三月三十日 日中
「何で起こしに来なかったんだよ!」
「仕方ないでしょ!
私にだって都合というのがあるんだから!」
朝から大喧嘩もいやだが、次の列車が来るまでまだ二時間もあるわけで。
せっかくの春休みなので二人で街に行こうという約束は、こうして菜月駅での大喧嘩に変わってしまい、
「まぁまぁ」
なんて気楽に眺めている地縛霊が妙に憎らしい。
久しぶりの街だからと綾乃のおしゃれも力が入っている。
けど、紺のジーンズに白のブラウス、べージュのジャケットを羽織り、ポニーテールのリボンも洗濯したての白色のコーディネートもむすっとした顔ではかわいく見えるわけも無く。
さりとて綾乃が家に帰らない以上俺も駅から離れるわけにも行かず。
不機嫌な綾乃はそっぽを向いたままベンチに座っているし、俺は俺でどうすればいいかと途方にくれているわけで。
結局、綾乃の機嫌は列車に乗ってからも戻る事が無かった。
「ねぇ、幸弘」
ぽつりと綾乃が呟いたのは、街へ行く列車に乗り換える為に待っている郡中港駅のホームでの事だった。
「夜、瑠菜さんと何を話していたの?」
その一言を突きつけられた時、綾乃に渡そうと思っていた缶ジュースを落としてしまう。
転がった缶ジュースはそのまま線路の溝に落ちてしまうが、拾いに行くわけにもいかない。
「二人で夜の海を見ていた」
「嘘」
即答しやがった。
「だって、家に帰る幸弘の顔が怖かったから」
声をかけられなかったという言葉を飲み込んだのだろう。綾乃の声が不自然に途切れる。
「私ね、幸弘には隠し事して欲しくないの。
私だって、幸弘に隠し事はしたくないし……」
また声が小さくなった綾乃が急に奇声をあげる。
「ああああんんっ!
何で二人で街に繰り出して遊ぼうという時に、こんなにブルー入っているのよ!」
首を左右に振るのは構わないが纏められた髪が当たる。顔に。
「うじうじ考えるのやめ!
今日は幸弘と遊ぶの!
いいわね?」
「その為にここに居るんだろうが」
なんだか自己完結した綾乃だが、その笑顔を見てほっとする俺が居た。
そして、タイミング良く街行きの列車がホームに入ってくる。
今日は綾乃と思いっきり遊ぼうと思った。
街に来て、最初にした事は昼食を食べる事だった。
何しろ出発が昼前だったから、街に着いたのは午後一時過ぎ。
ちょうど昼食を取っていた客が引き上げたファミレスに入り、二人してランチメニューを頼む。
「午後から映画を見るとして、その後買い物に付き合ってよね。
新しい服も買いたいし」
「まだ、買うのかよ」
投げやりに近い俺の言い方にまた綾乃の顔がむすっとする。
「女の子の買い物が時間がかかるのは当然じゃないの。
それに付き合うのがいい男ってものなの」
「はいはい。お嬢様。
ちゃんとお付き合いしますから」
「よろしい。
じゃあ、食べたら映画に行きましょ」
機嫌が直ったのは、俺が下手に出たからなのか、デザートのタルトが出てきたからなのか微妙な所なのだが、綾乃の嬉しそうにタルトを食べる姿を見て、俺はそれを考える事をやめることにした。
映画は可も無く不可もなく。
買い物はただひたすら待つばかり。
世の男性の永久のテーマの一つじゃないかと思うのだが、何でこんなに女性というのは買い物が好きなのだろう?
いや、買い物で選ぶという行為のほうか。
「ねぇ、これどう思う?」
「こっちはどうかな?」
「あ!ちょっと待ってて!
これ着てくるから!」
そのくせ、実際に買うものはもの凄く少なかったり。
「あれ?買わなかったのか?」
「うん。次はね……」
実に勘弁して欲しい。
そんな事を悟ったのは、デパートの婦人服売り場の椅子に座ってかれこれ二時間ほど経過してからだった。
何気に視線を適当に向けると、エスカレーター近くの展示場に「菜月海岸線廃線記念――在りし日の光景――」とタイトルがつけられた写真展をやっていた。
地元ゆえに、そして格好の暇つぶしとして展示品をあてもなく眺める。
元々、県南部との連絡を目的に作られた菜月海岸線だが、山にトンネルを掘る形で新線が作られこうしてその使命を終える事になると簡単な年表もついていたりする。
海岸線を延々と走る汽車に乗る大勢の人たち。
今の閑散とした姿を知っているだけに、その写真の風景に違和感が。
あ、菜月駅発見。
元々、俺の家は駅前食堂として爺様が始めたらしいから、写っているのは当たり前かもしれない。
昔は以外に家が多かったのでちょっと驚いたりする。
国道ができたので、ドライブインに家を改造したりしているが、農家の綾乃の家は基本的にそのままだったりする。
「お、爺様発見」
写っているかなと思ったら案の定写っていた。
しかし良く俺に似ているな。
俺自身、爺様の顔は写真でしか見たことは無い。
爺様が早くに亡くなって、婆ちゃんが母さんを育てながら食堂を切り盛りしていたらしい。
で親父が婿養子に入って俺が生まれると同時に婆ちゃんも亡くなって現在に至る。
モノクロ写真というのが味があるというか……あれ?
「おまたせって、何見ているの?」
俺は黙って一枚の写真を指差す。
「これ……」
そこには、菜月駅で笑っている瑠菜の姿が写っていた。
その写真の取られた時期は昭和二十年三月三十一日と書かれていた。
まだ時間があったので、図書館で菜月海岸の歴史を調べると色々と記事が出てきた。
昔、日露戦争の時にロシア軍の捕虜収容所が菜月海岸に作られ、その捕虜と地元の娘が恋に落ちた例があったらしい。
ただあの当時の日本で外人とのハーフは相当迫害されたのは想像に難くない。
「けど、おかしくない?」
記事を調べながら綾乃が呟く。
「何が?」
彼女どう見ても年上だけど二十代はいってないと思う。
だとしたら、生まれは昭和初期だろうから昭和一桁の可能性が高い。
「時代が合わないな」
「そうなのよ。
けど、彼女がこの時期に写真に写っていたなら、この時期あたりに彼女の待ち人がいるはずなんだ」
そんな俺の姿を綾乃は複雑そうな顔で笑った。
そして今日綾乃が一番楽しみにしていた場所に着く。
駅前デパート屋上にできた大観覧車である。
「はい。乗ってください」
の係員の声に誘導されて俺と綾乃は観覧車に乗り込んだ。
「結構揺れるね」
「そうだな」
街が一望できるその風景は俺達が住む菜月海岸まで一望できた。
「きれい……」
嬉しそうに景色を眺める綾乃を見るとこちらも自然と笑みが出てくる。
「私ね、不安だったんだよ」
不意に聞こえる綾乃の声。
その声は小さく、そして不安で一杯だった。
「お隣さんだし、幼馴染だし、ずっと幸弘と一緒にいるんだって思ってた。
幸弘も家を継ぐと言っていたし。
だから、姫南高校に幸弘が行くって言った時、凄くびっくりした」
ガラスに映る綾乃の姿はいつもり元気な姿ではなく、どこか儚げだった。
「このまま幸弘と離れるのがいやだった。
だって!
だって……このまま離れたら、幸弘が何処か遠くに行ってしまいそうで……」
観覧車がゆっくりと頂点に近づく。
茜色の空に、星明りが輝きだし、街も夜の帳に逆らうかのように科学の灯りを灯す黄昏時。
綾乃は俺のほうに振り向いて、ゆっくりと口を開いた。
「列車で行こうって言い出したのはね、幸弘と同じ時間を感じたかったの。
一緒に登校するこれまでの日常を崩したくなかった。
だから、菜月駅に瑠菜さんが出てきた時、びっくりしたし、夜、二人で話していたのを見て嫉妬したの」
そこまで言っていたずらっぽく綾乃は笑った。
「だって、彼女胸大きいし、取られちゃうと思ったから」
「俺の女性の価値基準は胸か?」
「いつも公言しているじゃない!
『俺は胸の大きい女が好きなんだ!』って
私が通販健康器具を買うのは大きな胸になる為なんだからね」
「の割に、効果が無いじゃないか」
「いったな!」
そこまで言って二人して笑う。
その後、先に口を開いたのは綾乃だった。
「好きよ。私は幸弘が好き」
不意打ちにも等しい告白に面食らい俺は何が起こったか分からなかった。
ただ、その言葉を耳にしたときに俺の唇に柔らかい綾乃の唇が重なり、綾乃の体からいい香りがしたのを覚えている。
帰りの列車の中俺も綾乃も声をかける事ができず、この体の火照りを沈めようと車窓から夜の海を眺め続けていた。




