものはとっておく主義なんだよ」
「……何それ」
「まあでも、もういいかな。寝かす時間にしては長すぎだし」
レイヴンはその嘴を開いた。
メリィは、静かにその言葉を聞いた。
――――。
新しい涙が、頬を伝ってぽたりと落ちた。
メリィはこっそりと弟の部屋に入った。小さなノアはその体を更に縮こまらせて寝ているのだろう。ドアを閉めると、肩に乗った鴉と訳もなく目配せしあって小さく明かりを灯した。
弱弱しい光は幻想的に部屋を照らしだす。ノアは思ったとおりの体勢で安らかに寝息をたてていた。
ベッドに面した窓につけられたカーテンを開け放つ。夜空の星は光り輝いていて、明るいきらめきに目を細めた。
メリィは小さな弟の耳に口を寄せて囁く。
視界の端で、星が流れたのを捉えた。
I pray a star shoot across your sky!
訂正箇所は言ってくれるとうれしいです。




