三月二十九日 午後
で、だ。
話題になったあの謎の巨乳和服外国人美少女が、まだ菜月駅のベンチで横になって眠っていいた場合どうすればいいだろうか?
「まだいるし……」
明らかに不機嫌な声で綾乃は言い捨てるし、春とはいえまたまだ寒い時期だ。風邪をひかれても困る。
「そりゃ、起こすしかないだろう。
こんな所で行き倒れてみろ。
『謎の巨乳和服外国人美少女、無人駅で謎の変死』とか書かれるに決まっている」
そんな愉快な情況に巻き込まれるのはいやだったので、揺すって起こす事にする。
「んっ……あと五分……」
妙に色っぽい声で更なる睡眠時間の延長を狙う謎の巨乳和服外国人美少女。
その気持ち分からんではないが、こんな場所で寝ている君が悪い。
「綾乃。頼む」
「まかせて」
自慢じゃないが、俺は低血圧で中々朝起きれない。
で、遅刻させるわけにも行かないとこの幼馴染どのの音響兵器の世話になる羽目になる。
今日も食らったそれに備えて俺は耳を塞ぎ、綾乃は陸上で鍛えた肺活量一杯に息を吸い込む。
「おきろぉぉおおおお!!」
「あひゃぶべっしっ!!」
謎の擬音をほざきながら椅子から転げ落ちる謎の巨乳和服外国人美少女。
目を白黒させながら、
「く、空襲?」
「何時の時代だよ」
「おはよう。えっーと、謎の……」
「だから、私の名前は瑠菜って言っているでしょうが!」
うむ。見事な逆切れだ。
「つーか、あんたまだ居たのか?
列車乗り過ごしたか?」
この菜月海岸線はあと二日で廃線になるぐらいなので一日の運行本数がもの凄く少ない。
乗り過ごしたら、三時間待ちとかざらにある。
「だから、私は地縛霊だって言っているじゃない!」
自己主張を始める自称幽霊に向かって爽やかに言う。
「病院から抜け出してきたんだろうな。
きっとすぐ迎えが来ると思うから、強く生きてくれ
というわけで、俺たちはこれで……」
ガッシリと掴む自称幽霊。たしかに軽いがそのまま出口から出て、あれ?
「何やっているの?」
「いや、急にこいつ重くなりやがった」
「うわ。乙女に向かって重いなんてそれだけで犯罪です!」
「少し黙っていろ。自称幽霊!」
「だから私は瑠菜って名前の地縛霊なのっ!」
駅舎の入り口から急に固まったかのように動けなくなる自称幽霊。
綾乃が俺の空いた手を持ち引っ張るから駅舎入り口で行われる大岡裁き。
「痛っ!
裂ける!体が裂けるっ!」
あまりの痛さに叫んで手を離してもらおうとした俺の動きが止まったのは、綾乃が引っ張るのを止めたからで、その綾乃の顔は呆然としたまま視線は瑠菜の足――足袋と草履が宙に浮いている――を指していた。
「こいつ人間じゃねぇ!」
「だから地縛霊って言ってんでしょうがぁぁぁぁ!」
瑠菜の叫びを聞いた者は俺と綾乃以外は居なかった。
「でさぁ、地縛霊ライフも大変なのよ。
動けないわ、姿見られないわ。分かる?
さっさとあの世に行きたい所だけど、今度は何でこの地に留まっているかを忘れているからお笑いよね。
ねぇ、聞いているの?二人とも?」
まったく聞いておりませんとも。ええ。
くだくだくだくだと延々と話されて俺も綾乃も魂が体から出かかっておりましたとも。ええ。
空が赤く染まり、カラスが山に向かって飛んでいた。
駅車内で続けられる愚痴のオンパレードなどまともに聞いていたのは最初の五分だけ。
綾乃などは俺をほっといて一度家に帰り私服に着替えてきていたりする。
「まぁ、とりあえずこれ」
話が止まったと見た綾乃がさっと瑠菜の前に差し出すのはこの地縛霊が第一声でほざいた彼女の執着物の乗ったうどんだった。
「おおおっっ!
うどんにじゃこ天が乗ってるっっっ!」
割り箸を割って、じゃこ天を摘んでぱくり。箸使うの上手いな。この幽霊。
「美味しい!」
音立ててすするなよ。
汁が振袖につくだろうに。
「こんなに美味しいものが食べられるなんて、地縛霊やってて良かったわ!」
「いや、よくないし」
「さっさと成仏しろよ」
二人して幽霊に突っ込むが、幽霊の方は金髪ツインテールをぴこぴこ動かしてうどんをすすっていたり何だこの謎空間は。
「だから、何に執着しているかを忘れているんだって!」
「大体、何だよ!
その振袖に金髪ポニーテール。
幽霊だったら死に装束で出てきやがれ!」
藍色に花が彩られているその振袖はどこの成人式かと勘違いしたくなる。
「ほんとよね。
幽霊なら幽霊らしくもっとつつましい胸で出てきなさいよ」
何か綾乃が間違った方向で怒っているのは放置しておく。
「というわけでさぁ、二人も一緒に幽霊ライフしない?」
「するか馬鹿」
「お断りです」
当然のように即答した俺達に実にわざとらしく「よよよ」と泣き崩れる幽霊もどき。
「世間って何て冷たいのかしら。
こうなったら、二人に取り付いてみかんの皮汁を顔にかける呪いで」
「そんなので死ぬかぁぁぁぁぁああ!」
俺と綾乃のつっこみがハモる。
そんな時に携帯のアラームが鳴り俺達を現実に引き戻す。
「な、何?それ?」
「携帯電話。
やばっ!
もう店を手伝う時間だ」
寂れた海岸だが国道が通っているのでトラックドライバー等が食事を取る事が多く、それで俺の家が成り立っていると言っても過言ではない。
なお、ドライブインの手伝いが俺と綾乃のこづかいの収入源でもある。
「じゃあ、帰るわ」
「またね。瑠菜さん」
家に向かう俺達を瑠菜は邪魔せず、ただ後ろから声をかけただけだった。
「またね。二人とも」
家に入る時、綾乃は真剣な顔で口を開いた。
「あの駅、あと二日で終わりなのに、彼女どうするのかしら?」
目が覚めると辺りは闇に包まれていた。
まだ深夜なのを時計で確認して窓を開けると対岸に人の世界の灯火が見える。
誰もが眠りにつく時間というのが過去のものとなり、人はその息吹を闇への抵抗のように灯し続けている。
俺はその儚い光をただ見つめていた。
一番近くの灯りは菜月駅の外灯で、その灯りの下に瑠菜は佇んでいた。
この時間は思ったより冷えるのでジャンバーを羽織外に出る。
顔にあたる風は冷たかった。
菜月駅はすこし高台にあり、瑠菜は月夜に照らされる菜の花を眺めているのか、その海の先にある人の灯火を見ているのかは後ろ姿では判断つかなかった。
「知ってる?
月には魔法がかかっているの」
近くに来た俺にだろう。海岸を眺めたまま瑠菜が呟く。
「月の精とでも言うのか?地縛霊が?」
瑠菜が振り向いて笑った。
その金髪が月夜に照らされて美しく。
その笑みが悲しみを湛えて痛く。
俺は瑠菜に何も言う事ができない。
「何でここに居るのかわからない。
今、どうして出られたのか分からない。
けど、貴方に会えた事は私にとっては幸せな事なんでしょうね」
その声に体の何かが震えた。
ジャンバーに突っ込んだ手を知らずに握り、少しの躊躇を押し殺して俺は口を開いた。
「この駅はあと二日で終わりだ。
来月から廃線になるんだ」
「そう……」
瑠菜はそれだけ答えてそのまま海岸を見つめていた。
ここにいる理由が分からない地縛霊だが駅に出る地縛霊だ。
待ち人を待つというのが執着理由としては可能性が高いだろう。
その待ち人もあと二日経てば来なくなる。
永久に列車の来ない駅で、彼女は待ち人を待ち続ける。
それはあまりに酷な未来だった。
「聞いていい?」
「何を?」
そんなやり取りが行われたのはそのまま夜の海岸を眺めてからかなり経ってからの事。
「何であなたはここから出ようとしたの?」
その核心を突く質問に俺の体は固まるが瑠菜の視線は波音さざめく海岸に向けられたまま。
「さぁな」
としか、返す事ができなかった。
「そろそろ寝るわ。
風邪引くなよ」
声が上ずっているのが分かる。
「幽霊が風邪をひくって斬新よね。
またね。幸弘」
速足で逃げるように瑠菜の元から去るのが分かる。
俺が一番隠していた事を瑠菜に見透かされていた事が分かる。
それが恐ろしくて俺はただ蒲団をかぶってこの夜の事を忘れようとした。
その日、綾乃が俺を起こしに来る事はなかった。




