雨、一人
次の日、少年達のグループは公園に来なかった。
次の日も、その次の日も少年達は公園に来なかった。
里栄子は、望んでいた静かな公園を手に入れたはずなのに、どこか浮かない顔をしていた。
静まり返った公園で、今まで雑音だと思っていた少年達の声がなくなると、今度はまともに音楽にならない楽器の音が雑音になるのは当然だ。
里栄子が、カノンを奏でるバイオリニストだったら、こんな静かな公園でも絵になっただろう。
里栄子が、ハーモニカを口にくわえたジャズシンガーだったら、観客も集まってきたかもしれない。
だが現実は、残酷だ・・・。
どんな画家も、こんな公園を描きたがらないだろうし、演奏する里栄子の周りにあつまっているのは、鳩や蟻くらいなものだ。
滑り台常連の青年は、里栄子の方を見向きもしないし、ベンチ常連の老人は、いつから寝ているのかもわからない。
「現実って、残酷」
彼女自身も分かってはいるのである。
「聞く人がいてくれないとな~」
違う意味で・・・。
見上げると真っ青な空。里栄子はいつの間にか夢の中に旅立っていった。
コツコツと、里栄子の靴の音だけが響く。
ステージの中央に立つと、四方八方のライトが里栄子を照らし出す。
少しまぶしいと感じる里栄子だったが、それ以上にまぶしい笑顔を満員の観客に向けて差し向ける。
それと同時に、割れんばかりの拍手が会場を包み込んだ。
左手には、ヴァイオリンの名機「ストラディバリウス」。右手には、十分に手入れされた弓が握られている。
里栄子が一礼すると、会場は急に静まり、小さな子供でさえも息を潜めた。
里栄子がそっと弓を弦の上に置くと、心地よい調べが会場に響き渡る。曲は、ヴィバルディの「アンナ・マリーアのために」。緩急をつけながら、しっかりとした音を奏でる。
演奏を終え、里栄子が一礼すると、先ほどを上回る拍手が送られた。
「おねえちゃん」
次の演奏曲に移ろうとする里栄子の耳に、誰かが呼ぶ声が聞こえる。
周りを見渡しても、だれもいない・・・。
首をかしげながら再度弓を弦の上に置く。
「おねえちゃん!!」
「もう、誰!?」
「なぎ。おねえちゃん、なぎだよ」
目を開けると、上から覗き込む三つの顔があった。
まだ寝ぼけている里栄子に、少しませた感じのする少女が話しかけた。
「凪の姉の、鈴木 綾です」
礼儀正しく名乗ってくれた少女の横から、小さな手が伸びた。
「はい、これ。お土産だよ」
「沖縄、行ってきたんだ」
満面の笑みで、サトウキビで作られたお菓子の箱を差し出す女の子に、里栄子は見覚えがあった。
「なぎちゃん?」
「・・・と、お姉ちゃん」
少女は頷き、隣に立っていた男の子の肘をつついた。
「あんたも挨拶しなさい」
「・・・鈴木 海」
綾につつかれた少年が、ぶっきらぼうに言った。
「なぎちゃんの、お兄ちゃん?」
いつも公園を走り回っているグループの中心にいた少年だという事に里栄子は気が付いた。
「この間は、凪を家まで送ってくれてありがとうございました」
綾がもう一度口を開いた。
「あ、いえいえ。どういたしまして」
「母が、お礼も兼ねてお土産を渡してくるようにって」
「そんな、当然のことをしただけ・・・」
いいながら凪が差し出した箱を押し返そうとしたが、反論を許さない、そんな目をする綾に、里栄子は少し萎縮してしまった。
「ありがたく、頂きます」
「よかったね、凪」
「うん」
喜ぶ妹と笑顔を交わす綾の表情は、年相応に可愛らしく、里栄子はようやくほっとした。
「あれ、海は?」
「兄ちゃん、あそこ」
凪が指差した先では、海がブランコに乗って遊んでいた。里栄子に興味がないのか、挨拶に飽きてしまったのか、素早いことだ。
「あのこったら・・・」
綾は再び大人びた顔でため息をついたが、すぐに里栄子に向き直って頭を下げた。
「では、私は行く所がありますので」
「凪、ちゃんと五時までには帰ってくるのよ」
「は~い」
「あ、また、ね・・・」
里栄子が言い終わらないうちに、綾は踵を返して公園を出ていってしまった。嵐のように去っていく綾の後姿を、里栄子はただ呆然と眺めていた。