代行待ち
二次会が終わって、電車組はもう帰ってしまった。
日付はもう、明日だ。
酔っ払った。
夜空には雲ひとつなく、星たちが瞬いている。
胸いっぱいに夜気を吸い込むと、火照った体が冷やされて心地いい。
白い吐息が空中で霧散していくのを眺めている。
「みんな、帰っちゃったね」
振り返ると、紗綾が隣に立っていた。
「車?」
一歩後ろに下がりつつそう訊くと、彼女は無言で頷いて見せた。
遠くのどこかを見ている瞳が、湖面が波打つように静かな煌めきを見せている。
「ヤス君、代行、もう少しかかるの?」
寒さに身悶えながら紗綾は訊く。
「来るまで、車で待ってる?」
そう言うと彼女は噴き出して、
「それって冗談?」
とカラカラ笑った。
それを否定する前に、彼女はそそくさと俺の車の助手席の前に立ち、鍵が開くのを待っている。
氷点下に長時間放置された車は、窓ガラスが完全に氷結している。
「まず、氷を溶かさなきゃな」
車に乗り込むと同時にエンジンを掛ける。
車内に『ロメオ』という曲が爆音で流れいたのに慌てて、俺は音楽を消した。
エンジンの震える音だけが車内に充満する。
あたりは暗く、氷に閉ざされて何も見えない。
今、この空間には、俺と紗綾しかいない。
「こうして、氷が解けるのを待っている時ってさ」
そう思っていると彼女がフロントガラスに向かって声を上げた。
「ひとりでいると、なんだか、とっても一人ぼっちな気持ちにならない?」
まだ暖まらない暖房が首筋を微かに撫ぜる。
「外の気配が感じられなくなるの」
様子を窺うと、彼女は目を瞑っていた。
暗がりでも艶やかに浮かぶ紗綾の艶やかな頬。
艶やかな、唇。
「何も見えない、聞こえない」
確かに、エンジン音に外界の音は遮断され、氷に視界はさえぎられている。
冷気に感覚が研ぎ澄まされているから、却ってそのことに気づいていしまう。
「笑わないで?」
そう言うと彼女はこちらを向き、どこか恥ずかしそうに肩をすくめた。
「宇宙船で一人ぼっちの人って、きっとこんな気持ちなんじゃないかなって思うの」
「宇宙船?」
「うん、宇宙船」
紗綾は肯くと、鼻ですうっと息を吸い、吐いた。
「だれとも交信できなくなって、気が遠くなるくらいの年月を一人ぼっちで過ごしている宇宙飛行士の気持ち」
何も見えない、聞こえない、そんな感じが何だか伝染してきた。
「もちろん知ってるのよ? 一歩外に出ればいつもの見慣れた風景が待っていることくらい」
「でも、心細くなったら、やっぱり一人ぼっちって思っちゃうよな」
俺がやさしく笑いかけると、彼女も応えて笑った。
「でもさ、今日はヤスくんが一緒だからいいわ」
俺は照れて、なんだよそれ、と鼻の頭を掻く。
すると彼女のバッグの中から携帯電話の鳴る音が響いた。
紗綾はディスプレイを確認すると、来た、と呟いた。
「じゃ、お疲れ」
「ヤスくんの代行が来るまでいるよ」
「いや、帰りな、待たせると悪いし」
俺はコートの衿を立てて一向に吐き出されない温かくならない風を遮る。
「じゃ、ありがとね」
「なにが」
「いや、暖めてもらって」
「風よけくらいにしかならなかったけどな」
いいよ、と言って彼女はドアを開けた。
「暫く来なかったら、一人ぼっちだね」
笑って彼女は言う。
おれは衿に首を埋めて受け流す。
「寂しかったら連絡してきなさい」
そう言ってドアは締められた。
高鳴るエンジン音。
視界を遮る氷。
ひとりに鳴った車内は、確かに外界と隔絶されている。
なんだが、さみしいかもしれない。
真っ暗な宇宙に一人ぼっち。
そう考えると、急に怖くなった。
このまま凍え死んでしまうのではという気になった。
だから俺は勢い良くドアを開けた。
するとそこには、車に乗り込む前の景色が当たり前に広がっていた。
だよな、やっぱり。
俺は嘆息すると、なんだかどうしても紗綾の声が聞きたくなって、携帯電話を取り出した。




