第一話 田舎町と旅の道連れ
むかしむかし、この町がまだなかった頃のお話。
暗い夜の世界を、1人の女性が歩いていました。彼女はとある国のお姫様。
けれど、それは少し前までのお話です。
お姫様の国は、隣の国との戦争に敗れ、既に無くなってしまっていたから。
住み慣れた館は焼かれ、父も母も兄弟も殺され、焼け野原となった自分の国から逃げ出したお姫様。彼女は行くあてもなく彷徨い、気がつけば人が住まない、草原の真ん中に立っていました。
着ている服は破れ、履物はどこかに無くしてしまい、足は泥だけ。もう歩く気力もなく、その場にしゃがみこんでしまいます。
人の声は聞こえないけれど、遠くからは獣の唸り声。
お姫様は考えました。私はここで死ぬのだと。このまま飢えてのたれ死ぬか、それもとも獣に食われて死んでしまうか。けれど、どちらでもいい。死ねばもう苦しい思いもしないで済むし、生きている理由もない。
けれど、お姫様は飢えて死ぬ事も、獣に食べられる事もありませんでした。
お姫様が全てを諦めた時、空から光が降りてきました。
それはまるで星が降って来たかのようでした。
降りてきた光で世界が照らされ、暗闇で覆われていた夜の世界は、太陽の下にあるように明るくなります。
気がつけば獣たちの声も聞こえなくなり、お姫様はただ、降りてきた光を見続けていました。
やがて、光が消えた時、そこにあったのは鉄の巨人と、1人の男。
男は、青い瞳でお姫様を見つめていました。
そして、お姫様に手を差し伸べます。
お姫様も、その手を握り返します。その手からは、人の温かさが伝わって来ます。
それは、お姫様にもう少しだけ生きてみよう。そう、勇気を与えるものでした。
「めでたしめでたし、かな」
読んでいた本から目を離して適当に思いついた言葉をつぶやく。昔話の閉めだったら、これが一番だろう。
「で、これを僕に読ませて、何があるの?」
学校から帰って居間に入るやいなや、面白い読み物があるって、母さんに年季が入ったボロボロの本を渡された時は何かと思ったけれど、なんて事はない、どこにでもある童話の本だった。
「何よ、随分と淡白な反応ね。テレビで男と女がラブラブになるドラマばっかり見てるから、ラブストーリーは好きだと思ったのに」
「これがラブストーリーだったら、一寸法師も立派にラブストーリーじゃないか!」
と、言うか、男と女が出て切る日本昔話全般が。
「でも、覚えておいて損はないわよ、この話」
「は?」
「話の中で『この町』ってあったでしょ」
確かに、冒頭の方で確かにあったけど。
「今度、アンタはその町に行く事になるから」え
「え、突然何言ってんの母さん?」
突然、何を言い出すんだこの人は。僕にどこに行けと。
「えーとね、岩三郎お爺さんの事、覚えてる?」
「うん、覚えてるけど」
岩三郎おじさんは、僕の叔父だ。何度かあった事がある。
何時も日に焼けた肌をしている、筋肉隆々のたくましい男の人だ。ホモの気がある人が見たら、思わずウホッって言いだしてしまうくらいに。たしか、年齢は五十過ぎだと言うけれど、とてもじゃないがそうは見えない、気の良いおじさんだ。それがどうしたんだろう?
「岩三郎さん、その町に住んでるんだけどね。今年は、その伝説にまつわる夏祭りがあって、いつもより盛大にやるから人出が欲しいんだって」
「だったら、母さんは行かないの?」
「あら、こんな可愛いお嬢さんに力仕事をさせるつもり」
「お嬢さんと言い張りましたか、この二児の母が!」
まあ、確かに外見だけは見れば、高校生……いや、中学生にも通じるとは思うけれど。
「あーら、心は今でも16歳よ。アンタより若いんだから」
「母さん、病院行こう。自分の歳も覚えてないなんて、深刻な記憶障害だ!」
「やかましい!」
そんなくだらないやり取りをしていると、不意に居間のドアが開いた。
「たっだいまー」
中に入って来たのは、僕の妹の美優だった。学校の制服を着ているところを見ると、家に帰って来たばかりのようだ。
「何してるの、お兄ちゃん」
「聞いてよ、美優。母さんが岩三郎おじさんの所に行けって――」
「え、いいなあ、お兄ちゃん。私も行きたい!」
僕が話し終わるよりも早く、妹はキラキラした目で話に食いついてきた。そういえば、美優は岩三郎さんが家に来た時は、一日中ひっついているくらい、慕っていたんだよなあ。
「そうよ、お兄ちゃんは、岩三郎お爺さんの所で、お祭りのお手伝いするの」
「ねえ、私も行って良い?」
「あらー、いいわよー」
「いいの? 行く行く!」
母さんからの了承に、無邪気に喜ぶ美優。なんか、母さんと二人で踊り始めた。
不味いなあ、こうなったら断れない。妹はまだ小学生だ、とても一人で遠くには出せないから、誰か保護者が必要だ。あ、でもそれだったら母さんでも。
「あいた!」
「あっはは、お母さんあぶなーい」
その母は、踊っていた勢いですさまじい勢いで壁に激突していた。
……ダメだな、心配だ! こうなったら、僕が行くしかないだろう。
「はあ……わかったよ、行ってくる」
「あら、ありがとう」
僕の了承が取れて、よっぽど嬉しかったのか、笑顔で母さんは答えた……でも、母さん、半ば強制的に行かせるのに、その満面の笑顔は何なんですか。
さて、そんなやり取りがあった日から数日。僕、上凪悠斗は電車に揺られていた。
電車と言っても只の電車じゃない。車両数2両、一日に通る本数三本と言う超ローカル線。当然と言うか、窓の外の景色は畑や山ばかりだし、僕と美優意外には、電車に乗っている人は居ない。普段は座れない座席だった占領し放題だ! まったく嬉しくないけど。
美優は、遠出で少し疲れたのか僕の隣ですやすやと寝息をたてている。起こすのもかわいそうだし、暫くは寝かせておこう。
「これさえなければ、悪くないんだけどなあ」
言っちゃ悪いが、星空町はすさまじいまでの田舎だ。僕たちが住む東京からだと、移動するだけで普通に何時間もかかる。はっきり行って、これがすさまじく面倒だ。
「ま、たまにはこういうのも良いか」
幸い、夏休みも始まったばかりだ。ゆっくりするには良い機会なのかもしれない。
僕は再び窓の外に視線を移す。
外は相も変わらず山と畑が広がる、呆れるくらい長閑な景色。雲ひとつない快晴の空も相まって、見ごたえのある光景だった。時間さえあるのならば、自転車で走ればきっと気持ちいいだろうな。
「しつれいしまーす」
そんな事を考えていると、不意に後ろの方でドアが開く音とともに、誰かの声が聞こえた。
それに合わせて、人の足音が聞こえてくる。車掌さんでも来たのだろうか?
「う~、ここには誰かいるデスかー」
入って来たのは、女の子だった。
少し離れているから顔はよくわからないが、長く黒い髪をおろした、僕と同じくらいの年頃の女の子みたいだ。
失礼ながら顔を良く見させてもらうと、随分と整った顔立ちをしていた。あまりの女の子と付き合いの無い僕だけど、まちがいなくかわいい子、と言える顔だと思う……けれど、どこか違和感がある。何が引っ掛かってるんだろう……まあ、原因は服装だな。
彼女、なぜか和服を着ている。年頃の女の子が和服を着てこんなローカル線に乗っている。趣味なんだろうか?
「暑いデスし、お腹すいたデスし、人は居ないデスし、クーラーは利いてないシ、酷いデスよ……」
愚痴りながら彼女はこちらに近づいてくる。しばらく歩いたところで、こちらの視線に気がついたのか、駆け寄って来た。
「誰も乗っていないと思ったデスけど、ちゃんと人がいるんデスね」
さり気なく失礼な事を言う子だ。けど、その顔にはまったく嫌味がない。多分、思った事をそのまま言ってしまったんだろう、なんだか憎めない。
「うん。まあ、僕もついさっきまで誰も乗っていないと思ったけどね」
ほんと、この線に乗った時から、他の乗客なんて見なかったし。
「ほんと、田舎だよね」
「あー、失礼デスよ、ここに住んでる人が聞いたら、怒りますよ!」
「いや、さっき君も似たような事言ってたでしょ」
「それは気にしなでください」
気にしてください。
「まったく……」
僕とは初対面だってのに、よく喋る子だ。人見知りとかはしないタイプなんだろうか。
「でも、よかったデス。今まで誰もいなくて退屈デシたよ」
まあ、これだけ喋る子だったら、誰もいない車内で一人、椅子に座り続けるのは辛くて仕方ないだろう。
「こっちも、妹が寝ちゃって寂しかったから。話し相手くらいにはなるよ」
「はい! ありがとうデス」
にぱーっと、笑顔になる。口だけじゃなくて、表情もよく変わる子だ。
「まだ名乗ってなかったね。僕は上凪悠斗。隣で寝てるのは美優。僕の妹だよ」
「ワタシは、キラボシケイです」
「キラボシ……なんだよ、その名前。日本人の名字じゃないし、英語の名前でもない」
「ええとですね、こう書くんです」
そう言うと、ケイはカバンからメモ帳とボールペンを出して、文字を書き始めた。
スラスラとペンを動かし、随分と達者な漢字で綺羅星と書く。なるほど、そんな字だったんだ。
「はい、これがワタシの名前です」
綺羅星ケイ、本当に珍しい名前だ。最近の親は、こんな無茶苦茶な名前をつけるんだろうか。
そう言えば、近くで見てみると、彼女の目は碧眼だった。髪の色こそ日本人のように黒いけれど、顔立ちはどことなく、外国人の物だ。それに、日本語のイントネーションも、どことなくおかしい。
「あのー、顔を眺めてどうしたんですか?」
「あ、ごめん。青い目の人って今まで見たことなかったから、つい見ちゃって」
我ながら、失礼な事をしたものだと思う。
「あ、気になったんだけど、君って、ハーフなのかな?」
恥ずかしさを紛らわすために質問を続けた。声がちょっと上ずっていたけど、緊張しているのはばれてないはずだ。
「はい、パパは日本人デスけど、ママはイギリスの出身デス!」
と、言う事は、ハーフか。
「なるほどー、だから、日本人の黒い髪と、イギリス人の青い目を持っているんだ」
「はい、そうデス! パパとママから貰ったものデス」
そう言って、誇らしげに笑った。
その顔を見て、改めて思う。彼女は、笑顔の良く似合う子だ。
「でも、そんな格好して電車に乗って、どうしたの?」
趣味は人それぞれだと思うけれど、年頃の娘さんが和装を普段着にするのはあまり見ないし、なにより長旅には不向きな気がする。
「これから、大事な人に会いに行くので、気合いを入れました!」
胸を張って、彼女は応える。
「気合いね」
まあ、確かに身体全体からピリっとした空気を感じるし、気合いが籠ってるんだろう。
「んにゃ?」
気がつくと、隣で美優が目覚めていた。寝ぼけ眼で当たりをきょろきょろと見回すと、自分のすぐそばに座ったケイを見て、驚いたように目を広げる。
「お、お兄ちゃん、この人だれ?」
「ケイさんだって。偶然、同じ電車に乗ったけど、お互い、話相手がいなくて暇だったから、こうして話をしてる」
僕が一気に説明する横で、ケイさんはひたすら首を縦に振り続けている。肯定の合図なんだよね、たぶん。
「ミユ。ケイですヨ、よろしく」
「ふえ? なんでお姉さん、私の名前を知ってるの?」
「ああ、ごめん。僕が教えた」
「もう、だったら起こしてくれればよかったのに」
美優は、頬を膨らませて機嫌の悪さをアピールしてくる。
「ミユ。ユートは、よく寝ているアナタを起したくなかったんデス。許してあげてください」
「うー、わかったよ」
ケイのフォローに納得したのか、美優は大人しくなってくれた。
「そういえば、二人はどうしてこの電車に乗っているんデスか?」
「あ、えっとね。星空町に居る、お爺ちゃんにあいに行くためだよ」
「わお、奇遇ですね。ワタシも星空町まで行きますよ」
「へえ、それじゃあ、そこまで一緒だね!」
「はい、よろしくです、ミユ」
お互い、気が合うのか、美優とケイはそのまま星空町につくまで、ずっと談笑をしていた。
こう言う時、男の僕は妙に会話に入り辛くて、時々振られる話題に返答をしながら、会話を聞いていた。
少し寂しいけれど、美優が退屈しないで済むのは助かった。たぶん、僕が美優の相手を一人でするのは、ちょっと難しいだろうし。旅先の出会いに感謝しよう。
さて、そんなこんなで、僕たちは星空町に着いた。
電車を降りると、そこは時代を感じさせるホーム。木できた壁や屋根には汚れが目立ち、人の数も少ない。
「わお、写真で見た事がありますよ、これが田舎なんデスね」
「うん、私もここまで田舎を見るのって、初めて」
女二人は口をそろえて失礼な感想を出している。お前ら、地元の人間が聞いたら怒るだろ。
「美優、忘れ物は大丈夫?」
「うん、大丈夫」
美優は既に荷物を纏めて改札まで歩き始めていた。話が妹ながら、行動の早い。
「んじゃ、行こう」
「あ、ワタシも途中まで一緒に行きます!」
僕達の後ろを、あわててケイが追いかけてくる。
「どこまで行くんだっけ?」
「ええと、地図があるんデスけど」
そう言うと、ケイは一枚の紙を取り出した。そこに書かれているのは、この町の簡単な地図だった。
「この丸印が付いているところが、目的地なのかな?」
「はい、そうです」
「これだったら、お爺ちゃんの家の途中だから、一緒に行けるね!」
「うん、そうだね。それじゃあ、ケイも一緒に行こう」
「はい!」
そう言うわけで、三人揃って僕たちは駅の改札を抜けた。
改札を抜けると、そこは十年くらい前に戻ったような、田舎町だった。
道路はコンクリートで舗装されているが、どことなく色あせていて、年季を感じさせる。
駅前こそ小さな店がいくつか並んでいるが、少し歩けば家がまばらになり、道路のわきには空き地が目立つ。
道路のわきには雑草が生い茂り、よく見るとバッタやカマキリがいた。
建っている家もまばらで、一つ一つの家の間隔も、東京都は比べ物にならないくらい広い。
車が通る音や、工事の騒音もなく、ただ蝉の声だけが鳴り響いている。
「ここに来るのも久しぶりだけど、やっぱり東京とは違うなあ」
「うん、空が広いよね」
確かに。高い建物もないし、そもそも視界を遮るものがないので、空が広く感じられる。
見上げると、空には雲ひとつなく、太陽からの夏の日差しが降り注いでいた。
さすがに少し暑いけれど、不快さはない。
「ここが、日本のフルサトなのですね」
「まあ、よくテレビとかでそう言う紹介はされるかな」
故郷。
確かに、僕達がイメージする故郷と言うと、こう言う光景を思い浮かべるのかもしれない。
「あ、見てみてお兄ちゃん。これ、バッタだよ」
美優は道路わきの草むらに指差して走って行った。そう言えば、最近は家の近所じゃ、バッタもあんまり見なくなったからなあ、珍しいんだろう。
「ほら、捕まえた!」
素早くバッタを捕獲すると、美優はそれを持ってこちらまで戻ってくる。
「へえ、捕まえるの、上手いな」
僕だって、虫取り網がないと難しいのに、手づかみで随分と簡単に捕まえられるものだ。
「ケイさん、ほら見て」
「あ、あのー。ワタシ、虫はちょっと」
捕まえた虫をケイに見せようと近づく、美優に、ケイは少しひきつった顔で後ずさる。
「虫、苦手なの? 可愛いのに」
さも不思議そうな顔で美優は言うけれど、反対にケイは、なんでこんな気持ちの悪い生物を可愛いと言えるか、心底不思議そうだった。
「ほら、人が嫌がる事をしちゃダメでしょ」
流石に気の毒なので、助け船は出す事にしよう。
「あ、そうだったね。ごめんなさい、ケイさん」
謝ると、美優はすぐにバッタを草むらに放した。それを見って、安心したのかケイは美優の方にまた近づいていく。
「ビックリしました。美優は、虫が怖くないんデスね」
「えっへん、小さい頃はお兄ちゃんと一緒に虫取りしてもんね」
胸を張って、美優は言う。
「うん。そう言えば、最後にやった時は、美優の方が沢山捕まえてたよね」
流石に僕が中学生になった頃にはもうやらなくなったけれど、昔は兄弟してあちこち駆け回っていたものだ。
今は、虫を探していた草むらにも家がたっているし、バッタを見る事もない。やろうと思っても、出来ないんだろうな。
「ワタシは、虫はダメですね」
「ま、気持ちは分からなくもないよ。僕も最初は苦手だったし、バッタはともかく、毛虫とかはまだ生理的に駄目だな」
「分かります! ワタシも、あのウネウネした体が大嫌いです」
うん、よくわかる、それは。
「あと、蟻。あれはダメです。絶対にダメです」
「蟻、かあ……」
なんか、蟻に恨みがあるんだろうか、妙に感情が籠っていた。もちろん、籠っているのは、憎しみと言う名の感情だ。
そのままお互い、毛虫は駄目だとか、蛾も嫌いだとか、でも芋虫は大丈夫……と言ったところでケイに否定されたりしながら、田舎の道路を歩いて行った。
通る車も一つなく、時々自転車に乗ったおじさんやおばさんが、こちらを見て挨拶をするくらいで、長閑な道だった。
ケイは虫が苦手なのか、道路の端には決して寄ろうとせず、真ん中をキープして歩いていた。
対象に、美優は面白そうなものが見つかると草むらに突っこんでいき、何かを捕まえてはケイに気味悪がられていた。
30分ほど歩くと、ひときわ大きな家が見えた。お屋敷って言う言葉が似合いそうな、古い日本家屋だ。確か、地図で見せてもらったケイの目的地は、あの家の筈だ。
「ケイ、あそこが君が行くところだっけ」
「はい、間違いなさそうです」
地図を開いて再確認し、ケイは首を縦に振って肯定した。
「それじゃあ、私達とはここまでなの?」
残念そうに、美優は言う。まあ、短い間だったけど、随分仲良くなったから、名残惜しいのだろう。
それは、僕も同じだ。
「あはは、ごめんなさい、ミユ」
ケイの方も同じように、別れるのが少し寂しいようだ。
「でも、僕達は夏祭りが終わるまでここに居るし、ケイもすぐに帰るってわけじゃないでしょ? だったら、会える機会は何時だってあるはずだよ」
「そうですね。ミユ。明日にでも、また会いましょう」
「うん」
うん、二人とも納得してくれた。
ケイはそのままお屋敷の方へ走って行った。
「またねー」
美優は、ケイがお屋敷の中にまで入るまで手を振っていた。
「じゃ、行こうか」
「うん……はあ、ここからはお兄ちゃんと二人旅かあ」
さも不安であるかのように美優は言うと、僕より先に歩きだした。
「はいはい、僕も美優と二人で残念ですよ」
お互いに軽口をたたきあい、僕も美優の後を追う。
その最中、二人とも特に何も言わずに歩いた。
僕と美優の二人だと、あんまり話題がない。やっぱり、ケイが居てくれて随分と助かったのだと実感する。辺りには相変わらず蝉の声だけが響き、少し寂しいくらいだ。
「この不届き物があ!」
その静寂を打ち破るかのように、突如怒声が響いた。
真後ろから聞こえてきた大きな音に、僕は思わず後ろを振り返る。
僕と同じように美優も驚いたようで、心配そうな顔でこちらの顔を見てくる。心なしか、周りの蝉の鳴き声も低くなり、明らかに今までとは異質な空気が僕達の間に漂う。
「ねえ、お兄ちゃん。今の声って、ケイさんが入った家から聞こえてきたよね」
「ああ、まちがいない。」
そもそも、人もいないし建物もないし、あそこから聞こえてきたとしか思えない。
「美優、行くか?」
あまりにも突然の怒声。それに、聞こえてきた場所。何となくだが、不安を感じて、僕はその正体が何であるか、確かめたくなった。
「当然だよ、お兄ちゃん」
僕からの提案に、我が妹は頼もしい返事を返してくれる。
お互いに顔を見合わせ、首を縦に振ると、すぐさまお屋敷へと駆け出した。
お屋敷の門は、不用心にも開かれたままだった。
「ねえ、入って大丈夫かな」
おそるおそる、中をのぞきながら美優は言う。
「うーん、勝手に入っちゃまずいよな」
流石に、見ず知らずの人間が中に入ったら、面倒な事になる。それに、さっきの怒声は、不届き者と言ったが、仮に不審者がこの中に居るのなら、美優を連れて行くのは明らかに危険だ。
「大丈夫だと思うけどー」
「やめなさい」
軽く悪い事を言う美優を止め、僕はとりあえず門の周りを見回す。インターフォンでもあれば、中に連絡を取れるのだけど、残念な事にそれらしきものは見当たらない。
気になるところと言えば、門の横にかけられた表札くらいか。
「綺羅星……か」
ケイと同じ名字だ。と言う事は、ここはケイの家、もしくは親戚の家なんだろうか。
「馬鹿もの! 何故今さら帰って来た。貴様の父は、一体どういう教育をしてきたというのだ」
「ごめんなさい!」
再び、お屋敷の中から人の声が聞こえてきた。一方は、さっき聞こえてきた怒声と同じもの。もう一つは――
「お兄ちゃん、ケイさんの声だよ!」
そう、ケイの怯えたような声だった。
「美優、行くぞ」
「合点承知、だよ!」
うむ、やはり我が妹、こう言う時は意見が一致してくれて頼もしい。不法侵入。二人でやれば怖くない!
僕たち兄弟は、門の中へと駆けて行った。
お屋敷の門を抜けて、庭を抜けると、門の前ではケイと、巨躯の老人が対峙していた。
とはいっても、血走った眼でケイを睨みつける老人と、怯えたように顔を伏せるケイは、とても対等に対峙しているとは思えなかった。
「貴様ら、何者だ!」
走って来た僕達に気がついたようで、老人は血走った眼を僕達に向けて怒鳴った。その声を聞いた時、体全体が震えるような感じがした。思わず、そのまま謝って逃げ出したい気分になるけれど、歯を食いしばってその場にとどまる。美優も、僕の後ろに隠れながらだけれども、しっかりとその場に残ってくれている。
「見ない顔だが、勝手に人の家に入るな!」
声のトーンはいくらか抑えているけど、怒り心頭といった様子で老人は僕達を睨みつける。美優は僕のシャツの裾をきつく握り、どう考えても怯えていた。正直、僕も怖いけれど、兄貴として踏ん張らなければならない。
「勝手に入ったのはすいません。尋常な様子だったので、何か大変な事があったかと思い、来ました」
「ふん、野次馬か」
ああ、まあそうとも言えるよね。思わず苦笑い、ただし心の中だけで。
「……その、上凪悠斗です。野次馬と言われても仕方ないですけれど、誰かが怪我でもしたんじゃないかと、心配だったんで」
「なるほど」
ジロリと、老人はこちらの顔を睨みつけてくる。思わず目をそらしてしまいそうだが、ここで目をそらすのも癪だ。大体、僕は嘘は言ってないんだ、ここで怖気づく必要なんてない。怖いけれど、僕も相手の顔を見続けた。
「なるほど、思ったより度胸はあるようだな。信じてやろう」
そう言うと、老人は僕から視線をそらした。緊張が解けたのか、背中から冷や汗が流れてくる。美優もシャツを握る手を緩め、前の方に顔を出した。
「……ケイさん、大丈夫」
恐る恐る出した美優の声に、今まで下を向いていたケイはこちらを向く。その顔は、今にも泣きだしそうだった。
「なんじゃ、お前らは娘の知り合いか」
「はい。今日知り合った程度ですけれど」
「なら丁度いい、こいつをつけて、さっさと出て行け!」
そう怒鳴りつけると、反論すら与える暇なく、老人は立ち去ってしまった。
残されたのは、僕と妹。そして、今にも泣き崩れそうなケイだった。
相変わらず蝉の鳴き声だけが辺りに響いていた。僕たちは、誰とも言わずにお屋敷を出て、また岩三郎おじさんの家へと歩き出した。
三人揃ったけれど、空気は重く、誰も口を開かずに、暫くただ歩き続けた。
「その、ごめんなさい」
その沈黙を破ったのは、ケイからの謝罪だった。
僕たちは歩くのやめ、ケイの顔を見る。
その顔は、相変わらず沈んでいた。
「……別にいいよ、僕たちだって勝手に突っ込んだだけなんだから」
そう、勝手に首を突っ込んだだけだ。
「うん、悪いのはあのお爺ちゃんだよ!」
美優もケイを励ますように、同意してくれた。
けれど、ケイは首を横に振って、小声で語り始める。
「違うんデス。あの人は。光太郎おじさんは、悪くないんです」
あの爺さん、光田って言うのか。綺羅星光太郎……変な名前だ。
「……あの爺さんって、ケイの親戚か?」
「はい」
やっぱり、そうだったか。
「何かあったの?」
聞いてはいけない気がしたが、このまま黙っているだけと言うのも、彼女には辛いだろう。誰かに話したら、少し気がまぎれるかもしれない、聞き手になるくらいは、僕にだってできる筈だ。
「ワタシ、ハーフなのはもう話しましたね」
「うん、電車の中で聞いた」
「青い目って、珍しいもんね」
まあ、日本で暮らしているうちは、なかなか見ないよね。
「実はですね。私のパパは、この町の出身なのです。」
「それで、その実家がさっきの家ってわけか」
その言葉に、ケイは首を縦に振って肯定する。
「ワタシのママがイギリス人デス。パパは、結婚する時、お母さんを紹介したところ、外国人の娘に父と呼ばれたくない、と言って、反対したそうなのデス」
なるほど、あの爺さん、明らかに頭が堅そうだし、自分の息子が外国人と結婚するなんて、認めなかったんだろうな。
「もちろん、パパとママも必死に説得しました。でも、お互いに結局認められなくて、結婚するのを認めるかわりに、パパとママは、町から追い出されたのです」
勘当か、そういう事情があった訳か。
「そんなの、ケイさんは悪くないよ!」
耐えかねたのか、美優は叫んでいた。
「いえ、光太郎お爺さんが怒るのも無理はないデス。何年も前に家を出た息子の孫が、突然現れたのですから」
確かに、結婚をするために家族の縁まで切ったと言うのに、今更になって、あなたの孫です、と見ず知らずの人間が現れるのだから、心中は複雑だろう。
「そう……かな」
納得しかねると表情で、美優は黙ってしまう。
「……ケイさ、これからどうするの?」
「どうしましょう」
途方に暮れた顔で、ケイは空を見上げる。よく見えないけれど、その顔は苦笑いしているようにも見える。
「ねえ、だったら岩三郎おじちゃんの所に行こうよ!」
そんなケイに、美優は励ますように声をかける。
「電車の中で話したよね。僕達が夏休みの間、厄介になる家の事」
「は、はい。でも、いいのですか?」
「大丈夫だよ。ケイさん、私たちのお友達だもん、きっと許してくれるよ!」
ケイの不安を吹き飛ばすように、美優は不自然なくらい明るく言う。
「そ、僕達、友達でしょ。困った時は、お互い様だよ」
ケイは、暫くの間、僕達の顔を黙って見つめていた。
その時間が、何分続いたろう。僕達には、とても、長い時間に感じられた。
「ふふ……」
それを破ったのは、ケイの声だった。
「はい。お2人とも、よろしくお願いしますよ」
そして、再び僕達に笑顔を向けてくれた。
「うん!」
同じように、美優も最高の笑顔を返す。よかった、少しは元気になってくれたかな。だとしたら、少しだけ、嬉しいかな。
そう考えている僕の顔も、きっと笑顔なんだろう。
「がっはっは、まったく問題はない!」
岩三郎おじさんは、快くケイの事を受け入れてくれた。
あれから数十分、僕たちはひたすら歩き続け、岩三郎さんの家へとたどり着いた。さすがに最後の方は、美優もケイも疲れて口数が少なくなっていたけれど、まあ無事にたどり着いて良かった。
「やった、岩三郎おじちゃん、大好き!」
まあ、疲れていたはずなのに、美優は元気よく岩三郎おじさんに抱きついている訳だが。と、言うか岩三郎おじさん、年甲斐もなく顔がにやけてますよ。おばさんが来るよ。
「よかった。ここに泊れなかったら、ケイが行く場所が本当に思い浮かばなかったからさ」「がはっはっは、ワシが年頃の娘さんを放っておくわけ無かろうが」
「ほらほら、下らない事を言ってないの」
ほら、調子に乗っていたらおばさんが来ちゃったし。おばさん……月夜おばさんは、岩三郎おじさんの妻だけど、相変わらず元気そうだ。頭はもう白くなって、顔も皺だらけだけど、表情は精悍そのものだし、生気が宿っている。
「おばさん、久しぶり!」
荷物を下ろし、僕たちはこらからお世話になるおばさんに挨拶する。
「あら、こちらこそ久しぶりね、悠斗ちゃん」
「何年ぶりでしたっけ?」
確か、前にあったのは中学生の頃だったはずだけど。
「それにしても、少したくましくなったわね、悠斗ちゃん」
「そうだったら、ちゃん付けはやめてくれよ」
僕、高校生だから、さすがにちゃん付けは少し恥ずかしいなあ。
「がはは、それはワシくらいになってから言うもんじゃ」
筋肉隆々の体を見せつけ、おじさんは高らかに笑う。その体からは、とても年齢が五十過ぎとは思えない力強さを感じる……そこまでなるのは、さすがに厳しいなあ。
「あ、あの……綺羅星ケイデス。よろしくおねがいします」
「あら、悠斗の友達って、綺羅星さんのお子さんなのかしら。だったら、私達の家じゃなくて綺羅星さんの家に泊らないの?」
「それは……」
おばさんの当然の質問に、ケイは言葉を詰まらせる。無理はない、言いづらいだろうな、家に帰れない事情ってのは。
「婆さん、綺羅星の子せがれがこの町を出る時、騒ぎがあっただろう」
どうやら、おじさんはある程度は事情を理解しているようだ。
「あら、そうだったわね。ごめんなさい」
あわてておばさんも訂正する。ケイは、気にする事はないと笑って、そのまま話を打ち切った。
翌日、僕はこの町へ来た当初の予定通り、夏祭りの手伝いをする事となった。
朝食を食べた後、学校に行くよりも早い時間に家を出たのだけど、祭りの会場となる町の中央にある公園には、多くの男が集まっていた。
僕ぐらいの年齢の男は居なくて、ほとんどが四十台。若い人でも、二十代くらいの人しか居ない。ちょっと肩身が狭かったけれど、みんな、若いのに感心だと褒めてくれた。まあ、半ば強制的に来る事になったんだけどね。
「おーい、少年。テントを建てるから少し手伝ってくれ」
陽に焼けた肌の、たくましいお兄さんが僕を呼んでいた。また仕事だ。朝からあっちこっちを手伝っているけれど、全然終わる気配がない。
夏の日差しがジリジリト降り注ぎ、シャツは汗を吸って少し濡れている。予想以上にハードだ。
「はい」
とはいっても、ここに来た以上はしっかりとしなければいけない。
僕は返事をすると、すぐさまお兄さんの元へ駆け寄って、指示を受ける。
「うおーい、ちゃんと固定しねえか!」
「うるせえよ、てめえみたいな馬鹿力じゃないんだよ!」
「ああん、てめえが貧弱なだけじゃねえか! もっと肉を食え、肉を!」
後ろでは、岩三郎おじさんが、年下の連中を集めて何やら大きな物を作っていた。どうやら、結構難航しているようだ。何かの材料なのか、岩三郎おじさんは自分の身の丈ほどもある木材をかついでいる。すごい重そうだ。
日に照らされて、岩三郎さんの体を覆う筋肉が輝いていた。男らしい口調と相まって、実にたくましい。
「いいなあ、あの筋肉」
隣でお兄さんがうっとりした目をし、頬を染めながら何かを言っているが、気にしないでおこう
そんなこんなで、僕が星空町に来て二日目は、あっという間に過ぎて行った。
元々気のいい人たちばかりなのか、昼食の時間頃には、僕を長年の仲間のように、親しげに話しかけてくれるようになった。正直、最初は知り合いも岩三郎おじさんだけで、上手くなじめるか心配していたけれど、変に構える必要はなかったんだ。
僕は、そのまま町の人たちと一緒に夏の日差しの下、汗を流しながら同じ仕事を続けた。
時折吹く風が涼しくて、妙に心地よい。
遠くから聞こえる蝉の声も、僕たちを応援しているように聞こえた。
気がつけば陽は落ち、辺りを夕闇が覆い尽くそうとしていた。
「いよーし、今日はこれまでだ!」
全体の仕事が一段落したところで、岩三郎おじさんが今日の終わりを宣言し、解散となった。
「んじゃ、お疲れさん」
「明日も頼むぜ」
皆も帰り支度をし、別れのあいさつを告げると、それぞれの家へと帰って行った。
「ほら、ワシらも行くぞ」
岩三郎おじさんは、僕の方に近づくと、そう促した。
「うん、早く帰ろう」
もう陽は落ちている、じきに暗くなるだろう。そうなったら、ここは田舎町。明かりも少なくて、暗闇の中歩いて帰るのは、しんどそうだしね。
「あ、おかえりなさい、お兄ちゃん」
「お帰りなさいデス、ユート」
家に帰ると、美優とケイが出迎えてくれた。
ケイは流石に昨日のように和装でなく、動きやすいラフな服装になっていた。
そういえば、今日は二人で町を歩くって言ってたし、動きやすい格好に着替えたのかな。
「がははは、やはり若い娘の出迎えはいいもんじゃあ!」
幸せそうな顔で岩三郎おじさんは笑っているけれど、台所の方から月夜おばさんの刺すような視線を感じるのは、気のせいだろうか。空耳だろうか、私があと十歳若かったら……と言う妙なつぶやきまで聞こえてきたけど、まあ、気のせいだろう。だから包丁を置いてください、おばさん。
「おばーちゃーん、お兄ちゃんたちが帰って来たよ。ご飯にしよう」
「はいはい、わかりました」
晩御飯か。そういえば、今日は随分とお腹が空いたな。
そんな事を考えたら、急に腹の虫が鳴いた。
居間に入ると、既に食事が用意されていた。
今日の料理は肉じゃがに、山菜の味噌汁、それと良く分からない魚の焼き物だった。
「うえー、お魚嫌いなのに」
魚を見て、美優はあからさまに不満の声を出す。
「こら、ちゃんと食べろと母さんにも言われてるだろ」
「だって、骨が多くて食べづらいんだもん」
「それは分かるけど、出されたものはちゃんと食べなさい」
「そうですよ、ミユ」
不満を言う美優に対して、ケイも諭すように言ってくれた。
「うー、わかった」
まだ不満そうだけど、納得はしてくれたようだ。
「家の婆さんの魚料理は天下一品じゃ、安心せい」
「あらやだ、もうお爺さんなのに、私を口説いても仕方ないでしょうに」
そう言うおばさんも、言われて嬉しいみたいだけどね。
「さて、それじゃあ、食うか!」
「「「「「いただきます」」」」」
岩三郎おじさんの言葉を合図に、皆一斉にご飯に箸をつける。
「あ、美味しいかも!」
美優は、魚を口に入れた途端、今までの不満は何だったのかと思うくらい、嬉しそうな顔をした。
「な、言っただろ」
「ああ、うん」
お婆ちゃん、本当に料理が上手だなあ。
「ところでさ、お兄ちゃん。お祭りの準備はどうだった?」
「ああ、最初はちょっと辛かったけど、町の人はみんな良い人だったし、楽しかったよ」
結構疲れたけれど、この疲れも心地よいし。
「ふうん……そうなんだ」
僕の答えに、美優は何か不満そうだった。何だろう、名に買ったのかな。
「美優、そういえば、ケイと町を回ったって聞いたけど、どうだったの?」
二人で遊んでいたみたいだけど、楽しかったのかな?
そんな僕の質問に対して、美優は苦い顔をした。
「それは……」
何かを言いたそうだったけれど、思いとどまっているようだ。
「ケイ、何かあったの?」
同行していたケイだったら、何か知っていてるかと思い、ケイの方に聞いてみた。
「それは……」
だけれども、ケイも顔を曇らせていた。
「そっか……」
何か、やっぱり嫌な事でもあったんだろうか。
「なんじゃあ、二人して暗い顔しおって。飯食え! 飯食えば、元気になる!」
そう言うと、岩三郎さんは茶碗を持って台所へ移動する。たぶん、米のおかわりだ。
岩三郎おじさんが居間を出て行くと、何とも言えない重い空気が流れ始めた。不味い、ここは僕がなんとか面白い事を言わないと! と意気込んでみても、すぐには言葉が見つからない。
「あー、お婆ちゃん、肉じゃが美味しいっすね!」
「あらそうかい、ありがとうねえ」
「……」
「……」
駄目だ、二人は会話に乗ってこない。本気で落ち込んでるな。
美優が落ち込むって、何があったんだろう。
我が妹である美優は、結構タフだ。テストで悪い点を手っても落ち込まないし、嫌な事があったら、ストレートに言う。それが口を濁すって、何があったんだろう。
「失礼しまーす!」
沈黙を破るように、玄関から威勢のいい挨拶が聞こえてきた。誰かが来たようだ。
「あら、ちょっと行ってくるわね」
月夜おばさんは席を立つと、玄関の方へと歩いて行く。
「あ、僕も」
重い空気に耐えきれず、僕も月夜おばさんの後を追う。僕が行っても仕方はないけどね。
訪問者は、若いお姉さんだった。
「それじゃあ、明日はよろしくね」
「ええ、こちらこそ」
話は短かったらしく、僕が玄関に着いたころには、もうお姉さんは帰えるところだった。
「そういえば……」
思い出したように、お姉さんは付け加える。
「この家に、綺羅星さんの、駆け落ちした息子の子が居るそうじゃない」
少しトーンを落とし、お姉さんは続ける。
「町から逃げ出したのに、なんで戻って来れるのかしらね。ああ、子供には関係ないのかし」
その内容は、ケイと両親を貶める物だった。
僕は、なんだか居心地が悪くなって、玄関から少し離れた。けれど、話し声は聞こえてくる。
「まあ、この町で綺羅星さんに目をつけられると、ロクな事はないわ。早いうちに、追い出した方がいいわよ」
「考えておくよ」月夜おばさんは、肯定も否定もしなかった。
流石に余計な事をだと思ったか、お姉さんは、言い過ぎたと言って、急いでその場を立ち去ったようだった。
あんまり聞きたくない事を聞いたけれど、これであの二人が落ち込んでいる理由が分かった。
ケイは、この町から追い出された人の子供。
それも、綺羅星さんと言うのは、結構な有力者みたいだ。
だから、町のみんなも事情を知っているし、有力者から煙たがられている人物を、歓迎できない。
今日、町を歩いている間、ケイと美優は、そんな人々の態度を、嫌と言うほど見続けたのだろう。
「ほんと、困ったものよね」
気がつくと、後ろに月夜おばさんが立っていた。
「大丈夫、あの子を追いだすつもりはないから、安心しなさい」
おばさんは、僕に優しくそう言ってくれた。その言葉は、不思議と頼もしかった。
「……ケイ、町に馴染めないのかな」
僕は、すぐに町の人と打ち解けられた、でも、ケイはそう簡単にはいかないみたいだ。
「それは、すぐには答えは出ないわ。さ、行きましょう」
そうして、おばさんは居間へと戻る。僕も、その場で呆けている訳にはいかなかった。すぐに後を追って、居間へと進んだ。
居間には、既に僕以外の四人が揃っていた。相変わらず、ケイと美優は浮かない顔をしていた。
「おう、おそかったな、悠斗」
「あ、うん」
岩三郎おじさんは、僕が入って来た事を確認すると、この空気に不釣り合いなくらい明るい声で迎えてくれた。
「なんじゃあ、お前までしょげた顔しおって」
やっぱり、顔に出ていたんだ。
「お兄ちゃん……」
「……はあ……」
助けを求めるように、美優は僕を見つめる。視線をケイに移すと、彼女も同じように僕を見ていた。
「あのさ……おじさん」
「ん、なんじゃ」
「ケイのお父さんって、この町で何やったの」
僕の質問に、岩三郎おじさんは、食事の手を止めた。
「禁句だと思うんだけどさ、正直、あんまり今の状態って、良くないんじゃないかと思って」
「知っても、そう簡単には行かんぞ」
おじさんは、厳しい目で僕を見てくる。
確かに、僕一人が事情を知ったところで、どうにかなるものじゃない、けど。
「岩三郎おじさん。可愛い子が泣いてたら、助けたくなるのが男ってものでしょ?」
まっすぐに目と見つめ、僕は歯の浮くくらい恥ずかしい台詞で返す。
「……がはは、それでこそワシの孫だ!」
満足したようにうなずくと、岩三郎おじさんは、口を開いた。
「この娘さんの父親が、この町から追い出されたのは、もう知ってるな」
僕は首を縦に振る。
「その時なあ、息子の方も悔しかったのか、ある嫌がらせをしたんじゃ」
「パパがですか?」
「ま、まあ。よほど悔しかったんじゃろう。誰にでもある事じゃ、気にするな」
咳払いをして流れを切ると、おじさんはさらに話を続けた。
「まあ、その仕返しが、結構大きくてな、光太郎の奴、あの事件の後、散々喚き散らしてて、町の連中も八つ当たりされるわで、大変だったわけだ」
なるほど、それど、ケイに対してもなおさら厳しい訳だ。
「その、仕返しって何?」
「聞いて笑うなよ……古文書を盗んだのじゃ」
「古文書?」
何か、この町に伝わる重要な文書とか、そう言う物なのかな。
「その内容って?」
「星の巨人の在り処じゃ」
星の巨人、何だろう。
「星の巨人って何?」
僕と同じ疑問が浮かんだのか、美優が聞き返す。
「二人とも、この町に伝わる昔話は知っとるな?」
「うん、お姫様が、空から降って来た人と出会う話でしょ?」
数週間前、母さんに見せてもらった、あの話か。うろ覚えだけど、内容は覚えている。
確か、国を追われた姫が死を覚悟した時、空から降ってきた光。それが星のように見えて、中から人が出て来た。
「その中で、空から落ちてきた星……それが、星の巨人と呼ばれていて、この町に封印されているそうじゃ」
なんか、一気に胡散臭くなってきた。
「いや、それってただの昔話じゃない?」
「あのなあ、お前が準備してる夏祭りは、その星の巨人がこの地に落ちて来て、町が出来た事を祝う話だぞ」
ああ、そう言うお祭りだったんだ、なるほど。
そういえば、準備の時に『これが星の巨人じゃー!』とか言いながら、巨大な人形を運び込もうとしてたおじさんが居たな。もちろん門前払いを食らったけど。
「しかも、今年は町が出来て五百年。記念すべき年だからこそ、星の巨人を探そうと思っていたが……その手掛かりがなくて、光太郎は苛々しとる」
「なーるほど」
まあ、町に伝わる大事な書物を盗んだのなら、怒るよな。
ケイやあの爺さんにしてみれば、えらい迷惑だけど、息子さんにしてみれば、してやったりってところか。
「あ、あのお……」
一通り話が終わった後、ケイは挙手をして、申し訳なさそうに口を開いた。
「その本……ワタシ、持ってます」
「「なにい!?」」
僕と岩三郎さん、二人で見事にハモッて驚いた。
「待っていてください」
ケイは古文書を持ってくると付け加え、急いで居間を出て行った。岩三郎おじさんは、目が点になって呆然としていた。
暫くすると、ケイが慌てて居間に入って来た。その手には、確かに古めかしい本が握られていた。
「これが、皆さんが言っていた古文書です」
まだ片づけられていない食卓の上に、静かに本を置く。見れば見る程、古い本だ。表紙に書かれている文字もかすれていて読めない。
「これ、どうしたの?」
「この町に帰る時に、パパから預かりました。パパの代わりに、町に返してほしかったそうです」
なるほど、ケイのお父さんも、この本を持ち出した事が、後ろめたかったのかもしれない。
「でも、だったら直接渡せよ……」
思わず不満が漏れてしまったが、まあ、人には人の事情があるんだろう。
「これ、お爺さんに返せば、大丈夫ですよね!」
ケイは、嬉しそうに言う。
「でも、あの爺さんが素直に受け取るかな」
正直、昨日の様子を見る限り、取り合ってくれそうにないかな。
「……ふーむ、どうしたものかな。確かに奴だったら、信用せずに偽物とか言いかねん」
岩三郎おじさんも、素直に受け取ってもらえるとは思っていないようだ。
「だったらさ!」
机をたたき、前のめりになりながら、美優は言った。
「星の巨人、探してお爺さんに見せようよ、そうしたら、信じてもらえるよ!」
その突飛な発想に、一度全員が無言になる。
けど、僕はその提案に賛成だ。普通に考えたら、本を返すのが先だ、でも、あの爺さんが素直に言う事を聞くとは思えないし、何より、ひと泡吹かせてやりたい。
それに、ケイが自分で行動して、星の巨人を探し出したなら、あの爺さんだって、ケイの事を認めるはずだ。
「面白い! 手伝うよ、美優」
「さっすが、お兄ちゃん!」
そんな僕たちの様子を、月夜おばさんは、にこやかに見ていた。どうやら、止める気はないようだ。
「がっはっは、それでこそ我が孫よ!」
まあ、この人は言わずもがな。
最後に、僕たちは全員、ケイを見る。
ケイは、不安そうな顔をしていたけれど、意を決したように顔を引き締めた。
「はい、やりましょう、二人とも」
「ああ!」
これで、明日やる事は決まった。星の巨人を見つけ出して、あの爺さんにケイを認めさせる!
翌日、事情を話して祭りの準備を途中でを抜けさせてもらうと、さっそく僕たちは行動を開始した。
ケイが持ってきた古文書は古びて文字も潰れており、とても読めたものではなかった。
けれど、一枚だけ大きな地図が描かれており、その中にはでかでかと×印が付けられていた。多分、そこに何かがあるだろう……と言う、どうにも頼りない確信を持って、僕たちは夏の炎天下の下を歩いている。クソ暑い。
「お兄ちゃん、夏場に長袖長ズボンって、やっぱり間違ってると思うんだ」
「私もそうおもいます!」
女子二人は、さっそくこの暑さにへばっているようだ。
それも無理はない。なにせ、二人ともこの暑い中、腕で脚をすっぽり覆う、丈夫な生地の服を着ているのだから。
僕も似たような格好をしているのだけど、正直、今すぐ脱ぎたい。ついでに、荷物が詰まった背中のリュックを下ろしたい。
「仕方ないよ、森に入るんだからさ」
思わず同意してしまいそうだったが、こらえて二人に言った。
こんな恰好をしているのには、ちゃんと理由がある。
地図に書かれていた場所は、町からそう遠くない山の麓だった。地図上の距離はそれほどでもないのだけど、問題はそこに通じる道がない事だ。
道がなければどうやって行くのか、それは簡単だ、道の無い場所を歩けばいい。今回は森を突っ切る事になる。
「森の中はさ、突き出した木や、虫たちがいるから、なるべく素肌は保護しなきゃダメだろ」
夏らしく、半袖半ズボンで森に突っ込もうものなら、出る時には、傷と虫さされだらけになっているだろう。
「うー、わかってるよ、お兄ちゃん」
「まあ、文句は言いたくなるよな」
「二人とも、ごめんなさい」
別にいいって、そう、小さく応えて、僕らは美優の背中を押す。
「うん、私も大丈夫だよ」
そう言うと、足早に先へと進んでしまった。
「さ、行こう。美優一人だけで、先に行かせるのは不味いでしょ」
「は、はい」
「それにさ、僕らも何だかんだで、楽しみにしているんだから、謝らなくていいよ」
暑い事には変わりない。けど、標高何千メートルの高山や、人が足を踏み入れないような密林に挑む訳じゃないんだ、森林浴とは行かないだろうけど、森歩きを楽しむくらいの気構えはある。
「はい!」
そんなこんなで、僕たちは夏の田舎道を歩く。
時々通りがかる人が、この陽気に似つかわしくない暑苦しい格好を見て、苦笑いをするのを、僕達も苦笑いで返し、進んでいく。
時折、ケイの顔をして渋い顔をする人が居る。そのたびに、美優とケイは少し顔をゆがめるけれど、僕が心配そうに顔を見ると、すぐに何もなかったような顔をする。思わず、苦い顔した連中に文句を言いたくなる。でも、僕が言うわけにはいかない。
二人は昨日、このような態度とる人たちに、何度も出会ったんだろう。その度に我慢をしていたんだ。僕が怒ってどうするんだ。
そんな事を考えていたら、二人が心配している顔で、僕の方を見ていた。いけない、顔に出ていたみたいだ。
「大丈夫だよ、なんともない」
本当は、ちょっと心の奥に引っかかりを感じていた。
「そうですか、なら、いいのですけど」
そんな僕の心の中を知っているのか、ケイの声にも、何か影があるように感じた。
「ねえ、ケイ」
「はい?」
「昨日さ、僕、夏祭りの準備を手伝ってたのは、知ってるよね」
「はい、そうですけど」
昨日、僕は夏祭りの準備をして、美優とケイは二人で町のあちこちを歩いていた。
「あのさ、夏祭りの準備って、結構大変なんだ。テントを建てるにしても、提灯を飾り付けるにしても、一人じゃ出来ない」
「は、はい」
「それに、すっごい疲れる。昨日の夜、久しぶりにぐっすり寝たよ」
「お布団に入ったら、すぐに寝息が聞こえてきたもんね」
夏の炎天下、彼方此方をかけずり回り、とにかく疲れた。
「この町の人ってさ、この疲れて大変な事、毎年繰り返してるんだってさ。それも、町中の人が一つになって」
疲れたのは、僕だけじゃないはずだ。祭りの準備をしている人の中には、体力が衰えている老人もいた。
「どうしてかって、聞いたら、こう言ってた。昔、父さんや母さんが準備をしてくれた祭りが、楽しかったから、自分達も同じように、子供たちを楽しませたいって」
「……」
ケイは、僕の長い言葉を黙って聞いている。
「みんな、悪い人じゃないんだよ。ただ、最初のコンタクトが最悪がだっただけで」
町の権力者から嫌われてるなんてわかっちゃ、歓迎なんて出来ないだろうしね。
「町の人が楽しませたい『子供』ってのに、ケイも含まれてると思う。難しい事を言うけれど、この町の人の事、あんまり嫌いにならないで欲しいんだ」
僕は、この町に住んでいる訳じゃないから、住んでいる人がどんな人かは知らない。でも、岩三郎おじさんはいい人だと知っているし、昨日接した人たちも、けっして悪い人じゃなかった。
なにより、ここはケイのお父さんの故郷だ。自分の親の故郷の事を、嫌いになってしまうのは、悲しい事だと思う。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。私たちだって、わかってるよ」
僕の不安を吹き飛ばすように、美優は強い返事を返してくれた。もしかしたら、空元気かもしれないけれど、心強い。
それは、僕にだけじゃない、ケイにだって、その言葉が頼もしく聞こえただろう。
「ユート大丈夫ですよ!」
美優の元気が感染したのか、ケイも力強く答える。
「ずっと、パパから聞かされてました。この町に住んでいた時の事。何度も聞かされて、ワタシもずっとここに来たかったんデス。今は少し不安ですけど、大丈夫です。この町の事、好きになれると思います」
虫が多いのは,少し嫌ですけど、そう付け加えて、ケイは再び歩き出した。当然のように、僕達も一緒に歩き始める。
「あれ?」
と思ったけれど、突然美優が立ち止まって、しきりに辺りを見回している。
「何かあった?」
僕もつられて辺りを見回すけれど、これと言って変な人や物はない。
「えっとね、ケイさんのお爺ちゃんが居たと思ったんだけど、気のせいかな」
あの爺さんか。
美優が見たのが本当にあの爺さんなら、僕たちと顔を合わせ辛いから、咄嗟にどこかに隠れたのかな。でもまあ、あの爺さんなら、正面切って文句を言ってきそうだけど。
「間違いじゃないかな」
「そうかなー、昨日から何度か見かけてるんだけど」
「はい、ワタシも見ました」
腕を組んで考え込む美優に、ケイも同意する。
困ったな、美優だけじゃなくてケイも見てるってことは、本物である可能性が高くなってきた。
って、ちょっと待て、それ以上に、今聞き捨てならない台詞があったぞ。
「え、二人とも昨日から見てるって、どう言う事?」
「はい、ミユと二人で町を歩いている時も、何度も見かけました」
「でも、探そうとすると、居なくなっちゃうんだよね」
昨日から同じような事繰り返してたのか。
「あの爺さん……なんでストーカーみたいな事してるんだよ」
若い女の子をコソコソとつけまわすなんて、爺さん、それはヤバイ、絶対にヤバイ。
「くそう、頑固なだけの爺さんかと思ったら、変態爺だったとは……!」
美優とケイも、その言葉に苦笑いをしていた。少し遠くから、老人の怒鳴り声が聞こえたような気がしたけど、きっと気のせいだろう。
さて、そんなこんなで道を歩いて数十分。町を離れて、道は徐々に細くなっていた。
道端の雑草の数も多くなり、明らかに人が通っていないような、殆ど自然そのままの状態になっている。
周囲を見渡しても人家はなく、そのかわりに森と山がある。と言うか、それしかない。
「そろそろ、森に入るのかな」
目も前の道は、いよいよ深い森の中へと続いていた。地図を見る限り、ここから先は森を突っ切る事になりそうだ。
「うん、大丈夫だよ」
「は、はい」
美優は元気に返事を返すけれど、ケイの返事は歯切れが悪い。まあ、仕方ないよね、絶対に虫が居るだろうからね。
「大丈夫だよケイさん。虫は全部、お兄ちゃんが始末してくれるから」
「……そうですよね」
美優の励ましを聞いても、ケイは不安そうだ。そこまで無視が苦手なのか、過去に何かトラウマ物のイベントがあったんだろうか。と言うか、始末って微妙に言葉が悪いよ。
「とりあえず、もう一回虫よけスプレー、かけとこっか」
僕が背中のリックからスプレーを取り出すと、物すごい勢いでケイは僕の手からスプレーの缶を奪い取り、自らの体にスプレーをかける。
ケイ、必死にやってるところ悪いけど、虫よけスプレーと言っても、蚊とかそういった小さな虫にしか効果がないと思うんだ。
「これで、安心デス!」
妙に満たされた顔をしたケイは僕に缶を手渡した。
ちなみに、中身は当然のように空だった。
「あははは……行こっか」
呆れたように乾いた笑いを浮かべながら、美優は僕たちに先行して森の中に入って行った。
「あ、待ってよ、一人じゃ危ない」
「いいや、三人でも危ない!」
突然、後ろからしわがれた声がした。
「お爺さん……」
声に振り向けば、そこに居たのはケイのお爺さんだった。相変わらず頑固そうな顔と、ギラギラとした目をしている。ただ、怒りが少し冷めたのか、二日前のような威圧感はなかった。それでも怖いけど。
「ここから先は、森だ。女子供がおいそれと入る場所ではないだろう」
「あー、まあ、確かに」
正論である。
「なんじゃ、ハッキリしないな。前にあった時は、もっと毅然としていただろうに」
前は、追い詰められて崖っぷちと言うか、覚悟決まった状態だったんですよ。
「まったく。それに小娘!」
話を振られ、ケイさんは肩を大きく震わせた。まだ爺さんが怖いのだろう、顔を伏せて、相手の顔を見ていない。
「さっさと町から出ろと言っただろうに、なぜここに居る」
「それは……」
ケイは、小さな声で答えた。その声は震えていたし、やっぱり、怖いのだろう。
そんな彼女に対して、爺さんは相変わらず強い視線でケイを睨みつける。孫に対して、この態度はあんまりじゃないか。せっかく遠い場所から来たと言うのに、執拗に追い出す必要はないんじゃないか。
言葉が思わず、口からこぼれそうになった。
けれど、僕が言うよりも早く、ケイさんは顔を上げ、そして、爺さんの顔を睨みつけた。
その視線は、爺さんに負けず劣らず、強かった。
だから、僕は口を開く事が出来なかった。
そうして、二人が沈黙のまま睨みあって、時間が過ぎた。たぶん、一分にも満たない時間だったけれど、とてつもなく長く感じられた。
「ワタシは……」
沈黙を破ったのは、ケイだった。
「パパから任された事を果たすまで、帰れません」
「……そうか」
その言葉に満足したように、爺さんは視線を外し、来た道を戻ろうとする。
「それと、帰ったら、話を聞いてくださいね!」
爺さんの背中に、ケイはなおも語りかける。
「わかった」
それに対して、小さく答えが返って来た。
そのまま、僕とケイは爺さんが見えなくなるまで見送った。
僕たちは、お互いに何も言わなかった。何か言わなきゃいけないかと思ったけど、僕は上手く言葉が出ない。それは、ケイも同じなようで、辺りには蝉の鳴き声だけが聞こえた。
「ねえ、二人ともどうしたの?」
そこに、何も知らない美優が戻って来た。きょとんとした目で、固まっている僕たちを不思議そうに眺めている。きっと、今の僕たちは、さも可笑しく見えることだろう。
「びっくりしたよ、二人とも、気がついたら居ないんだもん」
一人で先に進んでた美優は、さっきの出来事を知らない。元気に、僕達に先を急かしている。
「はは」
それが妙におかしくて、つい笑ってしまった。
「変なの」
うん、僕もそうだと思う。




