3-1.最下層の先生!!
ミネルバ視点です。
最下層民は頭がおかしい。
特に今朝のソーマは、右行き左行き頭を抱え上向き下向き唸り叫び、狂ったのではないかと思うほどおかしかった。
その意味不明な行動っぷりは、以前見た精神病患者の初期症状の画像を思い起こす。
「くっ」
ソーマが唐突に、何やら非常に屈辱的な顔をした。
両手――というか全身をワナワナと震わせ、錆びれた機械のようにギチギチと音を立てながら僕を振り返り、歯ぎしりしながらとても低い声を出した。
「……行くぞ」
一昨日言っていた『仕事』に赴くのだと思い、僕はとても興奮した! だってそうだろ! 最下層の仕事などどうせ碌でもなく意地汚く人道に外れた残虐非道なものに決まっている! 駄目だな最下層は!
最悪であろうとの期待を裏切らない最下層の生活に、僕は毎日ウキウキしていた。
最下層の駄目さ加減を目の当たりにするたびに、最上層を思い出す。
最上層は街並みも美しく、光に溢れており、食事も絢爛豪華で、職業もきちんとしており、映像に映る人映る人、皆笑顔で毎日が楽しそうだった。
お父様が最上層を愛してらっしゃる気持ちが、今ならはっきりとわかる。お父様は素晴らしいものを何より愛でるお方だから、素晴らしい最上層を警官として身を呈して守ってらっしゃるのだ。素晴らしい!
きっと、最上層の素晴らしさを心から尊べる今の僕ならば、お父様も扉の外へ連れて行って下さるに違いない!
……いやいや、まだだ。この程度で満足してはいけない。
僕が最下層に来て今日で6日。広い広い最下層のほんの一部分しか僕は見ていない。
まだまだ僕は最下層の駄目さ加減を見て回る!
「……椅子に縛られてガッツポーズするとか、お前――いや何でもない」
気付くといつの間にかスカイシップに乗り込んでいた。
僕を操縦席の後ろに固定しながら、ソーマがピクリと頬をひきつらせる。
「な、何を勘違いしているんだ! 不満はあるぞ、文句もあるぞ! 人を縛るとか、最下層は駄目だな!」
僕は決して苛められて喜ぶタイプの変態ではない! 叩かれるのは痛いし嫌だぞ!
ソーマはどうだかと首をすくめて、操縦席に座った。
「それで、何の仕事をしに行くんだ?」
「お前には関係ない」
「僕もついて行くのだから、関係ないことはない!」
「……」
結局何度聞いても、ソーマは答えなかった。
まあいい、どうせすぐにわかることだからな!
**********
微かなざわめきを耳にしながら、僕は目を覚ました。
いつの間にかすっかり眠ってしまった。まだ目的地には着かないのか?
「ソーマ、まだかかるのか?」
「とっくに着いてるぜ」
ソーマの声じゃない!
僕は驚いて頭をあげた。ガラクタばかりが山のように積まれている狭い部屋で、偉そうに足を組んでいる褐色の少年が僕を見降ろし、にやにやと笑っている。
僕が初めてソーマに会ったときに、一緒にいた少年だ。名前は確か……
「俺の名前はシット。一時間につき、俺の一家一日分の水を頂くって約束で、あんたを預かってる。要はビジネスだ。ソーマは「高い」とかほざきやがったが、最上層民様を預かってやるにしては、破格のお値段だろ」
この時ばかりは唖然として、すぐには何も言い返せなかった。
預かる? ソーマが預けた?
最上層民様、なんて凄く馬鹿にした言い方にも腹が立ったが、今重要なのはソーマが僕を置いて行ったことだ。
置いて行かれた……
「何だ何だ。最初に会った時と比べて随分と大人しいな。これなら1人でも平気そうだが、ソーマには誰か付けろと言われてるんでね。だが俺は俺で今日は忙しい。あんたなんかに構ってる暇はない。そんなわけで良いことを思い付いた。おい、チビ共」
シットがパンパンと手を叩くと、錆びれた金属の柵が取り付けられた狭い出入り口から子供たちがなだれ込んできた。
「こいつみてればいい? シット」
「何して遊ぶ?」
「この年でお守が必要とか、ダサいなお前」
小学校低学年か、幼稚園生か、とにかく見るからに生意気盛りな子供が5人シットの周りに群がった。
「お前名前は?」
子供を担ぎあげたシットが僕の前にやってきて顔を覗き込んだ。
僕を見る目は皮肉たっぷりだが、子供を見る琥珀色の目は優しい。差別だ。
「ミネルバ・1・……」
「なげー名前は名乗んな。チビ共、こいつはミネルバだ。ソーマの所の新入りで、危なっかしくて仕事に連れて行けないんだとよ。たっぷり面倒見て、ソーマに小遣いせびるんだぞ!」
「おー!!!」
勇ましい掛け声とともに子供たちが飛びついて来た。
苦しいし重いぞ!
「ミネルバ、余計なことはしゃべんなよ。じゃーな!」
にやにやした顔でひらひらと手を振って、シットは錆びれた金属の柵から外へと出て行った。
余計なことが何かくらい言って行けよ! とはいえ、おそらく僕が最上層民であることだろう。最下層に最上層民がいるなんて笑い話もいいところだ。
――いい印象もないだろうし。
「お前、世間ずれしてんだろ?」
一番口達者っぽい生意気そうな男の子が、僕の肩をガシガシと揺すりながら話しかけてきた。
世間ずれしてるとは何だ! 最下層民じゃないんだから最下層の生活に疎くて当たり前だろ!
「……だから何だ」
とはいえ、自分が最上層民と言えるはずもなく、言い訳も浮かばない。
でもこれだと、自分が世間ずれしてると認めるみたいで、嫌だ。
「俺たちが教えてやる!」
子供全員がにんまりと笑う。
生意気小僧は僕の正面に座りこみ、ガラクタの中から丸い石ころを取り出して黒い床に何かを描きだした。あと2人の子供も瓦礫の中から色々なものを拾ってくる。残りの2人は僕の肩と膝に乗っかてきた。
重いぞ。
子供は苦手だ。
どの映像でも発言がちぐはぐで、大人と違い対処法がわからない。
僕に張り付いた子供2人を退けようとしたら、1人が泣きそうな顔をして、もう1人は僕の手からひょいと逃げて、今度は背中に貼りついてきた。
……子供は苦手だ。
「目ん玉開いて穴が空くほどしっかり見やがれ! これがシット一家でい!」
白い線で何体もの棒人間が描いてある。
あの石は石灰石か? それとも普通の瓦礫の破片か?
「シットが頭領で一番偉いんだ! 次がシットと一緒に仕事してるにーちゃん達、家を切り盛りするねーちゃん、ねーちゃんの指示で家を守る俺たちだ! で、ミネルバはここだ!」
上から順に偉い人という意味で描いたらしい。で、僕が一番下だと。
それを言うためだけにこれを描いたのか?
「俺たちの家は、第4区にあるから第4区のボスに呼ばれたら仕事に行く。第4区は大事起こすとボスが叱りに来るから、まともなんだ。第1区はボスがきじんだから危ない。第2区はきじんだけど放置してるからマシ。第5区は安全。第6区は仲間割れしてて危ない。よく覚えとけ!」
……どうやら僕は本当に、子供たちに最下層について教えられているらしい。
てか、区ってなんだ? 地番か? 話し方からするとボス毎に治めてる地区が違うってことなんだろうな。
それに3を飛ばしたぞ、どうなんだそこは。
「3区はどうした?」
「知らね、7区も知らね」
「7区? 最下層はいくつにわかれてるんだ?」
そういう基本が大事なのに、こいつは先生の話をきちんと聞いてないな。
「全部で8区だ、1から7区と中央区」
床に丸い円を描いて不均等に7つに分割していく。円の中心にもう一つ円を描いて、中央区と白く塗りつぶし『ちゅおーく』と書いた。
うん待てよ、僕の聞き間違いか?
『中央区』じゃなくて『ちゅおーく』という地名なのか!?
1区から7区まで順番に数字が振られていく。自分がいる位置に合せて書いてるんだよな。でも、3だけ僕側になってるのは何故だ?
「ちゅおーく……なのか?」
「? 中央区だぞ、馬鹿なのか?」
カチンっときた!
少年の手から石ころをひったくり、正解を書き記す。
「中央区! 1から7はこうだ!」
「なっ! 何を!」
「うん、ユミねーちゃんが書いてる字はこっちねー」
生意気少年は憤って立ち上がる。それを遮るようにして、後ろで僕らのやり取りをずっと眺めていた子供が、僕が書いた字に近づき頷いた。
「ジム兄、間違えたー」
「まちがえたー」
「う、五月蝿い! お、お前、ミネルバ! 水って書けるか! 俺は書けるぞ!」
「当たり前だろ」
当たり前すぎて呆れて言い返したら、生意気少年がむきになって床に色々書き始めた。
みず、しょくりょう、しごと、せんたく、せわ、いえ……20個ぐらい書いたところで、どうだ! と少年ジムが顔を赤くして胸を張り、僕を見降ろした。
……いくつか間違いがあったから、横線で消して修正する。ついでに、この部屋にあるガラクタの名前を書き足す。
「おねーちゃんすごーい! ネネってどう書くの?」
「ジュンは? あと犬!」
名前か? 言われるがままに、せがまれるままに書いて行く。すると、生意気だったジムが顔を赤くして少し俯いたまま、不満気に僕を睨みつけた。
「何だよ。全然色々知ってんじゃん。何しに来たんだよお前」
「何って――ソーマが……」
ソーマに置いて行かれたのだ。僕が何かをしに、ここに来たわけじゃない。
無意識に奥歯を噛みしめる。
「何でもいいから言え! 書いてやる」
「だ、誰がお前なんかに……」
ジムが赤い顔のまま僕に突っかかり――他の子供に押しつぶされる。
「ほんと! おねーちゃん!」
「ねぇねぇ、ご本も読める?」
「勿論だ、持ってこい」
子供たちが持ってきた童話や絵本は凄くボロボロだけど、中身は最上層のものとほぼ同じだった。中には見たことのないものもあったけど、多分僕が知らないだけで最上層にもありそうだ。
何冊読んだかわかんないけど、さすがに声が枯れてきたころ、反目していたジムまで僕の横に座って食い入るように本を見つめ始めた。
「次これ!」
聞いてる子供は元気に渡してくるけど、話してる僕は喉が限界だ。
あと何冊あるんだ?
「待てネネ。せっかくだから、シット達が読んでるやつ持ってこい」
「……シットに怒られちゃうよ?」
「読めるもんなら読んでみろって普段から言ってるだろ、大丈夫だ。持ってこい」
ちびっこい女の子と男の子が連れだって部屋を出ていく。
とりあえず、小休止だな。助かった。
「まったく、何冊あるんだ」
文句を言う声まで枯れている。
「すげーだろ。普通はこんなに持ってないんだぜ。これだけ本があるから、俺たちは文字が読めるし、書ける。俺、ユミねーちゃんから直接教わってるから相当自信あったんだけど――ミネルバはユミねーちゃんと同い年ぐらいなのに、ユミねーちゃんよりいっぱい読めるんだな。あの絵本のいくつか、ユミねーちゃん読めないんだぜ」
「……教わってないのか?」
「だから、ユミねーちゃんに教わってんだって」
「僕と同い年の子だろ。そうじゃなくてもっと年上の、先生はいないのか?」
「先生? なにそれ?」
「何って――学校で授業をして、勉学を教える人だ。家庭教師も先生だぞ」
「学校? べんが……よくわかんない。その辺がシットが言ってた、ミネルバの世間ずれしてるところか?」
「………!!」
僕が、頭がおかしい扱いされただと! ――じゃない、最下層は僕が思っている以上に、予想外の部分が酷いらしい。
「まったく、最下層は駄目だな。本当に駄目だな!!」
勉強できなければ、出来が悪ければ、立派な大人にはなれんのだ!
なのに、ジムも、他の子供たちも、こんなにも何も知らないのか!?
「ジム、読み書きできるのはさっき書いた分だけか?」
「いきなりで思いつかなかっただけだ! もっと色々書けるに決まってんだろ!」
「算数は? 歴史は? 科学は?」
「え? ええーと? え?」
ジムが目を白黒させる。そうか、そんな感じか。
「ジム兄、持って来たよー」
「お、おお。ミネルバ、あれ読んでくれよ、うちではシットしか読めない本で、ユミねーちゃんすら何書いてあるかチンプンカンプンだって――」
「そんなのは後だ! まずは数字だ! 足し算、引き算、掛け算、割り算……は年齢的に無理か、とにかく今からみっちり勉強だ!」
使命感のようなものに駆られ、僕は立ち上がって吠えた。
1万字以上で投稿! と思いましたが、長すぎるのと私の文章的に区切りが悪いので断念しました。いつも5千字以上書いてる方々は本当にすごいですね。
登場人物を抑えようと、子供たちの名前は出さないつもりでしたが、名前で呼び合う習慣がある子供たちなので無理でした。