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小話 片腕を失った少年

1-9.ドロップアウト(中編)に登場した右腕を無くした少年の話です。……実年齢は少年よか青年ですが(笑)

 頂上からの転落。

 数日前までは同世代でトップだった。しかし今は落第者。底辺以下だ。

 命令違反、左腕の損失による戦闘力の低下。

 結果下された任務は、最下層の諜報員となること。スパイと言えば聞こえはいいが、ここ数百年、最下層に回された諜報員たちに命令が下されたことはないし、連絡を取ったこともない。率直にいえば、見放されたのだ。


 あの旧遺伝子組換人間サピエンスめ!


 恨みがましい相手の姿を思い出そうにも、あの旧遺伝子組換人間サピエンスの情報は機密事項として頭の中から削除されてしまった。あいつの事だけではない、自分の名前も、今までの生活も、仕事の内容も、全て削除されていた。逆によく、恨む相手の存在だけ・・・・は記憶に残してくれたものだ。

 他に覚えていることと言えば、自分は世界を救済するための重要な職に就いていたという自負と、その任を降ろされたという惨めさだけだ。

 今は名前さえないし、ひょっとしたら鏡に映るこの顔も作り替えられたものかもしれない。自分の所属する組織は、それほど徹底している。

 いや、今回の任務のため名前だけは新しく与えられていた。

 シース。

 それが今の自分の名前。


「身支度が整ったら、来い。営業開始だ」


 等身大の姿見が20枚近く並べられた部屋に入る。そこに並ぶのは五体不満足の男ばかり。

 自分は左腕がなく、左右の男はそれぞれ足がない。

 他の男たちも、自分たちと似たり寄ったりだ。

 五体不満足。そして全員顔がいい。

 ここは最下層2区の売春店。しかも、2区長直々が経営を担う公営店。

 2区長は『狂』が付くほどの色者で、男女問わず区民を貪りつくしている。区長として最低限のパイプラインを整備運営する以外は、寝ている間さえも色ごとに興じているのだとか。政治には興味がなく、放任主義で、色ごと以外の全てを周囲の者に任せているのだとか。

 そんな2区の、他にない特徴と言えば、最下層で唯一『結婚』という制度があり、婚姻している男女以外の交際を禁じていること。未婚の者の性は男女問わず区長のものであり、強姦は即死罪。他の犯罪者は追うことさえない癖に、性犯罪者だけは区から出ても追いかけるという徹底ぶり。

 だから区の荒れようからは信じられないほど、性犯罪はない。区長自身を除いて、だが。

 2区の外貨獲得手段は、勿論売春。多層、他区の裕福層にこうして自分たちのような男女を貸し出し、対価として水・食料・金・物を受け取る。


「行って来い」


 一定の間隔をおいて、順番に部屋を出る。まず『初見廊下』という全面鏡張りの廊下をゆっくりと歩く。鏡は全てマジックミラーで、客はここから自分たち商品を観察する。

 200メートルもない廊下をじっくり5分は掛けて歩く。

 後は用意された個室に入り、指名待ちだ。

 個室は中央半分をカーテンで仕切られていて、客は客専用のドアから部屋に入り、中の相手が気に入ればカーテンを開けて相手をさせる。部屋に入っても、気に入らなければカーテンを開けずに部屋を出ていく。

 このカーテンは監視カメラのスイッチでもあり、客が入ってからカーテンを閉めればカメラが回り映像を撮る。映像は一部の客が買い取るのと、商品が客に危害を加えないように監視するためのもの。また、客とは基本一対一だが、カーテンを締め直さずに開け放っている場合、見物料を払った他の客が他人の逢瀬を見物していくこともできる。

 どこまでも見せ物だ。

 屈辱極まりない。

 しかし、これも任務だ。今後利用されることがないとしても、これも任務の一つだ。

 次の命令が下るその時まで、全うしなければならない。


「……」


 カーテンの向こうで人の気配がした。

 どこの誰でもいいが、最下層以外の要人か、その側近が理想だ。そうした人物に気に入られ買い取られれば、最下層から脱出できるし情報とコネを持てば、再び組織から任務を言い渡される可能性も出てくる。最下層の諜報員に命令は来ないが、他層に売られ復帰したものは少ないが、いる。

 組織では色香に負けない訓練もしており、自分は優秀な成績を収めている。相手を陥落する自信はある。

 後必要なのは運だけだ。よりよい相手が来ることを願う。


「……?」


 突然電気が消えた。さして明るくない照明であったが、急に暗くなれば流石にすぐに物を視ることはできない。目くらましか、確実に効果のある手段だが、だからと言って殺られるほど自分は弱くない。

 そう考えて自嘲する。目くらまし? 殺られる? ここは売春、単に相手の趣向が暗い方が好みと言うだけだろう。今自分は、命のやり取りをする場にはいないのだ。

 シャッ

 カーテンが開いた。

 相手が入ってくる。カーペットを素足で踏む音がする。目はまだ暗闇に慣れていない。相手の顔はおろか、シルエットさえ分からない。

 メガネを置くような音がした。

 相手の迷いのない歩きに、サングラスで暗闇に目を慣らしやすくしていたのではないかと推測する。

 顔に相手の手が触れた。細い指を感じる。

 気の弱いご婦人であっても直に触れ合れられるよう、ここの男たちは五体不満足なのだ。力で客をねじ伏せられない弱い男。ご婦人たちが安心し、また同情するための演出の一つ。


「動かないでね」


 甘い声。同時に細い指が自分の顔を這い、瞼を閉じるよう促され、眼を閉じると何か押し付けられた。


「見られるのは嫌なの。だからいつもは盲目を選ぶのだけど、あなたは特別よ」


 アイマスクだろう。目に圧迫感がある。

 顔を手で包まれ、指先がそっと自分の首と顔をなぞる。

 客は皆ここに愉しみを求めてくるが、この人物は相手をして愉しませる側の人物のように感じる。その指は本人が愉しむためではなく、相手を快楽に溺れさせるように滑らかに卑猥に動いている。

 とすると、要人本人とは考えにくい。側用人か、要人の愛人のような立ち位置だろう。


「あなたいくつ?」


「17です」


「そうなの? もっと若いかと思った」


 童顔であることは自覚している。付け加えるなら、実年齢は19だ。実年齢を言っても問題はないのだが、他の任務の一環でこうした相手のお相手があり、実年齢を言ったら年齢で拒否された。一定の年齢以下が好みだったらしい。任務は問題なく成功したが、それ以来、色ごとでは多少若く見積もるようにしている。


「よく言われます……若い方が好みですか?」


「中年は好みでないというだけ、良ければ年は関係ないわ。お上手?」


「満足させてご覧に入れましょう」


「期待しているわ」


 耳元で甘く囁く声に、ゾワリとした。訓練で、一番上手い女を相手にした時でさえ、こんな感覚を味わったことはない。

 間違いない。彼女は相手をする側の人間だ。そしてこれほどの色香を持つ人物ならば、登り登って相当な権力者の手元にあるに違いない。

 だが慎重に行動しなければ、要人と繋がっていても、その要人が最下層の人間だと意味がない。

 自分の目的は、あくまで最下層からの脱出だ。


「あなた、お名前は?」


「シースです。あなた様のお名前は?」


「あら、2区のルールでは、客の名を聞くべからず、でしょ?」


 彼女がおかしそうに笑う。

 しまった。と内心ほぞをかむ。

 自分は焦り過ぎている。店に拾われたときに言い含められたルールを忘れるなんて。こんな初歩的ミスを犯すなんて。

 落ちつけ、自分は優秀だ。再び返り咲くことができる。崇高なる使命を、再び手にし。記憶を取り戻し、左腕の借りを返せる日が来る。


「最中に何とお呼びすればいいでしょうか?」


「そうね。盛り上がりは大事ね。では………ジュ……」


 そのまま彼女は黙り込んだ。ジュ、が名前のはずはないが、考え込んだままピクリとも動かない。

 本名が聞けない以上、呼び名など最早どうでもいいのだが。要は先ほどの失態のごまかしだ。


「ジュ? 短いお名前ですね」


「いいえ。待って、そうね、そう……ディア、にして」


「ディア様」


「ええ、よろしくね。シース」


 ひとまず自分の地位を上げることに専念しよう。顧客が付き、増えれば、更に上等な店に入ることができる。そうすれば、客のほとんどが要人だ。

 相手の名前が聞けずとも、各層の高官の顔はキチンと覚えている。変装マスクをしても、骨格等から素性を割り出すこともできる。

 そうだ、冷静になれ。


「はい、宜しくお願いします。ディア様」



*******************


 鏡の前で、主人お手製のメイド服を整える。

 普通、メイドの服を主人が作るなどないことだが、裁縫が趣味の主人が嬉々とした表情で「これ着て!」と渡してくれたのだ。4区長のジジイが嫌な顔しようが、着てしかるべきだ。

 これを着て会うたびにジジイが嫌そうな顔をする。今日も絶対嫌な顔をするだろう、実に気分爽快だ。


「おはようございます。4区長」


「……」


 苦みを潰したような顔で、4区長が私を睨みつける。ふふん、脱がせたくても無理でしょうよ。眼に入れても痛くないジュリア様のお手製ですものね。着るな、と破いて棄てたら最後、ジュリア様がどれだけ悲しむことか!


「主人に対して、その顔は何だ」


「申し訳ございません、生憎これ以外の顔は持ち合わせがなく……不快でしたら、仮面をつけて生活いたしますがいかがでしょうか?」


 以前仮面をしろと言われた時は、ウサギの仮面を着けてやった。アランの被り物と瓜二つのやつを。4区長は激怒したが、ジュリア様に頂いたと言ったら、壊すことも出来ず、結局仮面を外せと命令してきた。

 4区長は不満そうな顔をするばかりで何も言い返してこない。

 話をするのも嫌だと、朝食を食べ始めたので、秘書と実動隊長を兼任しているナジーが話を引き継いだ。


「リビア。2区の花街の様子はどうでしたか?」


「最上層の諜報員はいませんでしたし、お触れのあった赤毛の少女もいませんでした。2区で隠れてる可能性はほぼゼロです。裏で誰かが動いている様子もありません」


「そうですか。誘拐そのものが最上層の狂言だった場合、中央区以外で最上層民を比較的安全に保護できるのは2区ぐらいなのですが……それとも今回は行方不明になった少女の存在自体嘘なんでしょうかね? まったく、毎度毎度、最上層の言いがかりには困ったものです」


「……今回ばかりは言いがかりではないかもしれん」


「……区長、誰かが最上層民を誘拐したとしても、メリットはないかと」


「赤毛の少女の内容は、どうもあちらの都合で曖昧にしている節がある。それに事実無根の狂言のために、最上層民のIDを偽造することはあるまい。偽造できんことにあいつらのIDには価値があるのだ。自分たちの価値を落とす奴らではない。事実、ID自体は中央区で使用した形跡がある」


「では、どいういことですか?」


「中央区に入れて、最下層の利害を考えずに、無策無謀を起こす輩に心当たりがある」


 4区長が忌々しげに歯ぎしりをする。アランの事だと、一瞬で察しがついた。

 ナジーも同じことを思ったようで、またかやれやれ、とため息をついている。

 4区長のアラン嫌悪は、異常の域に達している。

 ジュリアは地位的には4区長の愛人だが、実質は誰が見てもあの化け物、アランの恋人だ。

 可愛い娘を盗られるようで、気が気ではないのだろう。実際の娘や息子たちは、容赦なく殺して回ったくせに、憧れの人の孫娘は誰よりも可愛がる。


「区長には心当たりがおありのようですから、リビアは下がってよろしいですよ」


 ナジーの言葉に甘えて、一礼して部屋を出て、その足でジュリアの部屋に急いだ。

 朝食の時間を少し過ぎてしまった。


「お帰り、リビア」


 金糸のような柔らかい髪と宝石のように輝く目を持った美女、ジュリアが笑顔でリビアを出迎えた。

 苦難に会っても決して擦りきれず、リビアに光を指してくれた人。


「珍しいわね」


「遅れて申し訳ありません、すぐに朝食を―――」


「そうじゃなくて―――今回の出張は楽しかった?」


「私、楽しそうですか?」


 自分でも知らない感情さえ探り出す--この人の読みは、天下一品だ。

 自分で気付いていなくても、この人がそう感じたのなら、自分でも気付かないうちに、あの出会いを楽しんでいたのだろう。


「楽しそうというよりは、嬉しそうかな? いい事あったみたい。今度また、お休みを取って行っておいで。ちなみにどこに行ってたの?」


 4区長の命令で花街に行っていたことは内緒だ。

 言えば4区長の株が下がる。それ自体は喜ばしいが、ジュリア様が事実を知って苦言を言えば、しばらくは私は諜報活動から外される。

 また行けるなら、あの少年に会いたい。


「――内緒です。でも、いい出会いがありました」

ついに出て来たジュリアとそのメイド、リビア。リビアがシースに『ディア』と名乗ったのは、それが彼女の幼少期の名前だったからです。

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