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夏の雲  作者: ドルチ
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平穏の先に


 里栄子は、綾を凪とともに交番へ行かせ、自分は半べそをかく海を引きずるようにして、公園の横を流れる川の方へ走った。

 子供とはいえ、普段リーダーシップをとってグループの先頭にいる海が、自分の手を握り締めてしゃくり上げている姿は、里栄子を不安にさせ、思わず声が震えた。


「どこなの、拓哉君・・・。海君もちゃんと探してよ」


 自分も泣きそうになりながら、里栄子は海の手を揺すった。


川は、公園の外周に巡らされたジョギングコースの北側に沿って、西から東へと流れている。川幅は五十メートルほどで、沿岸は石垣状に整備され、お堀のような格好になっている。コースから流れを見下ろすことは出来るが、川辺に下りる道は作られていない。しかし、コースに添えられた柵を乗り越えるかくぐるかして、石垣をつたっていけば、それも可能となる。子供たちにとってはちょっとしたスリルであり、かつ、日常的なことであった。


 里栄子はコース脇の柵から身を乗り出して見渡したが、人の姿は見えなかった。


「海君、さっきどこから下りたの?」


「ここから・・・」


 海は目の前の柵を指差した。


話によると、海は拓哉と二人で川辺に下りた。しばらくは石垣のすぐ近く、水底が見えるくらいの深さの場所で、沢蟹を追いかけたり、タニシを集めたりして遊んでいたが、拓哉がふいに川の奥へと進み出た。海が、危ないぞと声をかけても、大丈夫だというように、笑いながらさらに歩を進めた。


すると突然、拓哉は足を払われたように引っ繰り返った。バシャンと音がして水しぶきが上がった。転んで尻餅をついたのだと思って海は笑ったが、拓哉が首から上だけを水面から出したまま起き上がろうとしないので、さすがにおかしいと思った。


「大丈夫か?」


 近づこうとして一歩踏み出したが、そこで海は固まった。

これ以上進んではいけない。そんな気がして水底を見ると、もう半歩先には真っ黒な闇があった。

再び拓哉を見る。


「海・・・助けて・・・」


 自分だけではどうしようもないと判断した海は、一人で里栄子のもとへ走ってきたのだった。石垣を登りきり、柵まで辿り着いた時に振り返ると、拓哉は水を飲んでむせていたという。


「海君は正しい判断をしたよ。だから泣かないで、お巡りさんか消防士さんが来るまでに拓哉君を探そう」


 里栄子は柵に沿って、川辺を数十メートル往復してみた。しかしやはり人影は見えない。

心なしか水かさが増してきている気がして、雨かと思って空を見上げた里栄子は、西の遠くの方を見て増水の理由に思い当たり、背に氷を当てられた思いがした。

重くどんよりした雲が、川の上流の方にわいているのが見えた。あれが雨を降らせたのだ。

川の上流で急激に降った雨は、短時間で下流へと押し寄せる。水の移動が雨雲の移動よりも速いため、下流では雨が降る前に水かさが増すことになる。そのせいで下流にいる者は増水を察知しにくく、避難が遅れる――つい最近見たニュースが頭をよぎった。この夏休み時期、同じ状況で児童が数人、助けようとした大人が数人・・・そこまで考えて、里栄子は思考を引き戻した。


――冷静に。すぐに助けが来る。私はそれまでに、拓哉を見つける。絶対に大丈夫。


 その時、声がした。


「こっちだ!」


 驚いてそちらを見ると、海が、そこから二人で川に下りたといった辺りに人が立っていた。


「あなた・・・」


滑り台の常連、いつも絵を描いている高校生風の少年であった。声を聞いたのは初めてだった。


「これ、使おう」


「これって」


 里栄子は、少年が抱えた二つの大きなペットボトルを見た。

少年は大きく頷くと、しゃがんで、自分がはいていたスニーカーを脱ぎ、靴紐をほどき始めた。


「集めて」


「えっ」


「ロープが無いんだ。太くて丈夫な紐みたいなやつとか、服とか布でもいい。集めて、繋いで」


 少年は喋りながら、二つのペットボトルを靴紐で結わえ始めた。


「早く!」


 呆然と少年を見つめていた里栄子だったが、その声に弾かれたように、羽織っていたシャツを脱いだ。それに、鈴木きょうだいから預かっていた――持たされていたともいう縄跳びを結んだ。

そして、ジョギングコースを通りかかった人を片っ端からつかまえて呼びかけた。

 最初戸惑っていた人々だったが、里栄子の様子と泣きじゃくる海を見て、トレーニングウエアや、飼い犬のリードを手渡してくれ、里栄子はそれらを自分のシャツの続きに結びつけていった。

手作りロープは、すぐにある程度の長さになった。少年はその端をペットボトルに結びつけた。


「それ、どうするの?」


「・・・」


 少年は答える代わりに、ロープの端を柵に結びつけた。


「引っ張って」


「えっ」


 そして、ペットボトルを脇に抱え、ひょいと柵を乗り越えると、石垣を下っていった。


「危ないよ!」


 里栄子が柵に噛り付くように川を覗き込むと、既に石垣を下りきり、水辺に到着した少年が見えた。少年はペットボトルを右手で掴んだまま、川の流れに体を沈めた。

増水とともに濁ってきていた水中に、少年の姿は消えた。


少年は、しばらく上がってこなかった。やじうまともども沈黙する。


「どうなったの」


 まだ、上がってこない。


「やめてよ・・・。そんな、まさか、二人とも・・・」


 里栄子が涙を浮かべ始め、周囲もざわめき出したその時、水面が大きく揺れた。

 そこから少年が顔を出す。ペットボトルと反対の腕に、子供を抱えていた。


「拓哉君!!」


 少年は、手作りロープを拓哉に巻きつけて叫んだ。


「引き上げて!」


 里栄子は必死でロープを引いた。周りにいた男性も数人、横から腕を伸ばす。

ぐったりした拓哉の体が、少しずつ上がってきた。里栄子は止まらない涙で霞む視界の端に、少年の姿を捉えた。ちゃんと拓哉の後から石垣をよじ登ってきている。

拓哉の体が柵を越えた頃、ようやくサイレンの音が聞こえてきた。その場にへたり込んだ里栄子の代わりに、やじうまの中から数人飛び出て、人工呼吸や心臓マッサージを施し始めた。


「拓哉・・・」


 海が里栄子にしがみついてくる。里栄子は呆然としたまま動けずにいた。すると、全身ずぶ濡れの少年が里栄子に近寄ってきて、隣に腰を下ろした。

そして、落ち着いた声で言った。


「大丈夫だよ、俺も、あの子も」


「・・・」


「ペットボトルは要らなかったか。浮き輪の代わりになると思ったけど」


 少年は、少しむせた。


「何、冷静なこと言ってるのよ・・・」


 里栄子は再び泣いた。

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