少年
拓哉の救出劇から二日後。事情聴取のようなものを受けて疲弊しきっていた里栄子だったが、誰かに会わなければという思いに駆られ、公園復帰した。
しかし公園には鈴木きょうだいや拓哉どころか、人の姿自体ほとんどなく、閑散としていた。
「事故の後って、こんな風になっちゃうのなのかな・・・」
寂しさに耐えられず、里栄子はすぐに帰宅した。
その翌日。懲りずに公園にやってきた里栄子は、喜びに思わず声を上げた。滑り台の上に、見慣れた少年を見つけたからである。
「三山くん!」
駆け寄ってくる里栄子に気づいた時雨は、抱えていたスケッチブックをたたみ、するりと下りてきた。
「里栄子、元気そうだな」
「あなたまで呼び捨てにするのね」
ため息をついてみせながらも、里栄子はとても嬉しかった。時雨が、公園に来ていたこと、他人面をすることなく向き合ってくれていること、名前を覚えていたこと、そして笑っていることが。
「あんたも、時雨って呼んでくれていいよ」
話を聞くと、事件の後、時雨はまず叱られたらしい。人を助けようとして川に入るのは、自身の身も危険にさらす行為だと。
「やっぱり、ペットボトルは要らなかったか」
「そういう問題じゃないでしょ」
それから、その勇気と知恵を大勢に褒められ、感謝された。特に、拓哉の両親からだ。
「昨日、電話が掛かってきて、お菓子とか持ってきて。拓哉に食べさせたらって言ったんだけど」
時雨は鞄の中から、綺麗な包み紙を取り出した。この辺りで評判の洋菓子屋の焼き菓子だった。
「ここに来たら誰かいると思って、持ってきた」
「一緒に食べようと思ったの?」
「・・・そう。とりあえず、里栄子にあげる」
「ありがとう」
近くの自販機でジュースを買って、二人でベンチに並んだ。
「おいしい」
「うん」
時雨はあっという間に一つ目を食べてしまい、二つ目に手を伸ばした。
「拓哉くんは、元気なのかな」
「これ持って来た時、元気になったら挨拶させます、みたいなこと言ってたな」
「それからは?」
「昨日の話だから」
「あ、そっか・・・」
「私、連絡先とか知らなくて。綾ちゃんや海君も来てないし」
「私あの時、拓哉君が死ぬんじゃないかって・・・すごく恐かった・・・」
「・・・」
時雨が黙ってしまったので、里栄子は続ける言葉を見つけられず、二人の間にふいに沈黙が下りた。蝉の声と、遠くを走る車の音、そして何事も無かったかのように流れる川の音が聞こえる。
今日も、夏だ。夏の真ん中だ。
里栄子の額に汗が浮く。時雨の頬にも汗の筋が伝った。
――そうだ、あの歌。もう一回聴きたい。
と、里栄子が考えたその時、蝉の声がぴたりと止んだ。
驚くほどの静寂がやってきた。
「ねえねえ」
そこに突然、背後から声がして、二人とも思わずのけぞった。
「そんなにびっくりした?」
振り返ると、見たことのない子供が立っていた。年は海や凪と同じくらい、透き通るような白い肌が、木の影の中にぼんやりと浮かんでいた。里栄子と時雨の狼狽ぶりを見て、おかしそうに笑っている。
「海君達の友達?」
「海君? 違うよ」
「夏休みだからさ、おばあちゃんちに遊びに来てるんだ」
都会の方から来たのか、肌の白さも手伝ってか、垢抜けた雰囲気があり、確かにこの辺りの子供ではなさそうだった。おばあちゃんの家が退屈になって、同い年くらいの子供がいそうな所に遊びに来たのだろうか。
「この公園、あんまり人いないんだね」
「普段は君くらいの子もたくさんいるんだけど」
「そっか」
色白の子供は、しょんぼりと下を向いた。里栄子と時雨は顔を見合わせた。
「君、名前は何ていうの?」
「おぐら むと」
「むと君。どんな字書くの?」
「夢、人」
「かっこいい名前だね」
里栄子が言うと、夢人は照れくさそうに笑った。
「誰か来るまで一緒に遊んだらいい」
時雨が言った。
「本当? いいの!?」
夢人の顔が一気に明るくなる。里栄子は時雨の発言が意外だったので、何となく負けたような気持ちになって、自分も横から言った。
「もちろん、いいよ! 何する?」
その日、三人は日暮れまで一緒に遊んだ。走ったり笑ったり、事件のことをすっかり忘れてしまうほど真剣に遊んだ。
夢人の真っ白な肌が夕焼けで赤く染まる頃まで、その時間は続いた。
「疲れた~」
汗だくの額を晒して、里栄子はベンチに腰を下ろした。投げ出した足元に夢人が走り寄ってくる。その後ろに時雨が続いた。
なかなか幸せだなと、里栄子は思った。
「そろそろ帰るか」
「そうね」
「えーっ」
「明日も遊ぼう」
口を尖らせる夢人に、里栄子が優しく微笑んだ。
「本当?」
「うん」
「じゃあ、また明日だよ。約束ね!」
夢人は満足そうな顔で走り去ってしまった。
手を振る間もなかった里栄子は、思いついて、あっと声を上げた。
「家まで送ってあげたらよかった。道に迷ったりしないかな」
時雨は少し考えてから言った。
「それはしなくていい、気がした」
「どういう意味?」
「さぁ」
里栄子も時雨と別れ、久しぶりの心地よい疲労感と満足感に満たされた帰り道は、鼻歌を歌った。
しかしそれから三日間、どしゃぶりの雨が続いた。里栄子は公園と子供達のことが気になりながらも、外に出る気になれず、家でぼんやり過ごした。
そして雨が上がった日。事件から一週間後。朝になるのを待って、里栄子は家を飛び出した。