3-2.最下層の先生!
ソーマ視点です。タイトルが同じでも、ミネルバは『!!』マーク。ソーマは『!』マークなのです。
「あー、終わった終わった」
依頼された仕事を終え、俺はミネルバ・1・ベネディクトを預けたシットの元に急いでいた。
1時間に付き、シット一家30人分の水だからな。まったく馬鹿にならない出費だよ!
しかし、それでもミネルバをシットに預けてよかった。俺とフィーバーのコンビでさえ、数回はひやりとさせられたんだ。素人で足を引っ張ること間違いなしのミネルバを連れてたら、命がいくつあっても足りない!
依頼は内戦中の6区からだった。
5区の雑貨屋に、6区から依頼がきたのは不思議だが、あの店主の切羽詰まった様子から察するに、彼らは子息側に付いて武器の手配をしてるんだろう。大口の取引先が1個なくなるってのは、商売屋には死活問題だよな。武器を大量に売買できるのは区の内乱と、一つ上の階層で戦争真っただ中の10階層くらいだし。
6区は前ボスの子息と、右腕だった男の、跡取り戦争真っ最中。
今回俺は、子息が拠点を移動するまでの時間稼ぎの囮役として、弾丸飛び交う空中戦を繰り広げてきたわけだ。
俺一人じゃ、実際危なかった……
「フィーバーがいてくれて助かったよ」
ワンッ
フィーバーはお気に入りの犬の姿で、しっぽを振った。
本来の姿はアメーバーというか、ほぼ透明なスライムなんだけど……
昔、ディアとジュリアに可愛くないと言われて落ち込み、日常的に犬の姿でいるようになった。
俺は可愛いとか可愛くないとかあまり気にしないから、どちらの姿でも構わないんだけど――慰めにはならないだろうから、黙っておく。
「もっと時間かかるかと思ったけど、これなら出費を抑えられる」
今いるのは5区の区道。スカイシップなら上空を自由に飛べて速いけど、これは戦闘機だから、下手に上空を飛ぼうものなら撃墜されて終わり。それは嫌だ。
多少時間はかかるけど、このまま家にライダーを置いて、スカイシップに乗換えて飛んだ方が安全だ。それでも、予定より早く迎えに行けるから、出費が抑えられることに変わりはない。
……本当は一刻1秒も早く行って、出費無くしたいぐらいだけど……
「フィーバー。悪いけど、また留守番よろしくな」
ワンッ
任せろ、とフィーバーがしっぽを振る。
ミネルバ・1・ベネディクトが来てからずっとディアの家にいるから、今の俺たちの家はフィーバー一匹で留守番してる。フィーバーは寂しがり屋だから早く帰りたいところだが、俺とフィーバーだけでミネルバ・1・ベネディクトの面倒見るのは不安だし、まだしょうがないよな。
久々に会ったから、しっぽを振って体をこすり当ててくるフィーバー。尻尾振って、それはもう嬉しそうだ。
ミネルバ・1・ベネディクトもこの十分の一でも愛想があればいいんだけどな。元は悪くないのに、どうしてああも頭にくることばかり言うんだ? 笑ってるポイントも全く掴めないし。
どうにかお荷物状態から一歩前進させたいけど、ミネルバ・1・ベネディクトにできる事って何んだ。本当に仕事の一つでも探してやんないと――
唸りながら考えているうちに家に着く。
フィーバーが本来のスライム姿に戻り、船の隙間から外に出て、家に入り格納庫を開ける。
即効でスカイシップに乗換えて、俺はすぐさま船を出した。
「2,3日中に親父が帰るから、そしたら戻るよ。それまで留守番よろしくな」
フィーバーの寂しげな泣き声に後ろ髪をひかれながら、俺は4区のシットの隠れ家に急いだ。
*********
「国語の力は何より大切だ。同じ言葉を使っても、さっきみたいにまったく反対の意味の契約を結ばされることもある。ジムたちが――シットの役に立ちたいなら、さっきみたく頭を使うって方法もある。わかったか?」
「わかんないー」
「俺がわかったから、最後の話は、お前らはまだわからなくていい」
「はーい」
捨て場から拾ってきた使えそうなものを置いている部屋で、ミネルバ・1・ベネディクトが膝で本を広げ、シット一家の子供たちを相手に先生みたいなことをしている光景を、俺は入口の向こうから目を丸くして見つめた。
あのやんちゃ坊主のジムが、ミネルバ・1・ベネディクトの横に座って、真剣な顔で話を聞いてる。他の子供たちも群がって、ミネルバを囲んでいる。
何だこの光景は、幻か?
「もうずっとこんな感じでね。最初は子供たちが飽きたら、あたしが様子見てる予定だったけど。そんな隙まるでなかったよ」
シット一家を切り盛りしてるユミが、あははははと笑いながら、子供たちの方を指さした。
「それはそれとして、今までうちにいた時間分の水はしっかり頂戴ね。いつ取りに行けばいい?」
「いや、俺が運ぶ」
「なら、3日以内によろしくね。そのときミネルバも連れてきてよ。子供たちに読み書き教えてやって、あれだけできる子そうはいないし――もしかしてどこかのボスの血縁か、幹部の子だったりする? でなきゃあんなに頭良くないっしょ」
「詮索無用」
「ごめんごめん。でもさ、実際助かるのよ。あたしはシットに習ったけど、ミネルバほどは読めないからさ。子供たちに教えるにも限界があるのよね。シットは忙しくて時間とれないし。ね、頼むよ。また預かるからさ、今度はもう少し安く」
「そこは俺が請求する側じゃないのかよ」
「シットなら、預かってることに変わりはない、って言うでしょ」
ウィンクするユミに、俺は深くため息をつき「考えておくよ」と答え、ミネルバたちの前に姿を現した。
「帰るぞ」
**********
ミネルバ、また来いよ! 絶対来いよ!
子供たちがミネルバに押し寄せ、約束だと指切りをしていく。
……俺はまた来てとか言われたことないんだけど、たった半日でこの差は何だ。
しかし、随分懐かれた割にミネルバ・1・ベネディクトは浮かない表情で、スカイシップの床をじっと見つめていた。
わからん。
何で落ち込んでいるんだ?
「ソーマ」
ミネルバ・1・ベネディクトが話しかけて来たのは、ディアの家も間近というときだった。
前回の雑貨屋の帰りの時のような、沈んだ声だ。
「お前、12+15がいくつかわかるか?」
「……27だな。最下層民なのに計算ができて悪いな、はっは!」
最下層はダメだな、とか、いつもの台詞を言うつもりだったんだろ。悪いな、俺は父さんに習ったから読み書き計算バッチリだ! ディアに習ったから薬品調合、化学もできるぞ!
「ジムはもう9歳なのに、二桁の足し算ができないんだ」
「悪かったな、二桁の足し算ができなくても、最下層では読み書きできるだけで上等だよ」
頭領が読み書き出来て、手下にも教えるとか、普通はないぞ。
だから、シット一家は最下層では待遇のいい集団なんだよ。
「最下層はダメだな」
ミネルバ・1・ベネディクトがいつもの台詞を口にしたが、いつもの侮蔑や、妙な嬉しさみたいなもののない、すごく寂しそうな声だった。
どうしたんだ? さっぱりわからん。
「勉強ができなければ、認めてもらえないんだぞ! その機会さえ与えないなんて! 駄目どころじゃない、そんなの!」
「それが最下層だ。世界の底辺。何でも与えられる最上層とは違うんだ」
俺は世界の共通認識を――常識を言っただけだ。
最下層は何も与えられないから、与えないから最下層。世界で一番ダメな場所。
そんなことわかってて最下層に来たはずなのに、ミネルバ・1・ベネディクトはショックを受けたような、蒼白な顔をして、俯いてそれっきり黙り込んでしまった。
「最下層はダメだな」
か細く聞こえた涙声は悲壮に満ちていて、俺はそのとき初めて、ミネルバ・1・ベネディクトも人間なのだと思い至った。
一家30人分の水は、飲み水と、それ以外の水を足した分量です。数日分ともなれば、当然一回じゃ運びきれません。