1-9.ドロップアウト(中編)
少年という言葉ばかりが出てきます、少年。
警報機か何かが作動したらしい、けたたましいサイレンが室内に鳴り響く。
怒り狂った少年の殺意の重圧を感じなくなったことで、マグドリスは少年が部屋を出て行ったことに気付いた。
ケースを奪い取った曲者を追って行ったのだろう。
指先から肘までの部位が、ふんわりとしたカーペットの上に転がっている。
「……子供の腕だな。本体から離れてしまえば、暗殺者とはいえ何が違うわけでもないか」
マグドリスは転がった腕を眺めながら、飲みかけのお茶に口をつける。
ちびりちびりと飲み干して………にやりと口元で笑みを作る。
「これだから運び屋は辞められない」
ゾクリと全身の毛が逆立つのを感じ、マグドリスは声に出さず口だけで「素晴らしい」と呟いた。
「お客様、いかがなさいました」
出入り口に黒いタキシードを着た男たちが並ぶ。
室内はまだ少し煙たく、アンダーマーケットの警備たちは室内の客の様子をきちんと把握できない。
ただ微かに漂う血の臭いから、面倒なことになりそうだとは予想していた。
「特に用事はない。しかし、モノのついでだ。コーヒーを注いでくれ」
マグドリスは、若干弾んだ声で、カップを高々と掲げた。
******
自分を追ってくる少年はソーマと出会った頃の自分と同い年ぐらいだろう。
殺気立った目といい、短絡的な所といい、昔の自分を見ているようで………
余計なことを考えかけて、アランは大きく息を吐いた。
ウサギの被り物をしてないと、どうにも余計なことを考えてしまう。
少年との力量差は明らかで、人がいない機械室まで少年が付いて来たのを見届けて、アランは足の指に力を入れて一気に少年を引き離し、まんまと姿をくらませた。
アンダーマーケットの高級を支える機械たちが世話しなく休みなく稼働している巨大な機械室。見上げても管や格子状の足場しかなく、機械の発する僅かな光しかそこにはない。
隠れる場所が多く、騒音がひどく、視界が悪いこの場所で、少年が隠れるアランを見つけることは不可能だ。
「無駄だ。あんたが誰かわかってる!」
騒音の間を縫って、犬笛のような甲高い音が聞こえた。とたん突然力が抜け、全身を刺すような痛みが襲ってくる。
「何度も姿を確認されて、対策を取られていないとでも! A時代の廃れた旧遺伝子組換人間!」
犬笛の音を人が聞き取ることはできない。アランのような特殊な人間でない限り。
実力差は歴然なのに、それを覆された自分の油断に歯噛みする。
力が抜けた手から、彼らから奪ったケースが滑り落ちる。
ドンドンガンと音を立て、ケースが少年の傍に落ちた。
「そこか」
冷静でありながら怒気を孕んだ声と目で、少年が上方を見つめ、上へ上へと飛び登ってくる。
こんなことで自分は死ぬのかと、潔よるぎるほど潔よくアランが目をつぶった瞬間、背中に誰かが下りてきて、同時に聴きなれた笑い声が聞こえてきた。
「はっはー! これいらないの? じゃあもーらい!」
驚愕の表情で下を振り返った少年の視界に、ケースを掻っ攫っていく人影が見えた。
「今のうちに行くぞ」
アランの背に乗ったシットが、その腰にロープ付きのフックを撒いて手にしたリモコンのボタンを押した。
「普通の奴なら苦しいだろうけど、あんたらなら平気だろ。殺されそうなところ、迎えに来てやっただけでも褒めてくれよ」
人を引き上げるには随分と乱暴な速度で、アランの体は上昇していった。
******
「くっ」
品物を再び奪われたことで冷静さを取り戻した少年は、今度こそ一目散に目的の品を奪取するためだけに走り出した。
先ほどの人気のない場所へと誘い込んできた相手とは違い、今度の相手は人目のつく場所へ誘っている。
少年としては避けたい事態だが、背に腹は代えられない。せめて短期でけりをつける。
一気に近づいた瞬間、肝心のケースが目の前にほおり出された。
受け取ろうと手を伸ばした瞬間、きらりと光る何かが見え――ワイヤーだと気づく前に条件反射でからだを逸らす。
ワイヤーを操るのが自分よりも幼そうな少年と気付いた時、ケースが開けられ肝心の品物が盗人の手にあることに気付いた。
ウサギの被り物をした盗人の手に、ワイヤーとは別に、小指ほどの小さな小瓶が握られている。
現状を打破しようと、少年が瞬時した瞬間。
「ああ! 見つけたぞ! ガイド!」
突如、場違いな子供らしい声が響いた。
赤髪の少年に見覚えはないが、ウサギの被り物を指さしガイドというのだから、マグドリスと同じく最下層を観光していた客だろうと、少年は予想した。
そして思い起こす。目の前のウサギの少年はあのA時代の旧遺伝子組換人間と義理の親子という子供であろう。あいつに近しく、そこそこ腕が立つとすればそれ以外に考えられない。
「ん? 小さい――別人か? ウサギの被り物が流行っているのか最下層は!」
勘違いをしている赤毛を無視して、ウサギの少年が逃げようとする。
だがそれを見逃す少年ではない。取引するまでの時間つぶしに、唯一手持ちとして支給された銀貨を惜しげなく指で弾き飛ばす。
後ろに目があるように危機を察知したウサギ少年が体をひねり振り返り、両腕を大きく動かし操るワイヤーで銀貨をはじいた。
「いいワイヤーだ」
銀貨を弾いた勢いで襲いかかってくるワイヤーを僅かに横に逸れただけでかわし、逆にワイヤーを踏みつけて、銀貨で挟み込み引っ張る。
「っ」
危機を感じたウサギの少年が、少年を切り刻もうと返し手でワイヤーを引き戻す。
唸るワイヤーを防ごうとしてもう片方の腕を動かそうとして――少年は片腕を無くしたことを痛感し、歯噛みして、ウサギの少年へと特攻をかける。
「っ!!」
その頃、ようやく自分には理解できないことが起きていると気づいてしまった赤毛の少年――ミネルバがその場で立ちつくした。
目の前に迫った少年に違和感を覚え、ウサギ少年はとっさの判断で暴れ狂うワイヤーを手放し、小瓶を片手で包み込む。
間髪入れず、少年はウサギ少年の小瓶を持つ手に、力強く蹴りを入れそのまま踏み続けた。
「大したもんだ。その瓶は少しの衝撃で壊れるようにできているのに、よく防いだな」
「……壊す気?」
「他人の手に渡るぐらいなら」
ウサギ少年――ソーマは空いた腕で、相手の足を掴み。少年はソーマの手を踏みつけたまま、もう片方の足で、小瓶を持つ腕の肘を蹴りあげた。
肘から先の感覚がなくなり、今度は手を蹴リ上げられた。
ぎりぎり残った長年の勘で、ソーマは蹴り壊される寸前のところで小瓶を投げた。
小瓶がゆるい放物線を描いて宙を舞う。
「!」
瞬間、小瓶へと意識が逸れた少年を突き飛ばし、ソーマが瓶を追う。
小瓶を壊すと決めた少年は、情報として得ていたソーマの弱点を口にする。
「お前の義父はできそこないのARNだ」
「何だと!」
ソーマの意識が、はっきりと瓶からそれた。
少年はその隙に瓶を狙い、銀貨を弾き飛ばす。
ソーマが瞬時遅れて、片腕で握りしめたワイヤーを操った。ワイヤーは銀貨を捕えたが……銀貨に押されたワイヤーが小瓶にほんの少し掠め、小瓶にヒビが入る間もなく穴が空き、穴からヒビが広がり、小瓶が砕け散った。
漏れ出た液体が放物線を描きながら、見る見るうちに蒸発してい、その様を呆然と眺めていた赤毛の少年――ミネルバの額に最後の一滴が触れ、全てが霧散した。
「うっ、臭い。何だこ……れ…………」
想定外の悪臭に、ミネルバが眉をしかめ皺を寄せ鼻をつまみ、ふらりと倒れた。
「あ……」
ソーマはワイヤーを操ることも忘れ、少年は煙球をばら撒いた。
「っ!」
煙幕の中、少年は姿を消す。
ソーマの頭も遅れて動き出し、気絶したミネルバを抱え上げ砕けた小瓶を一瞥し、小さく悪態をついて逃走した。
******
「遅い」
「悪い。出してくれ」
イカロスの操縦する小型船に飛び乗って、ソーマは深い深いため息をついた。
「……お荷物を拾ったのか?」
「父さんから連絡は?」
気絶したミネルバを一瞥したイカロスの言葉を無視して、ソーマは口早に尋ねた。
「心配していた。親バカだから。返事するか?」
「足が付くからいい」
気絶したミネルバを座席下の小部屋に奥へ通し込み、ソーマは座席で蹲った。
「俺寝るから、後任せた」
「ラジャ」
自信を膝を見つめソーマは目を瞑り「ごめん」と小さく呟いた。
最初のマグドリスさんは、前編に入れたほうが良かったかも……
あと、紛らわしいですがミネルバは女の子です。変装キットが赤毛の少年なだけです。変装必須の世界ですが、わかりにくすぎる――解決策考えます。
小型船は、スターウォーズエピソード1みたいなやつです。後々説明する……予定