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夏の雲  作者: ドルチ
14/15

生還


 里栄子は、はっと目を開けた。

「・・・」

 青く染まった視界に、海の頭と背中が見えた。さっきと同じ風景だ。今のは何だったのだろう。いつの間にか寝てしまって、夢を見ていたのだろうか。

 海がごそごそと体を動かしたのを合図に、感覚が戻ってきた。

 さっきより暑い。そして人の声や重機の音が聞こえていた。鉄どうしがぶつかる音、何かがシートにこすれる音もする。

助けが来たのだ。

「里栄子」

 海が呻いた。

「海君、大丈夫?」


「今の・・・」

 海の声は、何か言いたい気持ちは伝わってきたが、とても眠たげだった。

「あとでゆっくり話そう」

 里栄子は海の頭をなでた。

「うん・・・」

 海の呼吸は、寝息のように穏やかだった。


「こっちだ!」


「慎重に」


「おい、そっちは触るな!」

 大人達がやって来て、鉄パイプを手作業だかクレーンだかでどかしてくれているのだろう。音と声が大きくなっている。あと少しの辛抱だ。

里栄子がほっと息を漏らしたその時だった。


 ―ゴン・・・


嫌な音と同時に、背中にひんやりと鉄パイプの温度を感じた。押し付けられるような感覚に、とっさに腕を伸ばして突っ張った。

「・・・!!」

 里栄子は声にならない叫びを上げた。

 鉄パイプのバランスが崩れたのか、それまで全く感じなかった重みが里栄子の両腕にかかってきた。しかもどんどん重くなっていく。

里栄子は息を飲んだ。

「大丈夫か?」

 その気配を察したのか、海が不安そうに言った。

「うん、平気」

 ぎりぎりの声で、里栄子は答えた。

圧迫された背中が痛い。少しでも肘を曲げれば一気に崩れそうなほど重い。腱がどうにかなってしまいそうだ。

 しかし海を潰すわけにいかない。里栄子は両腕を突っ張って、ひたすら耐えた。

「気持ち悪い。吐きそう」

海が呻いた。気温と湿度が高くなった狭い空間に長い時間いるのだ。脱水症状かも知れなかった。とても暑いのに、汗ほほとんど出なくなっていた。

「もうちょっとだから・・・」

「もうちょっと・・・」

 里栄子は声を絞り出したが語尾がかすれた。自分も渇いているようだ。体の水分が少なくなれば、涙も出なくなることが救いだなと、里栄子はぼんやり考えた。

―もうちょっと耐えて。・・・私の腕も。


「いたぞぉ」


「ここだー!」

 背中がふっと軽くなった。里栄子は腕に血が巡るのを感じた。長時間の正座から開放された時のように、ビリビリとした感覚がある。

ビニールシートがはがされた。

「大丈夫か!?」

 眩しい太陽と共に、救急隊員らしき制服が目に飛び込んできた。

 もはや里栄子は声が出なかった。海もぐったりとして、自分からは動かなかった。というよりも動けなかったといった方が、正しい。

まず海が抱きかかえられ、担架に乗せられていった。

「立てる?」

 里栄子は救急隊員に体を支えられて立ち上がった。腕に触れられると激痛が走ったが、足腰は何とか大丈夫そうだったので、うなずいてみせた。

「こっち来て」

 促されるまま歩き出す。視界の端に、綾と凪が海と同じく担架に乗せられる姿が映った。そちらに首を向けると、拓哉も続いてシートから引っ張りだされるところだった。完全に意識がない様子だ。里栄子は思わずそちらに歩み寄ろうとしたが、止められた。

「子供達なら大丈夫だから」

 反抗する力もわかなかったので、とりあえずその言葉を信用することにした。

里栄子は小さな救急車のようなワゴン車の後部、荷台を開けた部分に座らされた。

「ちょっと、ここに座ってて。君も病院に連れて行くけど、警察の人が、その前にちょっとだけ話を聞かせ欲しいんだって」

 救急隊員はそう言うと、里栄子が頷く間もなく走っていってしまった。

里栄子は腕が言うことをきかないので、体の横にだらりとぶら下げたまま、ぼんやりと周囲を眺めた。重機や消防、警察、子供達の親らしき人、やじうまがざわめき、せわしなく行き来する様子を追うとも無く追いながら、もう子供達と遊ぶことは出来ないだろうなと人事のように考えた。自分が親なら、我が子を二度も危ない目に遭わせた小娘を許さないだろう。

里栄子はため息をついた。同時に落とした視線の先に影があった。影はこちらに近づいてくる。里栄子はゆっくりと顔を上げた。

そこには、時雨が立っていた。

里栄子は思わず立ち上がった。

 時雨は唇の左端を少し上げて、右手の人差し指で自分の喉をトントンとつついた。首には包帯が巻かれていた。

「声、出ないの?」

 里栄子はようやく言った。時雨はほとんど表情を変えないまま頷いた。

「パイプがぶつかったの?」

 再び頷く。

「痛かった?」

 少し間があって、時雨は小さく首を横に振った。

 里栄子は一歩時雨に近寄り、首に触れようとした。しかし、腕は全く持ち上がらなかった。

「痛かったでしょ」

「痛かったよね?」

 もう一歩、時雨に近づく。

時雨は微笑んでいた。唇が動いた。

「りえこ」「おかえり」。

その瞬間、里栄子は泣き出していた。涙は、子供のような声と共に、里栄子の内側から溢れ出てきた。渇いていると思っていたのに止まらなかった。腕が上がらないので涙を拭うことも出来ない。

今度は時雨が、里栄子に一歩近づいた。そして泣きじゃくる里栄子の顔を周囲から隠すように、頭をそっと抱き寄せた。里栄子は泣き続けながら、時雨の前では泣いてばかりだと頭の隅でこっそり考えた。


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